本文へスキップ

礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

サマリアの魔術師シモン

使徒の働きシリーズ10

使徒の働き8章14節〜25節

(2025年2月16日)

伝道者ピリポのサマリアでの宣教によって洗礼を受けたサマリアの魔術師シモン(シモン・マグス)が、使徒ペテロにある願いをして叱責された場面について解説します。

礼拝メッセージ音声

イントロダクション

今回は、イエスさまの救いがエルサレムからユダヤ地方全体へ、さらにはサマリア人が住むサマリア地方にまで広がっていったという記事です。ここから、私たちは神さまからプレゼントが与えられているということを確認します。

1.サマリア伝道と魔術師シモン

サウロによる迫害とピリポのサマリア伝道

サウロによる迫害
前回、配給の問題に当たるために選ばれた7人の執事の一人、ステパノが無実の罪で逮捕されて殺されるという事件を取り上げました。この事件をきっかけに、イスラエルの宗教的指導者たちから教会に対する迫害が激しさを増しました。
迫害を率先して行なっていたのが、サウロという青年でした。

(1-3節)サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。

十二使徒はかろうじてエルサレムに留まりましたが、多くのクリスチャンたちが迫害を逃れてエルサレムの外に逃げ出してしまいました。

非常に悲しむべき事態ですが、それによって神さまの救いのご計画が前進することになります。
散らされた先での伝道
(4節)散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。

迫害から逃れるためにエルサレムを離れたクリスチャンたちでしたが、迫害を恐れて自分たちの信仰を隠し通したわけではありません。行く先々でイエスさまによる恵みの福音を語りました。

恵みの福音とは、「この私の罪を赦すためにイエスは十字架にかけられた。そして死んで葬られたが、3日目に復活した」ということが、本当だと信じて認めることです。

イエスさまが天にお帰りになる前、次のような言葉を語られました。

(使徒1:8)しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

サウロによる迫害によって多くのクリスチャンたちがエルサレムの外に出て行った結果、彼らはイエスさまの証人として活動しました。その結果、今度はユダヤ地方に福音が宣べ伝えられていったのです。
ピリポによるサマリア伝道
ステパノと共に配給の問題に当たっていたピリポは、エルサレムを離れた後サマリア地方に赴きました。

サマリア地方に住んでいたのはサマリア人です。かつてイスラエルが北王国と南王国に分かれていた時代、北王国はアッシリア帝国に滅ぼされます。そして、多くの国民がアッシリアに連れ去られました。そして、アッシリアは他の民族を強制的に北王国に連れてきて住まわせます。こうして外国の人たちと残っていた北王国国民が交わった結果生まれたのがサマリア人です。

ですから、元々はユダヤ人と同じ神さまを信じる同胞のはずですが、さまざまな歴史的な事件が積み重なって、当時のユダヤ人とサマリア人の仲は非常に良くありませんでした。しかし、それでもピリポはサマリア地方で福音を語りました。

しかも、ピリポはいやしや悪霊追い出しといった奇跡も行ないました。その結果、多くの人たちがイエスさまの恵みの福音を信じて救われ、洗礼を受けました。

魔術師シモンの受洗

かつての魔術師シモン
ピリポが活動したサマリアの町には、シモンという魔術師が住んでいました。この人は、さまざまな魔術を行なって町の人々を驚かせていました。その結果、シモンは町の人たちに尊敬されていました。
ピリポの奇跡とサマリア人の回心
ところが、その町にやってきたユダヤ人のピリポは、シモンが行なってきた魔術以上の素晴らしい奇跡を行ないました。それは、いやしや悪霊に苦しむ人たちの解放など、ただ単に目を引く魔術以上に人々の助けになるような奇跡です。

そのようなわけで、多くの人々がピリポの語るイエスさまを信じるようになりました。

(12節)しかし人々は、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えたことを信じて、男も女もバプテスマを受けた。
シモンの受洗
(13節)シモン自身も信じてバプテスマを受けると、いつもピリポにつき従って、しるしと大いなる奇跡が行われるのを見ては驚いていた。

魔術師シモンは、自分が行なう魔術よりはるかに偉大な奇跡を目にして驚きました。そして、彼自身もイエスさまのお名前による洗礼を受けます。

実は後ほど、シモンが本当には救いを受け取っていなかったということが明らかになります。しかし、このとき伝道者ピリポは、シモンが恵みの福音を信じて救われたのかどうか、十分確認しないまま洗礼を授けたようです。これは、たくさんの人たちが一度に救われてその余裕がなかったためでしょう。

