荒野の誘惑

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マタイによる福音書4章1節〜17節

(2017.9.17)

参考資料

10節の「サタン」は、悪魔の別名で、「告発者」という意味があります。信仰者の罪を神の前で言い立てたり、人に対して「神は信頼できない。なぜなら……」と言い立てたりするからです。

聖書からのメッセージ

イントロ

筋トレでは、耐えられるギリギリの負荷をかけることで、筋肉が前よりも強く、太くなっていきます。クリスチャンは、常にサタンからの誘惑にさらされ、罪を犯すように誘われていますが、その霊的負荷に勝利するたびに、私たちと神さまとの関係は強く、太くなります。そして、その分だけ人生の中で驚くような祝福を体験することができるようになります。

今回は、サタンからの誘惑に勝利なさったイエスさまの体験を学ぶことで、私たちも誘惑に勝利できることを確認しましょう。

1.イエスが受けた誘惑

石をパンに変えろ

サタンの目的
サタン(悪魔)は、元は天使のかしらでしたが、傲慢になって神さまに取って代わりたいと願い、反逆しました。そして、神さまを憎んでいるサタンは、神さまが愛しておられるものをことごとく破壊しようとしています。

イエスさまは、神の子です。ヨハネから洗礼を受けたとき、天から降ってこられた聖霊さまに満たされ、天の父なる神さまから「わたしの愛する子」と呼ばれました。これに対して、神の敵であるサタンは、イエスさまから神の御子の資格を奪おうとして、誘惑を仕掛けてきました。もしイエスさまが誘惑に引っかかって罪を犯したら、罪人を救うことはできません。
第1の誘惑のポイント
まずサタンが仕掛けた誘惑は、「石をパンに変えろ」というものです。

ところで、私はこれまで、石をパンに変えるように誘惑を受けたことは一度もありません。最初から不可能だからです。ジュノンのモデルになってちやほやされるようにという誘惑も受けたことがありません。モデルになれるような身体的資質を持ち合わせていないからです。実行可能なことについて、人は誘惑を受けます。

イエスさまにサタンは「あなたが神の子なら」と言っていますが、これは「あなたは神の子なのだから」とも訳せる言葉です。神の子なんだから簡単でしょうということです。実際、イエスさまにはそれをすることが可能でした。

しかもこの時、イエスさまは大変な空腹状態でした。40日間の断食をした後だったからです。だから、パンを手に入れるために石を変化させたらいいと誘ったのです。

これのどこが問題なのかというと、本来はそんなことをする必要がないことです。荒野を去って町に行けば、食料を手に入れることができるのですから。

自分に腕力があるということを証明するために、必要もないのに人とケンカをしたり、物を壊したりするのはおかしいですね? イエスさまには確かに力がありましたが、それは自分の力を証明し、自己満足を得るために使うべきものではありません。イエスさまは世界を救う救い主として地上に来られたのですから、人々をいやし、励まし、信仰に導くために力を用いなければなりません。
イエスの対応
サタンの誘惑に対して、イエスさまは、旧約聖書の申命記8:3の言葉を引用することで対抗なさいました。そこにはこう書かれています。「人はパンだけで生きるのではない」。そりゃあ、パンだけじゃなく、おかずが必要だし、主食もご飯だってパスタだってうどんだって食べたいですよね。でも、もちろんそういうことではありません。

続きはこうです。「神の口から出る一つ一つのことばによる」。自分の欲求に正直なのはいいことですが、それだけなら動物と変わりません。人が他の動物と違うのは、神さまと人格的な交流をすることです。ある小学生が、こんな作文を書きました。「我が家で食事の前にお祈りしないのは、お父さんとポチだけです」。

こうして、イエスさまは自分の欲望を満たすために力を使うことを拒否なさいました。第1のテスト、クリアです。

高所から飛び降りろ

次にサタンは、イエスさまをエルサレム神殿の頂に連れて行きました。そこが建物の一番高いところ(聖所の屋上)なら、下まで十数メートルの高さ、もしもケデロンの谷に面した西側の城壁の上なら、谷底まで百数十メートルの高さになります。どちらにしても足がすくむ高さです。そこから飛び降りろというのがサタンの2つめの誘惑でした。

