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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

7人の執事の選任

使徒の働きシリーズ8

使徒の働き6章1節〜7節

(2025年2月2日)

初期のエルサレム教会で、貧しい信者への配給に関して問題が発生します。そして、その対処のためにステパノやピリポら7人の執事が任命されました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

5節の「アンティオキア」は、現在のトルコのアンタキア。新約時代には、ローマと北アフリカのアレキサンドリアに次ぐローマ帝国第3の都市で、約50万人が住んでいました。
5節の「改宗者」は、異邦人でありながらユダヤ教に改宗した人のことです。改宗を望む人は、モーセの律法に従うしるしとして割礼を受け、洗礼を授けられ、神殿にいけにえをささげました。

イントロダクション

私たちの人生にはさまざまな問題が起こります。しかし、全知全能であり私たちを命がけで愛してくださっている神さまは、問題を通して私たちを祝福してくださろうとしています。今回の箇所を通して、問題を祝福に変えるために必要なことを教えていただきましょう。

1.教会内で起こった問題と対処

直前の記事

まず、今回の箇所の直前に何が書かれているか、簡単に解説します(5:12-42)。
使徒たちによる奇跡と教会の成長(5:1-16)
アナニアとサッピラへのさばきの後、さらに教会は成長していきました。使徒たちはさまざまな奇跡を行ない、それにより多くの人たちが救われたのです。

特に大きな働きをしたペテロについては、彼の影がかかるだけでいやされると考えられていました。そこで、ペテロが歩いていると、病人を彼が通るところに置いて影がかかるようにする人たちも現われました。
使徒たちの逮捕と解放(5:17-25)
それを苦々しく思ったのが、サドカイ人、すなわち大祭司を始めとする祭司階級の人たちでした。彼らは使徒たちを捕えて牢に入れてしまいました。

ところが、夜になると天使が牢にいる使徒たちの前に現われて、牢の扉を開けて彼らを外に出してくれました。そして、「神殿でいのちの言葉をすべて語れ」と励まします。そこで、使徒たちは朝早く神殿に出て行って教え始めました。
最高法院での裁判(5:26-42)
再び捕えられた使徒たちは、最高法院(サンヘドリン)に引き出されます。議員たちは、以前ペテロとヨハネが捕えられたとき、「もうイエスの名によって教えてはならない」ときつく命じておいたにもかかわらず、それに従わなかったことを責めました。

ところが使徒たちは、議員たちの脅しに屈せず、これからも語り続けると宣言します。そこで、議員たちは彼らを死刑にしようといきり立ちました。
しかし、議員の一人でガマリエルという人が発言しました。このガマリエルは、当時非常に尊敬されていた律法学者で、パウロもこの人の元でモーセの律法を学びました(使徒22:3)。

ガマリエルは言います。「もしも彼らが神さまから遣わされたのではなく、勝手に活動しているのなら自滅するだろう。しかし、万が一神さまから遣わされた者たちならば、あなたたちは彼らを滅ぼすことができないどころか、かえってあなたたちが神さまに逆らう罪を犯すことになるよ」、と。

そこで、サンヘドリンは重ねて使徒たちを脅した上で釈放しました。こうして、外からの攻撃を退けた教会はますます成長していきました。

しかし、外からの妨害が終わると、今度は教会内部に問題が発生しました。

教会内部の問題

ヘブライストとヘレニスト
(1節前半)そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。

「ギリシア語を使うユダヤ人」と「ヘブル語を使うユダヤ人」という言葉が登場します。

この頃のユダヤ人は、イスラエルだけでなく、ローマ帝国のあちこちに住んでいました。 彼らのことを「ディアスポラのユダヤ人」と呼びます。

そして、イスラエルで生まれ育ったユダヤ人は、ヘブル語(とアラム語)を使っていました。一方、イスラエルの外で暮らしているディアスポラのユダヤ人たちは、地中海世界の公用語だったギリシア語を使っていました。

