(2025年10月26日)
召天者記念礼拝のメッセージ。旧約時代の信仰者たちの特徴から、私たちに求められる信仰と、それに伴う祝福について解説しています。
礼拝メッセージ音声
イントロダクション
今日は、すでに亡くなって天のパラダイスに引っ越された3名の教会メンバーの方々を偲ぶ、「召天者記念礼拝」です。今回選ばれた聖書箇所は、ヘブル人への手紙11章です。
ここから私たちは、旧約時代の信仰者、そして3名の召天者の方々がどんな信仰を持っていたのか、その結果どんな祝福を味わったのかを学びます。それにより、私たちが残された地上生涯をどのように過ごせばよいか教わりましょう。
1.昔の人たちの信仰
信仰とは
信仰の定義
(1節)さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
この箇所は、信仰とは何かについて教えてくれています。
「保証」と訳されている言葉(ギリシア語でヒュポスタシス)は「土台」という意味を持ちますが、法律用語としての「権利書」という意味もあります。
たとえば私が誰かから、夏涼しいと言われている勝浦の別荘を譲渡されたとします。私がその場所を一度も訪れたことがなかったとしても、権利書を見ればその土地建物が自分のものだと確信できます。
信仰は、不動産の権利書のようなものです。まだ実際に体験していなくても、必ず体験できると確信させる力が信仰です。
しかも、キリスト教の信仰は、「こうなったらいいな」という単なる願望や、「こうなるはずだ」という一方的な思い込みとは違います。不動産の権利書が目で見て確認できるように、信仰の根拠も実際に確認できます。
信仰の根拠は神さまの約束であり、その約束は聖書を読むことによって確認できるのです。
信仰による称賛
(2節)昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。
昔の人たち、つまりヘブル人の手紙が書かれた時点から見て昔の人たちとは、旧約聖書に書かれている時代の人たちのことです。彼らは信仰によって称賛されたと書かれています。彼らを認めてほめているのは誰かというと、神さまです。
信仰による悟り
(3節)信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。
「世界」と訳されている言葉(アイオーナス)は「諸々の時代」とも訳せます。すなわち、空間と時間の全体を表す言葉です。神さまは、時間を含むこの宇宙のすべてを創造なさいました。
しかも、神さまは何かを材料にして宇宙を創造なさったのではありません。神さまが「光よあれ」と語られると光が生まれたように、ご自身の言葉によって全くの無からすべてのものを生み出されました。
もちろん、旧約聖書の時代の人たちも、新約聖書の時代の人たちも、今を生きる私たちも、天地創造の現場を目撃したわけではありません。しかし、聖書に記されていることを信じることで、神が無から世界を創造なさったのだと知りました。
信仰者たち
アベルの信仰
(4節)信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。
信仰者の例としてまず挙げられたのは、創世記4章に登場するアベルです。人類の先祖であるアダムとエバが罪を犯してエデンの園を追い出された後、カインとアベルが生まれました。
成長した二人は神さまにいけにえをささげますが、カインのいけにえは退けられ、アベルのいけにえは受け入れられました。それはアベルのいけにえの方がすぐれていたからです。何が優れていたか、直接には書かれていませんが、次のように考えられています。
- 罪ある人間が神に近づくには血の犠牲(動物のいけにえ)が必要だった。アベルは血の犠牲をささげたが、カインはそうせず、農作物しかささげなかった。
- しかも、カインは捨てても惜しくない出来の悪い作物をささげたが、アベルは最良の動物を選んでささげた。
嫉妬に狂ったカインは、アベルを殺してしまいました。アベルは死んでしまいましたが、彼の信仰のすばらしさは今も語り継がれています。その意味では、アベルは死んでいません。私たち、後世の信仰者たちの中に今も生きています。
アベルが私たちに教えてくれているのは何でしょうか。それは、信仰とは自分勝手な熱心さではなく、神さまが示された方法に従うということです。
私たちが神さまに救われるために、すなわち罪を赦されて受け入れられ、神さまの子どもとされ、永遠の祝福をいただく方法は何でしょうか。
たくさん良いことを積み重ねること? たくさん献金すること? 論文が書けるほど聖書を研究すること? 幻を見たり体が痺れたりするような奇跡的な体験をすること? そうではありません。
聖書は「この私の罪を赦すためにイエス・キリストが十字架にかけられた。そして、死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということ(恵みの福音)を、これは真実だと信じ受け入れることによって救われると教えています。自分勝手に救いの条件を決めつけてはなりません。
