(2024年7月7日)
イエス・キリストが語った「羊とやぎのより分けのたとえ話」は、世の終わりに千年王国が実現する直前、その時生き延びている異邦人が千年王国に入れるかどうか決めるためのさばきについて解説しています。
礼拝メッセージ音声
本日は都合により、メッセージの音声はありません。
参考資料
31節は、将来救い主イエスさまが再臨して、千年王国(神の国、天の御国)を実現して世界を治めるようになるときのことを表しています。
イントロダクション
この話をお読みください。
幼稚園の先生からこんな話を聞きました。
Aくんが園庭のクローバーに興味を示したので、先生が「四つ葉のクローバーを見つけると、幸せになれるんだよ」と言いました。するとAくん、「え? 僕、もう幸せだよ」。
それを聞いた先生は、とても幸せな気持ちになりました。幸せな人は他の人を幸せにすることができます。
今日の話を通して、私たちは自分には素晴らしい未来が待っているということを確認しましょう。そして、その喜びを原動力として、他の人を幸せにすることができます。
1.再臨後の出来事
再臨直後の出来事
再臨して王位に就く救い主
(31節)人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。
復活した後、天にお帰りになっていたイエスさまが、いよいよ地上に戻ってこられます。いわゆる再臨です。
最初にイエスさまが地上に誕生なさったときは、十字架にかかって死に、復活することによって、人類の罪が赦されるようにしてくださるためにいらっしゃいました。
そして、再臨の際には王として世界を支配し、千年王国(神の国、天の御国)という理想的な王国を地上に実現するためにいらっしゃいます。
集められる人々
(32節前半)そして、すべての国の人々が御前に集められます。
再臨の直前の7年間を、「大患難時代」と呼びます。さまざまな天変地異、飢饉、疫病、戦争、そして信仰者への迫害などによって、多くの人々が命を落とします。
特に、後半の3年半には、反キリストと呼ばれるサタンに従う独裁者が世界をほぼ征服して、政治的な権力を握ると共に、自分を神として礼拝するよう人々に強要します。
そして、反キリストはユダヤ人を抹殺するために、さまざまな迫害を行ないます。大患難時代の終わりには、世界中の軍隊を招集してユダヤ人を滅ぼそうとします(ハルマゲドンの戦い)。ユダヤ人の命運はまさに風前の灯火でした。
しかし、最終的な攻撃が加えられる直前、生き残ったユダヤ人たちはイエスさまのことを救い主だと受け入れ、十字架と復活を信じて救われます。そしてその時、イエスさまが地上に戻ってこられ、反キリストと彼に従う軍隊を滅ぼしてしまいます。
しかし、まだ生き残っている異邦人たちがいます。その生き残った異邦人たちが王であるイエスさまの前に連れてこられます。預言者ヨエルによると、集められる場所はヨシャファテの谷です。
(ヨエル3:1-2)見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。
ヨシャファテの谷は、エルサレム神殿が建っている丘とオリーブ山の間にあるケデロンの谷のことだと考えられています。
左右へのより分け
(32節後半-33節)人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、やぎを左に置きます。
生き残ってイエスさまの前に連れてこられた異邦人たちは、左右により分けられます。そして右により分けられた異邦人は羊、左により分けられた異邦人はやぎにたとえられています。
実は、右の羊の異邦人たちは、イエスさまを信じて救われた人たちです。一方、左のやぎの異邦人たちは、イエスさまのことを信じなかった人たちです。
羊の異邦人への処遇
千年王国への招き
(34節)それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。
イエスさまを信じて救われた異邦人たちは、生き残って救われたユダヤ人と同じように、千年王国に招き入れられます。
ちなみに、大患難時代を生き延びたユダヤ人や異邦人以外にも、千年王国に招かれる人たちがいます。
- 携挙されて栄光の体に変えられた教会時代のクリスチャンたち
- 復活した旧約時代の信者たち
- 携挙の後に救われて、死んで復活したユダヤ人や異邦人の信者たち
この人たちや、大患難時代を生き延びたユダヤ人、そして羊の異邦人たちは、千年間続く祝福を味わいます。
千年王国に招かれる理由
(35-36節)あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』
救い主イエスさまは、羊の異邦人たちが自分に良くしてくれたから、千年王国に入れるのだと答えます。
羊の異邦人の戸惑い
(37-39節)すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
