(2024年7月28日)
使徒ペテロが、間もなくイエス・キリストのことを知らないと三度言ってしまうという預言が語られた箇所です。
礼拝メッセージ音声
参考資料
31節の「シモン」は「シメオン」の短縮形で、使徒ペテロの本名。ペテロ(アラム語ではケファ)はイエスさまが付けたあだ名で、石という意味があります。
37節は、イザヤ53:12の引用。
ペテロや他の弟子たちがイエスさまを裏切るという預言はいつ語られたか。
マタイ26:35やマルコ14:26を見ると、過越の食事が終わってオリーブ山に向かう道中で語られたと読めます。しかし、ルカ22:39やヨハネ18:1を見ると、オリーブ山に向かって出発する前(すなわち過越の食事の最中)に語られたと読めます。
この一見矛盾に見える違いは、次のように説明されています。
@裏切りの預言がオリーブ山に向かう前と道中の2回語られたという可能性。
A4人の福音書記者が起こった出来事を記述する際に、時系列を正確に記述することよりも、内容のつながりを重視して編集した可能性。マタイやマルコは裏切りの預言と実際に弟子たちがイエスさまを残して逃げ出してしまった事実を連続して書いています。一方、ルカやヨハネは、弟子たちが互いに謙遜になって愛し合い、仕え合うようにという命令の後に裏切りの預言について書いています。
増田牧師は、今回の出来事はオリーブ山に向かう前、すなわち過越の食事の最中に起こったと解釈しています。というのも、ルカは時系列にこだわって福音書を書いたと思われるからです(ルカ1:3)。
イントロダクション
今日も、十字架直前の過越の食事(いわゆる最後の晩餐)での出来事を取り上げます。弟子たちに対するイエスさまの指導を通して、私たちがイエスさまとの関係を深め、本当の幸せを味わうのに必要な態度について教えていただきましょう。
1.弟子たちへの教訓
一番偉い人
弟子たちの議論
(24節)また、彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という議論も起こった。
十字架直前の夜、過越の食事がまだ続いています。イエスさまは2度に渡って弟子たちの中の誰かがご自分を裏切ると預言なさいました。そして、イスカリオテ・ユダが食事の最中に席を立ち、いなくなってしまいました。
ところが、他の弟子たちはユダが裏切り者だとは思っておらず、誰が裏切ろうとしているのかと互いに話し合いました。と同時に、弟子たちの中で誰が一番偉いかという話をし始めます。この話題については、弟子たちはこれまでも話をし、そのたびにイエスさまに戒められてきました(たとえばマルコ9:33-37)。
しかし、弟子たちとしてはどうしてもこの話題が気になりました。弟子たちは、イエスさまが救い主として地上に神の国(千年王国)を実現したら、自分たちは大王であるイエスさまを補佐する重要なポストに就けていただけるだろうと期待していました。その中でも、誰が最上の位をいただけるか、彼らは知りたいと思っていたのです。
仕える者になれ
(25-26節)すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々に対し権威を持つ者は守護者と呼ばれています。しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。
イエスさまは、改めて弟子たちに本当の偉さというものについて教えました。この世の権力者たちは、人々を支配し、自分に仕えさせようとします。つまり、自分の幸せのために他の人を動かそうとするのです。
しかし、イエスさまの弟子たちはその逆に、人々に仕える者にならなければなりません。すなわち、他の人の幸せのために行動します。
イエスという模範
(27節)食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着く人ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。
イエスさまは、仕えるリーダーとはどのような言動をするかについて、自らを模範として示されました。今回の過越の食事が始まると、イエスさまは上着を脱いで、まるで奴隷のように弟子たちの足を洗われました。それと同じように、弟子たちも他の人に仕える人生を送らなければなりません。
踏みとどまった弟子たち
(28節)あなたがたは、わたしの様々な試練の時に、一緒に踏みとどまってくれた人たちです。
イスカリオテ・ユダだけでなく、他にもイエスさまの元を去って行った弟子たちはたくさんいました。たとえば、五千人の給食の後、多くの弟子たちがイエスさまの言葉を誤解して去って行きました(ヨハネ6:66)。
イエスさまと一緒に過越の食事をしている11人の弟子たちは、イエスさまの元を離れずイエスさまに付き従ってきました。そのことをイエスさまは喜んでいらっしゃいます。そして、天の父なる神さまが必ず報いを与えてくださると約束なさいました。
弟子たちへの報い
(29-30節)わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。
イエスさまの元を離れなかった弟子たちに与えられる報酬は、千年王国でイエスさまと一緒に食事をし、イスラエル十二部族をそれぞれ治め導くようになるということです。十二部族の間に序列はありませんから、それぞれを治める十二使徒の中で誰が上で誰が下かということはありません。
