イースターって、何?
イエス・キリストが十字架刑で死んだことはご存知でしょうか。それは私たちの身代わりに罪の罰を受けてくださるためでした。ところが、イエスさまは3日目(金曜日の午後に亡くなって、日曜日の朝)に、死を打ち破ってよみがえられたのです。そして今も生きておられます。それを記念する日がイースターです。
また、多くの教会が、ユダヤ教の礼拝日であった土曜日ではなく日曜日に礼拝するようになったのは、イエスさまの復活を記念してのことです。
イースターって、どうして毎年日付が変わるの?
イエスさまが十字架にかかったのは、ユダヤの「過越」というお祭りのときで、復活はその直後の日曜日、大麦の初穂(その年の最初の収穫物)をささげる「初穂の祭り」の日に起こりました。
イエスさまの国ユダヤでは、もともとは月の満ち欠けを元にした太陰太陽暦が使われていて、これをローマ帝国が使っていた太陽暦(ユリウス暦)と調和させるため、325年のニケア公会議で「イースターは、春分の後の最初の満月の直後の日曜日」と決められました。ですから、毎年日付が変わるのです。
ただ、ユリウス暦は約128年で1日のずれが生じるため、16世紀末なるとそれを修正したグレゴリオ暦が誕生し、現在日本を含む多くの国で採用されています。そして、イースターの日の決め方はニケア公会議のものが引き継がれました。
ちなみに、東方教会(ギリシャ正教やロシア正教など)では、イースターに関する計算では今でもユリウス暦を使っているため、西方教会(カトリックとプロテスタント)とイースターの日が異なります(たまたま同じ日になることもありますが)。
ペンテコステって、何?
ペンテコステは、クリスマスとイースターに並ぶキリスト教三大祭りのひとつ。もともとは、小麦の初穂で焼いたパンをささげる祭、及びユダヤ人にモーセの律法が与えられたことを記念する祭りです。上述の「初穂の祭り」の7週間後、すなわち50日目に行われたため、「七週の祭り」とか「五旬節」とか呼ばれます。ペンテコステとは、ギリシャ語で「50番目」という意味です。
イエス・キリストは復活なさった後、40日間地上で活動なさって、それから天にお帰りになりました。その後10日たって、すなわちペンテコステの祭りの日に、かねてからイエスさまが約束しておられた通り、天から神の霊(聖霊)が降ってこられて、弟子たち一人一人の心の中に住んでくださるようになりました。
かつては逮捕されたイエスさまを見捨て、その後も家の中に閉じこもって震えていた臆病な弟子たちは、それ以来まったく別人のようになり、信仰の獅子となり、さまざまな愛のわざと不思議なわざを伴いながら伝道を開始しました。こうして、120人ほどだった弟子の群れは、わずか1日で3000人となり、その後も爆発的な勢いで成長していきました。
ですから、ペンテコステは、「聖霊がクリスチャンの内に住んでくださるようになった」ことを記念する日であり、最初の教会の誕生を記念する日でもあります。
ちなみに、ペンテコステは、イースターの7週間後(50日目)なので、イースター同様、毎年日付が変わります。 ただし、必ず日曜日です。
ハロウィーンって、キリスト教のお祭りなの?
日本では、キリスト教のお祭りだと考えている人も多いようですが、実は違います。古代ケルト人の祭りで、収穫感謝や悪霊払いのために行なわれたものが起源と言われています。
現代では魔女やお化けの仮装をしたり、それらの飾り付けをしたりすることが定着しているため、教会の中には危険視するところもあります。一方、反キリスト教的な仮装や飾り付けは避けた上で、伝道や交わりのために積極的に利用しようとしている教会もあります。
牧師って神父のこと?
牧師も神父も、共にキリスト教会の指導者ですが、牧師はプロテスタント教会、神父(司祭)はカトリック教会の場合です。
神父は独身であることが条件ですが、牧師は別に結婚してもかまいません。カトリック教会では、神父になった後に結婚することも、既婚者が神父になることも禁止されています。これはカトリックが禁欲主義だからではなく、聖職の世襲を防ぐためです(中世の時代に、世襲によって聖職の堕落が起こったからだそうです)。
ちなみに、中通りコミュニティ・チャーチはプロテスタント教会です。
カトリックとプロテスタントって?