救い主であるイエスさまは、大患難時代にはまだ天にいらっしゃいます。ですから、羊の異邦人たちはイエスさまに直接奉仕することができませんでした。彼らの戸惑いは当然のことです。
救い主の回答
(40節)すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』
イエスさまがおっしゃる「わたしの兄弟たち」とは、大患難時代のユダヤ人のことです。彼らに対してしたことは、イエスさまに対してしたことと見なす。イエスさまはそうおっしゃっています。
世界をほぼ征服した反キリストは、自分に忠誠を誓う人々の額か右手に「獣の刻印」と呼ばれるしるしを刻みつけるよう命じました。その刻印を受けていないと、ものを売り買いできないようにしてしまいました。
(黙示録13:16-18)また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。
また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。
聖書の神さまは偶像礼拝、異教礼拝を禁じておられます。ですから、ユダヤ人は獣の刻印を受けません。そこで、途端に経済的に困窮することになります。
イエスさまを信じる異邦人たちも、獣の刻印を拒否しますから困窮しますが、彼らはよりひどい迫害を受けているユダヤ人たちを助けようとします。イエスさまが40節で語っておられるのはそのことです。
それはまるで、ピリピ教会を始めとするマケドニアの諸教会が、エルサレム教会の人たちに義援金を送ったのと同じです。マケドニアはコリントなどと比べると元々経済的に裕福な場所ではありません。さらにはクリスチャンたちに対する迫害が激しい場所でもありました。しかし、もっと生活に困っているエルサレム教会の人たちを、彼らは喜んで助けようとしたのです(第2コリント8:1-5)。
大患難時代の羊の異邦人たちが、ユダヤ人たちを助けようとしたのは、彼らがイエス・キリストの十字架と復活を信じ、聖書の神さまに従う者になったからです。神さまは、異邦人が神の民であるユダヤ人を祝福することを望んでいらっしゃいます。
かつて、神さまはユダヤ人の先祖であるアブラハムにこう約束なさいました。
(創世記12:3)わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。
大患難時代という大変困難な時代に合っても、ユダヤ人を祝福した羊の異邦人に対して、この約束通り祝福が与えられます。それが、千年王国に招かれて千年間祝福されるということ、さらには、その先に実現する新天新地で永遠に祝福されるということです。
やぎの異邦人への処遇
やぎの異邦人へのさばきの宣告
(41節)それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
羊の異邦人は、千年王国に招かれましたが、やぎの異邦人は入れてもらえません。それどころか命を奪われ、やがて永遠の苦しみという罰を与えられることになります。
さばきの理由
(42-43節) おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。』
救い主イエスさまは、やぎの異邦人たちが千年王国には入れず、やがて永遠の苦しみを味わうことになるのは、彼らがご自分に良くしてくれなかったからだと言いました。
やぎの異邦人たちの反論
(44節)すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
やぎの異邦人たちは、そのようなことは身に覚えが無いと反論します。
救い主の回答
(45-46節)すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
大患難時代のユダヤ人に対して行なわなかったことは、イエスさまに対して行なわなかったものと見なすとイエスさまはおっしゃいます。
やぎの異邦人たちは、反キリストによって苦しめられるユダヤ人を助けようとしません。それどころか、反キリストと共に積極的にユダヤ人を苦しめます。それは、彼らがイエスさまの十字架と復活を信じず、聖書の神さまに従おうとしないからです。
よって、救いを手に入れている羊の異邦人は、救いの計画に従って千年王国に入れられ、救いを手に入れていないやぎの異邦人は千年王国には入れず、それどころか永遠の苦しみという罰を味わいます。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.みこころにかなう人間関係を持つ
みこころを実践したいという情熱を持つ
今回の羊とやぎのより分けの話は、未来の出来事、大患難時代の先に起こることです。私たち教会のクリスチャンたちは、大患難時代が始まる前に携挙されて天のパラダイスに移されますから、大患難時代を経験することはありません。
