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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

第一回伝道旅行への出発

使徒の働きシリーズ18

使徒の働き13章1節〜13節

(2025年4月13日)

バルナバとサウロ(パウロ)が、第一回伝道旅行に出発したという記録です。

礼拝メッセージ音声

参考資料

続きを読む 1節の「アンティオキア」は、現在のトルコのアンタキヤ。ピシディア(小アジア中部)にありました。シリアにも同名の都市がありますが(パウロたちが伝道旅行に出発した町)は、区別するためにそれぞれ「ピシディアのアンティオキア」「シリアのアンティオキア」と呼ぶことがあります。

1節の「ニゲル」はラテン語で黒いという意味です。そこで、シメオンの肌の色が黒かったか、アフリカで生まれ育った人だったことが推察できます。なお、シメオンはイエスさまの代わりに十字架を背負わされたクレネ人シモンだという説があります(真偽不明)。

1節の「クレネ」は北アフリカ(今のリビア東部)にあった都市。アンティオキアで異邦人に伝道を始めたのは、キプロスやクレネ出身のユダヤ人でしたから、もしかしたらルキオはその一人だったかもしれません。

1節の「領主ヘロデ」はバプテスマのヨハネを殺したヘロデ・アンティパス。

4節の「セレウキア」はアンティオキアの外港。「キプロス」は小アジアの南にある島。

5節の「ヨハネ」は、バルナバのいとこで(コロサイ4:10)福音記者であるマルコ。

5節の「サラミス」はキプロス島の東部、「パポス」は西部にあった町。
<第一回伝道旅行のルート>
  • 【往路】シリアのアンティオキアとセレウキア → キプロスのサラミスとパポス → パンフリアのペルゲ → ピシディアのアンティオキア → リカオニアのイコニオンとリステラとデルベ
  • 【復路】デルベからペルゲまでは往路の逆ルート。その後アタリア → シリアのアンティオキア

イントロダクション

聖書は、私たちが望むことが何でもかなうバラ色の人生を約束してはいません。しかし、本当の幸せ、本当の喜び、本当に充実した人生が私たちのものになることを教えています。今日は、どのようにすればそのようなすばらしい人生が私たちのものになるか教えていただきましょう。

1.第一回伝道旅行

バルナバとサウロの派遣

アンティオキアの指導者たち
(1節)さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。

前々回、世界的な飢饉が起こったという話をしました。預言者アガボの預言によってあらかじめそれを知らされていたアンティオキア教会の人々は、元々迫害で貧困にあえいでいたエルサレム教会の兄弟たちを支援するために、金品を送ることにしました。

支援物資をエルサレムに届けたのは、アンティオキア教会の指導者であるバルナバとサウロです。これが紀元47年と考えられます。そして、今回の話は、その翌年のことです。

この頃、アンティオキア教会には、1節に書かれているような指導者たちがいました。
聖霊による命令
(2節) 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。

アンティオキア教会の人たちが神さまを礼拝していました。断食もしていますから、特別な祈祷会のような集まりだったのでしょう。何を祈っていたのかは分かりませんが、エルサレム教会への支援が一段落して、今後自分たちが何をすべきか示してくださるよう祈っていたのかもしれません。

すると、聖霊なる神さまが教会に語りかけました。1節に書かれているように、アンティオキア教会には預言者がいましたから、その一人を通してみこころが示されたのでしょう。その内容は、バルナバとサウロを特別な働きに就かせるようにというものでした。

「聖別する」というのは、「神さまのために他のものから区別する」という意味です。バルナバとサウロは、神さまの働きのために特別に選ばれ、任命されました。

「わたしが召した働き」が何なのか、この箇所には書かれていません。しかし、この後すぐにバルナバとサウロはキプロスと小アジアへの伝道旅行に派遣されます。ですから、そのことも一緒に示されたはずです。
断食の祈りと按手による派遣
(3節)そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。

聖霊さまによる命令を聞いた教会の人々は、この働きの成功のために断食の祈りをしました。そして、手を置きます。これはバルナバとサウロを海外宣教師として送り出すための任命式です。 これから二人は、約1年半から2年弱に渡る伝道旅行に出かけます。

キプロス伝道

キプロスへの渡航
(4節)二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、

バルナバとサウロは、アンティオキアの近くにある港町セレウキアに向かいます。二人はアンティオキアの教会から伝道旅行に派遣されました。しかし、この箇所には「聖霊によって送り出され」と書かれています。二人を選んで伝道旅行に遣わしたのは、人間的な計画によるのではなく聖霊なる神さまの導きによります。

