(2026年5月24日)
罪を犯して教会から除名処分になった人が悔い改めたため、その人を赦すようパウロは勧めます。ここから、サタンの策略に対抗し、イエス・キリストとの関係を深める方法を教わりましょう。
礼拝メッセージ音声
イントロダクション
罪は、本人だけでなく教会全体に悲しみをもたらします。しかし、悔い改めた人をいつまでも責め続けるなら、それもまた主のみこころから外れてしまいます。パウロはコリント教会に、悔い改めた人を赦し、慰め、愛を公に確認するよう勧めました。
それは、その人を赦すことが、コリント教会の人たちとイエスさまの仲を引き裂こうとするサタンの策略に対抗する行動だったからです。
イエスさまとの親密な交わりを保ち、さらにそれを深めることが、私たち人間にとって喜びや平安の源となります。ですから、むしろ私たちは、主イエスさまとの関係を深めて行く必要があります。そのためにはどうすればいいか、今回の箇所から教えていただきましょう。
1.罪を悔い改めた人を赦すようにという指導
罪がもたらす悲しみ
悲しみをもたらした人
(5節)もしある人が悲しみをもたらしたのなら、その人は私を悲しませたのではありません。むしろ、言い過ぎにならないように言えば、ある程度まで、あなたがたすべてを悲しませたのです。
パウロが言う「悲しみをもたらしたある人」が誰なのかについて、古今東西さまざまな説が登場しました。
前回の訪問の際に、パウロに公然と反発して分派争いを激化させた人だという説も有力ですが、11-12章を見ると教会内に分派争いが残っていて、その問題がまだ解決をしていないかのような口ぶりです。
ですから、おそらく第一の手紙5:1で取り上げられた、父の妻(つまり継母)を妻にした人のことでしょう。父親はすでに亡くなったのでしょうが、それでも継母と関係を持つのはユダヤ人の間だけでなく、ローマ帝国の異邦人の中でも不道徳なことだととらえられていました。
第一の手紙の中で、パウロは教会がしっかりとその人を指導し、どうしても聞き入れられないなら除名処分にするよう求めています。
(第1コリント5:1-2)現に聞くところによれば、あなたがたの間には淫らな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどの淫らな行いで、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。それなのに、あなたがたは思い上がっています。むしろ、悲しんで、そのような行いをしている者を、自分たちの中から取り除くべきではなかったのですか。
この箇所でパウロが、その罪を犯した人が「ある程度まで、あなたがたすべてを悲しませた」と書いているのは、その人が罪を悔い改めないでいることで心を痛めていなかった人たちもいたからです。
しかし、前回のコリントへの緊急訪問や、その後書かれた涙の手紙、さらにはその手紙と一緒に派遣されたテトスの指導によって、コリント教会の人たちは問題の深刻さを理解し、他人事だという態度を捨てて正しく悲しむようになったのです。
大切なことは、クリスチャンの罪はその人個人だけでなく、教会全体に悲しみをもたらすものだということです。体の一部が傷つけば、体全体が痛みを共有します。罪の問題は教会全体に影響を及ぼします。
そして、「他の人がやったことだから、自分には関係ない」という態度ではなく、教会全体の課題として取り扱う必要があります。
悔い改めた人への処遇
悔い改めた人を赦すようにとの勧め
(6節-7節前半)その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、あなたがたは、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。
正しい悲しみを覚えるようになったコリント教会の人たちは、教会として罪を犯した人を指導し、聞き入れられなかったため除名処分にしました。すると、その人は自分の過ちを痛感して悔い改めました。
除名、すなわち教会員籍の剥奪と交わりの停止という、教会が行う最も重い処分は、相手との交流を絶つことそのものが目的なのではありません。反省を促し、悔い改めに導くためです。
実際、その人は罪を悔い改め、継母との関係を清算しました。そして、イエスさまによる罪のきよめを受け、神さまとの親密な交わりを回復しました。そういうわけで、今回の除名処分は目的を達成したのです。
