紹介された救い主

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マタイによる福音書3章1節〜12節

(2017.9.3)

参考資料

バプテスマのヨハネは、イエスさまの母マリヤの親戚、エリサベツが年老いてから産んだ子どもで、イエスさまの数ヶ月前に誕生しました(ルカ1章)。

1節の「バプテスマ」は洗礼のこと。ユダヤ教の入信のしるしとして行なわれた儀式で、体を水中に沈めました(浸礼)。キリスト教会でも入信の儀式として採用していて、浸礼の他、頭に水を振りかけたり(滴礼)、水をかけたりする方法(灌水礼)で行なう教会もあります。

7節の「パリサイ人」は、ユダヤ教の一派であるパリサイ派に属する人。主に一般民衆に浸透しました。彼らは、ユダヤ人として生まれたら、それだけで救われていると教えました。一方の「サドカイ人」は、祭司階級や貴族に浸透していたサドカイ派に属する人です。彼らは、復活や死後のさばきを否定し、この世での幸福を追求しました。両派とも、やがてイエスさまを救い主だとは認めない立場を取ります。

7節の「まむしのすえ」とは、サタン(悪魔)の子孫という意味です。創世記3章で、サタンは蛇に乗り移って、アダムとエバを罪に誘惑しました。

9節の「アブラハム」はユダヤ人の先祖。アブラハムは神さまと契約を結び、彼と彼の子孫が大いに祝福されると共に、彼と彼の子孫を通して全世界の民族が祝福されるという約束を与えられました。ユダヤ人は、その契約を継承した特別な民族です。アブラハムからは、アラブ人やエドム人など、様々な民族が出ましたが、アブラハムの子孫であれば誰でも契約の民というわけではなく、アブラハムの孫ヤコブから出たユダヤ人に限られます。

11節の「はきものを脱がせる」というのは、当時は奴隷の仕事でした。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日からしばらくマタイの福音書を連続して学んでいきます(1-2章はクリスマスによく取り上げるので、今回はパスします)。第1回目は、バプテスマのヨハネを取り上げます。彼は、イエス・キリストの先駆者として、人々にイエスさまをお迎えするための心備えをさせました。

キリスト教信仰の中心は、イエス・キリストです。私たちがイエスさまのことをどのようなお方だと考えるかによって、私たちの人生が喜びと平安と力に満ちたものになるか、そうならないかが決まります。

では、バプテスマのヨハネは、イエスさまのことをどのようなお方として紹介しているでしょうか。そして、そのイエスさまが私たちにどのような人生をくださると約束しているでしょうか。

1.救い主である方

救い主

ヨハネは、イエスさまについてこう証言しています。「私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません」(11節)。すなわち、イエスさまと自分では、人間の主人と奴隷の関係よりも、もっと格差がある。それほどイエスさまは素晴らしいお方だということです。

ヨハネのこの言葉は、彼がイエスさまこそ救い主(ヘブル語でメシヤ、ギリシャ語でキリスト)だと信じていたということを示しています。

旧約聖書によると、アダムとエバが罪を犯した直後に、神さまは「女の子孫」と呼ばれる1人の男性をこの世に送り、サタン、すなわち人類を罪に誘惑した悪魔を滅ぼすと約束なさいました。「わたしは、おまえ(サタンのこと)と女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」(創世記3:15)。

以来、神さまは次第にこの「女の子孫」の情報を小出しにしていかれました。たとえば、アブラハムの家系から、アブラハム子イサクの家系から、イサクの子ヤコブの家系から、ヤコブの子ユダの家系から、そしてユダの子孫ダビデ王の家系から生まれること。マタイ1章の家系図が、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」という言葉で始められているのも、イエスさまが約束の「女の子孫」だということを示しています。

そして、やがて「女の子孫」は、油注がれた者という意味のメシヤと呼ばれるようになりました。ギリシャ語のキリストも同じ意味です。日本語では救い主と呼ばれています。

当時のユダヤ人の理解では(現代のクリスチャンも同じ理解ですが)、この救い主は単なる人ではなく、神が人となられたお方です。故に、ヨハネは「その方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません」と語ったのです。

