本文へスキップ

礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

嵐の中での励ましの言葉

使徒の働きシリーズ40

使徒の働き27章14節〜26節

(2025年9月21日)

皇帝に上訴したパウロは、カエサリアからローマに送られることになりましたが、途中で激しい嵐に遭いました。そんな中、パウロは同船する人々を励まします。

礼拝メッセージ音声

イントロダクション

皇帝による裁判を受けるため、パウロは船でローマに護送されることになりました、しかし、その途中、大変な嵐に巻き込まれて船が2週間も漂流してしまいます。その絶望的な状況の中で、パウロは他の人たちを元気づけました。

私たちも、絶望している人に希望を与えたり、悲しんでいる人を慰めたり、やる気をなくしている人にやる気を与えたりする存在になれます。今回もパウロからその秘訣を学びましょう。

1.暴風の中でのパウロの励まし

カイサリアからの船出

これまでの流れ
エルサレムで捕えられたパウロは、カエサリアの総督府に送られ、そこで2年間勾留されます。そして、新しい総督がやってきますが、公正な裁判が期待できず、それどころかユダヤ人たちに暗殺される恐れがあると感じたパウロは、皇帝に上訴しました。
カエサリアからの船旅
こうして、パウロはローマに護送されることになり、船に乗せられてカエサリアを出発しました。船には、使徒の働きを書いたルカと、テサロニケのアリスタルコも同行します。彼らは、カエサリアで2年間、牢にいたパウロの世話をしました。

カエサリアを出航してからの進路については、以下の地図を参照してください。

画像をクリックすると拡大します
(画像引用:聖書 新改訳2017)

パウロを乗せた船は、フェニキアのシドンを経由して、小アジアのミラに到着しました。ここで船を乗り換えますが、風向きが悪くてなかなか前に進めません。ようやくロドス島とクニドの間の海域に至りますが、これ以上西に進むことができず、やむなく南に向かってクレタ島を目指しました。

こうして、パウロを乗せた船は、クレタ島南部のラサヤという町の近くにある「良い港」と呼ばれる港に入ることができました。
パウロの勧告
時期的には、ユダヤ人の祭りである「宥めの日」が過ぎていました。宥めの日は、この年が紀元60年なら9月24日、59年なら10月5日です。11月以降の冬の時期は、航海が全面的にストップします。9月末から10月上旬はまだ船を動かせますが、嵐が起こりやすく危険度が増しています。

そこでパウロは、このまま航海を続けると、積み荷や船体が失われるだけでなく、乗っている人たちの命も危ないと警告しました。

ところが船長や船主、また他の船員たちは、「良い港」は冬を越すには適していないという理由でパウロの意見に反対しました。そして、80キロほど西にあるフェニクスまで行くべきだと主張します。
ユリウス隊長の決断
パウロたち囚人をローマまで護送する兵士たちを束ねていたのは、ユリウスという百人隊長でした(1節)。この人はパウロにとても親切で、シドンに立ち寄った際は、パウロが友人たちのところに行ってもてなしを受けることを許してくれました。

ところが、このたびユリウス隊長はパウロではなく船長たちの主張を採用しました。いかに旅慣れているとは言え、パウロは航海術に関しては素人です。プロである船長たちの意見を採用しても致し方ありません。

こうして、船は「良い港」を出港してフェニクスを目指します。出航直後は順調と思われましたが、間もなくパウロが警告したとおりになってしまいます。

暴風に翻弄される船

ユーラクロン
(14節)ところが、間もなくユーラクロンという暴風が陸から吹き降ろして来た。

ユーラクロンと呼ばれる暴風が、パウロたちの乗った船を襲いました。クレタ島の中央部にイディ山という標高2456mの高い山がありますが、そこから吹き下ろしてくる風でしょう。
風に流される船
(15節)船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができず、私たちは流されるままとなった。

ユーラクロンは非常に激しく吹き付けてくるため、船は西に向かうことができず、南西の方角へと流されていきました。
カウダの島影へ
(16-17節)しかし、カウダと呼ばれる小島の陰に入ったので、どうにかしっかりと小舟を引き寄せることができた。そして小舟を船に引き上げ、船を補強するために綱で船体を巻いた。また、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具を降ろし、流されるに任せた。

カウダ島まで流されると、島影に入ったことで風が少し収まったため、船員たちが船を守るための処置をする余裕が生まれました。まず、船の後ろに引いていた小舟を引き上げました。これは、上陸用のボートです。そして、ロープを船体に巻いて補強しました。

さらに、このまま風に吹かれて北アフリカ沿岸にまで到達すると、シルディスの浅瀬で座礁してしまうかもしれません。そこで、船具、すなわち帆をたたんでしまいました。それでも、船は激しい風に吹かれて流されていきます。
積み荷や船具を捨てる
(18-19節)私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、 三日目には、自分たちの手で船具を投げ捨てた。