そして、私たちクリスチャンは、イエスさまの十字架と復活を信じたことにより、すべての罪が赦されています。ですから、たとえ救われた後に自己中心的な生き方、罪深い生き方をしたからといって、それで救いが取り消しになることはありません。
……と言われると、ちょっと抵抗を感じませんか? その感覚はとても正常です。もちろん、すべての罪が赦されているから、クリスチャンが罪を犯しても救いが取り消しにならないというのは本当です。しかし、だから安心して罪を犯そうという気持ちになるかというと、そんなことはありません。
罪は本来永遠のさばきをもたらすほどにひどいものであり、神さまがどれほど罪を憎んでおられるかということを理解していたなら、そして私たちの罪を赦すために神さまがどれほどの犠牲を払ってくださったかを理解していたなら、「どうせ赦されるんだから安心して罪を犯そう」という発想が出てくるはずがありません。
むしろ私たちは、神さまが喜ばれる行動を選んで実践していかなければなりません。神さまがイエスさまを通して私たちを救ってくださったのは、私たちが好き勝手に生きるためではなく、神さまと私たちが愛の関係、仲の良い関係を回復するためです。
私たちは自分が愛する人を積極的に傷つけ、悲しませたいと思いません。むしろその人が喜ぶことをしたいと願うのではないでしょうか。神さまとの関係も同じです。
私たちが神さまを愛し、親しい交わりを持っているなら、神さまが対せついしておられる他の人たちのことも、私たちは大切にするはずです。使徒ヨハネはその点について次のように語っています。
(第1ヨハネ5:1-3)イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。
神さまのみこころ、イエスさまのみこころを行ないたいと、熱烈に願いましょう。たとえ今はそういう情熱に欠けているなと感じたとしても、祈りましょう。「私はあなたのみこころを学んで実践します。その情熱を聖霊さま、与えてください」と。
イエスに対してするように他の人に接する
大患難時代の異邦人信者に対して、イエスさまは「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」とおっしゃいました。私たちのために、ご自分の命さえ惜しまなかったイエスさま。そのお方に対してするように、私たちは他の人に対して言葉をかけたり、行動したりしましょう。
マザー・テレサは、インドのコルカタを中心に、路上生活者、孤児、病人たちをケアする働きを行ないました。その際、助けの手を差し伸べる相手のことを、マザーは「私のイエスさまたち」と呼んだと言われています。
目の前にいるこの人がイエスさまだったら、自分はどんな物言いをし、どんな行動をするだろうか。それを考えて実践しましょう。
ユダヤ人を愛する
神さまのみこころの一つは、異邦人がユダヤ人を愛し、支えることです。私たちは、世界中に広がる反ユダヤ主義に与してはなりません。
といっても、それは現在のイスラエル共和国がやっていること(たとえばガザでテロリストだけでなく民間人も攻撃していること)をすべて支持するということではありません。
よくイスラエルが軍事的に過剰反応するのは、2000年に渡って世界中で迫害を経験したことを通して、国際社会のことを信用していないからです。自分たちで敵を粉砕しなければ自分たちが滅ぼされるという究極の恐れを抱いているのです。
ですからパレスチナの人たちのためにも、イスラエル、そして首都エルサレムに平和が訪れるよう祈らなければなりません。
(詩篇122:6-8)エルサレムの平和のために祈れ。「あなたを愛する人々が安らかであるように。あなたの城壁の内に平和があるように。あなたの宮殿の内が平穏であるように。」私の兄弟友のためにさあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」
また、現在のユダヤ人は、ほとんどがイエス・キリストを信じていません。ユダヤ人の国家的な救いは再臨直前に起こりますが、個人的に救われるためにはユダヤ人もイエスさまの十字架と復活を信じなければならないというのは、私たち異邦人と同じです。
日本に住んでいるとユダヤ人と接する機会はあまりないと思います。しかし、彼らの個人的な救いのために祈ること、またユダヤ人に伝道している団体を祈りや献金で間接的にサポートしたりすることは、私たちができることです。
私たちの教会では、年度初めにユダヤ人伝道団体に些少ながら外部献金させていただいています。
まとめ
私たちには素晴らしい未来が待っています。それだけでなく、今もうすでにイエスさまは私たちを幸せにしてくださっています。その喜びの故に、他の人をイエスさまに対してするように愛しましょう。
やがて私たちが地上の生涯を終えて天のパラダイスに迎え入れられたとき、イエスさまから「あなたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」と言っていただけるような生き方がしたいですね。