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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

パウロのエルサレムでの取り調べ

使徒の働きシリーズ35

使徒の働き22章22節~30節

(2025年8月17日)

第三回伝道旅行後にエルサレムでユダヤ人による暴行を受けた使徒パウロは、救出してくれたローマ軍によって取り調べを受けます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

24節の「千人隊長」(ラテン語でトリブヌス・ミリトゥム)は古代ローマ軍の将校で、約600人からなるコホートと呼ばれる大隊を指揮しました。階級としては百人隊長(ゲントゥリオ。60~80人からなる中隊の指揮官)の上位です。ここに登場する千人隊長は、クラウディウス・リシアという名前です(23:26)。

25節の「ローマ市民」は、ローマ市民権を持っている人という意味です。この当時、ローマ市民には、奴隷や属州の人々とは異なる特権が与えられていました。

イントロダクション

パウロは、ローマ兵たちから粗略な扱いを受け、さらにはむちで打たれようとしていました。ところが、パウロがローマ市民権という特権を持っているということが分かると、ローマ兵たちの態度が一変します。

ここから、私たちクリスチャンに与えられている特権について考えてみましょう。それにより、私たちはいつも喜びと希望に満たされて生活することができます。

1.ローマ軍によるパウロの取り調べ

ここまでのあらすじ

エルサレムでの誤解と暴行
紀元53年から57年にかけて、パウロは第三回伝道旅行に出かけ、小アジアやギリシア方面で伝道や教育を行ないました。

そして、その帰りにエルサレムに立ち寄ったパウロは、エルサレム教会の長老たちの助言に従って、ナジル人の誓願を終えた4人の人たちのきよめの儀式のために、経済的な援助をすることになります。そして、7日間続くきよめの儀式のために、毎日神殿に出入りしていました。

すると、それを見たユダヤ人の一部が、パウロが異邦人を神殿に連れ込んだと誤解します。そして、怒った群衆によってパウロは神殿の外に引きずり出され、暴行を受けて殺されそうになりました。
ローマ軍による救出
それを知ったローマ軍の千人隊長は、兵士たちを率いて出動しました。そして、パウロを民衆から引き離し、鎖につないで拘束します。そして、「この人は何をしたのか」と民衆に尋ねますが、民衆はそれぞれ好き勝手なことを叫ぶばかりで要領を得ないため、パウロの身柄をローマ軍の兵営に連れて行きました。
千人隊長の疑念とパウロによる否定
兵営の中で、パウロはギリシア語で千人隊長に話しかけました。すると、千人隊長は、パウロのことをあるエジプト人テロリストだと誤解しました。このエジプト人とは、最近エルサレムで暴動を起こして、4千人の仲間を連れて荒野に脱出した人物です。

このエジプト人について、聖書には今回の千人隊長の言葉以外に記録がありませんが、ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、次のような情報を残してくれています。
  • 名前は不明で、エジプトからやって来た偽預言者でした。
  • 彼は自分が神からの特別な導きを受けていると主張し、多くのユダヤ人を扇動しました。具体的には、オリーブ山に数千人の人々を集め、エルサレムの城壁が自分の言葉で崩れ落ちると預言しました(ですから、エジプト人と呼ばれていますが、おそらく人種としてはエジプト出身のユダヤ人です)。その結果、その集会が暴徒化してしまいます。
  • ローマ総督フェリクスが軍を差し向け、この暴動を鎮圧しました。 多くの者が殺されたり捕らえられたりしましたが、偽預言者本人は逃走して行方不明となりました。
そんなエジプト出身の偽預言者ではないかという疑念を抱いた千人隊長に対して、パウロは自分がタルソ出身のユダヤ人で、タルソの市民だと答えました。そして、兵営の前に集まった群衆に話をさせてほしいと千人隊長に願いました。
民衆への証し
千人隊長の許可を得たパウロは、人々の前に姿を現してヘブル語で話しかけました。その内容は以下の通りです。
  1. 自分はタルソ出身だが、長らくこのエルサレムで暮らした。そして、非常に尊敬されていたラビであるガマリエルの元で律法を学び、熱心に律法を守ってきた。
  2. そんな自分は、教会を迫害して、クリスチャンたちを捕えて死刑にしてきた。
  3. ダマスコでもクリスチャンたちを捕えようとしたが、その途上で強い光に打たれて目が見えなくなり、「なぜわたしを迫害するのか」というイエスの声を聞いた。
  4. イエスの指示通りダマスコに連れて行ってもらうと、そこでアナニアというクリスチャンによって目をいやしてもらった。そして、クリスチャンとなり洗礼を受けた。
  5. その後エルサレムの神殿を訪問したとき、夢心地になって救い主であるイエスの幻を見た。
そしてパウロは、その時に救い主イエスさまが語られた言葉を集まった群衆に話しました。