そんなイスラエルの外で暮らしていたユダヤ人の中に、イスラエルに戻ってきた人たちもいたのです。彼らは、引き続き普段の生活の中ではギリシア語を使っていました。彼らのことをヘレニスト」と呼びます。一方、代々イスラエルで暮らしてきたユダヤ人のことを「ヘブライスト」と呼びます。

初期のエルサレム教会のメンバーは全員ユダヤ人、あるいは異邦人からユダヤ教に改宗し、割礼を受けて宗教的にはユダヤ人扱いされていた人たちで構成されていました。その中に、普段ヘブル語を使うヘブライストのクリスチャンと、普段ギリシア語を使うヘレニストのクリスチャンがいたのです。

そのような背景の中で、ある問題が生じました。
配給の問題
(1節後半)彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。

当時のエルサレム教会では、信者が自分の持ち物を売ってお金に換え、それを教会にささげていました。それは、信者の中で生活に困窮している人に分け与えるためでした。

そして、教会は積極的に伝道し、そのために救われる人が爆発的に増えていました。そのため、誰が配給を必要としているか、そして必要な人に必要な分が本当に配給されているか、正確に把握できなくなっていきました。

その結果、ギリシア語を使うヘレニストのやもめたちに、うまく配給が届かないという問題が生じたのです。それについて、ギリシア語を使うヘレニストたちから不満の声が上がりました。

もっとも、ヘブル語を話すクリスチャンたちは、ギリシア語を使うクリスチャンたちのことを差別していたわけではないでしょう。人数が急激に増えたために、管理が行き届かなくなってしまっていたのです。

しかし、ギリシア語を使うクリスチャンのやもめたちにうまく配給が行き届いていないのは事実です。これを放置していると、教会がヘブライスト派とヘレニスト派に分裂してしまいかねません。

教会が奇跡を伴って多くの人々を救いに導く力を発揮していたのは、彼らがイエスさまを固く信じ、互いに愛し合っていたからです。分裂して互いに争うことになれば、教会は力を失ってしまいます。

大祭司たちによる外からの迫害は、教会の勢いを止めることができませんでした。そこで悪魔は、内部に生じた問題を用いて教会を破壊しようと狙っています。これを放置しているわけにはいきません。

そこで、十二使徒たちはさっそくこの問題に対処することにしました。

問題への対処

使徒がしないこと
(2節)そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。

使徒たちは教会員たちを集めると、この配給の問題に使徒である自分たちが直接関わるのは良くないと言いました。それは、自分たちが本来行なわなければならない、神のことばを教えるという任務がおろそかになってしまうからです。

マゾリー・ダ・パニカーレ作「説教するペテロ」
(画像引用:光の色彩を求めて)
7人を選ぶ提案
(3節)そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、

使徒たちは、全教会員の中から7人のリーダーを選び出して、その人たちに配給の仕事を任せると言いました。プロテスタント教会では、この7人の役職のことを伝統的に「執事」と呼んでいます。

その際、誰が執事にふさわしいか判断する基準は、年齢や社会的地位ではありません。使徒たちは3つの条件を挙げています。
  1. 御霊に満たされていること
  2. 知恵に満ちていること
  3. 評判が良いこと
まず、「御霊に満たされていること」。生活のあらゆる領域を聖霊なる神さまに明け渡して、「聖霊さま、あなたの思ったとおりに私の人生を造り変えてください」と願っている人です。「これだけは(たとえば仕事とか、恋愛とか、お金の使い道とか、趣味とか)口を出さないでください」という部分がないということですね。

次に「知恵に満ちていること」。これは臨機応変に物事に対処できる力、実務能力があるということです。これがないと、配給の問題を解決できません。

最後に「評判が良いこと」。信仰が行動として表れることで、周りの人たちから良い評価を受けている人です。

ただし、イエスさまは偽善をことのほか嫌われました。ですから、他の人にほめてもらうために良いことをしている人はリーダーにふさわしくありません。そのような偽善的なことをしなくても、御霊と知恵に満ちた生き方をすることで自然に周りの人たちから評価されるのです。

