(2025年3月23日)
ユダヤ教に改宗していない異邦人のコルネリウスたちが、使徒ペテロの伝道によって救われます。そして、ここから教会による異邦人伝道がスタートします。
礼拝メッセージ音声
参考資料
45節の「ペテロと一緒に来た人たち」は、ペテロがそれまで滞在していたヤッファに住む、6名のクリスチャンです(11:12)。
45節の「聖霊の賜物」は、神さまや人への奉仕のために、聖霊なる神さまがクリスチャンに与えてくださる特別な能力のことです。ローマ12:6-8、第1コリント12:8-10,28、エペソ4:11にリストが載っています。他にも、音楽・絵画・工芸・建築・文章などの能力も、礼拝や奉仕のために用いられるならば聖霊の賜物に含めてよいでしょう。
46節の「異言」は、聖霊の賜物の一つで、習ったことがない言語で語る力です。異言は祈りや賛美、預言などに用いられます。第1コリント13:1を見ると、「人の異言」と「御使いの異言」があるようです。おそらく「人の異言」とは、地上のどこかにある言語であり、その言葉を知っている人には理解できるものです。「御使いの異言」は、地上には存在しない言語で、「異言の解き明かし」の賜物を持つ人によって翻訳されなければ、内容を理解できません。
イントロダクション
今日は、異邦人であるコルネリウスとその家族や知人たちが救われた記事を取り上げます。ここから、神さまのご計画を知り、それに従うとはどういうことか教わりましょう。それにより、「自分は確かに、全知全能であり愛と恵みに満ちておられる神さまのご計画の内を歩んでいる」という確信をいただき、平安や充実感を味わうことができるようになります。
1.コルネリウスの救い
ペテロの説教
前回の復習
前回のメッセージで取り上げた内容を振り返ります。使徒ペテロは、地中海沿いの港町ヤッファに滞在していました。そして、神さまから不思議な幻を見せられます。
天からカーペットが降りてきて、その上にさまざまな動物が乗せられていました。そして、天から声がして、ペテロにそれらの動物を食べろと命じました。しかし、モーセの律法で食べることを禁じられている動物も含まれていたため、ペテロはそれを断ります。
すると、天の声は「神がきよめたものを、あなたがきよくないと言ってはならない」と諭しました。こんなことが3度繰り返されたのです。
その時、カイサリアにいたローマ軍の百人隊長コルネリウスから遣わされた人たちがペテロの元を訪れます。コルネリウスは天使からお告げを聞いて、ペテロを家に招くよう命ぜられていました。
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モーセの律法の影響で、それまでユダヤ人は異邦人(ユダヤ人以外の民族)との交流を避けていました。1世紀のユダヤ人に至っては、異邦人は神に呪われており、汚れた存在だとさえ考えていたのです。
しかし、あの幻の意味を悟ったペテロは、異邦人は汚れているなどと考えてはいけないのだと知ります。そして、聖霊なる神さまから「あの人たちは私が遣わした。ためらわずにあの人たちと共に行け」と促されたペテロは、使者たちと一緒にコルネリウスの家に向かいました。
神の計画についての理解
(34-35節)そこで、ペテロは口を開いてこう言った。「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。
コルネリウスの家に着くと、コルネリウスと大勢の人たちがペテロを待っていました。ペテロはコルネリウスに、自分を家に招いた理由を尋ねます。するとコルネリウスは、天使が自分に語った内容を語りました。
ペテロは、聖霊なる神さまが自分をこの家に連れてきた理由が理解できました。聖霊さまは、異邦人であるコルネリウスたちを救いに導こうとしていらっしゃったのです。
モーセの律法では、聖書の神さまを信じた異邦人がユダヤ人と同じように礼拝したり、祭りに参加したりするためには、割礼を受け、モーセの律法に従った生活をすることを成約して、ユダヤ教に改宗しなければなりませんでした。ユダヤ教に改宗した異邦人は、宗教的にはユダヤ人として扱われました。
すなわち、異邦人が救われて神さまと交わり、さまざまな儀式に参加するためには、異邦人のままではダメで、ユダヤ人になる必要があったのです。それがモーセの律法の教えでした。
ペテロたち初代教会の人たちも、異邦人が救われて神さまの子どもになるためには、イエス・キリストの十字架と復活を信じるだけでは不十分であり、まずユダヤ教に改宗する必要があると考えていたのです。それはあまりにも当然のこととして、意識すらされていませんでした。
しかし、ペテロは時代が大きく変わったことを知りました。今や、異邦人は異邦人のままで救われるのです。
すべての人の主
(36節)神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
ペテロはコルネリウスたちに、救いについての神さまのご計画を解説し始めます。ペテロが語ったのは、
