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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

パウロのサンヘドリンでの裁判

使徒の働きシリーズ36

使徒の働き23章1節〜11節

(2025年8月24日)

使徒パウロは、ユダヤのサンヘドリン(最高法院)で裁判を受けます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

続きを読む1節の最高法院(サンヘドリン)は、ローマ帝国支配下で自治を認められていたイスラエルの、国会と最高裁判所を併せたような最高決定機関。議長である大祭司の他、祭司やパリサイ人たち71名で構成されていました。

2節の「大祭司アナニア」は、ネデバイオスの子で、在位は47-59年頃。ユダヤの歴史家ヨセフスによるとアナニアは……
  • この頃の大祭司は、ローマの権力によって頻繁に交代させられていましたが、アナニアはローマ総督フェリクス(在位:52-59年)の庇護を受けて長く権勢を誇りました。
  • この頃の大祭司は、一般の祭司に分配されるはずの十分の一のささげものを私物化していましたが、アンナスは特に貪欲で取り立てがひどかったそうです。そのため祭司たちの中に餓死する人たちもいたと、ヨセフスは2回も記しています(ちなみに、ヨセフスも祭司の家の生まれです)。
  • 59年、ユダヤ人とサマリア人の抗争事件の責任を取らされて退位させられますが、その後も祭司たちからお金を取り上げていました。
  • 反対者には暴力も辞しませんでした。
  • 彼の強欲さとローマ寄りの姿勢が多くのユダヤ人の反発を生み、ユダヤ戦争勃発の頃(紀元66年)、熱心党によって殺害されました。
5節は、出エジプト22:28からの引用です。
(新共同訳)神をののしってはならない。あなたの民の中の代表者を呪ってはならない。

6節の「サドカイ人」と「パリサイ人」は、共にユダヤ教の神学的グループであるサドカイ派、パリサイ派に属する人のこと。

イントロダクション

さまざまな困難に直面すると、時に私たちは自分が本当に幸せになれるのかどうか、もしかしたらこれからどんどん不幸になってしまうのではないかと不安になることがあるかもしれません。

イエスさまは、そんな私たちを「必ず幸せになれる」と励ましてくださいます。今回の箇所を通して、励ましを受け取りましょう。

1.サンヘドリン(最高法院)でのパウロの振る舞い

大祭司アナニアの前でのパウロ

パウロの弁明
(1節)パウロは、最高法院の人々を見つめて言った。「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」

神殿でユダヤ人たちに捕えられ、殺されそうになったパウロは、エルサレムに駐屯していたローマ軍によって逮捕され、兵営に連れて行かれました。

駐屯軍の責任者である千人隊長は、パウロがユダヤ人たちにあれほどまでに憎まれているからには、きっと重罪を犯したのだろうと考えます。しかし、どうにもその内容が分かりません。

そこで、千人隊長はイスラエルの自治組織である最高法院(サンヘドリン)を招集して、パウロの裁判を任せることにしました。

サンヘドリンに立ったパウロは、集まった議員たちに向かって、自分は神さまの前で健全な良心に従って生きてきたと言いました。自分は、非難されるような罪を犯していないと主張したわけです。
大祭司アナニアの命令
(2節)すると、大祭司アナニアは、パウロのそばに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。

議長である大祭司アナニアは、パウロの言葉に怒りました。そしてその口を打つように命じます。アナニアが怒ったのはなぜでしょうか。

アナニアをはじめとするイスラエルの政治的・宗教的指導者たちは、パウロのことをモーセの律法に違反する罪人だと考えていました。それなのに、いけしゃあしゃあと自分は神の前に正しいと宣言したので怒りを覚えたのです。

それに、元々アナニアは大変暴力的な人物でした。参考資料にも書きましたが、この時代の歴史家ヨセフスは、アナニアが一般の祭司たちから金品を巻き上げて、反発をする者たちを手下を使って痛めつけていたと非難しています。

フラウィウス・ヨセフス
(画像引用:Wikipedia)
パウロの反発
(3節)そこで、パウロはアナニアに向かって言った。「白く塗った壁よ、神があなたを打たれる。あなたは、律法にしたがって私をさばく座に着いていながら、律法に背いて私を打てと命じるのか。」

