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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

イエスの証人となる

使徒の働きシリーズ1

使徒の働き1章1節〜12節

(2024年12月8日)

イエス・キリスト昇天する直前、弟子たちに「あなたがたはわたしの証人となる」という使命を与えました。ここから将来に対する不安への対処法を教わります。

礼拝メッセージ音声

参考資料

続きを読む1節の「テオフィロ」は、使徒の働きとルカの福音書の宛先として示されている人物。「前の書」はルカの福音書のこと。「神の友」という意味の名なので、すべてのクリスチャンのことだという説もありますが、おそらく個人名でしょう。というのも、ルカの福音書で「尊敬するテオフィロ様」と呼ばれていて、この「尊敬する」(ギリシア語のクラティストス)は「強者」「男の中の男」という意味があり、ローマ帝国の高い地位の人に付ける尊称だからです。おそらくクリスチャンになったローマ帝国の高官でしょう。
(ルカ1:3)私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。

5節の「ヨハネ」は、バプテスマのヨハネのこと。

12節の「安息日に歩くことが許される道のり」は、自分が住んでいる集落の境界線から2千キュビト(約900メートル)以内。これはモーセの律法で定められた規定ではなく、後の時代に律法学者たちが作り上げた規定(口伝律法、言い伝え)に基づきます。律法学者たちがそのような規定を定めた根拠は以下の通りです。
  • 安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までで、この日には休むようモーセの律法に定められています(出エジプト20:8-11など)。
  • 出エジプト16:29には、安息日の制限として「それぞれ自分のところにとどまれ。だれも自分のところから出てはならない」と定められています。律法学者たちは、この「自分のところ」のことを「自分の住んでいる地域の境界」と解釈しました。
  • イスラエルの民がヨルダン川を渡って約束の地に入る際、ヨシュアは「契約の箱から2千キュビトほど距離をおき、箱に近づくな」と民に命じました(ヨシュア3:4)。この故事から、2千キュビトという距離が神聖視されるようになりました。

イントロダクション

これまでイエスさまのご生涯についてシリーズで学んできましたが、今回からその続きとして、使徒の働き(使徒行伝)を順番に学んでいきます。

今回は、イエスさまが昇天なさるに当たって、弟子たちに残された使命について確認します。それによって、将来に対する不安から解放されて、今やならなければならないことに全力を傾けることができるようになります。その結果、建設的・生産的な人生を歩むことができます。

1.イエスの昇天と最後の教え

序文

福音書について
(1節)テオフィロ様。私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。

ルカの福音書と使徒の働きは、元々テオフィロという人物に向けて書かれた文書でした。テオフィロという人物については分かっていませんが、参考資料に書いたとおり、おそらくローマ帝国の高官でクリスチャンになった人物でしょう。

「前の書」は、ルカの福音書のことです。
福音書の終わりの部分
(2節)それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に上げられた日までのことでした。

ルカは、福音書では、イエスさまが昇天なさったところまで記録しているということをテオフィロに思い出させています。そして、使徒の働きは、それ以降の歴史についてカバーするのだということを示すためです。

ただし、今回の箇所では、イエスさまの昇天の場面についてより詳しく描いています。私たちも前回のメッセージで昇天について学びましたが、前回取り上げなかった部分にスポットを当てたいと思います。

昇天直前の教え

復活後のイエスの行動
(3節)イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。

イエスさまは十字架にかかって血を流し、死ぬことによって、人類の罪の罰を身代わりに負われました。そして、3日目に復活なさいます。復活なさったイエスさまは、ご自分が生きておられることを11人の使徒たちに示されました。

そして、40日間に渡って、消えたり現われたりしながら使徒たちを教えました。その教えの内容は、神の国についてであるとルカは語っています。

神の国(マタイの福音書では「天の御国」)というのは、救い主が地上に実現すると旧約聖書で預言されてきた理想的な王国のことです。救い主は、神の敵をすべて滅ぼし、イスラエルに恒久的な平和をもたらしてくださると共に、神さまを信じる異邦人にも祝福を与えてくださると約束されています。

神の国は、まるでアダムとエバが罪を犯す前のエデンの園のような世界です。アダムの罪によって失われていた調和、すなわち神さまと人間、人間と人間、人間と自然の調和が回復して仲良く暮らすようになります。たとえば、次のような預言があります。