だから今度は、教会もその人を赦し、除名処分を撤回して、再び教会の交わりの中に戻すようパウロは勧めます。目的を達成した以上、これ以上除名処分を続ける意味がないからです。
赦さないと起こること
(7節後半)そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
せっかく悔い改めた人をいつまでも交わり停止にしていると、その人は悲しみのあまり意気消沈してしまい、「これからはイエスさまに忠実に生きていこう」という意欲を失ってしまうかもしれません。
霊の戦いにおける赦し
愛の確認
(8節)そこで私はあなたがたに、その人へのあなたがたの愛を確認することを勧めます。
改めてパウロは、その人に対する愛を確認するようにと、教会に向かって勧めました。
この「確認する」と訳されている言葉には、「法的な文書が有効だと宣言する」という意味があります。
コリント教会は、その人が悔い改めたこと、だからもはや除名処分は必要なくなったためその人との交わりを再開すること、そして私たちはその人のことを愛していることを公に宣言するようにと勧めているのです。
赦しは、単に個人の心の中だけで起こることではなく、公の宣言でもあります。特定の人たちが個人的に赦すだけでなく、教会全体が一人残らずその人のことを赦すのだとパウロは言います。
涙の手紙の目的
(9節)私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうか、試すためでした。
前回の緊急訪問の後に書かれた涙の手紙(3-4節参照)は、かなり厳しい調子でコリント教会の人たちを責める内容だったようです。しかし、それもまた愛から出た行動でした。
パウロは、あの手紙によって、コリント教会の人たちがイエスさまに対してすべてにおいて従順だということを証明する機会を提供したと語ります。そして、コリント教会の人たちは、自分たちが従順だということを証明してくれました。
クリスチャンは、問題やそれによってもたらされる苦しみのことを、「試練」という言葉で表現します。この言葉には、肯定的な意味があります。問題は私たちの信仰を練り鍛え、私たちの信仰が本物だということを証明する機会になるのです。
キリストの御前での赦し
(10節)あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もそうします。私が何かのことで赦したとすれば、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
教会による赦しの宣言は、個人的なものにとどまらず公のものです。ですから、コリント教会が公に罪を悔い改めた人の赦しを宣言するなら、パウロもまたその人のことを赦します。
使徒であるパウロが赦しを宣言するということは、イエスさまの代理人としての宣言です。イエスさまもまた、その人のことを赦しておられるのだとパウロは強調します。だからこそ、教会は公にその人が赦されていることを宣言し、正式に交わりを回復します。
サタンへの対抗
(11節)それは、私たちがサタンに乗じられないようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
パウロが、赦しを単に個人的な心の中の問題ではなく、教会全体の問題として取り上げているのは、霊的な戦いが背後にあることを見抜いていたからです。
サタン(悪魔)やその配下である悪霊たちの勢力は、さまざまなチャンスを捉えて、私たちクリスチャンとイエスさまとの仲を引き裂こうとしています。
罪を軽視して指導をしないのが悪魔の利益になるのはもちろんですが、悔い改めた人に赦しと慰めをもたらさず、いつまでも責め続けたり無視し続けたりすることもまた、悪魔の思うつぼです。
なぜなら、いつまでも責め続けられる人は、やがて心が押しつぶされてイエスさまに従う意欲を失ってしまうからです。
だからこそ、悔い改めた人を公に赦し、交わりを回復しなさいとパウロは勧めるのです。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.主イエスとの関係を深める行動を取ろう
サタンの策略を意識しよう
