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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

誕生したばかりの教会

使徒の働きシリーズ4

使徒の働き2章38節〜47節

(2025年1月5日)

エルサレムに誕生したばかりのキリスト教会の特徴は何でしょうか。ここから、私たちに与えられている可能性について教えていただきます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

38節の「バプテスマ」は、洗礼のことです。洗礼は体を水の中に沈める儀式で、「一体化」を表しました。すなわち、洗礼を授ける人の教えを受け入れたこと、洗礼を授けるグループの一員になったことを表します。
ここでは「イエス・キリストの名」(または、父・子・聖霊の名。マタイ28:19)による洗礼です。ですから、三位一体の神さまと一つになること、その教えを受け入れ守ること、そして同じ信仰を持つ人たちのグループ、すなわち教会の一員になったことを表しています。

イントロダクション

聖霊なる神さまが下ってこられ、弟子たち一人一人のうちに住んでくださるようになりました。そして、教会が誕生します。教会は建物のことではなく、クリスチャンの群れ、共同体のことです。今回の箇所には、エルサレムにできたばかりの教会、初代教会の特徴が書かれています。

ここから、私たちの可能性について教えていただきましょう。

1.初代教会の誕生と特徴

ペテロの説教

聖霊降臨
前回、イエスさまの約束通り、弟子たちの上に聖霊が降ってこられ、彼らを満たされました。すると、弟子たちはさまざまな外国の言葉で神さまの偉大なみわざについて語り始めました。

その物音を聞いた人たちが集まってくると、彼らは大変驚きます。中には、「新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って馬鹿にする人たちもいました。

ペテロの説教
そこでペテロが代表して立ち上がり、自分たちは酔っているわけではなく、預言者ヨエルが預言したことが成就したのだと語ります。そして、ナザレのイエスがダビデの子孫、すなわち救い主であると語り、そんなキリストをあなた方は十字架にかけて殺したのだと指摘しました。しかし、キリストは死んだままにはならず、復活しました。

すると人々は心を打たれて、自分たちはどうすればいいかと尋ねました。ペテロは言います。

(38-39節)そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」

イエス・キリストの名によってバプテスマを受けるというのは、洗礼を受ければ救われるということではありません。洗礼は、自分が信じたことを公に表すための儀式です。

人が救われる条件は、「この自分の罪を赦すためにイエス・キリストが十字架にかけられたこと、そして死んで葬られ、3日目に復活なさったこと」。これが真実だと信じ受け入れることです(第1コリント15:1-8参照)。
そして、ペテロはイエスさまを信じて救われたなら、賜物として聖霊さまをいただくことができると言いました。そして、弟子たちが内側から変えられたように、新たに救われた人たちも変えられます。

しかも、それは一部のエリートクリスチャンにだけ与えられる特権ではなく、救いを体験した人すべてです。

ただし、この時点でのペテロたちの理解では、「私たちの神である主が召される人ならだれにでも」というのは、ユダヤ人限定です。割礼を受けずモーセの律法と無縁の生き方をしている異邦人が、イエス・キリストの十字架と復活を信じるだけで、ユダヤ人と同じように救われ聖霊をいただくことができるという理解に到達するのは、10章(ローマ人であるコルネリウスとその家族の救い)まで待たなければなりません。

私たちが聖霊さまによって成長するのは、一瞬で完了するものではありません。長い時間をかけて少しずつ変えられていくのです。
ペテロの勧め
(40節)ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。

ルカがここに記したペテロの言葉は、ごく一部です。他にも多くの言葉が語られました。その内容は「証し」と書かれています。イエスさまの言葉や行ないについての証言です。

そして、ペテロはあなたたちも救いを受け取るようにと勧めました。

3千人の救い

ペテロの勧めを受け入れた人々
(41節)彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。

多くの人々がペテロの勧めに応答しました。彼らはイエス・キリストの十字架と復活を信じ、そのしるしとして洗礼を受けました。

エルサレム神殿の周りには、ミクヴェー(ミクワー)と呼ばれる儀式用の浴槽がたくさん設置されていました。礼拝に来た人たちが身を清めるために使ったものです。また、神殿のすぐ北にはベテスダの池がありました。そういった場所を使って、十二使徒や他の弟子たちが手分けして洗礼を授けたのでしょう。

新約時代のエルサレム
(地図をクリックすると拡大します)

初代教会の特徴

教えの遵守、交わり、パン裂き、祈り
(42節)彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

ここには、誕生したばかりの教会の特徴について、4つのことが書かれています。

まず彼らは、使徒たちの教えを守りました。十二使徒は、イエスさまの公の働きの初めから、イエスさまと寝食を共にしてきました。ですから、使徒たちは自分たちの考えた教えを語ったのではなく、イエスさまが語られたことを教えたのです。