アナニアのむちゃくちゃな命令を聞いたパウロは、殴られる前にアナニアを非難しました。

まず、アナニアのことを「白く塗った壁」と呼びました。内面は醜く汚れているのに、表面ばかり立派に見せている人のことを指す表現です。イエスさまも、宗教的指導者たちのことを「白く塗った墓」と呼んで批判しました(マタイ23:27)。こちらはさらにひどい表現ですね。

そしてパウロは、アナニアが神のさばきを招くと言いました。それは、アナニアが宗教裁判の席に着きながら、本来守らなければならないモーセの律法の教えを無視してパウロに暴行を加えるよう命じたからです。違反している聖書箇所を2つ挙げておきます。

(申命記25:1-2)人と人との間で争いがあり、その人たちが裁判に出頭して、正しいほうを正しいとし、悪いほうを悪いとする判定がなされたとき、もしその悪い者がむち打ちにすべき者なら、さばき人は彼を伏させ、自分の前で、その邪悪さに応じた数だけ打たなければならない。

この箇所は、判決が出る前に罰を与えることを禁じています。パウロの口を打てという命令は、裁判の冒頭、すなわち判決前に出されましたから違反です。

(レビ記19:15)裁きを曲げてはならない。貧しい者をひいきし、また大いなる者をかたむけてはならない。正しくあなたの隣人を裁かなければならない。

この箇所は、公正な裁判を求めています。理性的に判決を下すのではなく、感情にまかせて罰を与えることは違反です。

パウロを一方に違反する者として裁こうとしているのに、アナニアは自ら律法に違反していたのです。だからパウロはアナニアの発言を非難しました。
人々の非難とパウロの返答
(4-5節)すると、そばに立っていた者たちが「あなたは神の大祭司をののしるのか」と言ったので、パウロは答えた。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはならない』と書かれています。」

すると、何人かの人たちが、パウロが大祭司をののしったことを非難しました。するとパウロは、確かにモーセの律法(出エジプト22:28)には、民の指導者を悪く言ってはならないという命令があることを認めつつ、自分はアナニアが大祭司だとは知らなかったと釈明しました。

これは、「こんな奴が大祭司だとは信じられない」という皮肉だった可能性もあります。その一方で、本当に知らなかったのだという説も有力です。知らなかった理由としては、次のような事情が考えられます。
  • パウロはかつてエルサレムに住んでいましたが、ダマスコに向かうためにそこを離れて23年になります。その間に何回かエルサレムを訪問していますがごく短期間でしたし、大祭司は何回も交代していますので、アナニアの顔を知らなくても不思議はありません。
  • サンヘドリンが急遽招集されたため、アナニアは大祭司の装束を着ていなかったので識別できなかったのかもしれません。
  • また、パウロは目が悪かったという説もあるので、よく顔が見えなかったのかもしれません。
  • その上、アナニアの言動があまりにも大祭司らしくないため、まさか大祭司だとは思いもしなかったのでしょう。

サンヘドリンの混乱

パウロの機転
(6節)パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見てとって、最高法院の中でこう叫んだ。「兄弟たち、私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」

サンヘドリンの構成メンバーは、祭司、律法学者、パリサイ人です。祭司はサドカイ派、律法学者やパリサイ人はパリサイ派に属します。

そのことを改めて意識したパウロは、特にパリサイ派の人たちに向かって、自分もパリサイ人であり、裁判を受けているのは死者の復活について語ったからだと言い放ちました。

死者の復活とは、人類の罪を赦すためにイエスさまが十字架にかかり、死んで葬られたけれど3日目に復活なさったということです。さらに、死んだ信者たちも世の終わりに復活して、すばらしい神の国(天の御国、千年王国)に招かれるということです。

ここでちょっとした疑問が生じます。そもそも今回パウロが捕えられ、殺されそうになったのは、神殿に異邦人を連れ込んだという誤解からでした。もちろんパウロはそのようなことはしていません。しかし、とにかく罪状としては神殿を汚したということです。

では、パウロが「自分は復活について宣べ伝えたから裁判を受けることになった」と言ったのは嘘だったのでしょうか。確かに表面的な罪状は異邦人を神殿に連れ込んだということですが、そもそもパウロが復活を宣べ伝えていたのが多くのユダヤ人たちの反発を招いていました。

