(2024年6月30日)
タラントのたとえは、イエス・キリストが語ったたとえ話の一つです。このたとえ話は、世の終わりに信者が体験することと、それを知って今をどのように生きればいいか教えています。
礼拝メッセージ音声
参考資料
14節の「天の御国」は、将来救い主が地上に実現すると預言されている理想的な王国のこと。福音書の他の箇所では「神の国」と呼ばれています。また、黙示録20:4でこの王国が千年間続くことが分かるので、「千年王国」とも呼ばれます。
15節の「タラント」は銀や金の重さの単位で、1タラントの金は6千デナリ、すなわち労働者6千日分の日当に相当します。日当5千円で計算すると、1タラントは3千万円です。
27節の「銀行」は、元々は「両替商の台」のこと。両替商は、資産家から預かったお金を元手に高利貸しも行なっていました。当時の金利は非常に高くて、年利48%という場合もありました。
イントロダクション
マタイ25章は、世の終わりに起こることをイエスさまがたとえ話を用いて弟子たちに教えている箇所です。
4月14日のメッセージで取り上げた「ミナのたとえ」と似ていますが、違いが結構ありますし、表している内容も異なります。
私たちが生きている今、どのような生き方をするかによって、イエスさまが再臨なさった後に実現する千年王国でどんな祝福をいただけるかが決まります。どうせならよりすばらしい千年間を味わいたいですね。そのためには今、どんな生き方をすればいいのでしょうか。
1.主人からタラントを預かったしもべたち
旅立つ主人
たとえ話の意味
(14節)天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。
このたとえ話も、世の終わりに実現する千年王国について教えるための話です。ある資産家が旅に出ることになりました。そして、資産家である主人はしもべたちに資金を預けました。主人が留守の間にそれを元手に商売をするなどして、資金を増やすことが期待されています。
しもべに預けた資金
(15節前半)彼はそれぞれその能力に応じて、一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。
ミナのたとえでは、すべてのしもべに一律1ミナの資金が渡らされましたが、このたとえ話では能力に応じて異なる資金が手渡されました。それぞれ5タラント、2タラント、1タラントです。
タラントは元々は貴金属の重さを表す単位で、お金の量を表す単位にも用いられました。5タラント、2タラント、1タラントのお金は、労働者の日当を5千円として計算するとそれぞれ1億5千万円、6千万円、3千万円です。3人とも額に違いはありますが、みんなとんでもない額の資金を預かったことになります。
しもべたちの行動
5タラントのしもべの行動
(15節後半-16節)するとすぐに、五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。
5タラント預かったしもべは、主人の期待通りに商売をして、資金を2倍の10タラントにしました。
2タラントのしもべの行動
(17節)同じように、二タラント預かった者もほかに二タラントをもうけた。
2タラント預かったしもべも、商売をして資金を2倍の4タラントにしました。
元手が違うので5タラントのしもべと儲けた額は異なりましたが、主人の期待通りに商売をしたという点は5タラントのしもべも2タラントのしもべも同じです。
1タラントのしもべの行動
(18節)一方、一タラント預かった者は出て行って地面に穴を掘り、主人の金を隠した。
1タラントのしもべの行動は、他の2人とは異なっていました。彼は主人の期待通りに商売をすることなく、ただ預かった資金を土の中に隠しておいただけでした。つまり、彼は主人が旅をしている間、仕事をしないでサポっていたのです。
清算の時
帰ってきた主人
(19節)さて、かなり時がたってから、しもべたちの主人が帰って来て彼らと清算をした。
かなりの期間が経過しました。そしてついに主人が旅から戻ってきます。これは、やがてこの地上に戻っていらっしゃる、再臨のイエスさまのことを表しています。
帰ってきた主人は、しもべたちを呼んで清算をしました。すなわち、彼らが行なった商売の成果を確認しようとします。
5タラントのしもべへの報酬
(20-21節)すると、五タラント預かった者が進み出て、もう五タラントを差し出して言った。『ご主人様。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、私はほかに五タラントをもうけました。』主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