(21節)すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」
そして、今回交読した箇所のエピソードが始まります。

再度の騒ぎとむち打ちの指示

群衆の反発
(22節)人々は彼の話をここまで聞いていたが、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」

ここまで、群衆は静かにパウロの証しを聞いていました。ところが、主イエスさまがパウロに「あなたを異邦人に遣わす」と語られたという話をしたとき、群衆は再び騒ぎ始めました。そして、パウロのことを生かしておくべきではない、すなわち殺してしまえと叫び始めます。

それまで静かに聞いていたのに、いったいなぜでしょうか。それはパウロが、自分は異邦人伝道を行なうよう救い主から任命されたと語ったからです。

伝統的なユダヤ教では異邦人伝道そのものを否定していませんし、実際パリサイ人たちは異邦人に伝道していました。

(マタイ23:15)わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸を巡り歩く。そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ。

ただし、当時のユダヤ人の理解では、救われて将来神の国(天の御国)に入れるのはユダヤ人だけでした。

異邦人が神の国に招かれるには、異邦人のままではダメです。ユダヤ教に改宗して、割礼を受けモーセの律法を守る生活をしなければならない、すなわちユダヤ人のようにならなければ救われないと考えていたのです。

それなのに、パウロたちクリスチャンはその考えを否定して、異邦人は異邦人のライフスタイルのままで救われると教えています。

さらに、ユダヤ人もユダヤ人として生まれたというだけでは救われて神の国に入ることができず、異邦人と同じように罪を悔い改めて、イエス・キリストの恵みの福音を信じる必要があると説きました。

これは多くのユダヤ人にとって、ユダヤ人が神の民であることを否定して、異邦人と同列に扱うかのような暴言に聞こえました。それはユダヤ人の誇りを傷つけることでした。そこで、怒りに燃えてパウロを殺せと騒いだのです。
取り調べの指示
(23-24節)人々がわめき立て、上着を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、千人隊長は、パウロを兵営の中に引き入れるように命じ、なぜ人々がこのように彼に対して怒鳴っているのかを知るため、むちで打って取り調べるように言った。

大騒ぎする群衆を見た千人隊長は、彼らがどうしてそこまでパウロを憎むのか理解できませんでした。パウロがヘブル語で話していたため、話の内容が理解できなかったのです。

たとえヘブル語を理解できたとしても、ユダヤ教やキリスト教について詳しくなかったでしょうから、やっぱり群衆がどうしてここまでパウロを憎むのか理解できなかったことでしょう。

それでも、ここまで群衆が騒ぐからには、パウロが何かしらの罪を犯したのだと千人隊長は判断しました。そこで、パウロをむちで打ち、自白させるよう部下に命じました。

それにしても、自白が欲しければまずは言葉で尋ねればいいでしょうに、いきなり拷問とは何と乱暴なやり口でしょうか。しかし、これは当時のローマ兵たちの行動としては、特に珍しいことではありませんでした。それだけ、属州の人々は見下されていたということでしょう。

ローマ市民権を巡る問答

自分がローマ市民だと明かすパウロ
(25節) 彼らがむちで打とうとしてパウロの手足を広げたとき、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか。」

取り調べを担当する百人隊長は、兵士たちに命じてパウロをむちで打つための体勢にしました。

「手足を広げた」と書かれていますが、これは「革ひもで引き延ばす」という意味の言葉です。立ったまま、あるいは台に乗せられた状態で、手足をひもで縛り、左右に引っ張って背中をむちで打てるようにしたのです。