(イザヤ2:4)主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

(イザヤ11:6-9)狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。

それが千年間続いた後、今のこの宇宙はすべて消え去って新しい天地が創造されると預言されているため(黙示録20章)、神の国は千年王国とも呼ばれています。
イエスの命令
(4節)使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

イエスさまは弟子たちに、エルサレムに入ってそこに留まるようお命じになりました。そして、エルサレムの中で父なる神さまの約束が実現するのをまたなければなりません。「父の約束」については、次の節で解説されています。
父の約束
(5節)ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」

バプテスマのヨハネは、イエスさまが公に活動を開始する直前に荒野で人々を教えました。その内容は、間もなく救い主が登場するから、神の国の約束の実現が近づいたということです。

しかし、罪があるままでは救い主に拒否されて神の国に入れません。そこで、罪を悔い改めて救い主をお迎えする準備をしなさいと勧めました。そして、悔い改めたしるしとしてヨルダン川に体を沈める洗礼を授けたのです。

それと同じように、間もなく弟子たちは聖霊によるバプテスマを体験するとイエスさまはおっしゃいます。

具体的にはこの昇天の日から10日後、ペンテコステの祭り(七週の祭り)の日に、聖霊なる神さまが弟子たち一人ひとりの上に下ってこられました。

(使徒2:1-4)五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
前回も申し上げましたが、バプテスマ(洗礼)には一体化するという意味があります。天から下ってこられた聖霊さまは、弟子たちと一つになり、弟子たちの内側に住んでくださるようになりました。これが約束されていた聖霊のバプテスマです。

当時の弟子たちは、イエスさまを救い主だと信じて救われてから、聖霊のバプテスマを体験するまでにタイムラグがありました。しかし、あのペンテコステの出来事が起こって以降は、人がイエスさまの十字架と復活を信じて救われると、その瞬間に聖霊のバプテスマを体験します。そして、聖霊さまがその人の内に住んでくださるようになります。

(ローマ8:9)しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。

あなたが恵みの福音を信じてクリスチャンになったのなら、あなたの内にも聖霊さまが住んでくださっています。そして、聖霊さまを通して父なる神さまやイエスさまもあなたといつも一緒にいてくださいます。
弟子たちの質問
(6節)そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」

イスラエルのための国の再興というのは、神の国が実現するということです。当時、イスラエルの国はローマ帝国の支配下にあって、独立を失った状態でした。しかし、神の国が実現する前に、救い主はイスラエルの敵を滅ぼし、イスラエルに恒久的な平和をもたらしてくださると約束されています。

自分たちは間もなく聖霊のバプテスマを体験するとイエスさまはおっしゃいました。そうしたら、神の国が実現するのですかと弟子たちは尋ねます。彼らは、これからイエスさまが天にお帰りになるということ、そしてずっと未来の時代に再びこの地上に戻ってこられてから神の国が実現するということをまだ理解していません。
あなたたちは知らなくてよい
(7節)イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。

神の国の実現の時期について尋ねた弟子たちに対して、イエスさまはそれは父なる神さまがお決めになることだとおっしゃいました。それはあなたがたの知るところではない、すなわち、あなたたちが知らなくてよいことだというわけです。

いつ神の国が実現するかということに関心を向ける代わりに、弟子たちが関心を持たなければならないことがあります。それが次の節で語られていることです。
イエスの証人となる
(8節)しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

聖霊のバプテスマを体験すると、弟子たちはイエスさまの証人になります。イエスさまの教えやなさったことを他の人に伝えて、その人たちを救いに導く働きをするということです。
そのような働きをするためには力が必要です。たとえば、
  • イエスさまの教えやなさったことについて深く理解する力
  • 救いについて分かりやすく人に伝える力
  • 恐れを克服して大胆に語る力
  • 神さまの子どもにふさわしい良い行ないができるようになる力
  • 必要に応じて奇跡や預言などを行なう力
そのような力は人間の内側から勝手に湧き上がってくるものではありません。内に住んでくださる聖霊さまが与えてくださるのだとイエスさまはおっしゃいます。

力を受け取った弟子たちは、イエスさまの証人としての働きをまずエルサレムで始めます。その町の中で聖霊のバプテスマを体験するからです。しかし、やがてエルサレムの外でも働きをするようになります。エルサレムがあるユダヤ地方、さらにその隣のサマリア地方、さらには異邦人が住む全世界へと働きの場が拡大していきます。

