子どものように

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マルコによる福音書10章13節〜16節

(2017.11.19)

参考資料

「神の国」とは、救い主が地上に建設なさる王国のことです。旧約聖書の預言者たちは、やがて救い主(ヘブル語でメシヤ、ギリシャ語でキリスト)がダビデの子孫としてこられ、イスラエルの王となり、イスラエルの敵を滅ぼして、エデンの園のような理想的な世界を実現なさると預言しています。神の国の預言は、イエスさまの再臨の時に実現します。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日の箇所で、イエスさまは子どもたちを祝福しておられます。そして、子どもたちを模範にするようにと、大人の私たちに命じておられます。

1.イエスと子どもたち

子どもを連れてきた親たち

親たちが自分の子どもたちを連れてイエスさまの所にやってきました。「イエスにさわっていただこうとして」と書かれていますが、これは祝福していただくためです。

今日の礼拝の中で、私たちの教会でも児童祝福式を行ないました。教会に与えられている子どもたちの成長を喜ぶと共に、これからの子どもたちの成長のため、また彼らの養育の責任を負っている親御さんたちのために祝福を祈りました。

大切な子どもたちが人として自立し、また信仰者として成長するのには、神さまの祝福が必要です。

親たちを叱った弟子たちを叱ったイエス

ところが、弟子たちが親たちを叱りました。忙しいイエスさまを煩わせたくないという思いだったのでしょう。

当時のイスラエルでは、もちろん大人は子どもたちを愛し、大切に育てました。しかし、同時に不完全な存在だとも見なしていました。あまり労働の役に立ちませんし、面倒ばかりかける、まだまだダメな存在だと考えていたのです。

大人ならイエスさまの話をありがたく拝聴するかもしれません。しかし、子どもたちは聖書のこともまだよく分からないし、黙って話を聞くことさえしないでしょう。ですから、弟子たちはイエスさまを守るために、親たちを叱ったのでしょう。

ところが、その弟子たちをイエスさまは叱られました。そして、この子どもたちのような存在でなければ、神の国に入ることはできないとおっしゃいました。イエスさまは、不完全だと思われていた子どもたちのことを、信仰者の模範だと表現なさったのです。

子どもたちを祝福したイエス

それからイエスさまは、子どもたちを抱き、一人一人に手を置いて祝福なさいました。神さまがどんなにその子たちを愛しておられるかを語り、神さまの守りと助けによって、その子たちが心も肉体も魂も健康に育つように、そして神の国に招かれて、永遠の祝福を味わうことができるようにと祈られたのです。

私たちが神の国の市民となるということは、死んだ後も、それどころか生きている今も、神さまからのあふれる祝福をいただき、それを味わうことができるということです。

そのためには、子どものように神の国を受け入れなければならないとイエスさまはおっしゃいました。子どものようにとは、どういうことでしょうか。子どものどんな性質を私たちの模範にせよとおっしゃっているのでしょうか。

2.神の国の祝福を味わう秘訣

愛情を当然のように受け取る

子どもは、親の愛情を当然だと思っています。大人が他の人に親切にされたときのように、遠慮してみたり、何か申し訳ないというような感覚を抱いたりすることなく、当たり前のようにその親切を受け取ります。

子どもは、自分が無力だということを知っています。ですから、生きるためには他人に依存しなければならないことも本能的に知っています。そこで、他人の愛情を素直に受け取ることができる能力を持っているのです。

同じように、神さまが私たちを祝福してくださることについて、「当たり前」にならなければなりません。もちろん、感謝を忘れるというような傲慢な意味ではありません。

私たちが神さまに祝福されるような身分になれたのは、私たちの行ないによるのではなく、イエスさまの十字架の故です。だから、いつも感謝は忘れないでいたい者です。しかし、だからといって、いつまでも「私は神さまに、そう簡単に祝福なんかされるはずがない」というような感覚をいつまでも抱いていることを、神さまは望んでおられません。
ヤベツの祈り
以前、「ヤベツの祈り」(ブルース・ウィルキンソン著・いのちのことば社)という本が、キリスト教界で大ブレイクしました。まだ読んだことのない方は、ぜひ一読なさることをおすすめします。

