イエスの弟子として

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マタイによる福音書4章17節〜25節

(2017.9.24)

参考資料

17節の「天の御国」(他の福音書では「神の国」)とは、救い主が王として統治する理想的な王国のことです。旧約聖書には、救い主の王国について、たくさんの預言があります。黙示録20:1-6には、この王国が千年間続くことが預言されていますので、千年王国とも呼ばれます。

23節の「御国の福音」とは、17節の「天の御国が近づいた」という良い知らせのことです。すなわち、「天の御国の王である救い主がすでに現れたから、間もなく天の御国が実現しようとしている。その救い主とは、ナザレのイエスである」というメッセージです。

一方、現代の私たちが救われるために信じなければならないのが、「恵みの福音」です。これは、第1コリント15:1-8に書かれているように、「私たちの罪を赦すために、イエス・キリストが十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさった」というメッセージです。

このように、どの時代でも、神さまからの一方的な恵みとそれを信じる信仰によって人は救われますが、信じる内容は時代によって変わります。福音書の時代、イエスさまはまだ十字架にかかっていませんし、十字架や復活の話もなさっていませんから、人々は恵みの福音を信じようがありません。実際、ペテロたちは、イエスさまの復活どころか、十字架にかかることさえ信じていませんでした。しかし、御国の福音を信じることによって救われたのです。

聖書からのメッセージ

イントロ

今回の箇所には、4人の漁師たち、すなわちペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、正式にイエスさまの弟子となり、行動を共にし始めたことが書かれています。彼らは、どうして仕事も家も捨ててイエスさまに従ったのでしょうか。

そして、クリスチャンとは、イエスさまの弟子のことです。イエスさまの弟子である私たちは、ここから何を学ぶことができるでしょうか。

1.弟子たちの召命

ワクワクするような未来

4人の漁師たちは、初対面のイエスさまに従っていったのではありません。ヨハネ1:35-42によれば、ペテロとアンデレは、これ以前にイエスさまと直接話をしたり、その教えを聞いたりしていました。彼らの仲間であるヤコブとヨハネも同様でしょう。

また、ルカの福音書によれば、イエスさまは4人に声をかける前、彼らが住んでいたカペナウム界隈で様々な奇跡を行なっておられます。ペテロなどは、妻の母親の病気をいやしてもらいました。さらに、直前には、一晩中漁をしても1匹も獲れなかったのに、イエスさまの言葉に従って網を打つと、網が破れそうになるほどの大漁になったという奇跡も体験しています。

彼らは、イエスさまの話を聞き、その行動を観察するうちに、この方こそ天の御国の王、救い主(ヘブル語でメシヤ、ギリシャ語でキリスト)だと確信したのです。
神の国
旧約聖書には、やがて実現する天の御国について、様々な預言が記されています。たとえば、
  • きよい人々が住む世界(詩篇15:1-5)
  • 戦争のない世界(ミカ4:1-5)
  • 病のない世界(イザヤ35:5-6)
  • 長寿が保証された世界(イザヤ62:20-24)
  • 労働が確実に報われる世界(イザヤ65:21-22)
  • 動物や人間が安心して共存できる世界(イザヤ11:6-9)
そして、この天の御国は、ダビデの子孫として生まれる救い主が王として治める王国です。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる」(イザヤ9:6-7)。

イエスさまは、「天の御国が近づいた」(17節)とおっしゃいました。それは、救い主がいよいよ王として姿を現そうとしているという意味です。ペテロたちは、イエスさまこそその救い主なんだと信じました。

ですから、「ついてきなさい」と呼ばれたとき、これから先、救い主イエスさまと一緒にいたら、ものすごい体験が待っているに決まっていると彼らは思いました。だって、これから天の御国が実現しようとしているのです。そして、一緒にいるお方は、天の御国の王なのです。そのおそば近くに呼んでいただいたのですから、きっと様々な奇跡を目撃することでしょう。たくさんの人たちがいやされて新しい人生を手に入れ、喜びに満たされる現場を目撃することでしょう。自分たちもまた、その驚くべき働きの一部を手伝わせていただけることでしょう。

ですから、何もかも捨てて従いました。彼らは何かを犠牲にしたとは思わなかったはずです。なぜなら、ワクワクするような新しい生活が待っているのですから。

人間をとる漁師

イエスさまを天の御国の王、救い主だと信じた人は、天の御国の市民になる権利が与えられます。そして、やがて天の御国が実現したとき、先ほど紹介したような様々な祝福を味わうことができます。

しかし、ペテロたち4人は、ただ単に天の御国の市民として、祝福を味わうためだけに呼ばれたのではありません。イエスさまは彼らに「人間をとる漁師にしてあげよう」(19節)とおっしゃいました。それは、人々にイエスさまのことを紹介し、イエスさまに興味を持ってもらい、イエスさまの元に連れてきて、その人々がイエスさまを救い主として信じるように勧める働きをするということです。

福音書は、イエスさまの周りにいた人たちを2種類に分けて表現しています。1つのグループは「群衆」(25節)。もう1つのグループが弟子です。イエスさまは、祝福を受けるだけでなく、それを他の人に届ける役割も担う人々を求めておられます。それが弟子です。