エノクの信仰
(5節)信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。
エノクは、創世記5章に登場する人物です。当時の人間は900年程の寿命がありましたが、エノクは死ぬことなく天のパラダイス(いわゆる天国)に移されました。それは、地上を生きていたときのエノクが、神さまに喜ばれていたからです。
もちろん、死んだ人が神さまに喜ばれていなかったわけではありません。4節に出てきたアベルは死にましたが、彼がいけにえをささげる態度を神さまは喜ばれました。そして、その肉体は死んで土に返りましたが、魂はエノクが招き入れられた天のパラダイスにいます。
アベルだけでなく、神さまを信じた人たちの魂は、すべて天のパラダイスにいます。すでに亡くなった3名のメンバーの方々も、今は天のパラダイスで安らぎを得ています。もしかしたら、アベルの魂やエノクにも会っていらっしゃるかもしれません。
さて、死なずに天に挙げられたのは、人類史上預言者エリアとこのエノクだけです。彼らは、やがて私たちが経験する携挙のモデルです。携挙とは、将来のあるとき、死んだクリスチャンが復活して天に挙げられることです。
その際、まだ生きているクリスチャンも復活の体と同じ栄光の姿に変えられ、復活したクリスチャンたちと一緒に天に挙げられます。まるでエノクのように。
私たちの希望は、地上での祝福に限定されるものではなく、死を越えて与えられる永遠の祝福です。
神に喜ばれる条件
(6節)信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
エノクは神さまに喜ばれました。その理由は信仰です。
ヘブル人への手紙の著者は、神さまに喜ばれる信仰の要素を2つ挙げています。
- 神の存在を信じる
- 神を求める者に神は報いてくださる
神さまは理論上の存在ではなく、私たちに応答してくださる、生きておられるお方です。
なお、「神の求め方」については、すでに取り上げたように自分勝手に決めた方法ではダメです。神さまが、こういう方法で求めなさいと教えてくださったやり方に従う必要があります。時代によってその方法は変わりますが、今の私たちにとっては「恵みの福音」を信じるというやり方です。
ノアの信仰
(7節)信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。
次に挙げられている信仰者はノアです。
彼は神さまの警告を信じ、世界を襲う大洪水に備えて箱舟を作りました。ノアの時代までは地上に雨が降らず、湧き上がる地下水が土地を潤していたと思われます(創世記2:5-6)。とすると、小規模な洪水どころか雨さえ見たことがないのに、ノアは神さまの言葉を信じて備えをしたわけです。
たとえ見たことがないこと、体験したことがないことでも、神さまが語られたことだから必ず起こるとノアは信じました。私たちもそうありたいと、ヘブル人への手紙の著者は語ろうとしています。
アブラハムの信仰
(8節)信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。
信仰の父と呼ばれるアブラハムも、実際に体験しなくても神さまの約束を信じる信仰者でした。
アブラハムがユーフラテス川の河口付近にあったウルという町に住んでいたとき、神さまは彼にご自分が示す場所に行けとお命じになりました。具体的な地名は、この時点では明らかにされていません。しかし、アブラハムはそれにもかかわらずふるさとを離れて旅立ちました。
天幕生活をするアブラハム
(9節)信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。
やがてアブラハムは、約束の地カナンに到着しました。そして、神さまはアブラハムとその子孫に、北はユーフラテス川から南はエジプト国境の川までという広大な土地を与えると約束なさいました。
ところが、その約束の地がすべてアブラハムの手に入ったわけではありません。彼が死ぬまでに手に入れた不動産は、わずかばかりの広さの畑とそれに隣接する洞穴です。そのため、アブラハムは息子イサクや孫ヤコブと同様、テントに住み、移動生活をしました。
天の都を待ち望むアブラハム
(10節)堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。
わずかばかりの土地しか手にしなかったアブラハムですが、それで土地の約束を信じなくなるということはありませんでした。
アブラハムには、「神さまが設計し、堅い基盤の上に立てられた都」、すなわち黙示録21-22章に描かれている新しい天と新しい地にある「新しいエルサレム」に住むという希望があったからです。