初期の頃、教会(クリスチャンの群れ)はユダヤの首都エルサレムにあるだけで、信者は全員ユダヤ人でした。その後、イエス・キリストを信じるクリスチャンたちが、人種を越えてローマ帝国中に広まり、あちこちに教会が生まれました。
最初の頃、キリスト教は激しく迫害されていましたが、それでも信仰に入る人たちが後を絶たず、やがて西暦313年に公認され(ミラノの勅令)、392年にはローマ帝国の国教とされました。
その後、ローマ帝国が東西に分裂します(395年)。西ローマ帝国の首都はローマ、東ローマ帝国の首都がコンスタンチノープル(今のトルコのイスタンブール)です。それに伴って、教会も東西に分かれます。西ローマ帝国の諸教会がまとまったのが西方教会で、後のローマカトリック教会。東ローマ帝国の諸教会がまとまったのが東方教会で、後の正教会(ギリシャ正教会とかロシア正教会とか)やコプト教会などです。
時代は下って、16世紀にカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が、ヨーロッパ各地で勃発します。有名なのはルター(ドイツ)、カルバン(フランス)、ツヴィングリ(スイス)らの運動です。イギリス王ヘンリー8世も、最初はルター派の運動を批判していましたが、後にカトリック教会から離れてイギリス国教会(日本では聖公会)を生み出します。
カトリックは、ローマ法王(教皇)を頂点として、枢機卿・司教・司祭(神父)・信徒というピラミッド型の階層構造になっています。そのため、聖書だけでなく法王の教えや教会の伝統などにも権威を置いています。中世の時代にはそれが行き過ぎていて、堕落の温床ともなっていたのです。
これに対して、宗教改革者たちは、聖書にのみ最終的な権威を置くべきだと主張しました。こうして生まれたのがプロテスタントの諸教会です。ちなみに、プロテスタントというのは「プロテスト」(抵抗・反抗)から生まれた言葉です。
カトリックはローマ(現在はローマ市の中にあるバチカン市国)が総本山ですが、プロテスタントの総本山というものはありません。また、プロテスタントは、もともと「プロテスト」が信条ですから、考え方や教えの強調点の違いなどによって、どんどん別のグループに分かれていきました。今では数え切れないくらいの教派教団(教会のグループ)に分かれています。
歴史的な事情から、カトリック・東方教会・プロテスタントは、かつては互いに反目し合っていましたが、最近では相互理解が深まっています。
中通りコミュニティ・チャーチは、大きく分けるとプロテスタントです。詳しい特徴を説明し始めるとますます長くなるので、興味がある方は
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プロテスタント教会の特徴は?
プロテスタント教会というのは、上述の通り、中世の(決して現在の、ではありません)堕落したカトリック教会への反抗として誕生しました。その神学的な特徴は、主に3つあります。
聖書のみ
聖書にのみ、最終的な権威を置くべきだという考え方。
でも、特定の指導者を偶像化して、その教えを聖書の教えそのものよりも重視するとしたら、たとえプロテスタント教会を標榜していても、プロテスタンティズムとは相容れません。
恵みのみ・信仰のみ
行ないによってではなく、神さまの一方的な恵みによって人は救われるという考え方。救われるために人がしなければならないことは、信仰のみ、すなわち信じることだけです。何を信じるべきかは時代によって異なりますが、現在は「イエス・キリストが私の罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということです(第1コリント15:1-8)。
しかし、これ以外の救いの条件、たとえば教団の規則を守るとか、牧師の指導に従うとかいう条件を付け加えるとしたら、たとえプロテスタント教会を標榜していても、プロテスタンティズムとは相容れません。
万人祭司
クリスチャンの中に「聖職者」「平信徒」という区別はなく、すべての信者が祭司であるという考え方。 すべてのクリスチャンが祭司であるとはどういう意味かについては、
こちらのページをご覧ください。
牧師とか宣教師とかいう立場は、教会の中での一つの「役割」に過ぎず、他の信者と比べて質が違う特別な存在だというわけではありません。というわけで、牧師などの教会のリーダーを、「聖職者」ではなく「教職者」「教役者」などと呼んだりします。
でも、実際には、「教職者」と「平信徒」を厳格に区別するプロテスタント教会もあります。区別の仕方にもよるでしょうが、さてどんなもんじゃろのう。
昇天? 召天? どちらの字が正しいの?
教会では、この二つを意識して使い分けています。
まず、クリスチャンが死ぬことは「召天」です。天国に行くのは自分の努力によるのではなく、神さまが呼んでくださるからです。また、人が死ぬのは(それが病気や事故による死であっても)神さまの許しがあったからであるという考えから、「召される」という言葉を使っているのです。
一方、「昇天」の方は、イエス・キリストが、復活の40日後に天にお帰りになった歴史的事実を指して使います。
何で教会堂には十字架がついているの?