セレウキアの港に到着したバルナバとサウロは船出して、キプロス島に向かいました。このキプロスはバルナバの出身地です。
サラミスでの伝道
(5節)サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。

まず着いたのはサラミスという町です。二人はユダヤ人の会堂(シナゴーグ)に行って伝道しました。会堂は、13歳以上のユダヤ人男性が10人以上いる地域に造られました。会堂では、礼拝をささげたり、律法を学んだりするほか、ユダヤ人共同体の問題について話し合ったり、行事を行なったりする集会所としての役割も果たしていました。

外国に宣教に来たのに、まずユダヤ人の会堂に行ったのは、それが神さまのご計画だからです。神さまは、全世界の民族を救いに導くためにユダヤ人を選び、ユダヤ人によって救いのメッセージが全世界に届けられることを計画なさいました。

神さまは、ユダヤ人の先祖であるアブラハムにこうおっしゃっています。

(創世記12:3)地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

この伝道旅行は神さまによって示された働きですから、神さまのみこころに従って実行されなければなりません。ですから、バルナバとサウロは、まずユダヤ人に伝道して、それから異邦人のところに向かうという順番を守ろうとしているのです。

さて、この箇所には、バルナバとサウロのほかにもう一人同行者がいたことが記されています。ヨハネという青年です。この人はバルナバのいとこで、後にマルコの福音書を書くことになるマルコです。

マルコは元々エルサレムに住んでいましたが、バルナバたちが支援物資を届けに来た帰りに同行して、アンティオキアにやってきました(使徒12:25)。そしてバルナバたちは、今回の伝道旅行にマルコを助手として連れてきていました。

マルコには、宿の手配や食料の調達などの細々した雑用をこなしてもらうほか、バルナバやサウロのやり方を身近で見ることによって、伝道者としての実地訓練を受けさせる目的もありました。マルコは将来を期待されていた青年だったのです。

キジ島のイコン(18世紀作)
(画像引用:Wikipedia)
魔術師バルイエス
(6節-7節前半)島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。

バルナバたちはキプロス中を伝道しながら巡り、最後にパポスに到着しました。ここにはローマから遣わされた地方総督が駐在していました。このときの地方総督はセルギウス・パウルスという人です。
  • イエスさまを十字架につけたポンテオ・ピラトはユダヤ地方の属州総督でしたが、こちらは皇帝によって直接任命されました。軍事的に重要な地域に置かれ、軍隊を統率していました。
  • 一方、地方総督は元老院によって任命されました。軍隊を指揮することはありません。
このセルギウス・パウルスのところに、バルイエスという人が滞在していました。バルイエスとは「イエスの息子」という意味ですが、イエスという名前は旧約聖書だとヨシュアで、ユダヤ人にはよくある名前です。

このバルイエスはユダヤ人ですが、魔術師でした。魔術によって知った知識によって、人々にさまざまなアドバイスをしていたのでしょう。そこで、聖書は彼のことを偽預言者と呼んでいます。

政治家が今後の方針を決めるのに占いや魔術の類いに頼るのは、特に古代においてはよくあることでした。セルギウス・パウルスも、政治に関する助言を得るためにバルイエスをそばに置いていたのだと思われます。
地方総督の求道心
(7節後半)この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。

一方で、このセルギウス・パウルスは聡明な人でした。聖書において「賢さ」とは知性が高いという意味ではなく、神さまを信じる心があるという意味です。逆に「愚かさ」とは、神さまを信頼せず従おうとしない自己中心的な態度のことです。

(箴言1:7)【主】を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。
(詩篇14:1)愚か者は心の中で「神はいない」と言う。

同じ政治家でも、イスラエルの指導者たち、ユダヤ総督ポンテオ・ピラト、あるいはガリラヤ国主ヘロデ・アンティパスは、イエスさまの教えにまったく興味を示しませんでした。

しかし、「聡明な人」と評価されているキプロス地方総督セルギウス・パウルスは、バルナバとサウロが語る神さまの言葉に興味を持ちました。そして、詳しく話を聴くために二人を官邸に招きました。
バルイエスによる妨害
(8節)ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。