なお、カナンの地がアブラハムとその子孫に与えられるという約束も文字通り果たされます。イエスさまが再臨なさったときに地上に実現する千年王国で、アブラハム、イサク、ヤコブとイスラエル民族に、約束の地が与えられます。
以降に登場する信仰者たち
これ以降も、信仰者たちの例が挙げられています。
イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセの両親、モーセ本人、出エジプトの時のイスラエルの民、ヨシュア時代のイスラエルの民、ラハブ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、預言者たち、その他無名の信仰者たち、女性たち、殉教者たち、迫害を受けた人たち
11賞のまとめ
そして、11章のまとめとして、次の言葉が語られます。
(39-40節)これらの人たちはみな、その信仰によって称賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした。神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので、私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはなかったのです。
約束されたものを手に入れることはなかったと書かれています。実際には、約束されたものを手に入れた人たちもたくさんいます。たとえば、約束通りアブラハムとサラはイサクを生みましたし、ダビデは王座を得ました。
ここに書かれている「約束されたもの」は単数形です。それは究極の約束、すなわち救い主によって与えられる最終的で永続的な祝福のことを指します。千年王国で与えられる祝福、さらにその後実現して永遠に続く新しい天と新しい地での祝福です。
そして、「私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはなかった」という表現は、千年王国や新天新地での祝福が、私たちにも与えられるということを保証しています。
今、ヘブル11章に挙げられた昔の信仰者たちは、天のパラダイスにいて千年王国や新天新地の実現を待っています。私たちの教会の亡くなった3名の方々もそうです。私たちもまた、やがて天のパラダイスに迎え入れられ、千年王国や新天新地での祝福を味わえます。
では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.信仰の遺産を継承しよう
ヘブル人への手紙11章には、さまざまな昔の信仰者たちが載っています。私たちは彼らの遺産を直接受け継ぐことはできませんが、信仰という遺産を受け継ぐことができます。
神の約束を信じる信仰
昔の信仰者たちは、神さまの約束を聞いて信じました。私たち現代を生きるクリスチャンの信仰も、神さまの約束を聞き、それは必ず実現すると信じることが期待されています。
聖書の中には、私たちに対する神さまの約束がたくさん記されています。聖書をよく読むことによって約束の言葉を心に蓄えましょう。そして、目の前の状況はどうであっても、この約束は必ず実現すると信じましょう。
たとえば、聖書の中には次のような約束があります。
(ローマ8:28)神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
私たちが困難に遭うとき、何をやってもうまく行かないことが続くとき、人に意地悪をされたり、病気や怪我をしたりしたとき、それでも最終的に自分は幸せになれると信じるのです。
神の約束という遺産
アメリカの看板描き職人であったソローン氏は、父親から受け継いだ百万ドルの遺産を、あっという間に使い果たしてしまいました。丸裸になってしまい、すっかり憔悴してしまったソローン氏は、特に信じようという気はなかったのですが、それでも町の小さな教会に足を運びました。
すると、事情を知った牧師が言いました。「神さまのご計画、それがあなたの遺産です。あなたは、お父さんの遺産をすべてを失ってしまったけれど、これで人生が終わったわけではない。神さまがあなたの人生に計画を持っておられ、あなたを導いてくださいます」。
「そんな……。神さまは私なんぞのことなんか知りませんよ」と言うソローン氏に、牧師は、「あなたがどんなに破綻をきたしていても、神さまはあなたに道を備えていてくださるんですよ。ただあなたは神さまを信頼し、あなたの全生涯を神さまにゆだねる決心をしなければなりません」と言いました。
教会から帰ったソローン氏は、自分のイーゼル(キャンバスを載せる台)に「神のご計画が私の遺産」と書き込みました。すると、不思議と彼の心に喜びと希望がわき上がってきました。「何かが始まった」とソローン氏は感じました。
それから何年も経って、ソローン氏は、芸術雑誌が「エリック・ソローンほど、我らの過ぎし日の記憶を、酸いも甘いもかみ分けた絵筆でさわやかにいろどった者はいない」と絶賛するような画家になっていました。