- イエス・キリストが平和の福音を宣べ伝えたということ
- そしてこのイエスはユダヤ人だけでなく全人類にとって主であるということ
でした。
平和の福音とは、「平和についての良い知らせ」という意味です。平和とは、神さまと人間の間の平和です。
人間には生まれつき罪があります。罪とは、神さまの存在やすばらしさを否定して、神さまに逆らう自己中心的な性質です。ですから、神さまと人間は敵対関係にあります。そして、きよくて正しい神さまから、人間はさばきを受けて永遠の苦しみという罰を受けるはずでした。
しかし、神さまとの敵対関係が終わり、平和な関係を取り戻すことができるというのが平和の福音です。しかも、その平和を味わうことができるのは、ユダヤ人に限りません。あらゆる民族が平和の福音の対象です。なぜなら、イエスさまは全人類の主だからです。
イエスの公生涯
(37-38節)あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事柄をご存じです。それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒やされました。それは神がイエスとともにおられたからです。
ペテロは、イエスさまの公の活動について語ります。イエスさまは、天の父なる神さまから聖霊さまと力を注がれました。そして、イスラエル各地を巡り歩いて、いやしや悪霊追い出しなどのさまざまな奇跡を行なわれました。それは、父なる神さまがイエスさまと共におられたからです。
イエスさまが3年半に渡って活動し、多くの奇跡をなさったという話は、カイサリアにいたコルネリウスたちの耳にも届いていました。
十字架と復活
(39-40節)私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムで行われた、すべてのことの証人です。人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
ペテロは、自分や他の使徒たちは、イエスさまがなさったことの証人だと語りました。使徒たちは、イエスさまの公の活動の初期からずっと一緒にいたからです。
それからペテロは、平和の福音の最も大切な内容を語ります。十字架と復活です。
さまざまな奇跡を行ないながら救いについて教えておられたイエスさまですが、イスラエルの人々はイエスさまを救い主だとは認めず、ローマ総督ピラトの手に渡して十字架につけて殺してしまいます。しかし、イエスさまは3日目に復活なさいました。
復活の証人
(41節)民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。
復活なさったイエスさまは、それまでのように大勢の人の前に姿を現したわけではありません。使徒たちなど、イエスさまを救い主だと信じていた人たちの前に現われました。
ペテロたちは、イエスさま一緒に食事までしています。ガリラヤ湖で復活のイエスさまと会ったときのことです(ヨハネ21章)。
ペテロは、イエスさまの復活は噂話や作り話ではなく、この自分が直接見た事実だということを強調しているのです。
大宣教命令
(42節)そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。
イエスさまは弟子たちに、人々にあることを宣べ伝えるよう命じました。それは、イエスさまが生きている者と死んだ者のさばき主だということです。
旧約聖書では、救い主は全世界を治める王となることが預言されています。王は、敵と戦って滅ぼしたり、悪人をさばいて罰を与えたりします。世界の王であるイエスさまも、神さまに逆らう敵を滅ぼし、罪人に永遠の苦しみという罰を与えます。
もしも罪があるままなら、人間はユダヤ人であれ異邦人であれ、生きていても死んでいてもさばきを受けることになります。滅びを招かないためには、一体どうすれば良いのでしょうか。
イエスによる罪の赦し
(43節)預言者たちもみなイエスについて、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられると、証ししています。」
旧約聖書の預言者たちは、救い主、すなわちイエスさまが罪を裁く王であるというだけでなく、私たちに罪の赦しをもたらしてくださるお方、救い主だということも語っています。
どうすれば罪の赦しを受け取り、神さまの敵から神さまの子どもになって永遠の祝福を手に入れることができるようになるのでしょうか。それは、イエスさまを信じることです。具体的には、次の内容が本当のことだと受け入れ、信じることです。
それは「この私の罪を赦すために、イエスさまが十字架にかかってくださった。そして、死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということです。
