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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

アクリッパ王の前でのパウロの弁明

使徒の働きシリーズ39

使徒の働き26章19節〜32節

(2025年9月14日)

ユダヤ属州総督フェストゥスの前で、パウロは皇帝への上訴を宣言しました。罪状書きをどうするか悩んだフェストゥスは、アグリッパ王(ヘロデ・アグリッパ2世)にパウロの話を聞いてもらうことにしました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

続きを読む 19節の「アグリッパ王」は、ヘロデ・アグリッパ2世(在位53年頃〜97年頃)。父は、使徒12章で「ヘロデ王」と呼ばれているアグリッパ1世。曾祖父は、ベツレヘムで幼児を虐殺したヘロデ大王。幼い頃から皇帝クラウディウスの宮廷で育ちました。
その後ローマ皇帝からイスラエル北東部(以下の地図参照)の王に任命されました。また、大祭司の任命解任権も与えられていました。
後にローマ帝国がエルサレムを攻撃したときには、ローマ側について援軍を送っています。
彼の死をもって、王家としてのヘロデ家が終わりました。

ヘロデ・アグリッパ2世の領地(黄緑色の地域)
(画像引用:Wikipedhia英語版
画像をクリックすると、拡大されます。

24節の「フェストゥス」(ポルキウス・フェリクス)は、パウロを2年間牢に留め置いたフェリクスの後任として、ユダヤ州の総督になった人物。在職紀元60年〜62年。歴史家ヨセフスによる評価は悪くありません。

30節の「ベルニケ」はアグリッパ王の妹で、兄王と一緒にパウロの話を聞きました。最初の夫には結婚後すぐに先立たれ、2人目の夫とは離婚して兄王の元に身を寄せます。二人の仲睦まじさに、近親相姦を疑う噂もありました。その後、後のローマ皇帝ティトゥスの恋人になりますが、ローマ市民の大反対に遭って妃にはなれませんでした。
ちなみに、彼女の姉妹ドルシラは、前総督フェリクスの妻です(24:24)。

イントロダクション

パウロは、イエスさまに愛され、イエスさまから祝福され、自分自身がさまざまな驚くべきみわざを体験しだけでなく、自分自身がさまざまなすばらしい神さまの働きを地上で行なった人です。私たちもパウロのようなダイナミックな人生を体験したいですね。

そんなパウロは、29節で「私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです」と語りました。パウロをモデルにしてその生き方を真似ることが、祝福された信仰生活を送る秘訣です。

そこで、パウロがアグリッパ王や総督フェストゥスの前で語った弁明から、パウロの行動原理を学びましょう。

1.アグリッパ王と総督フェストゥスの前でのパウロ

アグリッパ王とフェストゥスの前でのパウロの弁明(前半)

今回交読した箇所の直前、25章と26章18節までの内容を簡単に紹介します。
総督フェリクスによる勾留延期
エルサレムで捕えられ、カエサリアの総督府に送られたパウロは、当時のユダヤ属州総督フェリクスによって取り調べを受けます。ところが、パウロには何の罪も見いだせませんでした。

であれば、すぐにでも釈放されなければならないはずですが、フェリクスはパウロから賄賂を取りたいと考えて、ずるずると勾留期間を延ばしていきます。こうして、フェリクスが退任するまでパウロは2年間を牢の中で過ごすことになりました。
新総督フェストゥスによる裁判
新しいユダヤ属州総督になったのは、ポルキウス・フェストゥスという人物です。歴史家ヨセフスは、前任者であるフェリクスのことはぼろくそに書いていますが、後任のフェストゥスについては、比較的穏健で、総督としての仕事をしっかり行なう人物として記録しています。

フェストゥスが、着任のあいさつのためにエルサレムを訪れると、ユダヤの指導者たちはこれ幸いとパウロのことを訴えました。そして、エルサレムでパウロの裁判を開くよう求めました。これは、途中でパウロを暗殺するためです。

しかし、フェストゥスは、パウロはカエサリアにいるし、自分も間もなくカエサリアに戻るから、そこで裁判を開くと宣言します。

程なくして裁判が開かれ、ユダヤの指導者たちはパウロが重罪人だと言い立てますが、パウロの罪を立証できませんでした。フェストゥスも、パウロはローマの法律に違反したわけではなく、宗教的な問題で指導者たちから攻撃されているだけだと理解します。
パウロのカエサルへの上訴
通常ならここでパウロの無罪が宣言されるべきですが、前任者と同じくフェストゥスはそうしませんでした。その理由について、聖書には次のように書かれています。