魔術師バルイエス、別名エリマは、バルナバとサウロの話を公然と批判しました。セルギウス・パウルスが恵みの福音を信じて救われないよう邪魔をしたのです。
パウロによる叱責
(9節-11節前半)すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」

そんなバルイエスに向かって、サウロが立ち向かいました。ここで、パウロというおなじみの別名が登場し、以降はずっと使徒の働きの中でパウロと呼ばれるようになります。サウロはヘブル語の名前で、パウロはギリシア語の名前です。

パウロはバルイエスをにらみつけると、彼を罵りました。バルイエスのことを「あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵」と呼び、主のまっすぐな道を曲げることをやめない」と言います。なかなかの悪口ですね。

しかし、その罵りの言葉は、パウロが感情的になって勝手に語ったものではありません。パウロは聖霊に満たされて宣言しています。その言葉は、神さまが語らせた神さまからのメッセージです。

それからパウロは、バルイエスに神さまのさばきが下って、目が見えなくなると宣告します。
これをパウロが宣言したというのがミソです。かつてパウロも、バルイエスと同じようにイエスさまとその教えに反対していました。そして、教会を激しく迫害し、多くのクリスチャンたちを捕えて牢に入れたり死刑にしたりしました。

しかし、ダマスコに向かう途中で、天からの強い光を浴びて一時的に目が見えなくなってしまいます。そして「どうして私を迫害するのか」というイエスさまの声を聞きます。その後、イエスさまが遣わされたアナニアによって目をいやされ、救われて洗礼を受けました。

バルイエスが一時的に目が見えなくなったのも、最終的なさばきではありません。悔い改めに導こうとする神さまの恵みのわざです。その証拠に、バルイエスが日の光を見ることができなくなるのは「しばらくの間」だと、パウロは語っています。
盲目になったバルイエス
(11節後半)するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。

パウロがさばきを宣告すると、すぐにバルイエスの目は見えなくなりました。

このさばきは悔い改めに導きたいという、神さまのあわれみが込められているということを話しました。しかし、この後バルイエスが悔い改めてイエスさまを信じたかどうかについては、聖書も教会の伝承も語っていません。

神さまの愛、イエスさまの恵みはすべての人に注がれています。しかし、その恵みを受け取って信じるかどうか、イエスさまに従う生き方に変わるかどうかは本人次第です。 そして……
地方総督の回心
(12節)総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。

地方総督セルギウス・パウルスは、信じる方を選びました。これまでセルギウス・パウルスはバルイエスを信頼し、彼の言葉を政治判断の参考にしていました。しかし、そんな力あるバルイエスをパウロが語るイエスさまは屈服させてしまいました。

そこで、セルギウス・パウルスは心を開いて、パウロとバルナバが語るイエスさまに関する教えを真剣に聴き、信じて救われます。

小アジアへの渡航

マルコの離脱
(13節)パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。

以上のように、キプロスでの伝道は大成功に終わりました。パウロたちは、パポスを船出して、パンフィリア地方のペルゲに渡りました。そこから小アジア中央部の町々を巡って伝道するためです。

ところが、そのような喜びに満ちたパウロとバルナバに、とんでもない出来事が襲います。それは、伝道者として将来を期待され助手として同行していたマルコが、ペルゲで脱落してエルサレムの実家に帰ってしまったのです。
帰国の理由について、聖書には書かれていませんが、いろいろな説が唱えられています。いくつか紹介しますと、
  1. この先の旅行の大変さを思って気後れした。 この先は険しい山岳地帯を越えていかなければなりません。
  2. ホームシック。
  3. パウロがリーダーシップを取り始めたことへの不満。それまでは「バルナバとサウロ」という書かれ方をしていましたが、この章から「パウロとバルナバ」と書かれるようになります。二人の役割が変化して、パウロが旅行や伝道の主導権を発揮し始めたものと考えられます。マルコはバルナバのいとこなので、それが不満だったという説です。
  4. 伝道方針の不一致。パウロやバルナバは異邦人に抵抗がありませんでしたが、ユダヤ人クリスチャンの中には異邦人伝道を積極的に行なうことについて懐疑的な人たちもいました。マルコもそうだったために反発したという説です。
マルコの脱落というアクシデントが起こりましたが、それでもパウロとバルナバは伝道旅行を続けました。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.聖霊の導きに従おう