以下は、ヤベツが祈った内容です。「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように』。そこで神は彼の願ったことをかなえられた」(第1歴代誌4:10)。

この本で紹介されている祈りの解釈と実践の勧めは、ちょっと自己中心的ではないかという批判も聞かれました。読み方によってはそういう感想を持たれる方がいらっしゃるだろうなとは思います。

が、私がこの本で学んだ第一のことは、「神さまが私を祝福しようとしておられるときに、私の側で勝手にその方法を決めつけたり、祝福の大きさを値引いたりしてはいけない」ということです。少なくとも、私は決めつけたり値引いたりしてしまう癖があったのです。

私のような者がそんなにたくさん祝福されるはずがない……それは謙遜なように見えて、実は最も神さまを悲しませる考えです。イエスさまが命をかけてあなたに与えようとされた神さまの祝福を、私たちが遠慮して受け取らないとすれば、それだけ私たちはイエスさまのみわざのすばらしさを否定することになります。イエスさまの命がけの愛を無駄にしてはいけません。遠慮は謙遜ではありません。

神の国の市民となり、死んだ後も、生きている今も、神さまからのあふれる祝福をいただく第1の秘訣は、私たちの側でその規模や方法を勝手に決めつけないということです。子どものように、ただ「ありがとう」と受け取らせていただきましょう。

素直に信じる

子どもは疑うことを知りません。大人が教えることを、素直に受け止めます(ですから、子どもを発憤させようとして「ほんとにお前はバカなんだから」とか「このグズ!」とか言っていると、子どもはそれを信じて、かえって本当の能力を封印してしまいます)。

キリスト教信仰の特徴は、神さまの言葉に対する全面的な信頼です。神さまが私たちに望んでおられるのは、神さまがおっしゃることを、私たちが素直に信じ、受け取り、そのすばらしい影響を受けることです。それこそが、神の国の祝福を体験する第2の秘訣です。

ぜひ次のことをやってみてください。
  1. それを信じられるかどうかは別として、神さまがあなたにどんな約束をしておられるか、思いつくだけ、すべてリストアップしましょう。聖書を読んで新たに発見した約束を、さらにそのリストに加えましょう。
  2. そして、信じられる感じがするかどうか別として、「神さま、これを信じます」と宣言しましょう。
  3. それから、この約束が真実であれば、今神さまは私にどういう行動を取ることを望んでおられるだろうかと考えて、実践しましょう。
たとえば、私に対して意地悪な言動を繰り返す人がいるとします。聖書は自分で復讐することを禁じ、「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです」(ローマ12:20)と約束しています。これは、相手がひどい目に遭うということではなく、自分がやってきたことを恥ずかしいと思うようになり、その人の良い部分が表に現れてくるようになるという意味です。この約束を知り、「信じます」と宣言した私は、意地悪な人に対して親切な言動をしなければなりません。それが神さまが私に期待なさっていることです。

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大胆に求める

子どもは大変に率直です。欲しいものは欲しい、嫌なものは嫌。神さまも、こと祈りに関しては、率直かつ大胆であって欲しいと思っておられます。これが神の国の祝福を体験する第3の秘訣です。

旧約聖書を読むと、神さまを信じるユダヤ人たちの率直で大胆な祈りがたくさん収録されています。アブラハム、ヤコブ、モーセ、ヨナ、ヨブ、ハバクク、そしてダビデ……。彼ら信仰の大先輩たちは、「どうして助けてくださらないのですか」と、神さまに食ってかかるような祈りや、「敵を殺してください」というような過激な願いや、「もう耐えられずに死んでしまいそうです」というような弱音も、隠すことなく神さまにぶつけました。

神さまはそういう、一見失礼と紙一重のような祈りでも、怒られるどころか真剣に耳を傾けてくださいました。そして、彼らの全力の祈りに全力で答えてくださいました。

あなたは今でも大胆に祈っておられると思います。しかし、今よりも、もう一回りだけ大胆な願いを持ってみましょう。そして、一回り大胆になったあなたは、神さまに何を祈りますか?

まとめ

子どものように、神さまに全面的に信頼して、ますます大胆に祝福を求めていきましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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