イエスが受洗したわけ

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マタイによる福音書3章13節〜17節

(2017.9.10)

参考資料

13節の「バプテスマ」とは洗礼のこと。ユダヤで行なわれていた入信の儀式で、水の中に沈めました。ヨハネという人は、人々が救い主をお迎えする心を整えるために、悔い改めを解き、悔い改めた人たちにヨルダン川で洗礼を授けていました。クリスチャンも、キリストを信じたしるしとして水の洗礼を受けます(水に体を沈めるほか、水をかけたり、頭に水を垂らしたりする方法も用いられます)。

この場面には、三位一体の3つの位格が勢揃いしています。すなわち、父なる神、救い主である子なる神(イエスさま)、聖霊なる神です。

聖書からのメッセージ

イントロ

ヨハネのバプテスマは、悔い改めを意味していました。「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けています」(11節)。ところが、救い主であり、罪のないお方であるはずのイエスさまが、洗礼を受けるために来られます。ですから、ヨハネは止めようとしました。

それに対してイエスさまは、「すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」(15節)とおっしゃって、あくまでも受洗を希望なさいました。これはどういう意味でしょうか。そして、そのことが私たちにとってどんな意味があるのでしょうか。

前半は、イエスさまが洗礼をお受けになった理由を3つお話しします。キーワードは「一体化」です。そして、後半はそこから私たちがささげるべき3つの祈りを教えていただきましょう。

1.イエスの受洗の意味

ヨハネの教えを承認するため

前回、バプテスマという言葉には、浸すという意味があって、イメージとしては染料の中に布を浸して染め物を作るようなものだと申し上げました。染色では、染料と布とが一体化します。それと同様、洗礼を受ける人は、洗礼を授ける人が教えている教えを全面的に受け入れ、それと一体化します。

では、ヨハネが教えていたメッセージとは何でしょうか。2節で彼はこう教えています。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」。天の御国とは、旧約聖書が約束している、救い主によって実現される理想的な王国のことです。その王国に入るためには、神さまを無視した生き方をしていたことを悔い改めて、その上で救い主を歓迎しなければなりません。

ヨハネが授けていた水のバプテスマは、悔い改めた人たちが、悔い改めのしるしとして行なったものです。ですから、悔い改めようとしないパリサイ人やサドカイ人については、ヨハネはバプテスマを授けませんでした(7-10節)。

救い主であるイエスさまは、ヨハネから洗礼を受けることで、ヨハネが教えた悔い改めのメッセージと一体化なさいました。それによって、ご自分がヨハネの教えを全面的に支持していることを表現なさったのです。

実際、イエスさまが公の活動を開始されたとき、ヨハネと全く同じメッセージを語っておられます。「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから』」(4:17)。

罪人の身代わりとなるため

イエスさまは、悔い改めの必要がないお方でしたが、ヨハネから洗礼を受けることで、彼から洗礼を受けていた人々とも一体化なさいました。すなわち、悔い改めが必要な罪人と同じになられたのです。

それは、私たち罪人が、イエスさまによって罪を完全に赦され、天の父なる神さまに全面的に受け入れられ、天の御国に入れられる祝福を始めとする様々な祝福を味わうことができるようになるためです。

このことについて、ヘブル4:13にはこのように書かれています。「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」。これだけだと何と恐ろしいことでしょうか。

しかし、続く14-16にはこのように書かれています。「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」。

また、第2コリント5:21にはこう書かれています。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」。

ですから、聖書は約束しています。イエスさまがこの私の罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさったと信じるだけで、私たちの罪は赦され、神さまの子どもとなり、神さまからの素晴らしい贈り物をいただけるようになると(第1コリント15:1-8)。

信者の模範となるため

イエスさまは、この後十字架にかかり、死んで葬られ、復活なさいます。そして、それを信じた人たちにバプテスマを授けるようにお命じになりました。イエスさまは、私たちクリスチャンと同じように洗礼を受けることにより、私たちに模範を示されました。

クリスチャンの洗礼は、単なる信仰告白ではなく、神さまからの約束が伴っています。ペテロは、神さまからの赦しを求める人々にこう勧めています。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」(使徒2:38)。

すでに学んだように、私たちが新しい人生を歩むためには悔い改めが必要であり、イエスさまによって罪が完全に赦されたということを信じる必要があります。その時、私たちは罪を赦された者、それどころか神さまの子どもとなります。ペテロは、それだけではなく、神さまからのプレゼントとして聖霊が与えられると約束しています。

ヨハネから水のバプテスマをお受けになったイエスさまに何が起こったか見てみましょう。天が開けて、神の聖霊が鳩のようにイエスさまの上に下りました。そして、父なる神さまがイエスさまの存在を喜んでおられるという声が響きました。そうして、イエスさまはご自分に与えられた使命を果たすために出て行かれたのです。