5タラントのしもべの報告を聞いた主人は、大変喜びました。そして、このしもべにさらに多くの物を任せることにすると言いました。すなわちこれからは儲けた5タラントを加えた10タラントを元手に商売をしてみなさいということでしょう。
ここで、主人がこのしもべに対して「わずかな物に忠実だったから」と語っている言葉に注目しました。1億5千万円を「わずかな物」と主人は言います。大資産家であるこの主人にとって、1億5千万円程度のお金は「わずかな物」でした。
だから、5タラントが10タラントになったことそのものが主人の喜びだったのではなく、しもべが自分の期待に添って忠実に働いてくれたことがうれしかったのです。
2タラントのしもべへの報酬
(22-23節)二タラントの者も進み出て言った。『ご主人様。私に二タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、ほかに二タラントをもうけました。』主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
2タラントのしもべの報告を聞いた主人は、彼についても大変喜びました。
5タラントの儲けと2タラントの儲けの間には、3タラント、すなわち9千万円もの差があります。しかし、主人は5タラントのしもべに対して語ったのとまったく同じほめ言葉を語りました。
先ほども申し上げたように、この主人が注目し喜びとしたのは儲けた額ではなく、2人のしもべたちが忠実に働いてくれたことだったからです。
1タラントのしもべの報告
(24-25節)一タラント預かっていた者も進み出て言った。『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください、これがあなた様の物です。』
1タラントのしもべは、土の中に隠しておいた1タラントを取り出して、そのまま主人に渡しました。そして、主人の期待に背いて商売をしなかった言い訳として、主人が厳しい人だと分かっていたからだと言います。
「蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める」とは、必要以上に取り立てをするというような意味です。そのようながめつい主人だとしたら、下手に商売に手を出して失敗なんかしたら、どんな罰が待っているか分かったものではありません。だから、せめて元金を守りたいと思って土の中に隠していたのだと1タラントのしもべは言うのです。
主人による論破
(26-27節)しかし、主人は彼に答えた。『悪い、怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。
しかし、この主人は1タラントのしもべの言い訳を受け入れませんでした。もしも本当に主人を恐れ、失敗したくないと思っていただけなら、銀行に預けて運用していたはずだと主人は言います。主人には、このしもべがただ単に仕事をさぼっていただけだと言うことが分かっていました。
そこで、この主人は1タラントのしもべのことを「悪い、怠け者のしもべ」と呼びました。他の2人が「良い、忠実なしもべ」と評価されたのとまったく逆です。
1タラントのしもべへの処分1
(28節)だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。
1タラントのしもべは、持っていた1タラントを取り上げられました。そしてその1タラントは5タラントのしもべに与えられることになりました。ですから5タラントのしもべは、今や11タラントのしもべになったわけです。
持つ者と持たない者の違い
(29節)だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。
このフレーズは「ミナのたとえ」にも登場しました。その時にも解説しましたが、これは聖書が世の中の経済格差を認めているということではありません。「持っている」「持っていない」というのはお金のことではなく、神さまに忠実に従おうという思いのことです。すなわち、
- 持っている者=神さまに忠実に従おうという思いを持っている人
- 持っていない者=神さまに忠実に従おうという思いを持っていない人
忠実に従おうという思いを持っている人には、神さまは報酬として、さらに偉大で重要な働きの機会を与えてくださいます。