ここでもサタンは「あなたは神の子なんだから」という言い方をしています。そして、今度は聖書の言葉を使って誘惑しました。それは詩篇91:11-12の言葉で、「神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる」というものです。「神は信者を守ってくれるんだろう? ましてあなたは神の子なんだから、絶対守ってくれるよね? それを証明してみせなよ」というわけです。

これに対して、イエスさまは再び聖書の言葉で対抗なさいました。申命記6:16の言葉です。「あなたの神である主を試みてはならない」。
神を試みるとは
神さまを試みるとは、どういう意味でしょうか。それは、神さまの約束があるからといって、故意に危険を冒すことです。ある人が面白いたとえをしています。保険会社は車の事故について保障することを約束していますが、本当に保険金をくれるかどうか試すために、わざと事故を起こすのは間違いだと。

私はそもそも高所恐怖症ですから、高いところから飛び降りてみろという誘惑を受けることはないと思いますが、よく経験するのは「神さまは罪を赦すと聖書は教えている。本当に赦してくれるのかどうか、試してみろ」という誘惑です。別の言い方をすると「どうせ赦してもらえるんだから、今は好き勝手にやってみろよ」ということです。もちろん、冷静に考えれば、そんな理屈は馬鹿げています。

ですから、イエスさまは、必要もないのに危険を冒すような真似は拒否なさいました。第2のテストもクリアです。

サタンを礼拝せよ

それからサタンは、イエスさまに世界中の国々を見せ、「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」と言いました。

ルカの福音書にはその理由も書かれています。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです」(ルカ4:6)。これは本当のことです。サタンは、第2コリント4:4では「この世の神」、エペソ2:2では「空中の権威を持つ支配者」、ヨハネ12:31では「この世を支配する者」と呼ばれています。

そして、世の終わりの時代に登場する反キリストは、サタンに従うことによって、サタンから世界を支配する権威を授かります(黙示録13:2)。
魅力的な提案
イエスさまは、救い主として地上に来られました。旧約聖書は、救い主は平和で完璧な場所である神の国の王であり、エルサレムから全世界を統治すると預言しています。しかし、その実現のためには、救い主は大変な苦しみを経験しなければなりません。罪人たちの罪を身代わりに負って、十字架にかからなければならないのです。ですから、サタンにお願いして、苦しむことなく世界の支配者になるというのは、大変魅力的な提案です。

そう、サタンの誘惑は、一見実に魅力的に思えるのです。サタンの誘惑の方法は、良い物を、間違った方法で手に入れさせようとすることです。

しかし、いくら良い目的のためであっても、神さま以外の者を礼拝するのは偶像礼拝の罪です。イエスさまはサタンを礼拝することで、十字架の苦しみを回避なさることを拒否なさいました。そして、申命記6:13の言葉を使って対抗なさいました。「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」。

欧米では、サタン礼拝を行なっている人たちが結構な数いるそうです。日本では少ないでしょうが、サタンそのものを礼拝しなくても、神さま以外の霊的な力に頼るなら、それは間接的なサタン礼拝です。たとえば、占い、まじない、風水、お守り、パワースポット巡りなど。これらは、一見邪悪に見えなくても、遊びの一環のように見えても、サタンの影響下にあります。私たちクリスチャンは決して、決して手を出してはいけません。

では、ここから、私たちクリスチャンは何を学ぶことができるでしょうか。

2.私たちが受ける誘惑

誘惑自体は罪ではないことを知ろう

クリスチャンになりたての方が悩んでおられました。誰かに対してすぐに怒りをぶつけたくなったり、他の人が持っている物をうらやましく思ったり、そのほか良くないと分かっていることをしたいという思いがふつふつとわいてきたりするんだと。ところが、先輩クリスチャンたちを見ていると、全然そんな悩みを持っていないように見える。自分は、クリスチャンとして出来損ないなんじゃないか。いや、そもそも救われていないんじゃないかと。

イエスさまは神の御子です。イエスさまは罪を犯されませんでした。しかし、こうしてサタンの誘惑に遭っています。罪を犯すように誘惑されること自体は罪ではないということです。私はその方にそのことを申し上げました。