カウダの島影に入った翌日も、暴風は収まりませんでした。船員たちは船体を軽くして沈没を免れるために、積み荷を捨てました。さらにその翌日には、船具まで捨ててしまいます。
失われそうな希望
(20節)太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。

その後も悪天候は続きました。太陽も星も見えない日が何日も続いたと書かれています。当時は方位磁石を用いた羅針盤がありませんから、太陽や星を見て方角を見定めました。それらがまったく見えないということは、自分たちがどちらに流されているかまったく分からないということです。よけいに不安だったでしょうね。

33節を見ると、漂流生活は最終的に14日間続くことになります。その間、人々は食事をとることもできませんでした。多くの人が死を覚悟するほどのひどい状況だったのでした。

パウロによる励まし

立ち上がるパウロ
(21節)長い間、だれも食べていなかったが、そのときパウロは彼らの中に立って言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。

絶望が広がる中、パウロが立ち上がって話し始めました。まずパウロが語ったのは、こんなことになったのは自分の警告を聞かなかったからだということです。

これは、もう取り返しがつかない過去のことをぐじぐじとほじくり出して責め立てるためではありません。これから自分が話すことはしっかり聞いて欲しいと願ってのことです。
元気を出しなさい
(22節)しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。

そしてパウロは、これからの希望について語り始めました。パウロは「元気を出しなさい」と言いました。

この言葉は25節にも使われていますが、原語のギリシャ語では「ユースメオー」です。ユーは、良いとか豊かなという意味、スメオーは感じるとか感情を持つとかいう意味ですから、ユースメオーは直訳すると「良い感情を持ちなさい」という意味です。

すなわち、絶望や悲しみ、疲れややる気のなさなどを感じている人が、希望や喜びや活力ややる気を感じるようになるということです。

パウロはそういう精神状態になれと言いました。それは、船は失われるけれど、死ぬ人は一人もいないからです。37節によると、船には276人が搭乗していましたが、その全員が助かるとパウロは保証しました。だから元気を出しなさい、と。
御使いの言葉
(23-24節)昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』

パウロは、自分がどうして確信を持って「誰も死なない」と宣言できるか話し始めます。それは、昨夜天使のお告げを聞いたからです。天使はパウロに「恐れるな」と語り、パウロが必ず皇帝の前に出る、すなわち無事にローマに行けると語りました。

さらに天使は、同船している人たちがパウロに与えられていると言いました。これは、同船している人たちも、必ず生き残るパウロと行動を共にしている限り、この嵐によって命を落とすことはないという意味です。
その通りになる
(25節)ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。

パウロは、改めて「元気を出しなさい」と人々を励ましました。天使を通して神さまが語られたことは、必ず実現するからです。この嵐によって死ぬ人は一人もいません。だから、希望を取り戻し、前向きな気持ちになりなさいと。
必ずどこかの島に打ち上げられる
(26節)私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

そしてパウロは、自分たちは必ずどこかの島に打ち上げられると預言しました。この預言はこの後実現します。

漂流14日目、船がアドリア海を流されていると、だんだん水深が浅くなってきました。これは陸地が近づいてきた証拠です。実際、船はマルタ島に近づいていました。

その夜、船員がみんなを見捨てて小舟で逃げだそうとしました。それに気づいたパウロは、「あの人たちも一緒でないと、全員助からない」と言います。船員がいなくなれば、素人だけでは船を操ることができず、非常に危険です。

パウロの警告を聞いた百人隊長ユリウスは、兵士たちに命じて船員たちが逃げ出すのを阻止し、小舟を捨ててしまいました。

翌日、人々は14日ぶりに食事をしました。そして、船はさらにマルタ島に近づき、浅瀬に座礁します。そこで、人々は船を捨てて海に飛び込み、泳いだり木切れに捕まったりしながら島に上陸しました。
こうして天使のお告げ通り、そしてパウロの励まし通り、276人全員が命を守られました。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。私たちがパウロのような励まし手となり、人から勇気や希望ややる気や活力を引き出すには、どうしたらいいのでしょうか。

2.優れた励まし手となるには

未来指向で人に接する

相手がひどい状況に陥ったとき、過去の失敗を責めたとしても、それだけでは今の状況は良くなりません。かえって相手の絶望感を深め、やる気を削ぐだけになりがちです。それでは意味がないどころか、害悪です。

ですから、過去を問題にする代わりに、これからのこと、すなわち未来のことをもっぱら考えましょう。

過去の失敗を取り上げて反省を促すとしたら、それに代わって現状を打破できる別の方策、代替え案を私たちが持っている場合です。あるいはこれからどうすればいいかを一緒に考える材料にするためです。