ペテロの裏切り
ふるいにかけられる弟子たち
(31節)シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
サタン(悪魔)が弟子たちをふるいにかけるというのは、弟子たちがサタンの惑わしを受けてイエスさまを裏切ってしまうという意味です。
マタイの福音書には、次のように書かれています。
(マタイ26:31, 33)そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」
弟子たちがこれまでイエスさまに従い続けてくれたことを喜び、それに対して神さまが報いを与えてくださることを預言なさったイエスさまですが、そんな弟子たちがこの後イエスさまを裏切るのだとおっしゃいます。
イエスさまは特に「自分だけは絶対つまずかない」と豪語したシモン・ペテロの名を上げて、弟子たちがサタンによってふるいに掛けられ、イエスさまを裏切ると預言なさいました。
ただ、ここでイエスさまは不思議なことをおっしゃっています。「サタンが願って、聞き届けられた」という表現です。
神さまに敵であるサタンは神さまを憎んでおり、神さまのご計画を台無しにすることで神さまの全知全能を否定しようとしています。特に、人間に対して攻撃を加えることで、神さまを苦しめようとします。
ところが、サタンは神さまの許可なしには人間に手を出すことができません。ヨブ記のヨブについても、サタンはヨブをひどい目にあわせましたが、神さまの赦された範囲内でしかヨブを攻撃できませんでした。
(ヨブ1:12)【主】はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは【主】の前から出て行った。
11人の弟子たちはイエスさまを裏切ろうとしています。具体的には、イエスさまが逮捕されたとき、彼らはみんなイエスさまを残して逃げ出してしまいました。ところが、そういった出来事も、神さまのご計画のうちであり、神さまのコントロールの元にあります。
それを踏まえて次の節を読みましょう。
ペテロのための祈り
(32節)しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ペテロはこの後イエスさまを裏切ります。しかし、イエスさまは彼のために祈られました。その内容は、今回のつまずきによってペテロが信仰をなくしてしまわないようにという願いです。裏切りによってつまずき倒れるペテロですが、その後立ち直って再びイエスさまに従うようになります。
そのような体験をしたペテロは、他の信者たちを力づけてやるようにとイエスさまはお命じになりました。
「イエスさまを裏切るというとんでもない罪を犯した自分でも、イエスさまは赦し、受け入れてくださった。だから、あなたたちもたとえ失敗してもまた立ち上がることができるよ」という励ましのメッセージを語れというのです。
ペテロの傲慢
(33節) シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
ところがペテロは、自分がイエスさまのことを裏切るなんて絶対あり得ないと再び主張しました。彼は、自分の信仰に自信があったのです。
つまずきの具体的な内容
(34節)しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
あくまでも自分は大丈夫だと言い張るペテロに、イエスさまはより具体的な預言をなさいました。ペテロがやらかしてしまう失敗は、今夜のうちにイエスさまのことを三度「あんな奴知らない」と言ってしまうという内容です。
そしてこの預言は実現します。イエスさまが逮捕され、大祭司の館に連れて行かれたとき、ペテロは中庭に忍び込んで様子をうかがいました。その時、3人の人から「お前はイエスの弟子だろう」と問いかけられ、そのたびに「違う。あんな奴知らない」と言いました。
そして、3回目に否定したとき鶏が鳴きます。するとイエスさまが振り向いてペテロを見つめました。ペテロは、イエスさまの預言を思い出し、外に飛び出して激しく泣きました。
今後の備え
かつての命令
(35節)それから、イエスは弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も袋も履き物も持たせずに遣わしたとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。
ルカ9:1-6で、イエスさまは十二使徒を任命すると、2人一組にしてイスラエルの各地に派遣し、行く先々でいやしを行ないながら伝道するようお命じになりました。その際、何も持たずに出かけるようにと指示なさっています。
それでも旅先でものが無くて弟子たちが困ることはありませんでした。行く先々に信仰的な人がいて、弟子たちの生活を支えてくれたからです。そして、そうなるよう神さまが導いてくださったからです。
新しい命令
(36-37節)すると言われた。「しかし今は、財布のある者は財布を持ち、同じように袋も持ちなさい。剣のない者は上着を売って剣を買いなさい。あなたがたに言いますが、『彼は不法な者たちとともに数えられた』と書かれていること、それがわたしに必ず実現します。わたしに関わることは実現するのです。」
