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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

十人の娘のたとえ

イエス・キリストの生涯シリーズ84

マタイによる福音書25章1節〜13節

(2024年6月23日)

イエス・キリストが語った、十人の娘と結婚披露宴のたとえ話です。このたとえは、キリストが再臨なさった後、千年王国で催されるキリストと教会の結婚披露宴のことを説明しています。

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節の「天の御国」は、キリストが再臨なさった後地上に実現してくださる理想的な王国のことです。福音書では「神の国」とも呼ばれます。また、千年間続くので一般には千年王国の名で知られています。

3節の「油」について。聖書の中で油はしばしば聖霊なる神様の象徴として用いられています。たとえば、
(第1サムエル16:13)サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。
(イザヤ61:1)【神】である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、【主】はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。

イントロダクション

この話をお読みください。
目標を立てるときには、目標を達成したあとのことを豊かにイメージすると良いと聞きました。

たとえばダイエットだと、「○キロやせる」だけでなく、その目標体重になったときの自分のスタイルをイメージし、あの入らなくなっていた素敵な服を着て街をさっそうと闊歩している自分の姿をイメージするわけです。そしてニヤニヤしながらダイエットに取り組むと、目標を達成しやすいと。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
今回の箇所は、私たちが未来の自分をイメージする助けになります。どんな未来があなたを待っているでしょうか。

1.天の御国のたとえ

たとえ話の背景

イエスさまが十字架にかけられる受難週の、火曜日に起こった出来事です。エルサレムを出て、野宿するためにオリーブ山に移られたイエスさまは、弟子たちに終末時代の話をなさいます。

きっかけは、神殿を出る時に弟子たちが壮麗な神殿の建物に驚嘆の言葉を発したことでした。するとイエスさまは、やがて神殿の建物が徹底的に破壊される時が来るとおっしゃいます。そこで、オリーブ山に移動した後、弟子たちはそれがいつ起こるのか尋ねました(マルコ13:1-5)。こうしてイエスさまは、世の終わりの出来事について弟子たちに語り始めました。

今回の十人の娘たちと結婚披露宴のたとえ話も、世の終わりについての教えの一つです。まずはていねいに見ていきましょう。

たとえ話

たとえの趣旨
(1節)そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。

このたとえ話は、「天の御国」について解説するために語られました。天の御国は神の国とも呼ばれていて、救い主が地上に実現すると旧約聖書で預言されてきた理想的な王国です。救い主が地上に来ると、神の敵を滅ぼして、愛と平和に満ちたすばらしい王国を作り上げます。

その天の御国について説明するために、イエスさまは十人の娘たちを登場させました。この娘たちには花婿を迎える役割が与えられていました。

ここで古代イスラエルの結婚について説明します。
 婚約 両家の父親が、息子と娘が将来結婚することを約束します。婚約のしるしとして、花婿の父が花嫁の父に花嫁料を支払います。
婚約者同士は一緒に生活することはありませんが、法的には夫婦とみなされました。
婚約期間は1年以上設けられますが、幼い頃に婚約した場合にはかなり長期間になります。
婚約期間に結婚の準備がなされますが、特に重要なのが新婚夫婦のための住まい(家、または部屋)の準備です。
 花嫁の迎え 結婚の日、花婿が花嫁を新居に迎え入れるため、花嫁の家まで出かけていきました。これには花婿の友人たちが付き添いました。
 結婚式 新郎新婦がいよいよ実際の結婚生活をスタートさせることを祝う儀式です。ここに招かれるのは親族など少数の人達でした。 
 披露宴 式に続いて宴会が催されます。たくさんの人たちが招かれ、1週間ほど続きました。 

娘たちは、花婿が花嫁を連れて戻ってくるのを待つ役割です。ところが、花婿がいつ戻ってくるかは分かりません。それが夜になるかもしれないため、彼らはランプを用意していました。
十人の性質
(2節)そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

聖書において、愚かであるとは神さまのことを信じないことを意味しています。

(詩篇14:1)愚か者は心の中で「神はいない」と言う。
行動の違い
(3-4節)愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。

どちらの娘たちもランプは持っていました。違いは、賢い娘たちは予備の油を用意していたのに、愚かな娘たちはそうではなかったということです。
眠ってしまう娘たち
(5節)花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。

待ちくたびれて、賢い娘たちも愚かな娘たちも全員眠ってしまいました。
突然戻ってくる花婿
(6-7節)ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。