そして、初代教会の人たちは交わりを持ちました。イエスさまの命令を守ることは簡単ではありません。彼らは一人で信仰生活を送ったのではなく、他のクリスチャンたちと時間と場所を共にして、互いに励まし合いながら生活しました。

3つ目はパン裂き。これは聖餐式です。聖餐式では、イエスさまの十字架の死を記念して、パンを割いて一緒に食べ、ぶどう酒を飲みました。

これは元々、過越の食事の中で行なわれたものです。イエスさまは、十字架にかかられる直前、十二使徒と共に過越の食事をとられました。いわゆる最後の晩餐です。その中で、パンがご自分の引き裂かれる肉体、ぶどう酒が流される血を表しているとおっしゃいました。そして、今後も同じようにパンとぶどう酒をいただきなさいとお命じになりました。

ですから、聖餐式は年に1回、過越の食事の中で行なわれるもののはずです。しかし、この箇所の書き方を見ると、もっと頻繁に聖餐式を行なっていたと推察されます。頻度は分かりませんが、交わりの時に一緒に食事をし、その際に聖餐式も行なったのでしょう。

クリスチャンは聖餐式に参加することで、自分たちがイエスさまの十字架によって罪を赦されたのだということを思い出します。教会は、同じ趣味嗜好を持った人たちのサークルではなく、同じ信仰を持った者たちの集まりです。

4つ目は祈り。神さまへの賛美の祈りや感謝の祈り、罪を自覚したときの悔い改めの祈り、あるいはお互いの必要のための取りなしの祈りなどです。

教会の交わりの特徴は、そこに祈りがあることです。教会以外の集まりでも、教えが語られたり、親しく交流したり、励まし合ったり、一体感を確認したりします。また、後で出てきますが、互いの必要のために物質的に助け合うこともします。しかし、イエス・キリストのお名前によって祈ることは、教会だけが持つ特徴です。
恐れと奇跡
(43節)すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。

クリスチャンたちに恐れが生じました。これは神さまのさばきを恐れてビクビクしたということではありません。いわゆる畏怖の念、畏敬の念です。神さまのあまりの偉大さ、イエスさまのすばらしさに圧倒されて、この方に従わなければならないという強い思いがわき上がってきたということです。

そして、使徒たちは奇跡を行ないました。もちろん見世物のためではありません。たとえば教会の中に病気の人が出たとき、その人をいやしたのです。その結果、教会の人たちはますます神さまの偉大さを知り、恐れ、すなわち畏怖の念を抱いて熱心にイエスさまに従ったのです。

また、使徒たちは教会外の人に対しても奇跡を行ないました。それは伝道のためです。次の章では、ペテロとヨハネが神殿の「美しの門」という場所で、生まれつき足が不自由な人をいやすという奇跡を行なっています。その結果、いやされた人だけでなく、いやしを知った数千人の人たちが救われました。
物質的な助け合い
(44-45節)信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。

初代教会の人たちは、精神的に励まし合い、支え合っただけではありません。物質的にも支え合いました。彼らは、経済的に困っている信者を助けるため、持ち物を売って必要に応じて分配しました。物を共有していたと書かれていますから、一種の共産主義的な生き方(原始共産制)をしていたのです。

もっとも、財産の共有、一種の共産主義的なあり方は、エルサレム教会だけの特徴だったようです。後に他の町にも教会が誕生するようになりますが、エルサレム以外で財産の共有が行なわれたという記録はありませんし、パウロなど使徒たちの手紙の中にもそうするようにという命令がありません。

それでも、ピリピなどマケドニア地方の教会の人たちが、迫害のために困窮しているエルサレムのクリスチャンたちを助けるために献金を集めて送ったように、経済的・物質的に困っている人を助けるのは1世紀の教会の特徴でした。
神殿礼拝、家での聖餐や愛餐
(46-47節前半)そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、

ここから、当時の教会が2種類の集まりを持っていたことが分かります。神殿での大きな集まりと、家々の小さな集まりです。

まずは大きな集まり。初代教会の人たちは、毎日宮に集まりました。神さまを礼拝するためであり、使徒たちから教えを受けるためです。礼拝は大人数で行なった方が一体感が生まれますし、賛美や祈りも力強さが増します。

また、教えも大人数の前で語った方が効率的です。何しろ、エルサレム教会は数千人規模ですから。

しかし、悩みを打ち明け合ったり、個人的に祈ってもらったりするのは、大人数の集まりは不適当です。当時のクリスチャンたちは、神殿だけでなく家々に分かれて、少人数でも集まりを持ちました。そこでは聖餐式を行なったり、一緒に食事をとったりしました。

互いのために祈ったり、励まし合ったり、慰め合ったり、教え合ったりもしたはずです。

また、家々での小さな交わりの中でも神さまを賛美しました。すなわち礼拝も行ないました。
好意と成長
(47節後半)民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

