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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ペテロが見た幻

使徒の働きシリーズ14

使徒の働き10章9節〜18節

(2025年3月16日)

イエス・キリストの使徒ペテロが神さまから幻を見せられました。これがローマの百人隊長コルネリウスとその家族の救い、さらには異邦人(ユダヤ人以外の民族)の救いにつながります。

礼拝メッセージ音声

参考資料

続きを読む9節の「この人たち」とは、カイサリアに駐屯しているローマ軍の百人隊長、コルネリウスが使徒ペテロの元に遣わした使者(2名のしもべと1名の兵士)。

9節の「町」はヤッファ。今のテルアビブです。
17節の「シモン」は、ヤッファの皮なめし職人。ペテロはこの人の家に滞在しながら、ヤッファで伝道や信徒教育をしていました。

イントロダクション

「使徒の働き」で取り上げられている記録の中で、重要な歴史的ターニングポイントとなる「3つのP」があります。それは「ペンテコステ」「パウロの回心」、そして今回の「ペテロの見た幻」です。今回の幻の中で、神さまは「神がきよめたものを、きよくないと言うな」と諭されました。

ここから、私たちは自分自身の可能性について教えていただきましょう。それにより、毎日の生活を自信と希望を持って送ることができます。そして、他の人のことも励ますことができるようになります。

1.ペテロが見た幻

コルネリウスへのお告げ

百人隊長コルネリウス
(1-2節)さて、カイサリアにコルネリウスという名の人がいた。イタリア隊という部隊の百人隊長であった。彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。

カイサリアには、ユダヤ地方などを治めるローマ総督がいました。そして、その町には治安維持のためにローマ軍が駐屯していました。

古代ローマの軍隊では、約80人の兵士を一つの部隊(百人隊、ケントゥリア)にまとめ、百人隊長(ケントゥリオ)がそれぞれの隊を率いました。今回登場したコルネリウスは、カイサリアに30人いた百人隊長の一人でした。「イタリア隊」という部隊に所属していたということですが、おそらくイタリア出身の兵士たちで構成された部隊だったのでしょう。

コルネリウスはローマ人、すなわち異邦人(ユダヤ人以外の民族)ですが、聖書の神さまを信じていました。割礼を受け、モーセの律法に従った生活をする正式なユダヤ教への改宗者ではありません。しかし、家族と共に神さまを礼拝し、また施しなどの良いわざに努めていました。
天使のお告げ
ある日、コルネリウスは天使の幻を見ます。天使はコルネリウスに呼びかけて、ヤッファという町の皮なめし職人シモンの家に泊まっている、ペテロを家に招くよう命じました。
使者たちの派遣
天使が去って行くと、さっそくコルネリウスはペテロの元に使者を送りました。使者に選ばれたのは、2人のしもべと、自分と同じく聖書の神さまを信じている兵士1人です。3人はヤッファに向かいました。ヤッファは、カイサリアの南50キロほどの所にある港町です。

ペテロへの幻

屋上に上るペテロ
(9節)翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。

コルネリウスが天使のお告げを聞いた翌日、彼が遣わした使者はヤッファのすぐそばまで来ました。その時、ペテロは祈るために屋上に上がりました。家の外に階段が付いていて、そこから屋上に上がることができます。
夢心地になるペテロ
(10節)彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。ところが、人々が食事の用意をしているうちに、彼は夢心地になった。

祈ろうとしていたペテロは、ちょうど正午頃だったため空腹を覚えました。しかし、まだ食事の準備は完了していません。そこで待っていると、そのうちに意識が遠のく感じがしてきました。幻を見る前兆です。
天から降りてくる敷布
(11-12節) すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。

ペテロが見せられた幻は、天から大きなカーペットが降りてきて、その上に多くの動物が乗っていました。さまざま種類の獣、爬虫類や両生類、虫、鳥たちです。
天の声とペテロの返答
(13-14節)そして彼に、「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえた。しかし、ペテロは言った。「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」

次に、天から声が聞こえてきました。その声は、ちょうどおなかがすいていたペテロに向かって、カーペットの上の動物たちを食べなさいと命じました。しかし、ペテロはそれを断ります。それは、ユダヤ人の伝統に反するからです。