これを本当のことだと信じるなら、その時すべての罪が赦され、神さまの子どもとされ、永遠に祝福されるという特権を手に入れることができます。そして、いったん手に入れたその救いは、決して取り去られることはありません。
コルネリウスたちの救い
異邦人に下る聖霊
(44節)ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。
ペテロは、まだその先を話そうとしていました。おそらく、
- 復活したイエスさまが昇天なさったこと
- そしてやがてこの地上に戻ってこられること(再臨)
- 地上の悪を滅ぼして理想的な王国である神の国(天の御国、千年王国)を打ち立て、あらゆる時代の信者をそこに招き入れてくださること
などです。
しかし、ペテロの説教は中断されてしまいました。それは、聴いていたコルネリウスたちに聖霊なる神さまが下ったからです。それはある現象が起こったことで分かりました。
異言による賛美
(45-46節前半)割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。彼らが異言を語り、神を賛美するのを聞いたからである。
ペテロだけでなく、ヤッファの町からペテロに同行してきた人たちにも、コルネリウスたちに聖霊なる神さまが下られたことが分かりました。それは、コルネリウスたちが異言で神さまを賛美し始めたからです。
人がイエスさまの福音を信じて救われクリスチャンとなると、その瞬間に聖霊なる神さまがその人の内に入り、その人と一つになってくださいます。これを「聖霊のバプテスマ」と呼びます。
その後、聖霊さまはずっとクリスチャンの内に住んでくださいます。これを「聖霊の内住」と呼びます。
私たちの内に住んでくださる聖霊さまは、私たちを少しずつリフォームして、イエスさまに似たものに造り変えてくださいます。これを「きよめ」と呼びます。私たちはきよめられていくに従って、以前はできなかった良いことができるようになっていきます。また、以前はやめられなかった悪いことをやめられるようになっていきます。
また、聖霊さまは「聖霊の賜物」と呼ばれるものをクリスチャンに与えてくださいます。聖霊の賜物は、神さまや人に仕えるための特別な能力です。ローマ12:6-8、第1コリント12:8-10,
12:28、エペソ4:11などにそのリストが載っています。
私たちは、病気で苦しんでいる人がいればいやしを祈りますね。また、まだ救いを受け取っていない人にイエスさまのことを伝えますね。あるいは、経済的に困窮している人がいれば物やお金を渡して助けようとしますね。これらは賜物のあるなしにかかわらず、あるいは信仰歴の長さにかかわらず、すべてのクリスチャンに与えられている役割、使命です。
しかし、いやしの賜物が与えられている人は、いやしの成功率が他のクリスチャンと比べると高くなります。伝道の賜物を与えられている人は、その場で相手が信じることが多くなります。ささげる賜物を与えられている人は、より多くの施しをしても問題なく生活できます。
聖霊の賜物は、クリスチャンに与えられているすべての役割のうち、一つあるいはいくつかの分野でエキスパートになるために与えられます。そして、教会ではそれぞれの人がそれぞれの賜物を用い、助け合いながら神さまと人とに仕えるのです。
異言もまた、聖霊の賜物の一つです。これは、習ったことがない言語を語る能力です。祈りや賛美や預言のために用いられます。通常は内容が分かりませんが、その言葉を知っている人や「異言の解き明かし」の賜物が与えられている人には理解できます。何をどう祈っていいか分からないとき、異言で祈ることができるのはすばらしいことです。
今回の箇所で、コルネリウスたちはみんな異言で賛美をし始めました。
コルネリウスたちの受洗
救いの確認
(46節後半-47節)するとペテロは言った。「この人たちが水でバプテスマを受けるのを、だれが妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」
異言は他の賜物と同様、すべてのクリスチャンに与えられる能力ではありません(第1コリント12:30)。しかし、他の人からはっきりと「聖霊の賜物が与えられた」と認識できるため、ここでは聖霊さまが下ってこられたしるしとして用いられています。
ペテロ以外のユダヤ人信者たちも、コルネリウスたちが異言で賛美しているのは、聖霊なる神さまが下られたからだと認識しました。すなわち、コルネリウスたちはユダヤ教に改宗していないのに、イエス・キリストの十字架と復活を信じて救われ、罪の赦しを受け取って神さまの子どもにされたのだということが分かったのです。
そこで、コルネリウスたちに洗礼を授けても問題ないとペテロは判断しました。
洗礼は救いの条件ではありません。洗礼を受けたら救われるのではなく、救われた人が救われたことを公に表明するために受けるものです。高校や大学の入学式に参加したら入学できるわけではなく、受験に受かって入学を許可された人が入学式に参加するのに似ています。