今まさにむちで打たれようとする直前、パウロは拷問を指揮する百人隊長に自分がローマ市民だということを明かします。そして、そんな自分のことを裁判なしにむちで打つことの是非を問いました。
ローマ市民というのは、ローマに住んでいる人のことではなく、ローマ市民権を持っている人という意味です。この当時、ローマ市民には、奴隷や属州の人々とは異なる特権が与えられていました。例を挙げると、
  1. ローマ帝国の官職の選挙権と被選挙権。
  2. 裁判を受ける権利と、控訴権。
  3. ローマ正規軍に入隊する権利。
  4. 公認の結婚をする権利。公認の結婚の結果生まれた子どもは、自動的にローマ市民となります。
  5. 人頭税や属州民税を課されない権利。
  6. 十字架やむち打ちなどの残酷な刑罰が免除される権利。
もしもパウロをこのままむちで打つなら、この特権リストの2番と6番を侵害したことになります。
百人隊長から千人隊長への報告
(26節)これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ市民です」と言った。

パウロの抗議を受けた百人隊長は、そのことを千人隊長に伝え、どうすべきか判断を仰ぎました。
千人隊長による確認
(27-28節)そこで、千人隊長はパウロのところに来て言った。「私に言いなさい。あなたはローマ市民なのか。」パウロは「そうです」と答えた。すると千人隊長は言った。「私は多額の金でこの市民権を手に入れたのだ。」パウロは言った。「私は生まれながらの市民です。」

報告を受けた千人隊長は、パウロの元にやってきて本当にローマ市民権を持っているのか確認しました。パウロはそうだと答えます。しかも、千人隊長はお金を支払ってローマ市民権を買い取りましたが、パウロは生まれつきの市民でした。

お金で買い取っても、生まれながらでも、ローマ市民としての権利の違いはありません。ただ、社会的な評価が違いました。

生まれながらの市民が名家の出身だとして尊敬されたのに対して、お金で市民権を買った人には元奴隷や地方出身者が多かったため、どうしても生まれながらの市民に比べて見下げられる傾向があったのです。

ここで千人隊長は、パウロが自分よりも高い社会的地位を持っていることを知らされることになりました。
恐れる千人隊長
(29節)そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。千人隊長も、パウロがローマ市民であり、その彼を縛っていたことを知って恐れた。

この当時、ローマ市民権は絶対の特権でした。この特権を侵害する者は、死刑になってもおかしくありません。そんなローマ市民権を持っているパウロを、千人隊長は危うく裁判なしにむち打ちにするところでした。

そこで、千人隊長は恐れを感じ、拷問による取り調べを中止しました。

レンブラント作「使徒パウロ」
(画像引用:Wikipedia
最高法院での取り調べ
(30節)翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人たちに訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を解いた。そして、祭司長たちと最高法院全体に集まるように命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。

パウロのことで恐れを感じた千人隊長ですが、彼は総督からエルサレムの治安維持を任されています。あわやリンチ殺人が行なわれようとしていた騒ぎが起こり、多くの民衆がパウロの死刑を求めて訴えているのですから、千人隊長にはパウロの罪状を探って、適切な対処をする責任があります。

そこで、千人隊長はパウロの鎖を解いて、イスラエルの裁判と自治を司る最高法院(サンヘドリン)に取り調べを任せることにしました。この続きは次回お話しします。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.自分が神の国の市民だということをいつも意識していよう

(1) 神の国の市民に与えられている特権を意識する

将来私たちクリスチャンは復活して、同じように復活する旧約時代の信者たちや、大患難時代を生き延びた信者たちと一緒に神の国(天の御国)に招き入れられます。黙示録20章によればこの王国は千年間続くため、千年王国とも呼ばれています。

千年王国は、救い主イエスさまが将来この地上に実現する、理想的な王国です。それはいったいどんな王国なのでしょうか。旧約聖書の中の預言には、千年王国に関するたくさんの預言がありますが、その一部をイザヤ書の中から紹介しましょう。
平和
(イザヤ2:2-4)主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

千年王国は、戦争の無い平和な世界です。
健康
(イザヤ35:5-6)そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。