そして、使徒たちは「あなたたちが7人の執事を選びなさい」と言いました。

イスカリオテ・ユダが抜けた穴を埋めるためにマッテヤが新たに使徒に選ばれたときには、クジを引きました。それは、その時にはまだ聖霊なる神さまが下っておられなかったからです。しかし、今回は一人一人の内に聖霊さまが住んでくださっているので、ふさわしい人を選ぶことができるよう助けてくださいます。
使徒がすること
(4節)私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」

再び使徒たちは、自分たちの使命について語りました。

急激に教会が成長したため、まだ教師が十分育っていません。救われるのは一瞬です。今日初めてイエスさまについて聞いたという人でも、福音を信じるだけで救われます。しかし、クリスチャンとして成長し、人に聖書を教えることができるようになるには時間が必要です。

そこで、教会全体のために祈ることや、神さまのみことばを教えることは、十二使徒が担わなければならなりませんでした。使徒たちは教会の人たちに、7人の執事に教会内のさまざまな課題を解決してもらいながら、自分たちは祈りとみことばの奉仕に専念すると宣言します。
7人の選出
(5節)この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、

教会の人たちは使徒たちの提案を受け入れました。しかも「喜んで」と書かれています。この提案通りに7人を選出すれば、その人たちの力で教会内に生じた問題が解決すると確信できたからです。また、今後問題が起こらないよう予防したり、たとえ問題が起こっても影響が小さいうちに解決したりしてくれるでしょう。

こうして選ばれたのが、ここに挙げられた7人です。彼らの名前はすべてギリシア語の名前です。ですから、おそらく全員ヘレニスト、ギリシア語を使うユダヤ人でしょう。

ヘレニストのやもめたちがないがしろにされているというのが7人を選ぶ発端ですから、聖霊なる神さまと教会員たちは、「神さまも教会も、ヘレニストのことを大切に思っているよ」ということを示すような人選をしたのでしょう。

なお、7人のうち最初の2人、ステパノとピリポは後でまた登場します。ネタバレになりますが、
  • ステパノは最初の殉教者となります。
  • ピリポは後にサマリアや地中海沿岸の地方で伝道するようになり、使徒パウロの働きも支えてくれます。 以前、「信仰の助演男優シリーズ」でピリポを取り上げました。こちらの記事をご覧ください。

ジャコモ・カヴェドーネ作「聖ステパノ」
(画像引用:Wikipedia)
7人の任命
(6節)この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。

教会員によって選び出された人は、使徒たちの祈りと按手(頭などに手を置くこと)によって、正式に執事として任命されました。
さらなる教会成長
(7節)こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。

使徒たちと教会員たちの賢い対応によって、教会の分裂の危機は避けられ、ますます心を一つにして神さまに仕えていきました。また、使徒たちは細かい事務作業に時間とエネルギーを取られなくなり、祈りや教育に専念することができるようになりました。

その結果、これまで以上に人々が救われ、教会員の信仰が成長していきました。何と、祭司たちも続々とクリスチャンになっていきました。この前の5章では、祭司たちは教会を迫害していたのですが、かえって祭司階級の中にもイエスさまこそ救い主だという信仰が広がっていったのです。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.問題は成長のチャンスである

サタンより神の方が強く賢いことを知ろう

今回の箇所にサタン(悪魔)は姿を見せていません。しかし、サタンや彼の配下である悪霊たちは、教会や私たちクリスチャン個人を攻撃して、さまざまな問題を送り込んできます。聖書は言います。

(第1コリント13:13)こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

サタンは問題を用いて、私たちから信仰・希望・愛を取り除こうとします。それによって神さまとの関係を破壊して、私たちが神さまからの祝福を味わえないようにしたり、私たちを通して他の人たちに祝福が届かないようにするのです。
信仰を失わせること
信仰とは、神さまへの信頼です。全知全能の神さまはどんなときも私を愛し、本当の幸せへと確実に導いてくださいます。問題が起こると、その信頼が揺さぶられます。自分に対する神さまの愛や、神さまの力を疑う方向に心が傾き始めるのです。