コルネリウスたちの受洗
(48節)ペテロはコルネリウスたちに命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、何日か滞在してもらった。
ペテロは、コルネリウスたちに洗礼を受けるようにと命じました。先ほど申し上げたとおり、洗礼は救いの条件ではありません。しかし、イエスさまを信じて救われたならば、洗礼を受けるべきです。それは、イエスさまの命令だからです。
復活なさったイエスさまは、使徒たちにいわゆる「大宣教命令」と呼ばれる命令をなさいました。
(マタイ28:19-20)ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
この命令の中で、洗礼を授けることが伝道活動の一環として語られています。ですから、洗礼を受けることは、救われた人の当然の義務だと考えることができます。実際、その後イエスさまを信じて救われた人たちに対して教会は洗礼を授けてきましたし、救われたのに受洗を躊躇したり断ったりした人は一人も聖書に登場しません。
受洗は、イエスさまに従う人生の最初の一歩です。イエスさまの福音、すなわち「この自分の罪を赦すためにイエスさまは十字架にかけられ、死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということをすでに信じたのに、まだ洗礼を受けておられない方がいらっしゃったら、ぜひ洗礼を受けてください。
「自分はまだまだ不完全だから洗礼を受ける資格がない」などと思わなくてかまいません。高校に入学したばかりの学生が、高校3年生の時に習う学習内容が身についていなくても当然です。聖霊さまが成長を助けてくださいます。ですから、堂々と入学式である洗礼をお受けになってください。
コルネリウスたちは、異邦人のままで救われ、洗礼を受けました。その後、ペテロはコルネリウスの願いを聞き入れて、そのまま何日か滞在しました。そして、クリスチャンとしての具体的な生き方について教えたのです。
この出来事がきっかけとなって、教会は異邦人に対して伝道を始めることになります。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.神は真理を少しずつ明らかになさる
神はあなたのために計画を立てていると知ろう
救いの計画
神さまは、罪を犯してご自分から離れてしまった人間を愛し、罪を赦して救いたいと願ってくださいました。そして、そのためのご計画をお立てになり、少しずつその計画を遂行しておられます。
イエスさまが復活して天にお帰りなる前、使徒たちに向かって次のようにおっしゃいました。
(使徒1:8)しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。
この預言通り、最初のうち伝道はエルサレムの中だけで行なわれていました。しかし、サウロの迫害によってエルサレムを脱出したクリスチャンたちによって、ユダヤやサマリア地方で伝道が行なわれるようになりました。
そして、今回の出来事によって、いよいよ地の果てにまで救いのメッセージが広がり始めます。異邦人はユダヤ人が忌み嫌うべき存在ではないということ、そしてイエスさまの十字架と復活を信じるだけで、異邦人も異邦人のままで救われるのだということが分かったからです。
永遠の昔からの計画
私たちが救い主イエスさまによって罪を赦され、救われるという計画は、私たちの祖先であるアダムが罪を犯して堕落したときに、すでに立てられていました。神さまはアダムとエバの前で、やがて「女の子孫」と呼ばれる人物が、人類を罪に誘惑したサタンを滅ぼすという預言をなさいました(創世記3:15)。
それどころか、救いの計画は地球が創造される前に、すでに立てられていたと聖書は記しています。
(エペソ1:4-5)すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
神さまは行き当たりばったりに行動なさる方ではありません。ご自身の目的が実現するための計画をお建てになり、計画通りにあらゆることを実行なさいます。
あなたのための計画
そして神さまは、神さまはあなたの人生にも、あなたのためのオーダーメイドの計画を立ててくださっています。しかも、それはあなたを不幸にするためではなく、本当に幸せになるためのご計画です。
かつてイスラエルは神さまに逆らい、バビロンによって国が滅ぼされるという罰を受けました。バビロンによって捕えられ、バビロンに連れ去られたイスラエルの民に向かって、神さまは預言者エレミヤを通して、呪いではなく励ましのメッセージを語られました。
(エレミヤ29:11)わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
今がどんなにつらくても苦しくても、神さまはあなたの人生を幸せへと導くための計画をお持ちです。ですから、絶対に大丈夫です。そのことを信じましょう。そして、そのことを自分自身に向かって語り続けましょう。