その後もシモンはピリポと行動を共にして、彼が行なうさまざまな奇跡を目撃しては驚いていました。

使徒ペテロによるシモンへの叱責

ペテロとヨハネの派遣
(14節)エルサレムにいる使徒たちは、サマリアの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした。

エルサレムに残った使徒たちは、ピリポによってサマリアで多くの人たちが救われたという報告を受け取ります。そこで、誕生したばかりのサマリアのクリスチャンたちを教え訓練するため、使徒ペテロとヨハネがピリポの元に遣わされました。
聖霊傾注
(15-17節)二人は下って行って、彼らが聖霊を受けるように祈った。彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちのだれにも下っていなかったからであった。そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

通常、イエスさまの恵みの福音を信じて救われると、その人の内に聖霊なる神さまが入り、その後ずっとそこに住み続けてくださいます。つまり、救いと聖霊さまが下ることとは同時に起こる出来事です。

しかし、このたびはタイムラグがありました。サマリアの人たちは福音を信じて洗礼を受けたのに、まだ聖霊さまが下っておられなかったのです。

新約聖書の「使徒の働き」は、イエスさまが登場して十字架にかかる前の古い時代から、新しい教会時代への移行期の記録です。古い時代の信者の常識が崩されて、新しい常識が形作られようとしています。今回のタイムラグは、新しい常識をクリスチャンたちに教えるために起こったものです。

先ほど申し上げたとおり、サマリア人は半分ユダヤ人のような民族ですが、ユダヤ人とは仲が良くありませんでした。そんなサマリア人も、恵みの福音を信じるだけで救われるのだということを明らかに示すために、使徒ではないピリポが伝道して信じたときではなく、使徒であるペテロとヨハネが手を置いたときに聖霊さまが下ってこられたのです。

今回は救いのしるしとして聖霊さまが来られたわけですから、はっきりと目に見える形で下ってこられたはずです。おそらく、使徒2章で起こったのと同じようなしるし、すなわち炎のようなものが降りてきたり、一人ひとりが外国の言葉で賛美を始めたりしたのでしょう。

この出来事により、サマリア人も福音を信じるだけで救われるということが神さまによって保証されました。そして、ピリポの働きは正しかったと評価されたのです。
シモンの願い
(18-19節)シモンは、使徒たちが手を置くことで御霊が与えられるのを見て、使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にも下さい」と言った。

聖霊さまが下ってこられた現象は、シモンの目には非常に派手に見えました。彼は自分もペテロとヨハネがやったような奇跡を実行したいと願いました。

マジシャンは、手品の新しい技術を身につけたいと思ったとき、それを開発した人に使用料を支払って買い取ります。当時の魔術師も、魔術の方法を先輩魔術師から買い取っていたのかも知れませんね。

そこで、シモンはお金を払って、聖霊さまを人に注いで外国語をしゃべらせる力をペテロたちから買い取ろうとします。

アヴァンツィーノ・ヌッチ作「魔術師シモンに金を差し出されるペテロ」(1620年)
(画像引用:Wikipedia)
ペテロの叱責
(20節)しかし、ペテロは彼に言った。「おまえの金は、おまえとともに滅びるがよい。おまえが金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。

ペテロは、シモンがお金で聖霊さまを注ぐ力を買い取ろうとしたことを叱責しました。ペテロとヨハネに与えられていた力は、神さまの賜物、すなわち神さまが一方的にプレゼントとして与えてくださるものです。

そればかりか救い自体も神さまの賜物、そして聖霊さまが与えられることも賜物です。さらに、クリスチャンには聖霊さまによってさまざまな奉仕のための能力が与えられますが、それらも「聖霊の賜物」と呼ばれています(ロマ12:6-8、第1コリント12:8-10、エペソ4:11などにそのリストが載っています)。

そういったものはお金で買い取ることができるものではありません。私たちにできるのは、神さまがくださるものをありがたく受け取るだけです。しかし、シモンはお金で買い取ろうとしたため、ペテロに叱られてしまったわけです。

ちなみに、今回の魔術師シモンの行ないから、英語の「simony」(シモニー)という言葉が生まれました。「聖職売買」という意味です。中世の教会が堕落していたという話はご存じでしょうが、その一つの例が聖職売買です。当時は、司祭、司教、枢機卿、さらには教皇といった教会リーダーの地位が、お金で売買されていました。 不名誉な名前の使われ方ですね。
シモンの願いがかなわない理由
(21節)おまえは、このことに何の関係もないし、あずかることもできない。おまえの心が神の前に正しくないからだ。