(25:9)ところが、ユダヤ人たちの機嫌を取ろうとしたフェストゥスは、パウロに向かって、「おまえはエルサレムに上り、そこでこれらの件について、私の前で裁判を受けることを望むか」と尋ねた。

これでは公正な裁判は期待できないどころか、我が身が危ないと考えたパウロは、「自分は皇帝に上訴する」と宣言しました。そして、皇帝による裁判を受けるまで、自分の身柄を保護するようフェストゥスに求めました。

パウロはローマ市民であり、上訴は市民に与えられている権利の一つですから、フェストゥスはこれを受け入れざるを得ませんでした。

こうして、パウロのローマ行きが決定します。
アグリッパ王による取り調べ
パウロの上訴を認めたフェストゥスですが、囚人を皇帝の元に送るのに、罪状を示さないのは道理に合わないと考えました。

フェストゥスが思案していると、アグリッパ王が妹ベルニケと一緒に表敬訪問にやってきました。アグリッパ王はユダヤ教にも理解があったため、フェストゥスはパウロの件を相談します。すると、アグリッパ王はパウロに興味を示し、話を聞いてみたいと言いました。

こうして、パウロはアグリッパ王とベルニケが同席する中、再びフェストゥスに呼び出されて話をすることになりました。

ヘロデ・アグリッパ2世
(画像引用:Wikipedia)
パウロの弁明
パウロは、自分が若いころからパリサイ派として厳格に生きてきたことを証言します。そんな彼が訴えられているのは、神さまが先祖に与えた「死者の復活」の約束を信じているためだと説明します。

そしてパウロは、自分自身の回心の体験を話し始めます。かつてのパウロは、イエスさまを信じる者たちを激しく迫害し、投獄や処刑に賛成してきましたが、ダマスコへ向かう途中に天からの光を受け、復活のイエスさまと出会いました。

その時イエスさまはパウロに、ご自分の証人として異邦人に遣わし、彼らを闇から光へ、サタンの支配から神へと立ち返らせ、罪の赦しと神の国を相続する権利をもたらす使命をお与えになりました。

こうして今回の箇所に続きます。

アグリッパ王とフェストゥスの前でのパウロの弁明(後半)

天からの幻に背かず
(19-20節)こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。

パウロは、幻によって天、すなわち神さまから受けた使命に背くことはできませんでした。そこで、「エルサレムいる人々」と「ユダヤ地方全体」、すなわちユダヤ人に伝道すると共に、異邦人にも伝道しました。

パウロが語ったのは、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行ないをするということです。悔い改めは方向転換です。それまでの自分の罪を認め、その罪を赦してくださるイエスさまを信じ、さらに罪を離れて神さまに従う生き方に変わるということです。
ユダヤ人がパウロを殺そうとする理由
(21節)そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。

そのためにとは、パウロがイエスさまのことをキリストだと宣べ伝えていること、特に異邦人に対して伝道していることです。

当時のユダヤ教の常識では、異邦人が救われるためには割礼を受け、モーセの律法を守る生活をしなければなりません。すなわち、ユダヤ人のようにならなければ救われないと考えられていたのです。

それなのに、「自分の罪が赦されるためにイエス・キリストが十字架にかけられた。そして、死んで葬られ、3日目に復活した」と信じるだけで、ユダヤ人だけでなく異邦人も救われると教えるのはとんでもない。そのようにユダヤ人たちの多くが感じました。

故に、パウロは異端者として命を狙われているわけです。
パウロの証し
(22節前半)このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。

命を狙われているにもかかわらず、パウロはイエスさまが示された使命に従って語り続けています。神さまもそんなパウロを助けてくださっています。

「小さい者にも大きい者にも」とは、身分の低い人にも高い人にもということです。あるいは、若くて経験の乏しい人にも人生のベテラン世代の人にもということです。すなわち、あらゆる人に対してパウロはイエスさまによる救いを語り続けているといいます。
聖書に基づく主張
(22節後半-23節)そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」