復活はキリスト教の中心的な教えです。そして、パウロだけでなくペテロたち他の使徒も復活について宣べ伝え、それをサンヘドリンでとがめられました(4-5章)。

ですから、パウロは表面的な罪状ではなく、根本的な罪状として、復活を宣べ伝えたことを挙げたのです。そして、パウロの発言の狙いは次の節で明らかになります。
分裂するサンヘドリン
(7節)パウロがこう言うと、パリサイ人とサドカイ人の間に論争が起こり、最高法院は二つに割れた。

パウロの言葉を聞いたサンヘドリンの議員たちは、パリサイ派とサドカイ派に分かれて意見が対立しました。パウロは、これを狙って復活について語ったのです。

サンヘドリンの議長である大祭司が、堂々と律法に違反するような命令を出し、それを他の議員たちがとがめるどころか、大祭司の肩を持つのをパウロは見ました。これではとても公正な裁判は期待できず、パウロは有罪判決を受けて死刑になってしまうかもしれません。

そこで、パウロはサンヘドリンを二つに割って、片方のグループを味方に付けようとしました。

では、なぜ両派は復活の話を聞いて対立したのでしょうか。それを次の節が解説しています。
サドカイ人とパリサイ人の違い
(8節)サドカイ人は復活も御使いも霊もないと言い、パリサイ人はいずれも認めているからである。

1世紀のユダヤ教には、主に3つのグループがありました。その一つであるエッセネ派は、俗世間を離れて荒野で修道院のような生活をしていました。

ですから、普通の市民生活を送っている人たちは他の2つのグループに属していました。それがサドカイ派とパリサイ派です。サドカイ派は祭司たちや富裕層、パリサイ派は一般民衆の間に広まりました。

サドカイ派とパリサイ派の根本的な違いは、パリサイ派がクリスチャン同様旧約聖書39巻をすべて正典として受け入れていたのに対して、サドカイ派モーセ五書(創世記から申命記まで)しか正典と認めていなかったことです。そこから教理の違いが生まれました。

サドカイ派は、現世主義・物質主義です。復活を認めず、天使や悪霊の存在も認めません。一方、パリサイ派は、復活も霊的存在も信じていました。この点では、パリサイ派の教えはキリスト教会の教えに近いのです。

復活に関するサドカイ派とパリサイ派の神学的な争いは、100年以上も続いていました。その争いが、パウロが「自分はパリサイ人で、復活の件で裁判を受けている」と語ったことで再燃したわけです。
パリサイ人の意見
(9節)騒ぎは大きくなった。そして、パリサイ派の律法学者たちが何人か立ち上がって、激しく論じ、「この人には何の悪い点も見られない。もしかしたら、霊か御使いが彼に語りかけたのかもしれない」と言った。

論争は激しさを増していきました。そして、パリサイ派に属する律法学者たちは、パウロの無罪を主張します。
ローマ軍により救出されるパウロ
(10節)論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと恐れた。それで兵士たちに、降りて行ってパウロを彼らの中から引っ張り出し、兵営に連れて行くように命じた。

議会を二つに割ってパリサイ人たちを味方に付けるというパウロの狙いは当たりました。しかし、当たりすぎで収拾がつかないほど会議は混乱しました。

同じ言葉を使えても、何十人もの人たちが興奮して大声で怒鳴り合う話の内容を理解するのは大変です。まして、ローマ人である千人隊長には、議論の内容はほとんど理解できません。この調子ではパウロが殺されるのではないかと心配した千人隊長は、兵士たちに命じてパウロを救出して保護しました。

こうしてパウロは、ローマ軍の兵営に留め置かれることになります。

パウロへの主イエスの語りかけ

イエスからの励まし
(11節)その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。

兵営で夜を迎えたパウロは、イエスさまの幻を見ました。イエスさまはパウロに、勇気を出すようにとお命じになりました。これはどんな困難があっても、それに負けて口を閉ざすのではなく、イエスさまの恵みの福音、救いのメッセージを語り続けるようにという励ましです。
パウロは、エルサレムの民衆の前で、そしてサンヘドリンで福音を語りました。その結果、民衆は反発しましたし、サンヘドリンも大混乱になってしまい、何度も危険な目にあってしまいます。

イエスさまはパウロのそんな行動をちゃんと観ていてくださり、その勇気や忠実さを評価してくださいました。ちゃんと見ていてくださいました。そして、同じようにローマでも語れとイエスさまはおっしゃいます。