パウロがユリウス隊長や船員たちの過去の決断を責めたのは、これからは自分が神さまによって示された方法を採用して欲しいと伝えるためでした。もしそうするなら、未来は安泰です。

実際、その後のユリウス隊長は、パウロの指示に忠実に従います。その結果、全員の命が助かったのです。

他人の失敗を責めるだけでは何も変わりません。代わりにどうしたらいいかという代案を伝えましょう。あるいは相手と一緒に代案を考えましょう。
自分の反省も同じ
自分に関しても同じです。過去の失敗を責めるだけでなく、これからどうすればいいかを考えて実行するようにしましょう。過去指向ではなく未来指向です。

まず自分が平安を得る

神さまは、天使を通してパウロを「かならず皇帝の前に立つことになるから大丈夫だ」と励まされました。その上で「同船の人々をあなたに与える」と約束なさいました。すなわち、同船の人たちもパウロと共に助かると。

そこでパウロは、絶望しかかっている人々に「大丈夫だ」という励ましの言葉を語ることができました。

苦しみの中にある他の人に、私たちが希望や平安を与えるためには、まず私たち自身が希望や平安を保ち続けることが大切です。こちらが不安な顔をして「大丈夫だよ」と言っても、相手が励まされるはずがありませんね。

この話をお読みください。
手術前に逃げ出した患者さんがいました。すぐに身柄を確保され、院長室に呼ばれました。「どうして逃げ出したりなさったのですか?」

そう聞かれた患者さんは、カッカカッカしながら答えました。「だって、私が手術台の上に寝ていると、看護師さんが言うんですよ。『大丈夫です。ただの盲腸の手術ですから、何にも心配ありませんよ』ってね!」

院長は不思議そうに尋ねました。「それのどこがお気に召しませんでしたか?」 すると、「だってね、それを私にじゃなくて、執刀医に向かって言ったんですよ!」
(当サイト「ショートエッセイ」より)
王としての心得
私が大好きなC.S.ルイスのナルニア国物語の中で、リューン王が主人公のコル王子に、王の心得について語って聞かせる場面があります。
「はげしい攻め戦ではいつも先頭に立ち、必死の逃げ戦ではいつもしんがりをつとめ、そして、国内に飢きんがあれば、国民のだれよりも貧しい食べ物を食べながらも、だれよりもりっぱな衣服を着てだれよりも大声で笑ってみせる。これが王というものじゃ」。
(ナルニア国物語 第5巻「馬と少年」岩波少年文庫)
実は私も皆さんも、神の国の大王であるイエスさまの下で王となる身分です。やがて実現する神の国(千年王国)について、聖書はこう記しています。

(黙示録20:6)この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。

やがて神の国の王の一人となる存在として、私たちは逆境の中でどのように振る舞うかが試されています。

悲しんで当然の状況、人を恨んで当然の状況、絶望してわめき散らして当然の状況の中で、もちろんそうしたからとって神さまにさばかれるわけではありません。それでも、凜と立って希望を失わず、むしろ笑って希望を語る存在でありたいですね。
聖書の約束
そのためには、大丈夫の根拠を私たちがしっかりと握っている必要があります。そして、聖書ははっきりと教えています。

(ローマ8:28)神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

このほかにも、たくさんの聖書の約束があります。

私たちの「大丈夫」の根拠は、私たちの経験や常識だけではありません。最も確実な根拠は、神さまの約束です。神さまが私たちにどんな約束をしておられるか。それを聖書を通して貪欲に学びましょう。

口に出す

そして、自分が信じた「大丈夫」を、言葉に出して他の人に伝えることが大切です。口に出した言葉は、自分自身と他の人を励まします。

(エペソ4:29)悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。

私たちの普段の口癖を振り返ってみましょう。自分自身や他の人に、希望や勇気や平安ややる気を引き出すような言葉だったでしょうか。
ちょうど良かった
過去自分が書いた文章を読み直していたら、ある言葉を口癖にしたいということが書かれていました。それは「ちょうど良かった」という言葉でした。
神さまは次のように約束しておられます。

(第1コリント10:13)あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

ですから、私が経験する問題は、私にとっていつもちょうど良いものです。そんなわけで、問題がやってきたときには、「どうしてこんな目にあわなきゃならないんだ」と嘆く代わりに、「ちょうど良かった」と口にしよう……と自分で書いたのです。

実はすっかり忘れておりました。なので、再び意識して「ちょうど良かった」を使ってみたいと思います。

すでに皆さんがなさっているように、これからも自分が口にする言葉によって、自分自身が、そして他の人たちが励まされるような言葉を発していきたいですね。

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
E-Mail info@nakakomi.com