神さまがモーセを通してユダヤ人に与えた命令体系、モーセの律法には、食べてよいきよい動物と、食べてはならないきよくない動物が明確に区別されていました。食べてよい動物は以下の通りです。
  • 獣の場合、ひづめが分かれていて反芻するもの(牛、羊、山羊、鹿などはOKだが、馬や豚やウサギなどはNG)
  • 水生生物の場合、ヒレと鱗があるもの(サケやマスやフナなどはOKだが、クジラやウナギやタコやナマコなどはNG)
  • 鳥は、禿鷲、禿鷹、黒禿鷹、鳶、隼、烏、だちょう、夜鷹、かもめ、鷹、ふくろう、鵜、みみずく、白ふくろう、森ふくろう、野雁、こうのとり、鷺、やつがしら、こうもり以外のもの(鶏、ウズラ、鳩など)
  • 羽があって跳躍するための長い足がある虫(バッタ、イナゴなどはOKだが、それ以外の虫や爬虫類や両生類はNG)
ただし、食べてよいきよい動物でも、自然死したものは食べてはなりませんでした。また、獣の肉は完全に血抜きする必要がありました。

イエス・キリストが十字架にかけられたとき、モーセの律法は役割を終えました(ガラテヤ3:24-52、エペソ2:14-16、コロサイ2:13-16参照)。ですから、もはや何を食べても問題ありません。(ローマ14:20b)すべての食べ物はきよいのです。

しかし、この時期のクリスチャンたちは、まだそのことをはっきりとは認識していませんでした。これまで律法に従った食生活をしてきて、それが当たり前になっていたペテロは、禁じられてきた食材を食べろと言われて抵抗を感じます。それで「そんなことはできません」と断ったのです。
天の声の叱責
(15節)すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」

また天から声がありました。2つのことを言っています。
  1. 神は、ペテロの前の動物たちをすべてきよいものだと宣言なさった。すなわち、かつてはきよくないとされていた動物も、今はきよい
  2. だから、ペテロはそれらの動物のことをきよくないと評価してはいけない
目の前の動物はすべてきよいものです。ですから、ユダヤ人であるペテロが食べても問題ありません。天からの声は、そのことをペテロに教えました。
3度繰り返されるやりとり
(16節)このようなことが三回あってから、すぐにその入れ物は天に引き上げられた。

天からの声、すなわち神さまからの言葉にもかかわらず、ペテロは抵抗感を拭い去れることができませんでした。長年忌み嫌っていたものを食べるというのは、生理的に受け付けなかったのでしょう。

そこで、同じやりとりがあと2回繰り返され、カーペットは天に引き上げられていきました。こうしてペテロは我に返りました。
到着した使者たち
(17-18節)ペテロが、今見た幻はいったいどういうことだろうか、と一人で思い惑っていると、なんと、コルネリウスから遣わされた人たちがシモンの家を捜し当てて、その門口に立ち、声をかけて、「ペテロと呼ばれているシモンはここに泊まっていますか」と尋ねていた。

幻を見せられたペテロは戸惑いました。意味が理解できなかったからです。それであれこれ考えていると、コルネリウスが使わした使者たちがペテロのいる家に到着しました。

この後のことは来週詳しく取り上げますので、ここでは簡単に紹介します。

コルネリウス一家の救い

幻の意味を悟ったペテロ
ペテロに会うことができた使者たちは、自分たちがここに遣わされた経緯を説明しました。そして、コルネリウスの元に来てくださるようお願いしました。
モーセの律法は、ユダヤ人が異邦人と交流することを厳しく禁じていました。これは、ユダヤ人が異教徒の風習を取り入れて、異教礼拝や偶像礼拝に走ることがないようにするためです。

神さまは、ユダヤ人を通して全世界の人々を救いに導こうと計画していらっしゃいます。ですから、ユダヤ人が異教礼拝・偶像礼拝に染まっては意味がありません。そのため、ユダヤ人が霊的に成熟するまで、異邦人との接触が制限されたのです。

そのようなわけで、異邦人が聖書の神さまを信じ、ユダヤ人と同じように礼拝したり、祭りに参加したりしたいと思うなら、割礼を受け、モーセの律法に従う生活をするという誓約をして、正式にユダヤ教徒にならなければなりませんでした。異邦人のままではダメで、ユダヤ人のようにならなければいけなかったのです。

それなのに、ペテロはコルネリウスに会いに行きました。コルネリウスは異邦人のままであり、正式にユダヤ教徒になっていないにもかかわらず、です。それは、ペテロが幻の意味を理解したからです。

福音書の時代のユダヤ人は、異邦人のことを汚れた存在だと考えていました。しかし、カーペットの上の動物を神さまがきよいと宣言なさったように、神さまは異邦人のこともきよめられました。ですから、もう異邦人のことを汚れた存在だと評価してはなりません。

神さまはユダヤ人を愛し、イエスさまの十字架と復活によって罪から救おうとしておられるように、異邦人のことも愛し、一方的に罪を赦して救おうとしていらっしゃいます。あの幻は、そのことを教えるためだとペテロは気づいたのです。