アンティオキア教会の人たちは、聖霊なる神さまによって示されて、バルナバとサウロを宣教師として伝道旅行に派遣しました。そして、聖霊さまが二人を導いてキプロス島に渡らせました。さらに、パウロは聖霊さまに満たされて、伝道の邪魔をするバルイエスと対決しました。

私たちも、聖霊なる神さまの導きに従って行動しましょう。それが本当に幸せな人生、力ある人生、充実した実り多い人生をもたらします。この点に関して3つ申し上げます。

(1) 聴く

聖霊なる神さまの導きに従うためには、まず導きを知る必要があります。アンティオキア教会の人たちが聖霊さまの語りかけを聴いたように、私たちも聖霊さまの声を聞かなければなりません。

では、どのようにして聖霊さまのみこころを知ることができるでしょうか。
祈り
神さまにみこころを教えてくださるよう祈りましょう。すると聖霊さまはみこころを示してくださいます。それは祈っている最中かもしれませんし、普段の生活をしているときに突然示されるかもしれません。

私たちは特定の状況で導きを求める場合があります。将来どのような仕事を選べばいいか迷っているとか、何か問題が起こってどう対処していいか分からないときなどです。しかし、特に導きを求めていない場合もあります。

たとえ私たちの側で差し迫った必要がなくても、聖霊さまが私たちに何かをするよう語りかけてこられる場合があります。いつ語られてもかまわないよう、そのことを心のどこかで意識し、覚悟しておきましょう。すなわち、普段から「いつでも私にみこころをお示しください。私はそれに従います」という祈りを積み重ねるのです。

祈りの中でみこころが示される場合、何かの言葉やイメージが強烈に心に響く場合があります。また、それほどの劇的な体験はなくても、心の奥底に静かに「この道を進みなさい」という思いがわき上がってくることもあります。

いずれの場合も、さらにそれに関して祈っていると、心の中に「これで良い」という静かな平安を感じるはずです。その場合には、自分の勝手な思い込みではなく、聖霊さまが語っておられる計画かもしれないと判断できます。
他のクリスチャンの意見
今回の伝道旅行の計画は、個人ではなく教会に示されました。何か神さまが自分に語りかけておられると感じたときには、教会の仲間に相談して一緒に祈ってもらいましょう。それがみこころならば、聖霊さまは他のメンバーにもそうだということを示してくださいます。

私は大学4年生の時に、故郷の小学校の教師になることが決まっていたのですが、神さまによってそれを辞退して伝道者になるよう導かれました。そこで、そのことを牧師や他の教会の仲間たちに告白しました。すると、他の人たちも「確かに増田くんが牧師になることは、神さまのみこころだと思う」と答えます。

私としては、自信はまったくありませんでしたし、むしろ自分の夢を捨てるのは苦しいことでした。しかし、教会の人たちに応援されたことで勇気をもらい、ついに牧師になることを受け入れました。これまで数限りなく失敗してきましたが、それでも今この中通りコミュニティ・チャーチという教会がここに存在するという実を、神さまは結ばせてくださっています。

同じ頃、別の人も「自分は牧師になるよう導かれている」と言いました。しかし、その人に関して教会の人たちは、「別の道に進むことがみこころだと思う」と言いました。その人は改めて祈りながらみこころを求め、ビジネスマンとして働きながら出会った人に伝道するという道を選びました。その結果、多くの人たちが教会に導かれて救われたのです。
状況
聖霊さまは、キプロスや小アジア、後にはヨーロッパにまで伝道者を送るというみこころを、アンティオキア教会に示されました。そしてその前に、アンティオキア教会では、異邦人伝道が積極的に行なわれるようになっていました。

私たちが神さまのみこころに添って行動し始めると、それを後押しするような出来事が次々と起こることがあります。

たとえば、これも以前お話ししたことですが、私は一度開拓伝道に失敗して教会を一つ潰しています。その時には二度と開拓伝道はするまいと固く心に誓ったものです。そんな私が1999年に福島の地でこの教会をスタートさせたのは、聖霊さまによる導きのためです。その際、短い間に私を開拓伝道に押し出すような出来事が次々と起こりました。
  1. あるとき恵みに関する本が目にとまり、それを読んで過去の失敗の傷から解放されました。そして、自分は恵みを他の人に伝えなければという思いにさせられました。
  2. その時はまだ家内の両親も若くて元気でしたが、将来的には近くに引っ越して、見守らなければならないという話が夫婦の間で出ました。
  3. 続いて、神学生時代の教授のメッセージについてのメモが出てきました。そこには「神学生諸君、開拓伝道を志しなさい」という教授の勧めが書かれていました。
  4. そして、東北の中では須賀川市の人口の伸びがすごいという事実を知りました。 しかも、教会の数が多くないということも。
こうして、いわば逃げ道をふさがれるようにして、私はこの場所で開拓伝道を始めることを決意させられました。このように、神さまは状況を整えてくださることによっても、みこころを知る手助けをしてくださいます。
幻や天使
頻度はそれほど多くないようですが、幻を見せられたり天使が現われて語りかけてきたりして、神さまのみこころが示されることがあります。