そして、クリスチャンになる前はそれらが悪いことだと思わないで、何の迷いもなく実行していたのに、そうやって悪いと認識したり、ブレーキがかかったりしているというのは、あなたが確かに救われて、聖霊さまが内に住んでいてくださる証拠ですよ、と。

サタンの誘惑なんか体験したことがないという人がいたら、むしろ心配した方がいいです。その人は放っておいても神さまに従う心配がないから、サタンや悪霊が安心して昼寝しているってことですからね。

聖書の言葉で対抗しよう

エペソ6:14-17には、サタンや悪霊に対抗するための神の武具が紹介されています。「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」。

これらの武具は、すべて神さまのみことばである聖書の言葉と関係しています。
  • 真理の内容は、聖書が教えてくれます。
  • 何が正義で、何が悪かは、聖書が教えてくれます。
  • 平和の福音が何かは、聖書が教えてくれます。
  • 信仰とは、神のことばである聖書の内容を信じるということです。
  • 救いは、聖書が教える方法を採用することで自分のものになります。
  • そして、神のことばは、聖書の中に記されています。
イエスさまも、聖書の言葉を使ってサタンの誘惑に勝利なさいました。これは、私たちへの模範です。

ある方が、知人からされたことに非常に怒り、なんとか復讐して思い知らせてやりたいという気持ちになりました。そんなとき、聖書を読んでいたら、一つの箇所が目にとまりました。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」(ローマ12:19)。

やな箇所を見つけちゃったなと思い、とりあえず読まなかったことにしました。すると、毎日メールで送られてくる「今日のみことば」が届きました。「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい」(ルカ6:27)。

その方は降伏しました。「分かりました。怒りを手放します」。そして善を行なうことにしました。こう祈ったのです。「あの人を祝福してください。これ以上ないくらい。もうたくさんです、勘弁してくださいと言うくらい」。

私たちも普段から聖書に親しみ、頭の中の引き出しにみことばを蓄えておきましょう。

失敗してもまたチャレンジしよう

イエスさまは誘惑に完全勝利なさいました。私たちもそうありたいですね。しかし、たとえ誘惑に勝利しても、それでサタンの攻撃が終わったわけではないことは、いつも警戒しておきましょう。必ず第二、第三の矢が飛んできます。イエスさまに対してもそうでしたね。

そして、私たちはイエスさまと違って完璧なきよさを持っていませんから、誘惑に引っかかり、罪を犯してしまうことがあります。そんなときにも第二の矢が飛んできます。韓国に「溺れた犬を棒で叩く」ということわざがあるそうですが、サタンも失敗した人を徹底的に叩き潰そうとします。

サタンは、私たちが罪を犯す前は「そんなのたいしたことじゃない。みんなやってるし。清濁併せ持つ度量を持たないと、この世じゃ浮いてしまうよ。それに、どんな罪も神は赦してくれるんだろう?」と語りかけてきます。

ところが、実際に罪を犯してしまうと、まるっきり逆の言葉をかけてきます。「うわ、なんてひどいことをしたんだ。どうせ赦されるからといって、平気で罪を犯すなんて、神を試すことじゃないか。たとえみんなやっていることだとしても、地の塩、世の光となるのがクリスチャンの務めじゃないのか。お前のような名ばかりのクリスチャンには、神さまもあきれている。もう祝福なんかされないし、下手したら救いを取り消されたりするんじゃないか?」

ここでも、私たちは神さまのみことばによって対抗しなければなりません。聖書は、私たちが決して、決して神さまから見捨てられないと約束しています。たとえば、救い主イエスさまについて、こんな預言があります。「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす」(イザヤ42:3)。

前回学んだように、失敗したことに気づいたら、すぐに悔い改め(ごめんなさいの祈り)、赦しを確認して感謝し(ありがとうの祈り)、聖霊さまが自分を満たして、神さまのみこころにかなう生き方できるよう助けてくださいと祈りましょう(お願いしますの祈り)。

まとめ

イエスさまはサタンの誘惑に完全勝利なさいました。そのイエスさまが、あなたにも勝利を与えてくださり、神さまともっともっと強くて太い関係を結び、もっともっと大きな祝福を味わうことができるよう育ててくださいます。

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