古いパターンからの解放

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マタイによる福音書9章14節〜17節

(2017.12.3)

参考資料

14節の「ヨハネ」とは、バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)のことです。

14節の「断食」とは、祈りに専念するなど宗教的な理由で、1食あるいは一定期間、食物の全部またはその一部を断つこと。ただし、水は摂取します。モーセの律法で、断食するよう定められているのは、第7月10日の「贖罪の日」だけです(レビ23:27の「身を戒め」)。しかし、バビロン捕囚後、国家的な厄災を記念して、年4回の断食が追加され、その後もいろいろと増えていきました。パリサイ人たちは、週に2度(月曜日と木曜日)断食をしました。

15節の「花婿が取り去られる時」とは、イエスさまが十字架にかかって亡くなることを、暗に示しています。

聖書からのメッセージ

イントロ

イエスさまは私たちを、どうしても抜けられなかった、古くからの「いつものパターン」から解放してくださいます。

1.なぜ断食しないのか

花婿と友だちのたとえ

バプテスマのヨハネの弟子たちやパリサイ人たちは、ユダヤ人の伝統に則って頻繁に断食をしました。しかし、イエスさまの弟子たちは、定期的な断食をしなかったようです。その理由について、イエスさまは、結婚披露宴のたとえでお答えになりました。

断食は、大きな問題に巻き込まれたり、大きな仕事を前にしたりして、何かについて神さまに強い願いを抱き、祈るときに行なわれました。あるいは、深い悲しみや悔い改めの表現として行なわれました。いずれも、断食する人は、切羽詰まった精神状態にあります。

さて、結婚披露宴に招待され、花婿と共に喜びを分かち合っている友人たちは、普通は断食などしません。喜びに満たされているので、断食する理由がないからです。披露宴で断食し、喜びの食事を共にしないのは、かえって失礼に当たります。

しかし、もしも大切な友である花婿が亡くなってしまったとしたらどうでしょう。誰に言われるまでもなく、友人たちは断食をして悲しみを表すでしょう。イエスさまは、自分たちは、その場その時の状況に合わせ、必要に応じて行動を決定するのだと、このたとえを通しておっしゃっています。

しかし、当時のユダヤ人、特にパリサイ派と呼ばれる宗教的グループに属するまじめな人たちは、多くの決まり事の中に生きていました。週に2度の断食もその一つです。それは何かそうしないではいられない理由があったからではなく、それが彼らの伝統、昔からの決まり事だったからです。

この、状況を無視した「昔からの決まり事だからやる、やらない」という硬直した生き方が、人の心を縛り付けて、自由を奪ってしまいます。それを、イエスさまはさらに2つのたとえで説明なさいました。

継ぎ当てと皮袋のたとえ

新しい布は、洗うと収縮します。今は製造技術が向上したのでほとんどそういうことはしなくなりましたが、昔は、新しいシャツなどは収縮することを見越して、一回り大きいものを買ったものです。一方、古い着物はほとんど収縮しません。そこで、古い着物に新しい布きれで継ぎ当てをすると、収縮率の違いによって着物が引き裂かれてしまいます。

次の皮袋のたとえも、これとよく似ています。新しいぶどう酒は、発酵する力が強く、大量の炭酸ガスを発生させます。古い皮袋は弾力性を失っているので、そこに新しいぶどう酒を入れると、大量発生した炭酸ガスのために張り裂けてしまいます。

要するに、新しいものは新しい器と組み合わせるべきだと、イエスさまはおっしゃっているわけです。新しいものとは、イエスさまを信じ、イエスさまに従っている者たちの新しいいのちです。新しいいのちは新しい器、すなわち生き方と組み合わせる必要があるということです。

新しいいのちが与えられたイエスさまの弟子たち(私たちのことです)は、力強いエネルギーに満ちています。それを、パリサイ人たちのように「これは昔からの決まり事だからやる、やらない」というような生き方に無理に当てはめようとすると、せっかくのエネルギーが台無しになってしまう。イエスさまはそうおっしゃっています。

2.お決まりのパターンからの解放

状況無視の生き方

今回の話は、断食のような宗教的な行為だけに当てはまるものではありません。私たち現代人も、本当はそんなことをしなくていいのに状況に合わない行動を取ってしまうことがあります。
  • たとえば、人からものを頼まれると断れないという方が、たくさんいらっしゃいます。その結果、どんどん仕事が増えて疲れてしまったり、頼まれたことをやりきれないで、かえって相手に迷惑をかけてしまったりするのです。
  • 逆に、人からものを頼まれても、絶対に「はい」と言わない人もいます。
  • あるいは、仕事でも悩みでも全部一人で抱え込んで、人に何かを頼むというのが苦手な方もいらっしゃいます。
  • いちいち他人に尋ねて確認しないと、自分一人では何も決められないという人もいます。
  • 人から何かを指摘されると、反射的に言い訳をしたり嘘をついたりしてごまかそうとする人がいます。
  • 逆に、濡れ衣を着せられても、自己弁護ができないために、結局悪者にされてしまう人もいます。
本当だったら、その場そのときに合わせて、自由に行動を選べるはずなのに、「なんだかいつも自分ってこうなんだよなあ」と思うような「お決まりのパターン」が、あなたの中にもありませんか?