パウロは、自分で考え出した思想を宣べ伝えているのではありません。パウロが語っていることは、すべて旧約聖書で預言されていることです。特にパウロは3つの内容を挙げています。
  1. キリストは苦しみを受ける……迫害の果てに十字架にかけられました。
  2. キリストは最初に復活する……世の終わりに人は復活しますが、キリストはその初穂です。
  3. キリストはユダヤ人にも異邦人にも光を宣べ伝える……救いの希望はユダヤ人だけでなく異邦人にも与えられます。

フェストゥスとアグリッパの反応

パウロの正気を疑うフェストゥス
(24節)パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」

ユダヤの総督になって間もないフェストゥスは、ユダヤ人たちの信仰についてまだよく知りません。ですから、イエスの幻を見たとか、死んだ人がよみがえったとか、預言とかいう話は彼の理解を超えています。

特にローマ人は復活を信じていませんから、命を狙われてもそれを宣べ伝えるなど、正気の沙汰ではないとフェストゥスには思えました。

そこで、パウロの正気を疑い、「あなたは狂っている」と叫んでしまいました。
正気であることを主張するパウロ
(25節)パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。

正気を疑われたパウロは、自分はいたって正気であり、真実で合理的なことしかしゃべっていないと反論しました。
アグリッパ王は理解できるはず
(26節)王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。

ヘロデ王家の人々は、元々はイドマヤ人(エドム人)です。しかし、紀元前2世紀にイスラエルがイドマヤを併合したとき、イドマヤの人たちは割礼を受けてユダヤ教徒になりました。アグリッパ王の父であるアグリッパ1世は、ユダヤ教の信仰に熱心でユダヤ人たちからも好感を得ていました。

ここに登場するアグリッパ2世は、ユダヤの大祭司を任命する権限を与えられていました。父親ほどは信仰に熱心ではなく、むしろローマに近い立場を取っていましたが、それでも形としてはユダヤ教徒です。

ですから、フェストゥスには理解できない幻とか復活とか預言とか言った話も理解できたでしょう。そこでパウロは、アグリッパ王なら分かっていただけると思ってこんな話をしているのだと、フェストゥスに語りました。
アグリッパ王への質問
(27節)アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」

パウロはアグリッパ王に向かって、あなたは預言者を信じているかと尋ねます。そして、信じておられるはずだと言いました。もし預言者の預言の言葉を信じるなら、イエスさまがキリスト(メシア、救い主)だということも認めるはずだと迫っているわけです。

ニコライ・ボダレフスキー作「ヘロデ・アグリッパ王の前での使徒パウロ」
(画像引用:Wikipedhia英語版
アグリッパ王の回答
(28節)するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。

急に話を振られたアグリッパ王ですが、彼は内面はどうであれ、形の上ではユダヤ教徒です。預言者なんか信じていないとは言えません。そんなことを発言したら、ユダヤ人たちの猛反発を食らいます。

さりとて、信じていると言えば、パウロの主張も認めないわけにはいきません。それは、自分自身もイエスこそキリストだと信じるということです。こちらを答えても、ユダヤ人たちの反発を招きます。

そこで、アグリッパ王は逃げの一手を打ちます。「短い時間で、この私をクリスチャンにしようとしている」、すなわち「こんな短時間の話だけでは決めらない」と答えました。
パウロの願い
(29節)しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」

パウロは、時間は問題ではないと答えます。そして、自分の願いは聞いている人たちみんなが、パウロのようになることだと言いました。それは鎖につながれるということではなく、イエス・キリストを信じて救われ、人生が180度変わる体験をすることです。

福音について聞いた時間の長さが問題なのではなく、あなたが決断するかしないかの問題なんだと、パウロは最後の訴えをしたのです。
取り調べの終了
(30節)王と総督とベルニケ、および同席の人々は立ち上がった。

パウロの話を聞いていた人たちは立ち上がりました。パウロの弁明はこれでおしまいです。結局、アグリッパ王はイエスさまに対する信仰を告白しないままでした。
結論
(31節)彼らは退場してから話し合った。「あの人は、死や投獄に値することは何もしていない。」