この時点で、エルサレムの人たちはクリスチャンたちに好意的でした。彼らが、熱心に神さまを礼拝したり、互いに助け合ったり、奇跡さえ行なったりしていたからです。

イエスさまは昇天なさる前、弟子たちが聖霊さまをいただくと、力を受けてイエスさまの証人になるとおっしゃいました(1:8)。その約束通り、クリスチャンたちは聖霊さまによって伝道するために必要な力をいただいたのです。

イエスさまの証人となる力は、ただ単に救いについて上手に話ができるようになるということだけではありません。生き方そのものが造り変えられて、教会外の人たちに「自分もあんな生き方がしたい」という、一種の憧れを与えるようになるということです。

初代教会のクリスチャンはそのような姿を町の人たちに示しました。その結果、毎日新しく人が救われ、教会の交わりに加えられました。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.私たちも初代教会のようになれると信じよう

これが標準だと知ろう

今回の箇所で描かれている教会の姿が、聖書が教える教会の標準的な姿です。すなわち、現代の教会が目指すべきモデルです。
  • ある時代の教会は、政治的な権力を追い求めました。しかし、それは標準的な教会の姿ではありません。
  • ある時代の教会は、神さまへの真実の愛を忘れて、人間が欲望を満たしたり、物質的に繁栄したりすることを優先させました。しかし、それは標準的な教会の姿ではありません。
  • ある時代の教会は、 他の人の足りないところを批判したり、自分の立派さを誇ったりする交わりになりました。しかし、それは標準的な教会の姿ではありません。
  • ある時代の教会は、社会から孤立し、自分たちだけの集まりに満足して、教会外の人たちに救いを宣べ伝えたり助けの手を差し伸べたりすることを怠りました。しかし、それは標準的な教会の姿ではありません。
  • ある時代の教会は、大きな集会、大人数での活動には力を入れても、一人一人が覚えられ、祈られ、支えられる小さな集まりをおろそかにしました。しかし、それは標準的な教会の姿ではありません。
この箇所に描かれている教会の姿こそ、私たちが目指すべき姿です。それを知りましょう。

私たちも同じ聖霊をいただいていると知ろう

1世紀の教会、すなわち私たちが目指すべき標準的な教会は、クリスチャンたちの努力だけで造られたのではありません。その原動力は、聖霊なる神さまでした。

聖霊さまに満たされる以前の弟子たちは、イエスさまの教えをほとんど理解できませんでした。当然イエスさまの命令や期待に背くような言動をして、たびたびイエスさまをがっかりさせていました。互いに愛し合うどころか、誰が神の国で最も高い地位につけるだろうかと張り合っていました。

聖霊さまが彼らのうちに住み、彼らを内側から造り変えてくださったことによって、弟子たちは今回の箇所に書かれているような素晴らしい生き方ができるようになったのです。
ですから、私たち一人一人にも、当時の弟子たちのようになれる可能性があります。なぜなら、そんなふうに初代教会の人たちを満たし、造り変えた同じ聖霊さまが、私たち一人一人のうちにも住んでくださっているからです。

そのことを改めて確認しましょう。そして、私たちも満たしてくださり、造り変えてくださるようお願いしましょう。

前回のメッセージでも申し上げましたが、聖霊さまに満たされることは、神さまのみこころです。ですから、「聖霊さまによって満たしてください」という祈りは、必ず聞かれます。祈ったら、そう信じましょう。

そして、満たしは1回限りの出来事ではありません。いつも満たしを求め続け、信じ続けましょう。

できることから実践しよう

聖霊さまによる満たしを求め、満たされたと信じたら、次に行動します。今回、標準的な教会の姿を見ました。その姿に一歩でも近づくために、今の自分にできることは何か考えましょう。そして、それを実践しましょう。

繰り返しますが、教会とは建物ではなく、クリスチャンの共同体です。牧師だけでなく、皆さん一人一人が教会の一部であり、この世に対する教会の代表者です。皆さん一人一人の言動が、教会全体の行動を変え、雰囲気を変えます。

たとえば、
  • 初代教会の人たちは、大きな集会に参加するだけでなく少人数で集まって祈り合いました。あなたには、何かできることがないでしょうか?
  • 初代教会の人たちは、互いの必要のために、霊的にも精神的にも、そして物質的にも支え合いました。あなたには、何かできることがないでしょうか?
  • 初代教会の人たちは、神さまに対する健全な恐れ、畏怖の念を持ち、イエスさまの命令を守ろうと努めました。あなたには、何かできることがないでしょうか?
  • 初代教会の人たちは、自分の言葉と生活によって教会外の人たちを救いに導きました。あなたには、何かできることがないでしょうか?
他の人と比較する必要はありません。どんなに小さな一歩でもかまいません。標準的な教会の姿に向かって、何かを始めましょう。もちろん、聖霊さまが助けてくださることを信じて。

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