この8節は、「使徒の働き」全体のテーマ聖句です。使徒の働きには、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、そして地の果てにまで福音が宣べ伝えられていく様子が描かれています。

昇天

イエスの昇天
(9節)こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。

イエスさまの証人となるという使命について弟子たちに語られると、イエスさまは天に昇って行かれました。

なお、クリスチャンが死んで、その魂が天のパラダイスに迎え入れられることを「召天」と言います。人は自分の力だけで天に昇ることはできません。神さまによって救われ、神さまによって呼ばれるからこそ、天国に行くことができるからです。

しかし、イエスさまは自ら天に昇って行かれたので、今回のこの出来事のことは「昇天」と書きます。
天使の登場
(10節)イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。

イエスさまが天に昇って行かれると、弟子たちはしばらく天を仰いでいました。あまりの出来事に呆然としていたのかもしれません。

すると、そこに白い衣を着た2人の人が現われます。この人たちは天使です。
天使のみつげ
(11節)そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

天使たちは、イエスさまがもう一度この地上に戻ってくる、すなわち再臨なさると弟子たちに語りました。しかも、今あなたたちが見たのと同じ有様で、と語っています。

教会の中には、文字通りに聖書を解釈せず、比喩的に解釈しようとするグループがあります。そういった人たちは、イエスさまの再臨や神の国の実現は物理的に起こるものではなく、クリスチャンの心の中に起こると説明します。たとえば神の国が平和に満ちた場所だという約束は、クリスチャンの心の中に平安が与えられるという意味だというわけです。

しかし、そのような解釈が間違いだというのは、この天使の言葉から明らかです。イエスさまは将来のある日あるとき、物理的にこの地上に戻ってこられ、物理的に神の国を実現なさいます。
弟子たちの反応
(12節)そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。

今回の出来事は、エルサレムのすぐ東にあるオリーブ山という山で起こりました。「安息日に歩くことが許される道のり」というのは、参考資料に書いたとおり約900メートルです。

そして、弟子たちは、イエスさまがお命じになったとおりエルサレムに入っていきました。エルサレムはイエスさまが殺された場所です。かつての弟子たちは、自分たちもとらえられて殺されると思って恐れていましたが、ずいぶんと大胆になったものです。それは、聖霊のバプテスマの約束、さらには再臨の約束を再確認できたからです。

それから10日後のペンテコステの日まで、弟子たちは祈りながら聖霊のバプテスマを待ち望むことになります。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神と人の責任を分けよう

神の責任と人の責任

神の国がいつ実現するのかと尋ねた弟子たちに、イエスさまはそれはあなた方の関知することではないとおっしゃいました。それは父なる神さまが、ご自分の権威によってお決めになることです。神さまがお決めになることだから、使徒たち、そして私たちは心配しなくてかまいません。

また、イエスさまは聖霊のバプテスマをエルサレムで待てとおっしゃいました。エルサレムに入ってそこに留まること、そして聖霊のバプテスマが起こることを信じて待つことは弟子たちの責任です。しかし、実際に聖霊のバプテスマを起こすのは神さまの責任です。

神さまには神さまのなすべきことがあり、人には人のなすべきことがあります。聖書は、この両者をはっきりと区別しています。
救い
たとえば、人の救いについて、聖書は次のように教えています。

(ヨハネ1:12)しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

人の責任、人がなすべきことは、イエスさまを信じ受け入れること。すなわち「この私の罪を赦すためにイエスさまは十字架にかかり、死んで葬られたけれど、3日目に復活なさった」(第1コリント15:1-8)という恵みの福音を信じることです。

そして、神さまの責任、神さまがなすべきことは、そのような信仰を持った人を救って、神さまの子どもにしてくださることです。

私たちがこの神さまの責任分野にまで手を伸ばすとはどういうことでしょうか。それは、恵みの福音を信じたのに、救われている感じがしないから、本当は救われていないんじゃないかと心配することです。
将来への備え
また、たとえば将来への備えについても同様です。

アメリカ独立のために尽力した政治家で、雷が電気だということを証明したベンジャミン・フランクリンは、「計画を立てないことは、失敗するための計画を立てることだ」と言いました。人生の長期計画を立てて、リスク管理をしたり、目標達成のために必要な準備を整えたりすることは大切です。
しかし、どんなに周到に準備しても、人生何が起こるか分かりません。健康のことでも、子育てのことでも、仕事のことでも、人間関係のことでも、先のことを心配しようと思えば、いくらでも心配の種は湧いて出てきます。