花婿と一緒に花嫁を迎えに行った友人の一人が、先触れとして花婿が戻ってきたことを娘たちに知らせました。眠っていた娘たちは飛び起きて、花婿と花嫁を迎える準備をします。
切れてしまった油
(8-9節)愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』

花婿の到着が夜中になってしまったため、娘たちはランプの明かりをともしたまま待っていました。そこで、みんな油切れを起こしてしまいました。ただ、賢い娘たちは予備の油を用意していたため問題ありません。ところが、愚かな娘たちは予備の油を用意していなかったため、このままではすぐに明かりが消えてしまいます。

そこで愚かな娘たちは賢い娘たちに、少し油を分けてくれるよう頼みましたが、分けられるだけの余裕はないと断られてしまいます。そして、お店に行って買ってくるよう勧められました。
閉じられた戸
(10節)そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。

愚かな娘たちが油を買いに行っている間に、花婿一行が新居に到着しました。これから結婚式と披露宴が始まります。賢い娘たちは花婿たちとともに家に入り、招待客たちも入ってしまうと、戸が閉じられてしまいました。
締め出された娘たち
(11-12節)その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません。』

愚かな娘たちが油を買って戻ってきたときには、すでに披露宴がスタートしていました。娘たちは自分たちも入れてくれるようお願いしましたが、自分の役割を果たさなかった彼女たちを花婿は迎え入れてくれませんでした。
たとえ話の結論
(13節)ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。

「目を覚ましていなさい」というのは文字通り寝るなということではありません。賢い娘たちも眠ってしまいました。その意味は、いつ「その時」が来てもいいように準備していなさいということです。

「その時」とは、救い主が来て地上の悪を滅ぼし、天の御国を建設する時です。その時がいつかは分かりません。ですから救い主がいつ来てもいいように用意しておく必要があると、イエスさまはおっしゃいました。

では、このたとえ話は何を表しているのでしょうか。

たとえの意味

キリストと教会の結婚
聖書は、教会のことをキリストの花嫁にたとえています。

(エペソ5:25-27)夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

そして、私たち教会のクリスチャンがどのような祝福を味わうかについて、聖書は結婚のプロセスに当てはめて説明してくれています。
婚約
父なる神さまは、私たち教会をキリストの花嫁にするために、御子イエスさまの血潮という花嫁料を支払われました。私たちはすでにイエスさまの妻ですが、まだ婚約段階です。

婚約期間中に、花婿であるイエスさまは私たちのために住まいを用意してくださっています。

(ヨハネ14:1-3)あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
携挙
準備が整ったら、イエスさまが花嫁である教会を迎えに来られます。これは将来教会が天にあげられること、「携挙」を表しています。

その時、すでに死んでいたクリスチャンはみんな復活して栄光の体が与えられます。まだ生きているクリスチャンも栄光の体に変えられます。そして、両者は空中に引き上げられ、そこまで来られたイエスさまとともに天のパラダイスに迎え入れられます。

この時イエスさまが迎えに来られるのは、地上ではなく空中までです。そこで、この出来事を地上再臨と区別して空中再臨と呼ぶことがあります。
なお、古代イスラエルの結婚式の日取りを決めたのは花婿の父でした。それと同じように、携挙がいつ起こるかは父なる神様しかご存知ではありません。

(マタイ24:36)ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

ですから、携挙はいつ起こるか予言する人がいたら、その人がたとえどんなに有名な牧師であったとしても偽の預言なので信じないようにしましょう。
キリストの御座のさばき
古代イスラエルの花嫁は、花婿の家に到着すると沐浴をして身を清めました。私たちキリストの花嫁である教会のクリスチャンの場合は、火によってきよめられます。これを「キリストの御座のさばき」と呼びます。

といっても恐れる必要はありません。クリスチャンならばイエスさまの十字架と復活を信じたことにより、すべての罪が許されています。ですからこのさばきは罪の罰を決めるためのものではなく、生きている間に行った良いことを数え上げて、将来実現する天の御国(千年王国)で体験する追加の祝福を決めるためのものです。

(第二コリント5:9-10)そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。
子羊の婚姻
花嫁のきよめ終わると結婚式です。キリストと教会の結婚式は「子羊の婚姻」と呼ばれています。行われる場所は天のパラダイスです。