これまで、パウロが無罪だということは、複数の人たちが確信してきました。まず最高法院での裁判におけるパリサイ人たち(23:9)、千人隊長リシア(23:29)、そして総督フェストゥス(25:25)です。

そしてこのたび、アグリッパ王とベルニケも、パウロの罪を見出すことができませんでした。
アグリッパ王の感想
(32節)また、アグリッパはフェストゥスに、「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」と言った。

アグリッパ王は総督フェストゥスに、皇帝に上訴さえしなかったらパウロは釈放されただろうにと感想を漏らしました。

アグリッパ王は、フェストゥスがパウロにエルサレムで裁判を受けるか尋ねた理由が、ユダヤ人たちの機嫌を取るためだったということに気づいていたかもしれません。

たとえそうでなくても、フェストゥスにとっては、「なんであなたはパウロを無罪放免にしなかったの?」というちょっと耳の痛い皮肉に聞こえますね。

とはいえ、アグリッパ王自身も、ユダヤ人たちの支持を失うことを恐れて福音に対する態度をその場で明確にしませんでした。まさに、以前私たちの教会で流行ったフレーズ、「どの口が言う?」ですね。

結局、フェストゥスとしては、皇帝にパウロの罪状書きを送る際、ユダヤ人たちの訴えの内容と、ただし証拠不十分だということを正直に書くしかなくなりました。きっと、アグリッパ王が語ったように、「本来なら無罪放免なのですが、パウロが上訴したので仕方なく」というニュアンスを強調したことでしょうね。

こうして、かねてから聖霊なる神さまが約束しておられたとおり、パウロはローマに向かって出発することになります。

それでは、ここから私たちが祝福された人生のために学ぶことができることは何でしょうか。

2.天からの幻に背かない

真理についての知識を得る

パウロは、ローマ人への手紙でこんなことを語っています。

(ローマ10:13-14)「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。

そして、続けてこう語っています。

(ローマ10:17)ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。

パウロはイエスさまの幻によって、さらにはイエスさまから遣わされたアナニアという弟子によって、そして旧約聖書の預言によって、救いに関する正しい知識を手に入れました。それが、パウロの人生を180度造り変えるきっかけとなりました。

私たちも、まず神さまが教えてくださる真理が何なのか知るところから始めます。
信仰の土台
感情はとても大切なものです。しかし、私たちの感情というのは、自分の体調や、他の人の態度や、状況によって、いとも簡単に揺れ動きます。ですから、信仰生活の土台が感情になってしまうと、非常にやっかいなことが起こります。

いろいろな理由で気分が落ち込んでいると、ろくでもないことを考え始めるものです。自分が神さまに愛されていないんじゃないかとか、もしかしたら救われているというのは嘘なんじゃないかとか、そもそも神さまなんていないんじゃないだろうかとか……。
四つの法則の汽車の絵
キャンパスクルセードという団体が発行している、「四つの法則」という伝道用小冊子の中で、汽車の絵を使って、私たちの信仰生活を説明しているページがあります。

(画像引用:豊かな人生のための四つの法則
  1. 先頭にあるのが客車を引っ張る機関車です。これは、神さまや人間や世界に関する事実、真理です。真理は聖書を通して知ることができます。
  2. 次に連結部。これが信仰に当たります。信仰というのは、聖書を通して示されたことを、本当のこととして受け取ることです。
  3. その後ろに客車が来ます。これが感情です。
聖書→信仰→感情。この順番が大事です。これを逆にして、感情的な体験だけを追い求めても手に入らないし、感情的な体験をしたとしても、ちょっとしたことでひっくり返ってしまいます。

(イザヤ40:8)草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。

聖書を、私たちクリスチャンにとって、最終的な判断の基準としましょう。

真理に背いていれば素直に認める

真理を知ったパウロは、過去の行動、生き方を悔い改めました。私たちも、聖書によって示される真理から自分が外れていたことに気づいたら、すぐにそれを認めて悔い改めましょう。
前の総督フェリクスも、新総督であるフェストゥスも、アグリッパ王も、パウロを通して福音の言葉を聞きました。しかし、彼らは自分の生き方を悔い改めることなく、これまで通りの生き方を続ける道を選びました。