人格的陶冶

こうして、ペテロたちはイエスさまについていきました。といっても、黙って、ぞろぞろと後をついていったのではありません。イエスさまと一緒にいる間、イエスさまと様々な対話をしました。また、イエスさまがなさることを、いつも、そしてこれまで以上に細かく観察することができました。

弟子は、師匠と一緒に行動することにより、その言葉や行動に触れ続け、だんだんと師匠の影響を受けていきます。人は、触れたものに似るからです。イエスさまが弟子をお求めになったのは、いつも側に置き、一緒に喜びや苦労を共にし、ご自分の言動にいつも触れさせることによって、ご自分の人格的影響を強く受けさせようとお考えになったからです。

弟子たちは、次第にイエスさまの影響を受けていくでしょう。イエスさまが大切にしていることを大切にするようになります。イエスさまが行動しているように行動するようになります。そうして、やがてイエスさまが天にお帰りになった後も、イエスさまの体として地上での働きを続けることができるでしょう。

では、ここからキリストの弟子である私たちは、何を学ぶことができるでしょうか。

2.私たちも弟子である

期待しよう

弟子たちが何もかも捨ててイエスさまに従ったとき、彼らの心には大きな期待がありました。これから素晴らしいことが待っているぞという期待です。

私たちもまた、弟子として召されています。私たちにもまた、ワクワクするような未来が待っています。私たちは、イエスさまの十字架と復活を信じ、すべての罪を赦されました。しかし、クリスチャンになるというのは、ただ罪が赦されて、地獄での永遠の刑罰を免れたというだけのことではありません。
ウィンバー牧師の体験
本棚を整理していたら、アメリカのビンヤード教会の牧師、ジョン・ウィンバー師が書かれた本が出てきました。今は天国に引っ越されたウィンバー師がまだ健在で、フラー神学校で働いていた頃、第三世界の諸教会が爆発的に成長しているのを研究していました。どうやら、そういう地域では、超自然的な聖霊の賜物が大いに用いられ、いやしなど様々な奇跡が行なわれているらしい。ところが、当時のウィンバー師はそういった超自然的な事柄が大の苦手で、とても信じられませんでした。一方で、いつも満たされない思いを抱えていたそうです。

そんなあるとき、奥さまのキャロルさんが、寝ている間に聖霊に満たされる体験をしました。キャロルさんは、ウィンバー師以上に、奇跡や聖霊の賜物に対して懐疑的で、その日の夢の中でも、いつも集会で語っていたように「今日の教会に異言の賜物が与えられない7つの理由」というタイトルで話をしていました。
ちなみに異言というのは、聖霊の賜物の一つで、習っていない言葉を語る能力のことです。主に個人的な祈りや賛美のために用いられますが、もし解き明かしの賜物を与えられた人がいれば、その言葉は預言としての性質を持ちます。
ところが、7番目のポイントにさしかかったとき、不意に目が覚め、キャロルさんは異言で祈っていたそうです。その時から、キャロルさんは人が変わったように喜びと平安と力に満たされるようになりました。そんな妻の姿を見ても、ウィンバー師はまだ聖霊の賜物に対して懐疑的でした。

今日でも神さまは奇跡を行なわれるということを信じるようになったキャロルさんは、夫もまた聖霊に満たされ、人生を造り変えられ、奇跡に対しても心を開くように祈り始めました。そして、奇跡を信じていなかった自分は、寝ている間に聖霊に満たされたから、夫もまた寝ている間に聖霊に満たされるのではないかと考えました。当時のキャロルさんはリウマチを患っていて、肩にひどい痛みを感じていました。そこで、夫が寝息を立て始めると、そっとその手を自分の肩の上に置き、「さあ、神さま、準備が整いました」と祈りました。

すると、ウィンバー師の手からキャロルさんの肩に向かって、熱いものがどっと流れ込んできました。そして、すっかり肩の痛みが取れてしまったのです。事情を知らないウィンバー師は、朝起きて、どうしてこんなに自分の手が熱いのか理解できなかったそうです。

それから間もなく、ウィンバー師は聖霊に満たされる体験をします。自分に絶望し、霊的飢え渇きが頂点に達した師は、飛行機の窓に額を押し当て、「もう疲れました」と祈りました。すると、その夜、神さまの声が聞こえてきました。「ジョン。これまで私はあなたの働きを十分見せてもらいました。これからは、私の働きをあなたに見せてあげましょう」。「ああ、神さま。それこそ私が求めていたものです!」 その日を境に、ウィンバー師の心の中に、平安や喜びが満ちあふれるようになりました。

やがてカリフォルニアでビンヤード教会の牧師となったウィンバー師は、あるときルカの福音書のメッセージを連続して語り始めます。福音書にはイエスさまがなさった奇跡の記事がたくさん載っていますから、自然と奇跡について語らざるを得ません。しかも神さまは、礼拝の最後にいやしの必要な人のために祈るよう促されました。そこで祈りを始めたのですが、誰もいやされません。そんなことが10ヶ月も続き、あきれた信徒の人たちが去って行って、一時は礼拝出席が半分になってしまいました。