(黙示録19:6-8)また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。『ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである』。
大患難時代
携挙が起こってどれくらいの期間がたってのことなのかは分かりませんが、地上に反キリストと呼ばれる人物が登場します。黙示録では獣と呼ばれています。この反キリストはサタンと人間の女性の間に生まれた子どもで、サタンを礼拝して地上を支配する力を手に入れます。

そして、イスラエルと和平条約を結びます。それが大患難時代スタートのしるしです。

携挙で地上にクリスチャンが一人もいなくなった後も、多くのユダヤ人や異邦人がイエスさまを信じて救われていきます。その信者たちに対して激しい迫害が起こり、また天変地異が起こって多くの人々が死んだり苦しんだりするのが大患難時代です。

大患難時代は7年間続くことが聖書から分かります。特に後半の3年半は、世界をほぼ統一した反キリストが、イスラエルとの和平条約を一方的に破棄して、ユダヤ人を絶滅させるために迫害の手を伸ばします。そして、大患難時代の最終盤、7年目の終わりには世界中の軍隊を動員してイスラエルに責めてきます。その軍隊がハルマゲドンという場所に集結するので、この戦いのことをハルマゲドンの戦いと呼びます。

ハルマゲドンの戦いの結果、エルサレムは占領されますが、ユダヤ人の一部は難を逃れて、今のヨルダンにあるペトラ遺跡に逃げ込みます。しかし、反キリスト軍はそこにも軍隊を差し向け、ユダヤ人たちの命は風前の灯となります。
再臨
その時、生き残ったユダヤ人たちは、イエスさまこそ救い主だという真理に目覚め、悔い改めの祈りをささげます。こうして、その時生き残ったユダヤ人全員が救いを体験します。実は、それがイエスさまの地上再臨の条件です。そこで、いよいよイエスさまが地上に戻って来られます。その時、花嫁である教会のクリスチャンたちも一緒に地上に戻ります。

地上に戻ったイエスさまは、反キリストと彼に従う不信者を打ち倒します。そして、サタンや悪霊たち捕らえて千年間封印してしまいます。
千年王国と子羊の婚宴
そして千年王国が実現します。千年王国には教会のクリスチャンたちのほか、復活した旧約時代の信者たちや、復活した大患難時代の殉教者、そして大患難時代を生き抜いた信者たちも招き入れられます。

千年王国の祝福がよく宴会にたとえられているところから、キリストと教会の結婚披露宴は千年王国で行われると思われます。

(マタイ22:2)天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
子羊の婚礼に招かれる人
子羊の婚礼に招かれるのは幸いな人です。というのは、救われて千年王国の祝福を味わうことが許された人たちだからです。

(黙示録19:9)「御使いは私に、『子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい』と言い、また『これらは神の真実なことばである』と言った」。

今回のたとえ話で、油を持っていた賢い娘たちは婚礼が行われる家に入れましたが、油を持っていなかった愚かな娘たちは入れてもらえませんでした。参考資料にも書きましたが、聖書では油はしばしば聖霊なる神さまを象徴しています。

つまり、聖霊さまをいただいている人は子羊の婚礼に招かれ、聖霊さまをいただいていない人は招かれない、すなわち千年王国に入れないということです。

人がイエスさまの十字架と復活を信じて救われたとき、聖霊なる神様はその人の内に入ってそれからずっと住んでくださるようになります。これを聖霊の内住と呼びます。救われている人は聖霊さまをいただいており、救われていない人は聖霊さまをいただいていません。

将来千年王国に入れられて千年間に渡る祝福を味わい、更にその先永遠に続く新天新地での祝福を味わう条件は、その人が生きている間に福音を信じて救われたかどうかです。
  • 終末時代に何が起こるのか詳しく知りたい方は、当サイトのこちらのページ以降をご覧ください。
では、ここから何を学ぶことができるでしょうか。

2.千年王国の祝福を待ち望もう

救いを確認しよう

将来、復活して千年王国での祝福、さらにその先の永遠の祝福を味わうためには、救われている必要があります。

聖書が教える救いとは、人生で成功することでも、病気が癒やされることでも、願いがかなうことでもありません。罪が赦されて神さまとの敵対関係が解消し、仲良しになることです。全知全能である神さまと、親しい親子関係になるということこそ、私たちの幸せの源です。