性格と言ってしまえばそれまでですが、なんだか「お前はいつもこのような生き方をしなければならない」と強制されているかのように、お決まりのパターンを生きているというようなことがないでしょうか。そう、まるで週に2度の断食が義務づけられていたパリサイ人みたいに。

小さいときに身につけたパターン

これらのパターンの多くは、小さいときに、周りの環境に合わせて身につけたものです。私たちが性格と呼んでいるものは、小さいときからの習慣や訓練で身につけた、行動パターンのことです。

Aさんは、小さいときから「お前は本当にダメな奴だ。もっとがんばれ」と言われ続けて育ちました。周りの大人たちは、それによってAさんが発憤し、健全に成長していって欲しいと願って、そういう関わりをしたのでしょう。

しかし、Aさんの小さな頭はこう考えました。「そうか、僕はダメな子なんだ。努力したって、どうせ大したことはないんだ」。そこで、チャンスを前にしてもいつも尻込みしてしまったり、何かに打ち込んで努力するということが苦手になってしまったりしました。

Bさんのお父さんは気分屋で、言うことがコロコロ変わりました。どこかに連れて行くという約束も、ほとんど守ってもらったことがありません。いつの間にかBさんは、人の言葉を額面通り信じない生き方を身につけました。信じて期待したら、余計にがっかりしますから。

大人になったBさんは、何人かの男性とおつきあいをしましたが、「本当に愛している? 本当?」とデートのたびにしつこく確認するので、そのうちうっとうしがられて別れを言い出されます。するとBさんは思うのです。「あんなに私のことを好きだと言っていたくせに。やっぱり男って信用できない!」

Cさんの両親は非常に仲が悪く、いつもケンカばかりしていました。夫婦関係のことで頭がいっぱいだったのでしょう、Cさんが話しかけても、「あっちに行ってなさい」と、叱られるのが常でした。いつの間にかCさんは、「私は邪魔者なんだ」と思うようになりました。そして、こちらから人に話しかけることが苦手になりました。またつらくて苦しいときでも、人に助けを求めることができなくなってしまったのです。

誰もそうしろと命じているわけではありません。しかし、小さいときから繰り返してきた習慣は、まるで「そう言う生き方をしろ」と命じているかのように、私たちの生活を縛り付けてしまいます。

もう縛られなくていい

しかし、イエスさまは、弟子たちに新しいいのちをお与えになりました。そのエネルギーに満ちた新しいいのちは、古い着物や古い皮袋を引き裂きます。どんなに努力しても変えられないで、性格だと思ってあきらめていた、古い生き方のパターンを打ち破って、新しい生き方をもたらしてくれます。

その新しいいのちは、イエスさまとの出会いによって与えられます。

イエスさまは、十字架にかかり復活なさった救い主です。私たちのここが悪い、あそこが良くないと言って、さばく方ではありません。いろいろな性格上の問題を抱えた私たちを、そのままの姿で受け入れ、愛してくださいます。変な習慣を身につけてしまった私たちを、イエスさまは責める代わりに抱きしめてくださいます。そして、変な習慣の背後にある悲しみや寂しさや、恐れや不安を分かってくださり、ねぎらってくださいます。

小さいときに悲しみや寂しさや、恐れや不安を味わっていた私たちは、自分で自分を守らなければなりませんでした。だから、変な生き方の癖を身につけてきたのです。その恐れや不安や悲しさは、今も心の奥底に生きています。だから、大人になってからも、小さいときと同じように変な生き方を繰り返してきたのです。

しかし、もう私たちは、そんな変なやり方で自分を守る必要がありません。イエスさまがついていてくださるからです。イエスさまと心の奥底で出会うとき、私たちは少しずつ、無意識の恐れから解放され、それに伴って新しい自由な生き方を手に入れることができるようになります。 この話をお読みください

まとめ

あなたの生き方を縛っている、古い記憶がありますか? イエスさまに触れていただいて、古い悲しみや恐れをいやしていただきましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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