聖書は、将来についての神さまの責任について次のように教えています。

(ローマ8:28)神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

私たちが十分準備を整えた上で、実際に何が起こるかは神さまの領分です。私たちが心配すべきことではありません。
赦し
あるいは、他の人を赦すという命令についてはどうでしょうか。聖書は次のように命じています。

(ルカ6:27)あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。

この命令を守ることは私たちがすべきこと、私たちの責任です。しかし、その結果は神さまの領分です。すなわち、私たちが他の人のことを心から赦せる気持ちになるかどうか、あるいは赦した相手が悔い改めて態度を変えるかどうかは、神さまがなさることであり、私たちが心配すべきことではありません。

神の責任に属することは信じてゆだねる

ですから、神さまの責任に属すること、神さまが自分でするとおっしゃっていることに関しては、私たちはあれこれ心配するのをやめましょう。神さまは、必ず最も良いようにしてくださいます。それを信じて神さまにおゆだねしましょう。

また自分以外の人の責任に属することについても、その人を信じてゆだねる姿勢が大事です。私たちは他の人にアドバイスしたり、お手伝いをしたりすることはできますが、その人の代わりにその人の人生を左右することはできません。 神さまがその人に働いてくださると信じて、おゆだねしましょう。

自分のなすべきことを全力で行なう

神さまが最も良い結果を与えてくださるのを信じて待ちましょう。そして、私たちは自分がしなければならないことを全力で行なわなければなりません。その時、使徒たちにイエスさまの証人となる力を与えてくださった聖霊さまが、あなたにも力を与えてくださいます。
ニートの息子を持つ母親のケース
Aさんの息子さんは、高校生の時に不登校となり、以来ずっとニート生活を続けておられました。しかし、完全引きこもりというわけではなく、買い物に出かけたり、趣味のイベントに参加したりすることはできます。

そして、お母さんであるAさんは、息子さんが求めるまま小遣いを与えていました。老後のことを考えたら決して余裕があるわけではないのですが、小遣いを与えなければ毎日退屈で息子がかわいそうだと思うからです。

しかし、クリスチャンであるAさんは、先輩クリスチャンに言われました。「そうやって求められるままに小遣いを与えていたら、息子さんはニート生活でまったく困らない。そうしたら、ニートから抜け出さなきゃとも思わないんじゃないか」と。

その言葉によって、Aさんは自分が神さまに属する事柄に手を出していたこと、そして、自分がなすべきことをしていないことに気づかされました。

息子の退屈のことや将来のことについては、神さまがちゃんと導いてくださいます。神さまの導きの中で、息子が自分の人生を決めなければなりません。だから、もう口や手を出すのはやめにしよう。自分がすべきことは、息子によけいな手を出さずに見守ること、そして、むしろ働いて生活費を入れてほしいと願うことだ。Aさんはそう思いました。

そして、Aさんは息子さんに、自分たちの老後の備えをしたいから必要以上の小遣いは上げられないこと、もし遊びたければ自分で稼いで欲しいということ、さらにわずかでも生活費を入れて欲しいということを伝えようとしました。

ところが、なかなかその言葉が出てこなかったそうです。言おうとすると心が震えるのです。「ああ、自立していないのは息子ではなく自分だった」。そう気づいたAさんは、神さまに力を求めると共に、教会の仲間たちに祈りの援護射撃をしてもらいました。すると、聖霊さまがAさんに力を与えてくださり、とうとう言うべきことを息子さんに伝えることができました。

すると、息子さんは了承し、次の日にはアルバイト先を探しに行きました。やがて、建築会社の正社員として働くようになり、結婚し、さらには苦労をかけたからということでAさん夫妻に外国旅行をプレゼントしてくれたそうです。

まとめ

神さまの責任に属することと、自分自身に属することを区別しましょう。そして、神さまに属することは信じてお任せし、自分がしなければならないことに全力に取り組みましょう。聖霊さまの助けを祈り求めながら。

そうすることで、私たちは考えても仕方のないことでうじうじと悩んだり、不安にさいなまれたりすることがなくなります。そして、建設的・生産的な生き方をすることができるようになります。

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