パウロは、ずっとローマ帝国の首都であるローマで伝道することを願っていましたが、なかなかチャンスが与えられませんでした。そのことが、第3回伝道旅行の最中にコリントで書かれたと考えられているローマ人への手紙に書かれています。

(ローマ1:13)兄弟たち、知らずにいてほしくはありません。私はほかの異邦人たちの間で得たように、あなたがたの間でもいくらかの実を得ようと、何度もあなたがたのところに行く計画を立てましたが、今に至るまで妨げられてきました。

パウロがやがてローマで伝道することは、すでに聖霊さまが語っておられましたが、ここでパウロはローマ行きがいよいよ近づいてきたと感じたことでしょう。

パウロは、イエスさまが見守ってくださっているという安心感と共に、これからどんな働きが待っているかワクワクするような思いも抱いたはずです。

実際には、さらに2年間ローマ行きを待たなければならなくなるのですが、それでも神さまのご計画は着々と進んでいきます。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神の計画に従って生きよう

神の計画には私たちの幸せが組み込まれていることを知ろう

聖書の神さまは、行き当たりばったりに行動なさる方ではありません。しっかりとした計画を立て、それに基づいて世界を動かしておられます。そして、神さまのご計画には私たちの幸せが組み込まれています。そのことを私たちは忘れないでいましょう。
救いの計画
たとえば、神さまは人類の救いをご計画になりました。

人は神さまに逆らって自分勝手な生き方を選びました。これを罪と言います。人は罪を犯したため、きよい神さまとの関係がおかしくなってしまいました。その結果、本来神さまがご計画になった幸せを味わうことができなくなりました。

本当なら私たちは神さまから切り捨てられ、滅ぼされても仕方がありません。ところが、そんな私たちを神さまは見捨てず、罪を赦して罰が下らないようにしてくださり、それどころか神さまの子どもとして永遠に祝福される道を用意してくださいました。

そのためにイエス・キリストが地上に来られました。イエスさまは、私たちが負うべきだった罪の罰を身代わりに引き受けてくださいました。それが十字架です。イエスさまが私たちの代わりに十字架にかかり、血を流されたので、私たちに対する罪の罰は完了したと見なされました。

また、死んで葬られたはずのイエスさまは、3日目に復活なさいました。それにより、神さまの敵であった私たちは死んで、神さまの子どもとして新しく生まれました。
救いのメッセージ
「この自分の罪を赦すためにイエス・キリストが十字架にかけられ、死んで葬られ、3日目に復活なさった」……この「恵みの福音」を真実だと信じ受け入れるだけで、私たちは罪赦され、神さまの子どもとして永遠に祝福される特権を手に入れることができます。

パウロも他の弟子たちも、この救いのメッセージをあちこちで語り、言い広めました。そのために今回の箇所のように迫害され、苦しみに遭うこともありました。それでもあきらめずに、イエスさまの励ましを受け取りながら救いのメッセージを語り続けました。

こうして、世界中に神さまの愛のご計画が広まりつつあります。
幸せの計画
神さまは、ご自分が私たちのことを愛しておられ、必ず幸せにすると決意しておられます。そして、そのための計画を立てておられるのだということを、私たちに知ってほしいと願っておられます。あなたは必ず幸せになります。そのことをまず知りましょう。

神は困難さえも計画実現に用いられることを知ろう

神さまが私たちの幸せの計画を立てておられるといっても、すべて私たちの願い通りにことが進むということではありません。私たちが考えるベストと、全知全能ですべてをご存じである神さまがお考えになるベストが異なることもたくさんあります。

そうすると私たちは一時的にがっかりさせられるかもしれません。それでも、神さまは最終的に私たちを幸せに導いてくださいます。
迫害のおかげ
また、神さまの敵であるサタン(悪魔)は、神さまの愛が私たちに届かないように、様々な苦しみを用いて邪魔しようとします。

今回も、パウロがエルサレムで活動することを恐れたサタンは、ユダヤの民衆や議員たちを使ってパウロを苦しめようとしました。その結果、パウロはローマ軍に拘束される事態に陥ります。ところが、それによって福音がローマにまで届けられる道が開かれました。

かつては、パウロが教会への迫害の急先鋒でした。ところが、エルサレムでのひどい迫害によって、クリスチャンたちがローマ帝国各地に散っていき、行った先々で伝道するようになります。そして、かえって救いのメッセージが世界に広まることになりました。