この報酬は千年王国において与えられます。「えー、次の時代になっても働くんですか? そんな報酬は嫌だなぁ」。しかし、ご心配なく。
人類の先祖であるアダムが罪を犯したことによって、アダムが管理していたこの地上も呪われてしまいました。その結果、地上での仕事はきつくて必ずしも報われないものになってしまいました。
(創世記3:17)また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
ところが、罪を犯す前の仕事はそうではありませんでした。アダムはエデンの園を整えたり動物たちが幸せに暮らせるよう配慮したりする仕事をしていましたが、それは楽しくて確実に成果が出る、やり甲斐のあるものでした。
千年王国は、まるでアダムが罪を犯す前のエデンの園が回復したような世界です。千年王国での仕事は、決してしんどくてなかなか報われないようなものではなく、ワクワクするような喜びに満ちた働きです。
地上に生きている間に、主人、すなわち神さまのみこころにかなう忠実な生き方をしたクリスチャンたちには、そのような素敵な仕事が与えられて、千年王国での味わう喜びや感動が何倍にもなります。
1タラントのしもべへの処分2
(30節)この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』
「ミナのたとえ」では、忠実に働かなかったしもべは、他の忠実なしもべたちに報酬として与えられた、領主として町を治める権限は与えられなかったものの、クビになるなどの罰は与えられませんでした。それは、ミナのたとえに登場するしもべたちは、全員すでに救われているクリスチャンを象徴しているからです。
イエスさまの恵みの福音を信じて救われたクリスチャンは、すべての罪を赦されています。ですから、救われた後にどれほど自己中心的で欲にまみれた生き方をしたとしても、それで救いそのものが取り消されることはありません。
ただし、神さまを無視した自己中心的な生き方を続けると、千年王国に入ってからいただける追加の報酬をもらい損ねることになります。ですから、日々神さまのみこころを学んで、それに忠実に従う生き方をする方が、長期的にはずっとずっとお得です。
ところが、このタラントのたとえでは、不忠実なしもべは外に追い出されてしまいました。これは、1タラントのしもべが救われていない人を象徴しているということを表しています。1タラントのしもべが主人、すなわち神さまに忠実に従おうとしなかったのは、救いを体験していなかったからです。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.忠実なしもべとして生きよう
神のために生きよう
私たちクリスチャンはすでに救いを手に入れています。これから先犯すどんな罪もすでに赦されていて、将来理想的な国である千年王国に入れていただくことが決まっています。
しかし、私たちが地上に生きている間、5タラントや2タラントのしもべのように主人である神さまのみこころにかなう生き方を目指そうと、このたとえ話は私たちに教えています。
神と人への愛
6月9日のメッセージで、神さまの命令は2つの愛に要約されるという話をしました。すなわち、神さまを愛することと他の人を愛することです。
もちろん、イエスさまは私たちを救うためにご自分の命を捨てても惜しくないと思われるほど、私たちのことを大切に思ってくださっています。ですから、私たちが自分自身を粗末にするようなことを神さまは喜ばれません。私たちは、自分が幸せになることを求めていいのです。
しかし、自分の幸せのことばかり考えて行動することを、神さまは喜ばれません。私たちがしようとしていること、話そうとしていることは、神さまへの愛を実現することでしょうか。そして、他の人への愛を実現することでしょうか。
神の栄光のために
さらに、聖書は
(第1コリント10:31)「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と教えています。神の栄光を現すとは、神さまのすばらしさが私たちにも他の人にもさらに明らかになるということです。
私たちが語ること、私たちが行なうことは、神さまのすばらしさをもっと明らかにするでしょうか。それとも神さまのお名前に傷を付けるようなものでしょうか。
祈りながら、考えながら、言動を選んでいきたいですね。
必要なものはすべて与えられていると知ろう
1タラントのしもべは、「ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました」と言いました。しかし、実際の主人はしもべたちに「まったく資金ゼロから商売をしろ」と命じたわけではなく、元手としてそれぞれ大金を託しました。