イエスさまを信じ、洗礼を受けた私たちクリスチャンにも、イエスさまに起こったことが起こります。すなわち、聖霊なる神さまに満たされ、父なる神さまによって認められて、この地上に遣わされるのです。

聖霊なる神さまは、私たちクリスチャンの内に住み、私たちを造り変えてくださいます。愛を与え、喜びを与え、平安を与え、勇気を与え、希望を与え、人間関係の持ち方を建設的で麗しいものに変え、時には奇跡さえも行なう力を与えます。イエスさまは、私たちクリスチャンと一体化し、洗礼をお受けになることによって、私たちも聖霊の祝福を味わうことができるのだということを保証してくださいました。

では、ここから私たちに必要な祈りを整理してみましょう。

2.3つの祈り

ごめんなさいの祈り

救い主であるイエスさまは、私たちに神さまと共にある新しい人生を与えてくださいます。そのためにまず必要なことは、悔い改めです。

自分が神さまのみこころにかなわない考えを持ったり、実際に行なったりしていたということに気づいたなら、すぐ父なる神さまに告白しましょう。そして、その罪を離れる決意をしましょう。

特に私たちが気をつけたいのは、誰かに対する恨み、憎しみです。というのは、神さまは愛であり、赦しの神ですから、子どもである私たちも神さまに倣って、人を赦す必要があります。誰かを恨んでいることに気づいたら、「これは間違いです。私は憎しみを捨て去ります。あの人を赦します」と宣言しましょう。

悔い改めは、夜に一日分をまとめてとか、礼拝の時に一週間分をまとめて、などと考えないでください。過ちに気づいたらすぐです。

ありがとうの祈り

罪を悔い改めたら、自分がイエスさまの血によって完全に赦されていることを、神さまに感謝しましょう。

私たちは、心のどこかに罪責感を抱えながら生きています。今のままの自分ではダメだという感覚です。そして、何とかそれを克服するために、今よりもましな自分にならなければという、一種の強迫観念にさらされます。

そのために、ある人は快楽を求めます。ある人は社会的成功を求めます。ある人は財産を求めます。ある人は他の人たちからの賞賛を求めます。

罪責感をカバーするために、人に親切にする人もいます。私が初めてカウンセリングを大学で学んだとき、教授が言いました。「カウンセラーや看護師などの援助職を目指す人の半分は、まず自分に助けが必要だ」。すなわち、今の自分ではダメだから、人を助けることで、自分がOKなのだということを確信したいのだと。

しかし、罪責感が原動力だと、ついついやり過ぎてしまいます。
  • 快楽を求めるあまり、ドラッグ依存や不倫などのように、道徳的あるいは法律的に問題を引き起こす。
  • 成功を追い求めるあまり、他の人を蹴落としたり無視したりして傷つける。
  • ほめられるために、カンニングなどの不正を働く。
  • 役に立つ人間だということを証明しようとするあまり、本当は助けてはいけない人を助けて、かえって甘えを助長させ、無責任な生き方に追いやったり、よけいなお世話を焼いて相手に嫌がられる。
私たちは、イエスさまによって、自分の罪が完全に赦されており、自分がOKであることを証明するために何かをする必要はないということを、いつも確認する必要があります。事実、罪は完全に赦されているのです。ですから、それを信じましょう。その信仰を最も良く表す祈りが「赦してくださってありがとうございます」という感謝の祈りです。

お願いしますの祈り

罪を悔い改め、赦しを信じたら、次にすべきことは、聖霊なる神さまの満たしを求め、人生を造り変えてくださるようお願いすることです。私たちは、自分一人の力でクリスチャン生活を送るわけではありません。

カトリック教会が用いているラテン語の聖歌の中に「ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス」という歌があります。訳すと「聖霊さま、来てください」です。クリスチャンが古くから祈ってきた祈りです。

え? 聖霊さま、いなくなることがあるの? そうではありません。聖霊さまはいつも私たちの内に住んでおられます。しかし、より力強く私たちを満たしてくださいという祈りをささげるのです。

聖霊さま、来てください。私を満たしてください。そして、私の内側から恐れや憎しみや悪い思いを取り除き、神さまに従いたいという思いをあたえ、そうする力を与え、喜びや平安や希望で満ちあふれさせてください。そのようにお願いしましょう。

そして、バプテスマを受けた後、イエスさまが公の奉仕を開始なさり、多くの人々に希望やいやしや救いを届けたように、私たちも他の人たちに神さまの愛を届け、いやし、希望を与えることができるようにさせてくださいと、お願いしましょう。

また、聖霊に導かれて、他の人のために祈りをささげましょう。いやされるように、慰めが与えられるように、希望が与えられるように、そして救われるように。

まとめ

イエスさまがバプテスマをお受けになった意味を学び、ごめんなさい、ありがとう、お願いしますの祈りを積み重ねましょう。

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