以前、ペテロはアナニアとサッピラの嘘を見抜きました(詳しくはこちらの記事参照)。ペテロには人の心の奥底を知る力が与えられていました。これもまた聖霊さまがくださる賜物で、第1コリント12:10では「霊を見分ける力」と呼ばれています。
ペテロは、霊を見分ける力によってシモンの心の内を知り、「あなたの心が正しくないからあなたの願いはかなえられない」と言いました。この言葉は、シモンが本当にはイエスさまを信じておらず、救いを受け取っていないことを示しています。
悔い改めのススメ
(22節)だから、この悪事を悔い改めて、主に祈れ。もしかしたら、心に抱いた思いが赦されるかもしれない。

ペテロは、シモンに悔い改めなさいと迫り、本当に恵みの福音を信じて救いを受け取るよう勧めました。

このとき「もしかしたら」という曖昧な言い方をしているのは、シモンが悔い改める前に神さまのさばきが下って、彼が死んでしまう可能性を考えたからかも知れません。
シモンの心の内
(23節)おまえが苦い悪意と、不義の束縛の中にいることが、私には見えるのだ。」

ペテロはシモンの心が「苦い悪意」に捕らわれていて、不義の束縛の中にあることを見抜きました。イエスさまによる罪からの解放をまだ受け取っていないということです。

「苦い悪意の中にいる」という言葉を、欽定訳は「you are poisoned by bitterness」(恨みに毒されている)と訳しています。またTEVという英語訳は「you are full of bitter envy」(苦い嫉妬に満ちている)と表現しています。

シモンの心には悪意、すなわちピリポに対する恨みや嫉妬の思いがありました。それはピリポが自分よりもはるかに偉大な奇跡を行なって、サマリアの人たちの尊敬をかすめ取ったと感じたからです。

そして、自分も同じように奇跡を行なって、再び人々の尊敬を集めたいと考えました。そこで、ピリポのテクニックを学んでやろうとして後について回りました。彼が洗礼を受けたのは、ただその目的のためであって、救いを受け取って感動したからではありませんでした。
不十分な悔い改め
(24節)シモンは答えた。「あなたがたが言ったことが何一つ私の身に起こらないように、私のために主に祈ってください。」

シモンは、一見悔い改めたかに見えます。しかし、彼はただ罰が怖くてそう言っただけでした。シモンは自分自身で悔い改めの祈りをしようとせず、ペテロに丸投げしました。

2世紀から3世紀にかけて書かれたクリスチャンの文書の中に、魔術師シモンの名前が登場します。オリゲネス、エイレナイオス、ヒッポリュトス、テルトゥリアヌスといった複数の人たちが、シモンは異端の教えを広める偽教師になったと書き残しています。

シモンは悔い改めのチャンスを与えられたのに、本当の救いを受け取らなかったのですね。
サマリア伝道の進展

(25節)こうして、使徒たちは証しをし、主のことばを語った後、エルサレムに戻って行った。彼らはサマリア人の多くの村で福音を宣べ伝えた。

ペテロとヨハネは、ピリポがいた村で伝道したり教育したりした後、エルサレムに帰っていきました。しかも、まっすぐ帰っただけでなく、途中あちこちで伝道していきました。

こうして1:8のイエスさまの預言がまた成就して、サマリアにまで福音が届けられました。 残すは「地の果てにまで」という部分ですね。こちらは今回の続きの箇所から実現し始め、10章になって本格的に始まります。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神の祝福は賜物である

特に3つの祝福について、それが神さまからの一方的なプレゼントだということをいつも確認しましょう。

救いは賜物である

(エペソ2:8)この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。

救いは、神さまからの一方的な恵みとそれを受け取る私たちの信仰によって与えられます。恵みとは「神さまにもっと愛されるためにできることは何もなく、神さまにもっと愛されなくなるためにできることも何もないということ」です(フィリップ・ヤンシーによる定義)。
救いは、私たちの良い行ないに対するごほうびではありません。苦しい修行をしたり、善行を積んだり、献金したり、奉仕したりしたから救われるわけではありません。

それを決して忘れてはなりません。そうでないと、信仰生活は喜びではなくしんどいものになってしまいます。

この話をお読みください。
「僕は、キリスト教が嫌いでした」。その高校生の男の子は言いました。

彼は、クリスチャンホームに育ち、小さいときから神さまの話、イエスさまの話を聞いて育ちました。お祈りも、礼拝も、献金も、奉仕もしていました。しかし、聖書の命令を読み、「こんなの自分には守れない」と思いました。そして、そういう無茶な命令をする神さま、聖書、教会から、だんだん心が離れていったのです。

しかし、その聖書が、ある時彼に語りかけてきました。「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです」(ローマ10:4・新改訳第3版)。「なんだ、ここに書いてあるじゃん!」 彼は思わずそう叫びました。