しかも、一番少ない1タラントのしもべでも、3千万円もの大金を預かりました。
それと同じように、私たちが地上で神さまのみこころにかなう生き方をするために、神さまは私たちにたくさんのものを与えてくださっています。
タラントという言葉から、英語のタレントという言葉ができました。タレントとは才能という意味ですね。すなわち能力です。
私たち人間にはたくさんの能力が与えられています。たとえば、
- 運動能力:筋力、持久力、敏捷性、柔軟性など
- 知覚能力:視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感や、平衡感覚、時間感覚など
- 知的能力:記憶、注意、思考、推理、言語理解など
- 創造力:新しいアイデアを生み出す力、問題解決力、発想力、想像力など
- 学習能力:新しい知識や技能を習得する力
- コミュニケーション能力:言語や非言語的な手段で、他者と情報を共有し、関係を築く力
- 共感能力:他者の感情を理解し、共感する力
- 感情調節能力:自分の感情をコントロールし、適切な表現をする力
- 芸術的能力:音楽、絵画、ダンス、文学など、有形無形の作品を創造する力
- 道徳的能力:善悪を判断し、倫理的な行動をとる能力
- 霊的能力:永遠について考える力や、祈りを通して神さまと交わる能力
それらを、単に自分自身の幸せのために使うのではなく、神さまの栄光を現わし、神さまや他の人々への愛を実現するために使うのです。
人はみんな違うことを受け入れよう
今回のたとえ話で、3人のしもべはそれぞれ異なる額の資金を預かりました。その額は、しもべたちの能力に応じて決められたものです。
しもべたちの能力、そして預かったタラントには歴然とした差があります。そして、出した成果もそれぞれ違います。多く預かったしもべはそれだけ多くの成果を上げました。
しかし、5タラントのしもべと2タラントのしもべに対する主人の評価がまったく同じだというところに注目しましょう。主人が評価したのは出した成果ではなく、「ご主人さまの期待に応えたい。ご主人さまに喜んでいただきたい」という2人の忠実な思い、主人に対する2人の愛です。
そして、1タラントのしもべが叱られたのは、儲けを出さなかったからではなく何もしなかったからです。それは1タラントのしもべが主人を愛しておらず、主人の期待に応えて忠実に生きていこうという思いを持っていなかったということを表しています。
一方、2タラントのしもべは5タラントのしもべを見てがっかりし、やる気を失ったりしませんでした。あの人はあの人、自分は自分と考えて、自分にできることを精一杯行ないました。だからこそ、主人も2タラントのしもべに5タラントのしもべとまったく同じ評価を与えたのです。
私とあなたは違います。また私やあなたと他の人は違います。そしてそれでいいのです。他の人と比較して優越感に浸ったり、逆に落ち込んだりしてはいけません。自分に無いものではなく、自分にすでに与えられているものに目を向けて、それを使って精一杯神さまへの愛、人への愛を実践しましょう。
この話をお読みください。
最近の日本では、若者を中心に昭和歌謡がブームのようです。またアナログのレコード盤やカセットテープの魅力も再認識されているようです。そんなカセットテープが現役だった頃の話です。
ある方が病気にかかり、話すことはできるものの手足のほとんどが動かなくなってしまいました。動かせるのは、右手の親指のみ。しかし、クリスチャンであるこの人は考えました。「親指は動くじゃないか。家族や友人たちがいるじゃないか」。そして、この親指と口と人脈を用いて、他の人の幸せのために何かできないかと考えました。
家族や教会の友人たちの協力を得て、この人は親指だけでカセットテープレコーダーを操作できるようにしました。そして、病気と戦っていたり、傷ついたり、悲しんだりしている人たちに向けた慰め・励ましのメッセージを録音して、教会を通じて定期的に送る働きを始めました。
その結果多くの人たちが慰めを得、中にはイエスさまを信じて救われる人も現われました。
多くのものを失ったと思えるようなときでも、また他の人と比べて自分には才能がないと思い知らされるようなときでも、それでも神さまは私たちに多くのものを残してくださっています。無いものを見てやる気をなくすのではなく、今持っているものに目を留めて、それを使って神さまへの愛、人への愛を実現しましょう。
そのために私たちは創造され、今生かされています。