その結果、彼らは救いを手に入れるチャンスを無駄にして、神さまと共に生きるダイナミックな人生を受け取り損ねました。

自分の過ちを認めることは痛いことです。しかし、聖霊なる神さまが私たちの良心に痛みを与えて、悔い改めを迫られるのは、罪責感で苦しめることが目的ではありません。悔い改めの先に、すばらしい人生が待っているからです。

クリスチャンになってからも、私たちは神さまのみこころに反することを考えたり行なったりしてしまいます。それに気づかされたら、すぐに認めて悔い改めましょう。神さまは必ずその罪を赦してくださり、神さまとの親しい交わりをただちに回復してくださいます。

(第1ヨハネ1:9)もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。

そして、神さまとの交わりが回復した私たちは、いつも神さまと共にいて、神さまからのすばらしいみわざを体験させていただけます。

真理に従って行動し始める

罪と悔い改め
聖書の中で「罪」という言葉は、ヘブル語では「ハーター」、ギリシア語では「ハマルティア」と言います。いずれも、「的を外す」という意味です。的とは神さまです。

すなわち、的である神さまの存在を信じないこと、的である神さまのすばらしいご性質を軽く見ること、的である神さまへの愛や信頼を失うこと、そして的である神さまの命令を無視することなどが罪です。

ですから、本当の悔い改めは、自分自身の過ちを認めて落ち込むことではなく、方向転換をすることです。すなわち、神さまを信じ、神さまのすばらしさを認めてほめたたえ、神さまを愛して信頼し、神さまの命令を守ることです。
ある人が浮気をしてしまいました。それにより奥さんが大変傷つきました。彼は自分の行ないを激しく後悔しました。そして、思いました。「妻を悲しませるなんて、俺はなんとひどいことをしたのか。もう二度と妻を悲しませないぞ。だから、今度は見つからないようにうまくやろう」。これでは悔い改めとは言えないわけですね。
アグリッパ王の反応
総督フェストゥスはパウロの話が理解できませんでしたが、アグリッパ王は理解しました。そして、イエス・キリストの十字架と復活を信じることが、罪を赦されて救われ、将来自分も復活して神の国に入れていただけるための方法だということを知りました。

しかし、結局それを信じることをしませんでした。その結果、イエスさまと永遠に共に生きる素晴らしい人生を、彼は手に入れ損ねました。

世の中には、聖書の学者が非常にたくさんいます。聖書が教えている内容について、彼らは非常に精通しています。しかし、その中には、クリスチャンではない学者、それどころかキリスト教に批判的な学者、あるいは無神論者である学者もたくさんいます。

知っているということ、それを自分のものとして体験しているということとは違うのです。
主の弟ヤコブの言葉
イエスさまの弟ヤコブは言いました。

(ヤコブ1:22)みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。

(ヤコブ2:15-16)兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。

ですから、私たちは聖書を通して教えられた真理を行なう者にならなければなりません。たとえば、
  • 愛しなさいという命令を聖書から聞いたなら、誰に対してどのような行動をすることか考え、実践する。
  • 赦しなさいという命令を聖書から聞いたなら、誰に対してどのような行動をすることか考え、実践する。
  • 罪を悔い改めなさいという命令を聖書から聞いたなら、自分のどんな行動や心の思いが罪なのか考え、それを神さまに告白して赦しを求めると共に、それに代わってどんな行動をするか考え、実践する。
パウロを真似る私たち
パウロは、神さまから真理を示された時、すぐにそれに応答して行動を変えました。私たちも聖書の教えを聞いたらすぐに実践しましょう。

私たちは、自分の人生の中に神さまの祝福、時には驚くような奇跡さえ起こることを求めます。しかし、自分自身は聖書に従って行動しないけれど、他の人やこの世界は聖書の教えに従って祝福や奇跡をもたらしてほしいと願うなら、それはアンフェアですね。

もちろん、私たちは不完全ですから、罪を犯してしまいます。その時には、先ほど申し上げたとおりすぐに罪であることを認めて神さまに告白し、みこころにかなう生き方を再スタートさせましょう。

そうするとき、私たちはパウロと同じようなダイナミックな祝福された人生を体験できるようになります。そして、私たちを通してこの地上にすばらしいことが起こり始めます。

今週も、聖書を通して神さまのみこころを教えていただきましょう。そして、その教えを実践しましょう。

連絡先

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