2つのイメージ

旧約聖書の中で、救い主は2つのイメージで描かれています。
  1. 神さまの敵を滅ぼし、地上に理想的な王国を造り、ユダヤ人を始め、様々な民族の人々が幸せに暮すことができるようにするという、神の国の王としてのイメージ。
  2. 人類に対する罪の罰を、身代わりとして受けて苦しみ、血を流し、それによって人類の罪を赦し、霊的な救いをもたらす苦難のしもべとしてのイメージ。
ヨハネは、イエスさまは単なる人ではなく、人となられた神、すなわち救い主だと人々に紹介しました。この方は、人類の罪を赦して神さまとの関係を修復させてくださり、理想的な神の国に住まわせてくださるお方だと。救い主であるイエスさまは、私たちにも、この2つの祝福を与えてくださいます。

2.聖霊と火とのバプテスマを授ける方

中に浸す

そしてヨハネは、イエスさまが聖霊と火とのバプテスマを授ける方だと紹介しました。「〜のバプテスマを授ける」と訳されている言葉は、直訳すると「〜の中に浸す」という意味ですから、「聖霊の中に私たちを浸し、火の中にも浸す」ということですね。ここは2つに分けて解説してみましょう。

聖霊に浸すバプテスマ

聖霊とは、神さまの霊です。聖書の神さまはお一人ですが、そのお一人の神さまに3つの人格(位格といいます)があります。父なる神、子なる神である救い主、そして聖霊なる神です。ただし、神が3人いるのではなく、神さまはただお一人です。これを三位一体といいます。ですから、聖霊さまは神さまです。

イエスさまは、私たちを聖霊さまの中にどっぷりとつからせてくださいます。ちょうど、染色をする人が、布を染料の中にどっぷりと浸すイメージです。浸された布は、染料と一体化して、その色に染まりますね? それと同じように、聖霊さまの中に浸された人は、聖霊さまの影響を受けていきます。

そして、聖霊さまとイエスさま、父なる神さまは本質が一つですから、聖霊さまの影響を受けるということは、イエスさまの影響を受けるということでもあります。私たちは、聖霊のバプテスマによって、少しずつイエスさまに似た者に変えられていきます。「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(第2コリント3:18)。

人間としてのイエスさまは、どんなお方だったでしょうか。
  • どんな問題がやってきても、慌てることなく、落ち着きを保ち、将来に希望を抱き続け、今行なうべきことを行なう強いお方でした。
  • 傷つき悲しんでいる人に深い愛情を示される温かいお方でした。
  • ご自分では決して罪を犯しませんでしたが、人の弱さに深い理解を示し、積極的にそういう人たちの友となろうとしたお方でした。
  • 約束したことは必ず守る誠実なお方でした。
私たちもそんなイエスさまに似た者とされます。しかも、私たちだけの努力によってではなく、聖霊さまの助けによってです。私たちは愚かだったかもしれません。弱かったかもしれません。失敗を繰り返してきたかもしれません。しかし、イエスさまは、聖霊さまの助けによって、私たちを内面から造り変えてくださいます。私たちには、成長できるという希望が与えられているのです。

では、聖霊のバプテスマはいつ与えられるのでしょうか。それは、イエスさまを信じたその瞬間です(第1コリント12:13など)。

火に浸すバプテスマ

やがて世の終わりの時が来ると、イエスさまを信じたクリスチャンたちが空中に引き上げられます。死んだクリスチャンは栄光の体に復活して、生きているクリスチャンは栄光の体に変えられて、迎えに来られたイエスさまと出会い、そのまま天国に連れて行っていただきます(第1テサロニケ4:13-17)。これを携挙と呼びます。

携挙されたクリスチャンは、「キリストのさばきの座」と呼ばれるさばきの場に引き出されます。「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」(第2コリント5:10)。

といっても、これは罪を指摘して刑罰を決定するためのさばきではありません。クリスチャンは、イエスさまによってすべての罪を赦されているからです。これは、神さまがくださる報酬を決定するための、いわば査定の場です。

そのさばき(査定)は火によって行なわれると聖書は教えています。「もし、だれかがこの土台(キリスト)の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります」(第1コリント3:12-15)。

イエスさまが私たちに授けるとヨハネが紹介した、火のバプテスマがこれです。地上で誰もほめてくれなくても、認めてくれなくても、神さまが喜ばれる行ないを忠実に続けた人は、決して神さまは見過ごしになさらず、永遠の祝福で報いを与えてくださいます。