今回の問題も、放置しているとクリスチャンたちが配給への不満でいっぱいになり、そんな問題を引き起こして解決してくれない使徒たちへの不満も高まっていったことでしょう。そうすると、使徒たちの教えを素直に聴けなくなり、神さまへの信仰も弱っていくことになったはずです。

こうなると、使徒たちは祈りやみことばの奉仕をそっちのけで、分裂や反抗の問題にかかりっきりになってしまい、ますます教会員の信仰が弱っていくという悪循環が起こるでしょう。
希望を失わせること
誰よりも賢く力のある全知全能の神さまがこの私を愛してくださっているという信頼は、「何があっても、何がなくても絶対大丈夫」という希望を生み出します。

サタンは問題を使って神さまへの信仰を揺るがせ、結果として私たちから希望を奪おうとします。
愛を失わせること
私たちが信仰を弱らせ希望を失ってしまうと、自分自身のことで精一杯になります。そして、神さまや周りの人に配慮する心の余裕を失ってしまいます。その結果、神さまへの愛、人への愛がしぼんでしまうのです。

今回の問題が対処されずに続いたなら、ギリシア語を使うユダヤ人とヘブル語を使うユダヤ人の間に、深刻な対立が生まれて教会が分裂してしまったことでしょう。

このように、サタンは問題を使って私たちから信仰・希望・愛を奪い去ろうとします。それによって、私たちが神さまから大いに祝福されることを邪魔しようとしているのです。問題が起こったときには、自分の信仰・希望・愛が狙われているのだということに気づきましょう。
神は問題を利用なさる
では、どうして全知全能で私たちを愛してくださっている神さまが、私たちの人生に問題が起こるのを放置なさることがあるのでしょうか。それは、その問題によって、最終的に私たちの人生に祝福をもたらそうとなさっているからです。

今回の問題は、放置していれば多くのクリスチャンたちが健全な信仰を失ってしまいかねませんでした。しかし、うまく対処したことによって彼らの信仰はかえって強くなり、ますます教会は力強く成長していくことになりました。

サタンは私たちから信仰・希望・愛を奪い取ろうと狙っています。しかし、三位一体の神さま、すなわち父なる神さま、子なる神であるイエスさま、そして聖霊なる神さまは、サタンよりもはるかに賢く、力強いお方だということを忘れないでいましょう。
私たちの人生にもさまざまな問題が起こります。どうしてこんなことが起こり、祈っても祈っても解決しないのか、その理由が示されないことも多いです。それでも私たちは、「神さまはサタンよりも賢くて強い。私には理由は分からないけれど、この問題を通して必ず素晴らしいことをしてくださる」と信じ続けましょう。

クリスチャンの本分に立ち返ろう

配給の問題が起こったとき、使徒たちは自分がしなければならないことを行ないました。彼らにとっては、祈りとみことばの奉仕です。教会の人たちも、不平不満を並べ立て他人や神さまを責める代わりに、自分たちがしなければならないことをしました。聖霊さまの導きを願いながら、7人の執事を選び出したことです。

私たちは聖書の教えや新約聖書に描かれている教会の姿を見ることで、教会、そしてそこに属する私たちクリスチャン一人一人には5つの使命が与えられていると信じています。それは、
  1. 礼拝:神さまを愛し、感謝し、ほめたたえて礼拝すること
  2. 交わり:互いに親しく交流し、愛し合い、物理的・精神的・霊的に支え合うこと
  3. 教育・訓練:互いに聖書の教えを深く学んで他の人に伝え合い、学んだことを実践できるよう訓練することで、自分も他の人も信仰者として成長すること
  4. 社会のいやし:教会外の人たちに愛のわざを行なうこと
  5. 伝道:まだイエス・キリストを信じていない人たちに、恵みの福音を伝えて救いに導くこと
問題が起こるとそれにばかり意識が向きがちです。しかし、私たちクリスチャンの本分に立ち返り、これら5つの行動に意識を向け直して実践するようにしましょう。その時、神さまは問題を通して大きな祝福へと導いてくださいます。
例話
ある女性の話です。結婚してすぐに、同居しているお姑さんから意地悪をされるようになりました。お姑さんは女性がクリスチャンだということを知ると、お姑さんが毎朝仏壇の前で念仏を唱えるときに女性も同席するようにと命じました。