十字架はローマ時代の死刑の道具。考えてみれば、なぜそんな悪趣味なものを飾るんでしょう。教会堂や家に十字架を飾ったり、アクセサリーとして身につけるというのは、ギロチンや首つり縄や電気いすを飾るようなものですよね。
それは、イエス・キリストが十字架で死んだからです。え? まだ分からない? そうですよね。お教祖さまが殺された道具を飾るなんて、そんな縁起でもない。
イエス・キリストが死なれたのは、私やあなたの罪の罰を身代わりに負うためです。イエスが死んでくださった(そして復活してくださった)おかげで、私たちの罪は赦され、神の子どもとしていただき、父である神さまから圧倒的に祝福される身分となったのです。
つまり、イエス・キリストの十字架(と復活)こそ、クリスチャンの信仰の土台。だから教会堂などに十字架を「記念」として飾るのです。自分がイエスさまによって救われたのだということを、折に触れて思い出すために。
十字架は「ご本尊」(神ご自身を表したもの。信仰の対象)ではありません。ですから、仏像などと違って、十字架そのものを拝んでいるわけではありません。だから、偶像礼拝を避けるためという理由で、あえて十字架を飾らない教会もあるそうです。
13日の金曜日って、縁起悪いの?
13日の金曜日がキリスト教国で仏滅のような扱いを受けるようになったのは、科学的な根拠があるわけではなく、もちろん映画のジェイソン氏や漫画のゴルゴ13氏のせいなどでもなく、単なる迷信です。
最後の晩餐に参加したのが、イエスさまと十二弟子とで13人。その13番目が、イエスさまを裏切ったイスカリオテのユダだということと、イエスが十字架にかかったのが金曜日だったというところから生まれた話のようです。
でも、とにかく迷信です。ご心配なく。神さまは、365日、いつもあなたのことを見守ってくださっています。13日の金曜日だろーが、仏滅だろーが、天中殺だろーが、なーにも心配いりません。
聖書に「預言」って書いてあったけど、「予言」の誤植では?
いいえ、わざと「預かる」という字を使っています。
聖書の「よげん」という言葉は、単に未来を予言するという意味で用いられていません。神さまから言葉を預かって、人々に語ることを言います。
もちろんその中には未来に関する事柄も含まれますが、基本的にはその時代の人々に、反省を迫ったり、慰めや励ましを語ったり、服従を促したりするメッセージです。
洗礼って何?
洗礼(バプテスマ)とは、イエス・キリストを信じた人が、救いという目に見えない内面世界での出来事(罪が完全に赦されたこと。古い自分が死んで新しく生まれ変わったこと。自分が神の所有物となったこと。教会の一部となったこと。などなど)を、目に見える形で表現するものです。
具体的には、体を水の中にザブンと沈めたり(浸礼)、頭に水を注いだり(灌水礼)、頭に水滴を垂らしたり(滴礼)します。
洗礼は救われたことのしるしであって、救いの条件ではありません。洗礼を受けたら救われるのではなく、救われた人が洗礼を受けます。この順番がとても大切。受験に合格して入学を許された人が入学式に参加するのであって、入学式に参加したから受験に合格するわけではないのと同じです。
また、洗礼は、自分がクリスチャンであることを公に表明する機会でもあります。本人にとっては、あらためてキリストに従っていく決意の時となりますし、他のクリスチャンたちにとっては、自分の原点を思い起こす機会となります。
そして、多くの場合、洗礼式にはご家族やお友だちが来てくださり、中には生まれて初めて教会に足を踏み入れる方もいらっしゃいます。それらの方たちにとっては、イエスさまの愛を知るよい機会となるでしょう。
聖餐式って何?
みんなで一緒にパンとぶどう酒をいただく儀式です(中通りコミュニティ・チャーチでは、未成年者やドライバーや下戸の方に配慮して、ノン・アルコールのぶどうジュースを使っています)。
これは、イエス・キリストが十字架にかかって裂かれた肉体と、流された血潮を表しています。
イエスさまが十字架にかかってくださったことを思い起こし、そのために自分たちが救われ神の子どもとされたことを感謝し、そこにいる一人一人が教会という共同体の一員として愛し合っていることを確認し、やがて救いの完成のためにイエス・キリストがもう一度帰って来られることを待ち望む……聖餐式にはそんな意味があります。
異端って何?