パウロは「私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」と言いました。私たちはサタンが何を狙っているのか、その目的を意識している必要があります。
戦略と戦術という言葉があります。
- 戦術とは、与えられている状況の中で勝利を得るために何をすればいいか考えることです。
- 戦略とは、戦いの目的を明確にして、その目的を達成するためにさまざまな準備を整えることです。最終的に勝利するために、どの国と同盟を結んでおくか、どんな武器を開発するか、どれくらいの兵士を用意するか、どこに部隊を配置し、どこに敵を誘い込むかといった行動を考えます。
戦術、つまり目の前の戦いにばかりこだわって、全体の戦略をないがしろにする軍隊は最終的な勝利を得ることができません。将棋にたとえれば、相手の飛車や角行といった強い駒を取ることばかりを意識して、気がついたら自分の王将が逃げ場を失うようなものです。
サタンは冷徹な戦略家です。勝負に勝つためなら、飛車でも角行でも平気で相手に取らせます。サタンの目的は、私たち人間と神さまとの仲を引き裂くことです。私たちとイエスさまの関係が今より薄くなるためだったら、苦しみだけでなく快楽だって用います。
ポイントは、私たちと神さまとの関係が、今より薄くなるか、それとも親密になるかです。そういう視点で、自分の行動を振り返ってみましょう。それによって、私たちはサタンの策略を見抜くことができます。
主イエスとの関係が薄くなる行動を避けよう
ある行動をすること、あるいはある行動をしないことが、どれほど自分にとって都合が良くても、気分を良くしてくれることであっても、イエスさまとの関係をおかしくしてしまうものなら避けなければなりません。
Aさんは、有能な営業マンでした。そんな彼に栄転の話が舞い込んできました。これを受ければ、今よりかなり給料が上がります。そして、さらに豊かな暮らしができるようになるでしょう。家族を楽させてあげられるし、教会への献金も増やせます。そこでAさんは喜びました。
しかし、聖書を読んでいた時に、イエスさまのたとえ話が目にとまりました。
(ルカ12:16-21)それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」
バリバリ働くこと、お金をかせぐこと自体は悪ではありません。しかし、自分に限って言えば、いつの間にかイエスさまに従うことよりも、お金を儲けて裕福な暮らしをすることに意識が向いてしまっていた。これは正しくない。Aさんはそう感じたそうです。
結局、Aさんは栄転の話を断りました。そして、積極的に有給休暇を取ったり、残業を減らしたりして、家族と一緒に過ごしたり祈ったりすることに時間を使うようになったのでした。
うれしいことであっても、苦しいことであっても、イエスさまのことを意識しなくなったり、イエスさまとの関係を薄くしたりしそうな行動は避けるようにしましょう。
主イエスとの関係が深まる行動を選ぼう
むしろ私たちは、自分や他の人が、今よりもっとイエスさまと仲良しになれるような行動を選びましょう。
聖書と祈りを通して聖霊さまから神さまのみこころを学び、それを実行することは、イエスさまとの関係を深めます。愛は相手を知ることから始まるからです。そして、イエスさまは、私たちが忠実であることを喜ばれるからです。
他の人にどう接すれば愛を実現することなのか考え、実行することは、イエスさまとの関係を深めます。イエスさまはその人のことも大切に思っておられるからです。
問題がやってきたときに、不平不満をつぶやく代わりに、神さまに助けを求めて祈ることは、イエスさまとの関係を深めます。それはイエスさまへの信頼を表しているからです。
そして、状況が良くても悪くてもすべてのことを感謝することは、イエスさまとの関係をさらに深めます。感謝は、あらゆる事を神さまが支配しておられることと、神さまが私たちをこよなく愛してくださるお方だという信頼を表現する方法だからです。
まとめ
私たちは、サタンと悪霊たちが嫌なことやうれしいことを用いて、何とかして私たちとイエスさまの仲を引き裂こうとしていることを意識していましょう。そして、むしろイエスさまとの仲が深まる行動が何か考え、積極的にそれを実践していきましょう。
特に感謝は、イエスさまとの信頼関係を深めるだけでなく、問題によって沈みかけている私たちの心を引き上げ、喜びや平安をもたらしてもくれます。かなりおすすめの行動なので、今週意識して実践してみましょう。