救われるための条件は、善い行いをすることではありません。恵みの福音を信じることです。すなわち、「この自分の罪を赦すためにイエス・キリストが十字架にかけられ、死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということを真実だと信じることです。

これをお読みの方々の中で、もしもまだ恵みの福音を信じていないという方がいらっしゃったなら、ぜひ今福音を信じてください。

すでに福音を信じてクリスチャンになられた方は、救いは確定していることを改めて確認しましょう。そして、今回学んだように、携挙、キリストの御座のさばき、子羊の婚姻、再臨、子羊の婚宴と千年王国の祝福、新天新地での永遠の祝福と、将来どんどん素晴らしくなっていく祝福が待っていることを確認しましょう。そして、ニヤニヤしましょう。
この話をお読みください。
伝道者の福沢満雄先生から伺った話です。先生が山形の教会で奉仕しておられた頃、新しい教会堂が建ったので、少し山の方にある部落にも足を延ばし、一軒一軒訪問しながら案内を配って歩かれました。

ある家に着きますと、江戸時代に建てられたと思われる大変なぼろ屋でした。入り口にはのれん代わりにむしろがかけてあり、それをかき分けて中に入ると、ほとんど日の光が射さない薄暗い土間。そこに裸電球が一つぼんやりと光っています。目を凝らすと、土間の奥の方に、おばさんが一人ござの上にうつむいて座っています。

「こんにちは。町の方から来ましたキリスト教会の牧師です。今度新しい会堂ができたので、ご案内に回らせていただいています」。福沢先生がそう声をかけると、おばさんが顔を上げました。そして「それはそれは、よく来てくださいました」と、にっこりとほほえみました。

その笑顔のなんと輝いていることか! 一瞬クリスチャンかなと思いましたが、事前の調査でその部落にクリスチャンはいないことが分かっています。あまりのことにひるみながらも、福沢先生は「少しお話しさせてください」と、奥へ進みました。

お茶と漬け物を勧められましたが、周りをハエがぶんぶんと編隊飛行をしています。それを振り払いつつ、福沢先生はキリストについての簡単な話と献堂式の案内をしました。その間も、おばさんは終始ニコニコとほほえんでいます。

その家を後にして次の家に向かう途中、福沢先生はさっきのおばさんの笑顔が目に焼き付いて離れませんでした。あんな今にも倒れてしまいそうな家で、ハエと共に暮らしているような状態なのに、どうしてあの人はあんなにニコニコと輝いているんだろうか……。あんまり気になったものですから、先生はもう一度その家の方を振り向いてみました。そして、「ああ、なるほど!」とつぶやきました。そのぼろ屋の裏手に、あと1週間もすれば完成するであろう、きんきらきんの大豪邸が建っていたのです。

イエスさまは弟子たちにおっしゃいました。

「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハネ14:2-3)。

だからイエスさまは大工の家庭に生まれたのかどうかは知りませんが……。人間の建築家でも、10年も時間をかけたら大変な豪邸を建てることができるでしょう。イエスさまが約束なさってからもう2千年もたっています。あなたのためにどれだけの大豪邸が用意されていることでしょうか。それを思ったら、あのおばさんのように、いやそれ以上ににやにやと笑いがこみ上げてこないでしょうか。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

神に喜ばれる生き方をしよう

キリストの御座のさばきでは、千年王国で味わう人たちに与えられる祝福が決められます。千年王国の入るだけでもすばらしい祝福ですが、生きている間に行った行いに応じて、プラスアルファの祝福が与えられるということです。

結婚披露宴にたとえるなら、出席者全員にごちそうが振る舞われますが、生前の生き方を神さまに認められた人の料理はグレードアップされるということですね。

私たちは自分が何をしたいか、何をすることが自分にとって得かではなく、神さまが自分に何を望んでおられるかを基準に行動を選んでいきましょう。

救いを宣べ伝えよう

神さまに喜ばれる生き方の一つが、伝道です。神さまは、一人でも多くの人たちが、イエスさまの恵みの福音を信じて救われたほしいと願っておられるからです。

まだ救いを知らない人たちが、わたしたちの周りにはたくさんいらっしゃいます。その方々に、結婚披露宴にもたとえられるようなすばらしい祝福があるということを伝えて、救いを宣べ伝えていきましょう。

天使は使徒ヨハネに「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言いました。一人でも多くの人たちが、私たちを通してその幸を手にすることができますように。

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
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