3.悔い改めを求める方

悔い改めのバプテスマ

私たちに罪の赦しを与え、聖霊によって内面から造り変え、そして永遠の世界において地上での努力に報いてくださる救い主。ヨハネはイエスさまのことをそのようなお方として紹介しました。そして、彼は、自分に与えられた使命は人々がイエスさまを迎えるための準備をさせることだと自覚していました。

そのために彼は、ヨルダン川の中に浸すバプテスマを授けていたのですが、その意味するところは悔い改めでした。すなわち、神さまの前で、自分が罪人だということを認めて謝罪し、これからは神さまのみこころにかなう生き方をしますと宣言することです。

ヨハネは、パリサイ派やサドカイ派の人々を「まむしのすえ」などと呼んで責めていますが、これは彼らが神さまへの罪を悔い改めようとせず、ただ流行しているからという理由でバプテスマを受けに来たからです。

救い主であるイエスさまによって、人生が造り変えられるための前提条件は、罪を認めて悔い改めることです。

罪とは

教会に来ると、すぐに「あなたは罪人だ」なんて言われるからいやなんだ。そんなふうに感じる方もおいでかもしれません。しかし、聖書がいう罪というのは、必ずしも邪悪であるということではありません。

最初に罪を犯したアダムとエバのことを考えてみましょう。神さまに食べてはいけないと言われた木の実を食べたというのが、彼らの罪でした。それのどこが邪悪ですか? 問題は、私たちの感覚で邪悪かどうかではなく、彼らが神さまを無視したということです。神さまはこうおっしゃったけれど、自分たちはこれがしたいからするという、いわば神さまを心の王座から追い出して、自分が自分の人生の神になったということなのです。

子どもから「あんたらなんか親じゃない」なんて言われたら、親はどんなに悲しいでしょうか。配偶者から「あんたのことはもうどうでもよくなったから、私は好きなときに好きな人とお付き合いをする」なんて言われたら、どんなに傷つくことでしょうか。神さまを無視して、自分勝手に生き、神さまを悲しませ、傷つけていることが、聖書のいう罪です。

罪の赦しと祝福を受け取ろう

イエスさまが語られた例え話の中で、おそらく最も有名なのが「放蕩息子のたとえ」(ルカ15:11-32)でしょう。

父親がまだ生きているのに、図々しくも遺産を要求した息子は、お金を受け取ると家出し、放蕩三昧の生活をしました。ところが、やがて財産をすべて使い切り、おまけに飢饉が重なって困窮しました。そして、自分の過ちを認め、お父さんのところに帰ろうと決意します。子どもとして受け入れてもらえなだろうから、奴隷として雇ってくださいとお願いしようと思い、彼は故郷に帰っていきました。

ところが、父親は帰ってきた息子を喜んで迎え、子どもとして受け入れ、喜びの宴会を開いてくれました。イエスさまは、天の父なる神さまはこのようなお方だと教えるために、この例え話を語られました。

救い主であるイエスさまは、私たちに罪の赦し、聖霊による内面の成長、永遠に続く報酬という祝福をくださいます。あなたのこれまでの生活がどのようなものであったとしても、イエスさまはあなたの人生を造り変え、日々それをより素晴らしいものへと育ててくださいます。

その祝福をいただくためには、まず自分が神さまから離れて生きていたということを認める必要があります。そして、神さまを悲しませてきたその罪をイエスさまが赦すために、十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさったと信じる必要があります。

あなたがすでにそのことを信じ、クリスチャンになられたのであれば、改めて自分に与えられている約束を確認し、感謝しましょう。もし、まだあなたがイエスさまを信じる祈りをしておられないのであれば、ぜひ今お祈りください。たとえばこのように。
「天の父なる神さま。私はあなたを無視して、自分勝手に生きてきました。申し訳ありませんでした。しかし、私のこの罪を赦すために、イエスさまが十字架にかかり、死んで葬られ、3日目によみがえられたと信じます。私の罪を赦し、神さまの子どもにしてくださり、永遠の祝福を約束してくださって、ありがとうございます。どうか、聖霊さまによって、私の人生があなたにもっともっと喜ばれるものになるよう、お助けください。イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン」。
アーメンとは「この言葉は真実です」という意味です。もしそう祈れたら、あなたはクリスチャン、神さまの愛する子どもです。あなたは神さまに守られ、導かれ、日々造り変えられます。たとえ死んでも永遠の祝福を味わうことができます。

まとめ

ヨハネが紹介した救い主イエスさまは、あなたに永遠に続く素晴らしい人生を与えてくださいます。

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