私には別に預言者ではありません。しかし、カウンセリングをしている最中に、相談にいらっしゃった方が過去に味わった出来事が頭の中に突然イメージとして現われることがありました。そして、それを相手に伝えたことで、その方が抱える課題の解決につながったのです。
聖書
祈りの中で何かの思いが浮かんできたり、他の人からアドバイスされたり、状況が次々と開けたり、幻や天使によって何かが語られたりしたとしても、最終的にはそれが聖書全体の教えに則っているか最終チェックしましょう。
聖書は、聖霊なる神さまが人間に預言の言葉を与えて書かせた神さまの言葉です。ですから、聖霊さまが聖書に反することを語られることはありません。

以上のようにして、私たちは聖霊さまの語りかけに耳を傾けます。

(2) 応答する

私たちに対する神さまのみこころを聞いて知ったなら、次に私たちがすべきことはそれを実行することです。

イエスさまは山上の説教の中で、イエスさまの言葉を聞いて行なう人が賢く、聞いても行なわない人は愚かだとおっしゃいました(マタイ7:24-27)。

アンティオキア教会は、聖霊さまの導きにすぐ応答して、バルナバとサウロを宣教使に任命して送り出しました。また2人も、マルコが途中離脱するというアクシデントが起こったり、今回の後の記事で触れられますがひどい迫害に遭ったりしても、みこころ通り伝道旅行を続けました。

(3) 満たされる

キプロスのパポスで魔術師バルイエスの妨害に遭ったとき、パウロは「聖霊に満たされて」(9節)彼に立ち向かいました。ただし、パウロやバルナバはこのときだけ聖霊さまに満たされていたわけではありません。聖書には次のような命令があります。

(エペソ5:18)また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。

ギリシア語には、1回限りの行動を求める命令形と、継続した行動を求める命令形の2つがあるのですが、ここで「満たされなさい」と訳されている言葉に用いられているのは、継続した行動を求める命令形です。つまり「御霊に満たされ続けなさい」ということです。

聖霊さまに満たされるとは、必ずしも恍惚状態や興奮状態になることではありません。自分の中に、神さまに明け渡していない領域が一つも無い状態を指します。仕事でも恋愛でも趣味でも将来の夢でも、すべて聖霊さまの好きなようになさってくださいという心の状態、これが聖霊さまに満たされているということです。

「これだけは神さまといえども触らせません。これだけは私の好きなようにします」という状態ではないということですね。
礼拝の心
今回の箇所で、アンティオキア教会の人々は神さまを礼拝し、祈っているときに聖霊さまの語りかけを聞きました。

礼拝では、神さまの栄光を現します。神さまのすばらしさを明らかにしてほめたたえることが礼拝の中心です。自分勝手な欲望のために聖霊さまの導きを求めるのではなく、神さまの栄光が現されること、神さまのすばらしさが明らかになることを第一としなければなりません。

罪とは、神さま以上に自分の思いを優先させることです。自分がその罪に陥っていたことに気づいたら、速やかに悔い改め、イエスさまがすべての罪を赦してくださっていることを確認しましょう。

そして、改めて聖霊さまが自分を満たしてくださり、あらゆる部分を支配して思い通りにしてくださるようお願いしましょう。

それから、自分が聖霊さまに満たされたことを信じて感謝します。「御霊に満たされなさい」というのは神さまの命令です。ということは、私たちが聖霊さまに満たされることは神さまのみこころです。そして聖書は、みこころに添った願いは必ず聞かれると約束しています・

(第1ヨハネ5:14)何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。
今週も聖霊さまに満たされ、聖霊さまの導きに従いながら、神さまが用意してくださっている本当の幸せへと着々と導いていただきましょう。

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

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