サタンや神さまに逆らうこの世がどんなに邪魔しようとしても、神さまのご計画を邪魔することはできません。そして、あなたの幸せを取り上げることもできません。それどころか、困難や苦しみがかえって祝福の種にさえなります。
塩害を受けたトマト
この話をお読みください。
1970年に高知県を襲った巨大台風、土佐湾台風についてのテレビ番組を見ました。この台風は県下に大変な被害をもたらしましたが、ある場所では川の堤防が決壊し、一体の畑を飲み込みました。

ただでさえ農作物がダメになった上、さらなる被害が起こります。この川の水には海水が混ざっていたため、水が引いた後も塩分が残り、土を全部入れ替えなければ作物は育てられない状態になってしまったのです。

ところが、諦めずに塩が混ざった畑にトマトを植えた農家がありました。すると、ものすごく甘いトマトがなりました。塩によるストレスから身を守るため、トマトが普段以上に糖分を蓄えたのです。

これを知った地域の農家たちは研究を重ね、マンゴー並みに甘いフルーツトマト、「徳谷トマト」が誕生することになります。

私たちも様々な問題、困難、トラブルに見舞われることがあります。しかし、神さまが私たちを愛する天の父であり、全知全能であるなら、私たちに対して最善以外のことをなさるはずがありません。問題は必ず祝福につながります。そう信じ続けていきましょう。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
どんなに困難がやってきても、神さまの幸せの計画を邪魔することはできません。それどころか、困難が祝福をもたらす鍵にさえなります。ですから、困難の中でも神さまをほめたたえ、感謝をささげましょう。

計画の詳細が分からなくてもなすべきことを行なおう

パウロは、ローマで伝道したいという夢を持っていました。聖霊なる神さまも、パウロがいつかローマで伝道するようになると約束してくださっていました。しかし、パウロがローマ行きの計画を立てても、そのたびにうまく行きませんでした。

いつかローマに行くことは分かっていても、いつどのような方法で行けるかパウロには分からない状態だったのです。

それでもパウロはふてくされることなく、訪れたそれぞれの場所で福音を語り続けました。それが今しなければならないことだと分かっていたからです。不公正な裁判の席でも、パウロは「自分は復活のメッセージの故にこうしてさばかれている」と語って、伝道しようとしました。

私たちは、神さまのご計画によって必ず幸せになれます。しかし、その神さまの計画の全体像は、滅多に明らかになりません。いつまでも状況が変わらず、前に進まないという場合も少なくありません。

それでも、今自分がしなければならないことを考え、実践しましょう。
遅れた電車
以前、神奈川県の川崎で月に1回開催されていた心理学のセミナーに、講師として教えていました。泊まっていたホテルから会場に行くには、バスを使います。その際、駅の改札の前を通ってバスターミナルに向かうのですが、その日は構内が大変な人混みでした。人身事故があって、電車が遅れていたのです。

私はバスを使うので影響がないのですが、電車でいらっしゃる受講生は遅刻することになりそうです。「何でこんなことが起きたんだろう」と思いますが、どれほど愚痴をこぼしても電車の遅延が取り消しになるわけでも、運行復旧が早まるわけでもありません。

そこで、私は今できること、今しなければならないことを行なうことにしました。すなわち、「どうしてこんなことになったのか意味は分かりませんが、必ず最善になると信じます」と宣言し、「神さま、どのように対処すべきか教えてください」と祈りながら会場に向かったのです。

会場に着くと、主催者と相談の上、遅れていらっしゃる方々がそろうまでこれまで学んだことを振り返ったり、質疑応答をしたりする時間を持ちました。すると、これがことのほか高評で、今後もこのような時間を持ってほしいとリクエストが来たほどでした。
今すべきことは?
今皆さんは、困難に遭っていらっしゃるでしょうか。あるいは、物事がなかなか思い通りに進まない状況に置かれていらっしゃるでしょうか。

それについて神さまに叫び訴えてかまいませんし、そうすべきです。しかし、その上で私たちは今できること、今しなければならないことを見つけて実行しましょう。

パウロにとって、それは福音を宣べ伝えることでした。あなたにとっては何をすることでしょうか? それを考えて実践しましょう。

連絡先

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