千年王国では、病気や障がいに悩むことなく、みんなが健康に過ごします。
長寿
(イザヤ65:20)そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。

復活して千年王国の住民となった人たちは、もう罪を犯すことはありませんし死にません。ただ、大患難時代(イエスさまの再臨前7年間の苦難の時代)を生き延びた人たちは生まれながらの体を持っています。生まれながらの体には罪の性質が宿っているので、罪を犯すことがあるのです。

千年王国が始まった時点では住民は全員信者ですが、生まれながらの体を持つ人の中には、第二世代以降になるとイエスさまを信じない人も現れるようになります。

信者は、栄光の体を持っていない人でも死ぬことがなく永遠に生きますが、信者にならなかった人はやがて死を迎えます。それでも100歳まで生きることができます。
努力や正直さへの正当な報い
(イザヤ65:21-22)彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。

今のこの世は、努力してもすべてが100%報われるわけではありません。また、どんなに真面目にがんばっても報われないことがありますし、不正なことを行なう人が得をして正直者が馬鹿を見ることも少なくありません。しかし、千年王国では努力や正直な生き方が正当に報われます。
被造物の回復
(イザヤ11:6-9)狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。【主】を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。

この自然はどんなにすばらしく見えても、元々創造されたときに持っていたすばらしさを失っています。人間が自然を破壊するだけでなく、昨今の異常気象による災害や熊被害などに見られるように、自然が人間に対して牙を剥くこともあります。そんな不完全な世界が調和を取り戻します。

これらの祝福は、千年王国に住むことが許された私たちクリスチャンに将来与えられると約束されたものです。そうです、あなたにもこれらの祝福が与えられます。そのことを意識しましょう。
今与えられている神の国の祝福
しかも、神の国の祝福は、将来与えられるだけのものではありません。私たちはすでに神の国の市民です。

(エペソ2:19)こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。

神の国の完全な祝福は将来与えられますが、私たちクリスチャンには次のようなすばらしい特権がすでに与えられています。
  • 愛と恵みに満ちた神さまとの親密な交わりを得ています。
  • 信じた後に罪を犯しても、それを神さまに告白すれば、いつでも神さまとの関係を回復できます。すなわち、決して見捨てられることはありません。
  • 親が子どもの話に耳を傾けるように、神さまが私たちの祈りを聞いてくださいます。
  • 私たちの永遠の幸せを願う神さまが、最も良いと思われるものを、最も良いタイミングで、私たちに与えてくださいます。
  • それが神さまのみこころならば、いやしなどの奇跡でさえも起こります。
  • 聖霊さまが内に住み、私たちをきよめ、どうしてもやめられなかった罪深い行ないをやめたり、どうしてもできなかった正しいこと、特に神さまや人への愛を行なえたりできるようにしてくださいます。
  • そのほか、様々な精神的な束縛、恐れや不安、疑いなどから私たちを解放し、理由なく味わうことができる自由や平安、喜び、勇気、希望を与えてくださいます。
  • 内に住む聖霊さまは、私たちに賜物を与え、神さまや他のクリスチャンたちと一緒に、永遠に価値が損なわれない働きを地上で行なうことができるようにしてくださいます。
  • 聖書や聖霊さまの語りかけや状況などを通して、神さまが私たちが進むべき道、行なうべき事、知っておくべき真理などを教え、間違いのない正しい方向に導いてくださいます。
クリスチャンにはこのような祝福が、将来、そして今、与えられるということをいつも意識していましょう。

(2) 自分が神の国の市民となったという事実を意識する

使徒パウロは、自分がローマ市民権を持っていることを意識していて、最も効果的なタイミングでその権利を行使しながら伝道活動を行ないました。

そして、パウロはローマ市民権以外に、もう一つの市民権を持っていることも意識していました。それは千年王国、すなわち神の国、天の御国の市民権です。

(ピリピ3:20a)しかし、私たちの国籍は天にあります。

ここを新共同訳は、「私たちの本国は天にあります」と訳しています。今のこの世は、私たちが一時的に滞在している場所です。しかし、本当の所属は神の国です。
堅く信じ続けよう
また使徒ペテロは、私たちクリスチャンがこの世のさまざまな誘惑を退けて、自分がすでに神の国の市民権を持っているということを堅く信じ続けるよう勧めています。