あなたにも、神さまは特別のご計画をお持ちです。
そして、私たちは「信じたならこんなふうに行動するよね」という行動を実践しましょう。たとえば、すべてのことが神さまによって益になると私が信じたのなら、私は苦しみに遭ったことそのものを感謝することができます。なぜなら、その苦しみは祝福の種なのですから。
感情的にはうれしくもなんともない、それどころか嫌で嫌でたまらないことを感謝するのは難しいことです。
しかし、それでも約束を信じる信仰によって祈るのです。「この苦しみが私に与えられたのは、あなたの愛の故だと信じます。私を幸せにしようとしてくださってありがとうございます。まだ私にはあなたのご計画のすべてが理解できてはいませんが、そのことを信じて感謝します」
終末時代の祝福を信じる信仰
私たちに与えられる祝福は、生きている今だけではありません。
たとえこの地上生涯は苦しみ続きだったとしても、天のパラダイスには安らぎがあります。その先の千年王国には、ワクワクするような千年も続く人生が待っています。そして、その先の新天新地においては、永遠に続く祝福を味わうことができます。
ヘブル11章に出てくる信仰者たちは、永遠の先の祝福を信じていました。そのために、今目の前に起こることに、必要以上に振る舞わされることなく、堂々としていられました。
3人の召天者の皆さんも生前、それぞれにやがて与えられる祝福について口にし、期待しておられました。それ故に、自分の損得を考えずに他の人に尽くしたり、死を前にして恐れることなく喜びを表したり、問題の中でも平安を保っていられたのです。
私たちもまた、この地上に住んではいるけれど、本当の住まいは天にあること、そして永遠に続く祝福が待っていることを忘れないでいましょう。
次世代に遺す信仰
受け継いだ遺産は、次の世代にバトンタッチしなければなりません。旧約時代の歴代の信仰者たち、そしてクリスチャンたちは、過去の信仰者の信仰を受け継ぎ、それを次の世代に言葉と生き様を通して伝えていきました。
同じように、私たちも過去の信仰者たち、そして3人の召天者の方々から、信仰者としていかに生きるかを学んできました。そして、私たちはそれに私たちなりの信仰の資産をプラスして、次の世代に伝えましょう。
といっても、アブラハムやモーセやダビデのような偉業を成し遂げる必要は必ずしもありません。神さまが与えてくださった小さな使命を忠実に果たすこと。それが信仰継承につながります。
エドワード・キンドール
2018年、世界的な伝道者だったビリー・グラハムが99歳で召天なさいました。師は、歴史上最も多くの人に福音を伝えた人と言われ、単純な十字架と復活のメッセージによって、たくさんの人々がイエス・キリストを信じ、救いを体験しました。20世紀を代表する大伝道者ですね。あなたも、きっと名前を聞いたことがあるだろうと思います。
では、エドワード・キンドールという人のことをご存じでしょうか。彼は、按手礼を受けた牧師でもプロの伝道者でもありません。
1885年のことです。ボストンの教会学校で教師をしていたキンドールは、自分のクラスの若者の家を訪問しました。そして、その日、キンドールが伝えたイエス・キリストをその若者は信じました。この若者の名は、D・L・ムーディ。彼は、後に19世紀を代表する大伝道者となります。
その後、ムーディは、F・B・マイヤーという人に大きな感化をもたらします。そして、マイヤーは、ウィルバー・チャップマンに深い影響を与えます。マイヤーもチャップマンも優れた伝道者となります。チャップマンは、ビリー・サンディーという元メジャーリーガーの伝道者と一緒に伝道活動をするようになります。このサンディーの働きによってノースキャロライナ州に宣教団体が設立されますが、1934年のある日、この団体が伝道者モルデカイ・ハムを招いて伝道集会を開きました。
その集会に、ある16歳の少年が友だちに誘われて出席しました。元々信仰には全く興味がなかったのですが、その日イエス・キリストを信じてクリスチャンとなりました。その少年がビリー・グラハムです。
キンドールは、ムーディーやチャップマンやグラハムのように、何万人、何億人もの人々に福音を語るような大きな働きはできなかったかもしれません。また、興味がなかったグラハムを集会に誘った人も、目立つ大きな働きをしたわけではありません。しかし、彼らが自分に与えられている小さい使命を忠実に果たしたからこそ、後の大伝道者たちが誕生し、その結果多くの人々がイエスさまを信じて生まれ変わり、新しい人生を手に入れたのです。
あなたがイエスさまと共にしようとしていることは、決して小さなことではありません。

今、あなたが神さまにして信じて欲しいと願われている約束は何でしょうか。そして、その約束を信じたあなたに求められている行動は何でしょうか。それを忠実に実行しましょう。それが、あなたの信仰を次の世代に受け継がせることになります。