キリスト教には、様々な教派教団があり、教えていることや儀式のやり方、雰囲気などがそれぞれ異なります。しかし、「最低限、これを外したらキリスト教とは言えないよね」というキリスト教の基本的な教えについては、一致しています。
異端は、この最低限の基本的な教えを否定していながら、キリスト教を自称しているグループのことです。日本では、エホバの証人(ものみの塔)、世界平和統一家庭連合(統一教会)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)などの活動が有名です。
異端のグループは、特に以下の点で正統的な教えを否定します。
- 神が三位一体であることを否定し、特にイエスが100%人であり100%神であることを否定します。人でなければ死んだり復活したりできないし、神でなければ救えません。
人であり神であるイエスを否定するということは、イエス・キリストの死と復活による一方的な罪の赦しを否定するということです。
- キリストを通して表された神の一方的な恵みと、それを信じる私たちの信仰による救いを否定するため、、その代わりに行ないによる救いを教えます。特に、自分たちの教団に対する犠牲的な忠誠を強調し、聖書が教えていないような行ないを要求します。
- そして、それらの教えを権威づけるため、旧新約聖書66巻以外に教理の土台となる経典を持ったり(統一教会の「原理講論」「天聖経」や、モルモン教の「モルモン経」)、聖書を自分たちの教えに都合よく解釈して翻訳し、それ以外の翻訳を否定したりします(エホバの証人の「新世界訳聖書」)。
失われた十部族って?
ダビデ王の息子ソロモン王が死んだ後(紀元前922年頃)、イスラエル王国は南北朝に分裂しました。ヤコブの12人の息子たちから派生したイスラエル十二部族のうち……
- 宗教的な役割を担っていたレビ族は南北に散らばって生活していましたので、通常「失われた十部族」を唱える人たちの十部族には含まれません。
- 南王国にはダビデ王の子孫が属するユダ族以外に、ベニヤミン族が従いました。
- レビ族、ユダ族、ベニヤミン族以外の九部族は北王国に属しました。うち、ヨセフ族はエフライム族とマナセ族(エフライムもマナセもヨセフの息子)に分かれていましたので、北王国は十部族からなっていたということです。
- なお、当時のシメオン族はすっかり衰退し、ユダ部族に吸収されてしまっていました。そうなると、北王国を構成していたのは、九部族ということになりますが、
「北の十部族」という数字を強調したい人は、シメオン族の代わりに北にも南にもいたレビ族を入れて十部族とします。苦しいですが、こんなふうに「十二」という部族数にこだわって、一部の部族を無視するのは聖書の中でもあることなので(申命記33章、黙示録7章)、ここは勘弁してやってください。
そして、北王国は、アッシリア帝国に滅ぼされます(紀元前722年に首都サマリアが陥落)。アッシリアは、自分たちの国のために働かせるため、北王国の政治家や技術者、有能な若者たちを本国に連れ去りました(アッシリア捕囚)。
その後、アッシリアを滅ぼしたバビロニア帝国(バビロン)は、イスラエルの南王国も滅ぼし(紀元前586年にエルサレム陥落)、これまた多くの国民が捕囚されました(バビロン捕囚)。
その後、ペルシャ帝国がバビロニアを滅ぼし(紀元前539年)、ペルシャ王キュロス2世がバビロニアにとらわれていた諸国民を解放しました。これにより、バビロニアに捕囚されたユダヤ人たちの一部も、何回かに分けてパレスチナに戻ります。ところが、アッシリアに捕囚された北王国の十部族については、聖書の中で釈放されたとか故郷に帰還したとか明確に書かれていません。
そういうわけで、アッシリアに捕囚された十部族の人々を「失われた十部族」と呼びます。そして、日本人、あるいは天皇家がその末裔だなどと唱える人たちもいます(日ユ同祖論)。
北の十部族は失われていない
しかし、そもそも北の十部族は失われてなどいません。その根拠は……
北王国の捕囚民は、一旦バビロニアの支配下になった
北王国の人々を捕囚したアッシリアは、後にバビロニアに征服されました。ですから、アッシリアに捕囚された十部族の子孫も、その時点でバビロニアの支配下に入ったはずです。ですから、キュロス2世のによって解放されたのは、南王国の子孫だけでなく、北王国の子孫も含まれていたと考えるのが自然です。
アシェル族のアンナ
ルカ2:36に登場するアンナは、北の十部族の一つであるアシェル族の出身です。
ヤコブの手紙
イエスさまの弟ヤコブは、手紙の中で
「離散している十二部族にあいさつを送ります」(ヤコブ1:1)と書いています。当時世界中に散らばって生活していたユダヤ人の中に、ユダ族とベニヤミン族、そしてレビ族だけでなく、他の部族もいるということを前提としているあいさつです。