そこで、コルネリウスに救いのメッセージを語るため、ペテロは彼の元に向かいました。
福音を語るペテロ
コルネリウスの家に到着すると、コルネリウスはペテロを喜んで迎え入れました。そこには多くの人が集まっていました。

ペテロはコルネリウスや他の人たちに、イエス・キリストが罪の赦しをもたらしてくださり、救いを与えてくださることを語りました。

本来、人間には罪があります。罪とは神さまの存在やすばらしさを否定し、神さまに逆らう性質です。そして、罪ある人間は、本当なら神さまによるさばきを受けて、永遠の苦しみという罰を招くはずでした。

しかし、イエス・キリストが私たちの身代わりとして十字架にかけられたことによって、私たちが負うはずだった罪の罰は取り除かれました。

そして、恵みの福音、すなわち「この自分の罪が赦されるためにイエスさまが十字架にかけられた。死んで葬られ、3日目に復活した」ということを事実だと信じ、受け入れたなら、本当に罪が赦され、それどころ神さまの子どもとされて、永遠に祝福をいただくことができます。
救われたコルネリウスたち
ペテロのメッセージを聞いていたコルネリウスたちに、ある現象が起こります。これについては来週お話ししますのでお楽しみに。とにかくその現象によって、ペテロはコルネリウスたちが救われたことを確信しました。イエスさまの十字架と復活を信じるなら、異邦人はユダヤ人のようにならなくても、異邦人のままで救われるのです。

それでは、ここから何を学ぶことができるでしょうか。ペテロは、常識として異邦人はきよくないと考えていて、交流を避けていました。ですから、伝道の対象としても捕えていませんでした。しかし、幻を見せられて「神がきよめたものを、きよくないなどと言うな」と諭されたことで、その間違いに気づかされました。

時代が変わってモーセの律法の役割が終わったことにより、そしてイエスさまの十字架の死により、あなたはきよい存在となりました。そして、あの人もきよい存在です。そういう前提で、自分や他の人のことをとらえてみましょう。すると、どんなふうに見方や対応が変わってくるでしょうか。

2.自分や人のことをきよい存在だと考えよう

価値がある

きよいということは、その人には価値があるということです。プラスだということです。

子どもや人に何かを教えたり、アドバイスしたりするとき、私たちは「悪いところを見つけて直す」というアプローチをしがちです。すると、相手は「お前は悪い」と言われているように感じて、かえって落ち込んだり、反発したりする場合があります。

また、自分がもっと成長したいという場合でも、悪いところを直すというアプローチでは、かえって力が出ないという人もいます。それは、「自分はダメだ」と無意識に宣言しているようなものだからです。

しかし、「神さまが自分を/この人を、きよいと宣言しておられる」ということを受け取った人は、こういう「マイナスからプラス」の関わりから、「プラスからプラス」の関わりにシフトしていきます。

ダメだから直すではなく、「あなたはすばらしい。つまり、可能性に満ちている。だから、今よりももっと良くなれる」というアプローチですね。

具体的には、相手の良いところを見つけて、それを指摘する。つまり、ほめるとか励ますとか感謝するとかいうことです。

あなたの感覚では「どこがプラス?」と思われるかも知れません。「いいところがないのに、ほめられない」とおっしゃるかも知れません。

しかし、きよいかきよくないかを決めるのは私たちの感覚ではありません。人間の常識でもありません。きよいかどうかを決めるのは神さまです。そんな権限を持っておられる神さまが、あなたのことを「きよい」とおっしゃっています。

ですから、あなたの中にはすばらしい宝物がたくさんあります。他の人の中にも宝物がたくさんあります。そう信じて探してみてください。絶対に見つかりますから。
この話をお読みください。
ある看護師さんの証しを聞きました。

この方(仮に広美さんということにしておきましょう)は、一生懸命に仕事に打ち込まれ、気づいたら独身のまま30才の誕生日をお迎えになっていました。このまま仕事仕事の人生も寂しいなあと思うようになりましたが、やっぱり仕事が忙しく、なかなか思うような出会いがありません。

そんな時、他の科から若い看護師さんが転属して来ました。「あっちの科でも嫌われてたらしいわよ」という同僚の言葉通り、この若い看護師さんは、ことあるごとに広美さんの疳に障るようなことを言うのです。「どうして結婚しないの?」「結婚したくないの?」「恋人、いないの?」……。