女性は一瞬困りましたが、結局お姑さんと一緒に毎朝仏壇の前に座ることにしました。そして、仏壇の前に座りながら、まことの神である聖書の神さまに向かって心の中で祈りをささげたのです。女性は、前もって読んでおいた聖書の箇所を思い巡らしながら、神さまからの語りかけを聞き、自分や家族や世界の人たちのためにさまざまな願いをささげました。

その祈りの時間は、神さまとの素晴らしい交わりの時間でした。ですから、お姑さんの念仏が終わっても祈りがやみません。嫌がらせのために仏壇の前に座っていたお姑さんは、なかなかお嫁さんが根を上げないので、対抗心のために祈りが終わるまで座り続けました。

しかし、ついに耐えきれなくなってお姑さんは「もう一緒に座らなくていい」と言いました。女性は仏壇から解放されただけでなく、神さまとの祈りの交わりのすばらしさを改めて知って、ますます喜びや平安に満たされるようになりました。
私たちも、問題にぶつかってそれに意識を持って行かれそうになりますが、クリスチャンとしての本分に立ち返り、なすべきことに意識を向け直して実践しましょう。

聖霊に満たされよう

ステパノたち選ばれた7人の執事は、聖霊さまに満たされていました。また、彼らを選んだ教会の人たちも、聖霊さまの導きによって7人を選出しました。

また、初代教会で多くの奇跡が行なわれたり、互いに愛のわざを示し合ったり、人々が続々と救われていったりしたのも、クリスチャンたちを満たした聖霊さまのお働きによります。

クリスチャン生活は、私たち人間の知恵や力だけでは送ることが不可能です。クリスチャン生活は聖霊さまの助けなしには成り立ちません。
私たちの内にもおられる聖霊
誰かがイエス・キリストを信じて救われると、その瞬間に聖霊さまがその人に内に入られます。そして、その後ずっとそこに住み続けてくださいます。私たちここにいるクリスチャン一人一人の内にも、聖霊さまが住んでくださっています。

その聖霊さまによって満たされることを願いましょう。それが、問題に対処する際に真っ先に行なわなければならないことです。

聖霊さまに満たされるとは、自分の中のあらゆる領域を聖霊さまが支配して、自由に造り変えることを了承している状態です。「この問題だけは私の自由にさせてください」「これには触らないでください」という部分があるなら、それは聖霊さまに満たされた状態ではありません。
聖霊に満たされるには?
では、どうしたら聖霊さまに満たされるのでしょうか。

まずは悔い改めです。神さまのみこころに逆らっている罪を自覚し、まだそれを悔い改めていないなら告白して赦しを確認します。特に、「これだけは聖霊さまの自由にして欲しくない」と思う部分があれば、それを悔い改めましょう。

それから、聖書の約束を確認します。聖書は「御霊に満たされなさい」(エペソ5:18)と命じています。ですから、聖霊さまに満たされることは神さまのみこころです。さらに聖書は、みこころにかなう祈りは必ずかなえられると約束しています。

(第1ヨハネ5:14-15)何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。

この約束を信じながら、「聖霊さまで満たしてください。私のすべてを、余すところなくあなたが自由になさってください」と祈り求めます。そして、祈ったら「すでにかなえられた。聖霊さまによって満たされた」と信じましょう。
今週も、私たちは何かしらの問題にぶつかるでしょう。その時に、今回教えていただいたことを生かして、改めてしっかりと神さまと結びつきましょう。

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

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