かつては財布などを持ち歩かなくても生活が成り立ちましたが、今後は財布や袋が必要になります。そして、自衛のための武器も必要です。というのも、イエスさまが逮捕されて十字架にかけられると、弟子たちに対する迫害も始まるからです。
弟子たちの誤解
(38節)彼らが、「主よ、ご覧ください。ここに剣が二本あります」と言うと、イエスは、「それで十分」と答えられた。
弟子たちは、剣が2本あるとイエスさまに答えました。弟子たちはイエスさまが語られたことを誤解していました。イエスさまに危険が迫ってきたら、剣を取って戦うのだという意味にとらえたのです。
それに対してイエスさまは「それで十分」とお答えになりました。これは「剣が2本あれば十分間に合う」という意味ではなく、「この話はこれでおしまい」という意味です。御自身の言葉を弟子たちがほとんど理解しようとしないせいです。
オリーブ山へ
(39節)それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。
過越の食事が終わると、イエスさまと弟子たちはオリーブ山にあるゲツセマネの園に向けて出発しました。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.傲慢を手放して謙遜になろう
弱さを認めて謙遜を身につけよう
聖書は、信仰者たちの失敗を赤裸々につづっています。カトリック教会では初代の教皇とされているペテロでさえ失敗しました。アダムも、ノアも、アブラハムも、イサクも、ヤコブも、ダビデも失敗しました。
どんなに信仰深く強いと思えても、人は弱い者です。おまけに悪魔や悪霊たちが全力で信仰を失わせようと誘惑してきます。
自分も例外ではないことをいつも心に留めておきましょう。そして、どこにつまずきの石が転がっているか分からないということを意識していましょう。そうするなら、自分の力だけで信仰生活を送ろうとするのではなく、神さまの守りを期待して祈り求めるでしょう。
そして、イエスさまがペテロの信仰がなくならないように祈ってくださったように、そして父なる神さまがペテロを立ち直らせてくださったように、私たちもまた神さまによって守り導かれ、たとえ失敗しても回復させていただけます。
失敗を通して謙遜を身につけよう
C.S.ルイスが書いた「悪魔の手紙」は、上級悪霊が甥っ子である下級悪霊に手紙でアドバイスするという体裁になっています。下っ端悪霊がクリスチャンを誘惑して罪を犯させ、罪責感で苦しめようと懸命になっているのを知った上級悪霊は、気をつけるようにとアドバイスしました。
というのも、罪を犯して落ち込んだ後、キリストの恵みを信じて立ち上がると、前よりもっとキリストを愛し熱心に従うようになってしまうからです。
ペテロも他の弟子たちも失敗しました。そのためにつらい思いをしましたが、おかげで彼らは傲慢さを手放し、謙遜さを身につけました。そして、どんな罪もイエスさまの十字架と復活を信じるだけで赦していただけるという恵みのメッセージを、自分の体験として他の人に伝えることができるようになりました。
また、誰が一番かということを争っていた弟子たちの群れは、互いに仕え合う愛の共同体に変えられました。弟子たちが謙遜さを身につけて、人を支配して思い通りに動かすのではなく、しもべとして仕えることを大切にするようになったからです。
私たちも失敗します。どんなに気をつけていても失敗してしまいます。大切なのは、失敗したときに、その後どう行動するかです。失敗を否定してごまかすのではなく、あるいはずっと罪責感を抱えて生きていくのでもなく、神さまによって赦されていることを受け取り、喜び、感謝しましょう。そして、今回の失敗から何が学べるかを考えて、それを実践しましょう。
以前も申し上げましたが、私は東京にいた頃、伝道所を一つ潰しています。メンバーの皆さんには苦しい思いをさせてしまいましたし、私自身も苦しみました。
しかし、イエスさまは私の信仰がなくならないよう取りなしの祈りをささげてくださっていました。私は立ち直り、あの失敗から大切なレッスンを学びました。それは、神さまの恵みを強調するようなメッセージを語らなければならないということです。
こうしてこの教会(中通りコミュニティ・チャーチ)が誕生しました。
聖霊によって謙遜を身につけよう
ヨハネの福音書を読むと、今回の話の後もイエスさまの教えが続いていることが分かります。その一連の教えの中で、イエスさまは次のようにおっしゃいました。
(ヨハネ14:15-16)もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
(ヨハネ14:26)しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
謙遜であれという神さまの命令を、私たちは守ることができません。その結果、私たちは自分勝手に行動して失敗してしまいます。私たちは自分一人の力ではイエスさまのみこころ通りに行動することができません。もう一人の助け主である聖霊さまの助けが必要です。
特に、私たちが本当の謙遜さを身につけられるよう、いつも聖霊さまにお願いしましょう。そして、聖霊さまによって神さまのみこころにかなう生き方ができるよう助けを求めましょう。