(第2ペテロ1:10)ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。

私たちがイエスさまの恵みの福音を信じたとき、すべての罪が赦され、神の国の市民とされました。あなたがある日あるとき恵みの福音を信じたのなら、あなたは神の国の市民権を持っています。これは紛れもない事実です。

私がこの先死ぬまで外国に住むことになったとしても、日本国民であるという事実は変わりません。それと同じように、私がこの地上に生きていたとしても、私が神の国の市民だという事実は変わりません。
この世と悪魔の嘘に惑わされるな
ところが、この世も悪魔の勢力もさまざまな嘘を吹き込んで、私たちが神の国の市民権を持っているという事実、私たちが確かに罪赦され救われているという事実を疑わせようとします。

たとえば過去の失敗や罪を思い出させて、「こんなことをやらかしたお前の罪が赦されるはずがない」「こんなにも失敗を繰り返すお前は、もう神に愛されてはいない」などという嘘を吹き込んでくるのです。

だまされてはいけません。イエス・キリストの恵みの福音を信じることだけが、救われて神の国の一員となるための条件です。福音を信じたならば、その後どんなに失敗したとしても救いは取り消しにならず、神の国の市民権も剥奪されません。そのことをいつも意識していましょう。

(3) 神の国の市民の義務を意識する

私は日本国籍を持っていますから、日本の市民権を与えられています。すなわち、日本の憲法と法令によって、平等権、自由権、最低限度の文化的な生活を送る権利、参政権などの人権が保障され、国や福島県や須賀川市が提供する様々な公的サービスを受けることができます。

と同時に、私には日本の市民権を持つ者、日本国民としての義務も負っています。たとえば、法令を守り、能力に応じて働き、しっかり納税するなどの義務です。市民としての権利と義務は表裏一体です。

しかも、義務を果たすから市民権を得たのではありません。市民だから義務を果たすのです。私たちクリスチャンも、神の国の市民とされたので、その喜びから義務を果たそうとするのです。

(ヘブル12:28)このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。
神の国の市民にも、すばらしい特権と共に義務も与えられています。たとえば、聖書は次のような行ないを私たちに求めています。
神の命令に従う義務
(ヨハネ14:15)もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

クリスチャンは、律法ではなく恵みの下に置かれています。だからこそ、与えられた自由を自己中心に使うのではなく、神さまのみこころにかなう生き方をすることに使いましょう。
きよさを追い求める義務
(第1ペテロ1:14-15)従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

聖書が罪であると教えていることは、どんなに自分にとって得だと思えても離れましょう。
互いに愛し合う義務
(ヨハネ13:34)わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

神の国の市民はそれぞれ孤立した存在ではなく、共同体の一員です。互いに仕え合い、助け合い、励まし合い、愛し合うことが市民としての務めです。
福音を伝える義務
(マタイ28:19–20a)ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。

職業としての伝道者だけでなく、すべてのクリスチャンが、何らかの方法で他の人にイエスさまによる救いについて伝える責務があります。それは、すでに私たちが救いを体験しているからです。
この世の法令や秩序を尊重する義務
(ローマ13:1)人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。

この世の法令やルール、秩序が明確に聖書の教えに反しない限り、私たちは置かれている国やグループのルールに忠実に従い、最高のメンバーであることを目指しましょう。
主の再臨を待ち望む義務
(テトス2:13)(救いをもたらす神の恵みは)祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。

イエスさまが再臨して神の国が実現するとき、この世のあらゆる悪が滅ぼされます。そして、本当に価値あるものだけが残されます。

だからこそ、私たちは一時的なつまらないものに時間とエネルギーを費やすのではなく、神さまに従うことを第一として、これらの義務を喜んで守ろうとするのです。
まとめると、神の国の市民としての義務は、神に従い、きよく生き、互いに愛し合い、福音を証しし、世において良いわざを行い、主の再臨を待ち望むことです。

今週、私たちはすでに神の国の市民にされていることを意識しながら生活しましょう。

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