それでも神さまは、たとえいやされる人が現れなくても、神さまは奇跡の神であるという聖書の教えを語り続け、いやしを祈り続けるよう促されました。そして、ある人がいやされたのを境に、次々といやしや奇跡が起こるようになりました。空のコップに1滴1滴水を落としていって、しばらくは何も起こらないのに、いったん満杯になったらどんどん水があふれ出てくるようなものです。そして、多くの人々が救われ、これまでの破綻した生活から立ち直り、心や体の病気から解放されていきました。

皆さんは、私たちの信じる神さまが今も奇跡を行なわれると信じますか? 私たちの心や体の病がいやされ、混乱した生活が改善され、人格が円満になり、喜びや平安や力を体験できるようになると信じますか? それだけでなく、私たちの祈りに応えて、他の人が救われ、いやされ、変えられると信じますか? 弟子としてイエスさまに従う私たちには、そのようなワクワクする人生が約束されています。それを信じましょう。

与えよう

ペテロたちは、ただいやしや悪霊からの解放といった祝福を受けるだけでなく、与える側の弟子になりました。クリスチャンは、イエスさまの弟子です。イエスさまはおっしゃいました。「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)。

では、私たちは他の人に何を与えることができるでしょうか。いろいろありますが、ここでは主なものを3つ、いや4つ挙げておきます。
(1) 物質的な贈り物
ピリピなどマケドニアの諸教会は、迫害がひどくて貧しい地域にありましたが、もっと迫害がひどくて働けず、生活に困窮していたエルサレム教会の人々を支援するため、お金や物を贈りました。パウロは、彼らは自発的に喜んでそれをしたと語っています(8:1-4)。
(2) 人を建て上げる言葉
すなわち、相手を励まし、慰め、勇気ややる気や元気を引き出し、人間的にも信仰的にも成長に導くような言葉ですね。もちろん、コミュニケーションというのはただ口から出てくる言葉だけでなく、まなざしやボディランゲージのような非言語的なものも含みます。微笑みを忘れないようにしたいですね。
(3) 共感
困っている人、悩んでいる人がいると、私たちは何かしなければ、何か語ってあげなければと思います。しかし、悩んでいる本人は、まずこの苦しい気持ちを聞いて欲しい、分かって欲しいと思っているものです。主の兄弟ヤコブが言うとおり、「聞くには早く、語るにはおそく」(ヤコブ1:19)、すなわちまずは相手の話にじっくりと耳を傾け、どんな気持ちなのか理解することに努めたいですね。
(4) 祈り
別にクリスチャンでなくても、物やお金を差し上げたり、勇気ややる気や元気の出るような言葉かけをしたり、相手の話に共感したりすることができます。しかし、聖霊さまに導かれ、イエス・キリストの名によって、全知全能の神さまに祈ることができるのは、イエスさまの弟子であるクリスチャンだけです。

今、英国国教会のホーリー・トリニティ・プロンプトン教会が始めた、アルファ・コースというキリスト教入門講座について調べています。アルファは、10名くらいのクリスチャンではない方たちが集まる小グループが活動の中心ですが、リーダーの他、ヘルパーと呼ばれる数名のクリスチャンも参加します。ヘルパーは、別に何年もクリスチャン生活を送っている人たちとは限りません。実は、前回のアルファに参加してすぐのクリスチャンもたくさんいます。

リーダーは、小グループの中でクリスチャンではない人たちに教えることはしません。説教者のメッセージを直接、あるいはビデオで見た後、参加者に質問して、それぞれの考えや感想を引き出します。それらが、たとえ非キリスト教的な意見であっても、否定することなく聞きます。そして、ヘルパーはほとんど発言すらしません。彼らの仕事は、参加者を歓迎すること。食事や飲み物をサーブすること。そして、祈ることです。

参加者が何か課題がありそうなとき、「祈らせてもらっていいですか?」と声をかけ、心を込めて祈ります。アルファのリーダー研修ではこう教えられています。たとえその場でいやされることがなくても、自分のために祈ってもらったというだけで、その人は愛を感じることができると。

そして、ヘルパーを経験した人は、与えることを実践することで、クリスチャンとして大きく成長していきます。

「祈らせてもらっていいですか?」と積極的に声をかけ、そして祈る。もっともっと私たちも実践していきたいですね。

交わろう

そして、弟子はイエスさまの行くところについて行き、寝食を共にし、いつもその言葉に耳を傾けました。今、イエスさまは天にお帰りになっていますから、直接触れ合ったり、話を聞いたりすることはできません。

しかし、聖書を読み、傾聴の祈りを通して、そして礼拝で祈ったり賛美したりすることで、また他のクリスチャンと交わることを通して、私たちはイエスさまと交わることができます。イエスさまとの交わりの時間を大切にしましょう。

そうして初めて、私たちはワクワクするような人生を体験し、他の人に与えることもできるようになります。

まとめ

私たちもイエスさまの弟子として、期待し、与え、交わりましょう。

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