律法を守ることによって神さまに愛されるという生き方なんか必要ない。聖書はそう宣言しています。神さまの選びによって、神さまから一方的に愛されているんだと。そして、それをただ信じるだけで、神さまとの愛の関係を回復することができる、と。そして、彼は洗礼を受ける決心をしました。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
救いが賜物、一方的なプレゼントとして与えられていることを感謝し、喜びましょう。

聖霊は賜物である

救われたとき、聖霊さまと一つになり、その後ずっと聖霊さまが内に住んでくださるようになることも神さまからの賜物です。それは、一部のエリートクリスチャンにだけ与えられる祝福ではありません。

聖霊さまはどんなクリスチャンの内にもいらっしゃいます。そして、内側を少しずつ造り変えて成長させてくださいます。1年前にできなかった良いわざができるようになります。10年前にはやめられなかった悪い習慣をやめることができるようになります。そうして、だんだんとイエスさまに似た存在に変えられていくのです。

この話をお読みください。
小学生のYくんは、お母さんと一緒に学校の特別行事に参加しました。その中に、子どもと保護者が神社でお祓いをしてもらうという時間がありました。長年の伝統なのだそうです(公立学校なのに!)。

クリスチャンであるYくんのお母さんは、学校側と話し合った結果、Yくんとお母さんはお祓いには参加せず、一緒に神社の外で待つことになりました。お母さんも、またこの話を事前に聞いていた私たち教会の仲間たちも、神さまの守りと祝福があるように祈りました。

お祓いが終わった後、級友たちがYくんに、どうしてお祓いの時にいなかったのか尋ねました。するとYくんは答えました。「僕は教会に行っていて、イエスさまを信じているから、神社でお祓いしてもらう必要がないんだ」。

また、保護者の間でも、どうしてあの親子がいなかったのか話題になったそうですが、特に批判の対象にならなかったどころか、「うちの村にクリスチャンがいたなんて知らなかった。すごい」と、お母さんに声をかけてくれる人もいたそうです。

聖霊なる神さまが働いてくださると、たとえ小さな子どもであったとしても、イエスさまのことを伝える知恵や勇気が与えられます。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)。

伝道だけではありません。信仰生活は、すべてクリスチャン自身の努力だけで送るものではなく、聖霊なる神さまの助けをいただきながら過ごすものです。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
聖霊さまが与えられ働いてくださることは神さまの賜物、プレゼントです。私たちがすべきことは、それを信じることです。そして、聖霊さまがお働きになるのを邪魔しないことです。より具体的に言うと、
  1. 聖霊さまがこの自分を満たしてくださって、生活のあらゆる領域を自由に造り変えることに同意しましょう。
  2. イエスさまが喜ばれない思いを抱いたり、実際にお粉他利したことに気づかされたら、すぐにそれが罪だと認めて悔い改め、「イエスさまが喜ばれる生き方をします」と祈りましょう。
  3. イエスさまが喜ばれる生き方をする力や知恵や勇気を、聖霊さまが与えて助けてくださるよう願いましょう。

奉仕の力は賜物である

私たちの内におられる聖霊さまは、私たちに奉仕するための力、聖霊の賜物を与えてくださいます。

ささげたり、管理したり、慈善活動をしたりといった一見奇跡には見えない能力もありますが、中にはペテロのように霊を見分ける力が与えられたり、ピリポのように奇跡を行なう力が与えられたりする人もいます。

しかし、どんな能力であってもすべて聖霊なる神さまによって与えられたものです。その目的は奉仕、すなわち神さまと人とに仕えること、愛を具体的に表すことです。魔術師シモンが考えていたように、自分を立派に見せて誇るためではありません。

自分に聖霊さまが与えてくださっている賜物が何か考えましょう。神さまと人とに仕える働きの中で、それがどんなに些細であっても面倒くさくても喜んでできることは何でしょうか。あるいは具体的に効果が出ている働きは何でしょうか。それは聖霊さまがくださる賜物と関係があるかもしれません。

賜物が見つかったら、それを積極的に使うことで磨きをかけていきましょう。

もちろん、新たな賜物が与えられるよう祈ってかまいません。しかし、他の人と比較してうらやむ必要はありません。聖霊さまはあなたにその賜物を与え、その道でエキスパートになってほしいと願っておられます。

聖霊さまが賜物を使って活動する皆さんを通して、父なる神さまとイエスさまのすばらしさを明らかにしてくださり、多くの人たちが救われ、幸せに暮らせるようになりますように。

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
E-Mail info@nakakomi.com