そのたびに、広美さんはイライラ、ムカムカしていましたが、内向的な性格なので、それを相手にぶつけることもできないで、トイレで悔し涙を流すのでした。

そんな折り、不思議な導きで、広美さんは教会に通うようになりました。そして、神さまは、今そのままの自分を愛し、宝物と呼んでくださっているということを知りました。結婚してもよし、しなくてもよし。何を持っていてもいなくても、何をしてもしなくても、神さまの愛は変わらないことを知りました。広美さんは、その神さまの愛を受け入れ、程なく洗礼を受けます。

すると、あの若い看護師さんの意地悪も、あまり気にならなくなりました。むしろ、いつものように「結婚は?」と言われた時、思わず心からこう返事してしまいました。「心配してくれて、ありがとう。うれしいわ」。相手は、一瞬面食らったようですが、すぐに体勢を立て直して、「あら、皮肉なのに」。それでも広美さんは、にっこり笑って言いました。「またまたー。あなたが言っても、ちっとも皮肉に聞こえないわよ。だって、あなたって優しいもの」。

若い看護師さんは、しばらく硬直していましたが、やがてぽろぽろと涙をこぼし始めました。「優しいなんて言われたの、生まれて初めて……」。今、彼女は広美さんの腹心の友となり、一緒に教会に通っています。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

必ず幸せになれる

きよい、すなわち神さまに受け入れられているということは、必ず幸せになることができるということです。聖書の神さまは、全知全能。どんな問題よりも強く、悪魔よりも賢いお方です。そんなお方があなたを愛し、あなたの味方でいてくださるのですから、絶対に幸せになるに決まっています。

私たちは、問題に直面すると心が震えます。恐れ、焦り、戸惑います。しかし、「神さまは全知全能。だから大丈夫」と、自分に言い聞かせ、励ましましょう。

そのように「何があっても大丈夫」と、あなた自身が思えている分だけ、他の人に「大丈夫」が伝わって励ましになります。

この話をお読みください。
2019年12月22日)

クリスチャンで国際弁護士の佐々木満男さんが、シリアからインドに向かう飛行機に乗ったときの話です。突然、ドンという不気味な音が聞こえました。佐々木さんが窓の外を見ると、エンジンから黒い煙が出ているのが見えました。驚いた佐々木さんがそのことを客室乗務員に伝えると、その人はにっこり笑って「心配いりません。大丈夫です」と答えました。

間もなく飛行機は降下を始めました。そして、機長からサウジアラビアの空港に緊急着陸するというアナウンスが流れました。乗客は騒然としましたが、あの客室乗務員は微笑みを絶やさず、「大丈夫ですから安心してください」と乗客を励まし続けました。

引火爆発の危険もありましたが、着陸は成功しました。そして、乗客乗員は全員無事に地上に降り立ちました。脱出後、佐々木さんはあの客室乗務員を見つけてこう訪ねました。「どうして、あんな状況で冷静でいられたのですか?」 すると、その人はまたも笑顔を浮かべてこう答えました。「それは、イエス・キリストを信じているからですよ」。

あなたにもそのような喜び、感動、希望、勇気、平安が用意されています。イエスさまはそのためにこの地上に生まれてくださいました。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

神のわざを行なうことができる

神さまにきよめられ、神さまに受け入れられているということは、神さまがあなたと共にいて、あなたを助けてくださるということです。あなた自身には大きな事を行なう力が無くても、神さまがあなたを助けてくださいます。

この話をお読みください。
アメリカの話です。その女の子は寝たきりでした。足が生まれつき不自由だったのです。

その日はママの誕生日でした。パパが大きな包みを抱えて帰ってきました。「ダディ、それなあに?」「ママへのバースディ・プレゼントさ。ママは2階にいるのかい?」

すると、その女の子は目をきらきらさせて言いました。「ダディ、そのプレゼント、私にちょうだい。私がマミィの所に持って行くから。私、自分で持って行きたいの」。

「だってお前……」。お前は歩けない。どうやって持って行くと言うのだ……。でも、もちろんそんなこと口に出せるはずがありません。

しかし、困惑する父親をよそに、娘は一生懸命主張しました。「私が自分で持って行きたいの。お願い、ダディ」。

パパは、半ば仕方なくプレゼントの包みを娘に渡しました。娘は、その包みをしっかりと両腕に抱え込むと、にっこり笑って言いました。「ダディ、じゃあ私を抱きあげて。そしてマミィの所まで運んでちょうだい」。

神さまは、なぜ救いの計画を実現なさるのに、私たち人間をお用いになろうとしたのでしょう。ご自身や天使の方が、ずっと上手にやれるでしょうに。そのことがずっと不思議でした。

でも、このお話を聞いたとき、神さまは私たちを子として扱っておられるのだと思いました。「お前がやってごらん。わたしが助けてあげるから」。
(当サイト「ショートエッセイ」より)

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