計画は徐々に示され達成されると知ろう
提灯の光による導き
以前、ある牧師さんのメッセージの中で、「神さまの導きはサーチライトではなく提灯の光のようなものです」という話を聴き、なるほどなと思わされたことがあります。サーチライトは進路の遠くまで照らしますが、提灯の明かりは足下の一歩先、せいぜい数歩先までしか照らしません。
神さまは私たちそれぞれに、計画を立ててくださっています。しかし、それをいっぺんに示したりはなさいません。
もちろん、一般論として世界全体や個人がこの先どうなっていくかということは聖書に書かれています。しかし、私たち一人一人に関する個人的な計画については、ほんの少し先しか示されないことが多いのです。
ペテロの体験
ペテロがカーペットに乗った動物たちの幻を見たとき、その意味が理解できませんでした。しかし、コルネリウスの使者たちが同行を願ったとき、異邦人を汚れていると考えて忌み嫌ってはいけないのだという意味だと理解しました。そこでペテロは、躊躇せずに異邦人であるコルネリウスの家に向かいました。
ただ、その時点ではまだ、ユダヤ教に改宗していない異邦人でもイエスさまの十字架と復活を信じるだけで救われるということは理解していません。しかし、コルネリウスの話を聴いて、神さまは異邦人も救いに導こうとしていらっしゃるということを理解しました。
そこで、救いについてのメッセージ、イエスさまの十字架と復活の話を語り始めました。その結果、コルネリウスたちは救われ、ペテロや他のユダヤ人信者たちにもそれが認識できるよう異言を語り始めました。
このように、神さまの導きは一歩先、一歩先と、徐々に示されていくものです。
見えなくても主に信頼しよう
神さまは一体自分をどこに連れて行こうとしているのだろうか。先が見えずに不安になることがあります。
私が開拓伝道のために福島に来たときが、まさにそのような精神状態でした。福島で開拓伝道をせよという導きを信じてやってきましたが、日本の景気が最悪の時で、生活のための仕事がなかなか見つかりません。このままだと、家族4人、路頭に迷ってしまうかもしれない。そんな恐れが何度も襲ってきます。
しかし、そのたびに神さまはみことばを通して励ましを与えてくださいました。たとえば、空の鳥、野の花のたとえの箇所です。
(マタイ6:31-32)ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
この約束通り、その後25年間、神さまは私たち家族を養ってくださいました。
先が見えなくて心配ですか? 神さまはあなたに幸せの計画をお持ちです。そして、それを少しずつ実現しておられます。後ろを振り返ってみましょう。あなたが今ここにこうしているのは、神さまが少しずつ幸せの計画を実現してこられた結果です。そして、これからも神さまはあなたを幸せへと導いてくださいます。それを信じましょう。
目の前の義務を果たそう
信じたことに従って行動する
私たちは神さまのご計画のすべてを知っているわけではありません。しかし、今分かっていることがあるはずです。そして、今示されている神さまのご計画に従って、ふさわしい行動を取ることが求められています。
あまり先まで照らしてくれない提灯の光ですが、見えている部分に一歩足を進めるとと、さらに一歩分先を照らします。それと同じように、目の前の約束を信じ、それに伴う命令に忠実に従い続けることで、だんだんと神さまのご計画の全体像が見えてくるようになります。
「異邦人を汚れていると考えてはならない」ということを示されたペテロは、それまでの彼だったら絶対しなかったこと、すなわち異邦人であるコルネリウスの家への訪問を実行しました。また、神さまがコルネリウスたち異邦人を救いに導こうとしておられることを知ったペテロは、伝道メッセージを語りました。
救われたコルネリウスたちは、イエスさまがクリスチャンに求めておられる義務のすべてを理解していたわけではありません。しかし、イエスさまは彼らに洗礼を受けることを願っていらっしゃることは理解しました。そこで、躊躇せず洗礼を受けました。
また、コルネリウスは救われてそれで終わりではなく、学ぶべき事がたくさんあることを知りました。そこで、ペテロに数日間滞在して、自分たちが今後クリスチャン生活をするに当たって最低限知っておかなければならないことについて教えてほしいと願いました。
多くを任される忠実なしもべ
タラントのたとえ(マタイ25:14-30)で、忠実なしもべたちは主人の期待に応えようと、預かった資金を元手にして商売に励みました。その結果、より多くの資金を任せられられるようになります。
それと同じように、今示されている神さまのご計画、約束を信じ、その約束に伴う命令を忠実に実行する人には、より詳細な計画や約束が示されていきます。
目の前の命令を実行しよう
今このとき、イエスさまはあなたにどんな行動をするよう願っていらっしゃるでしょうか。たとえばそれは、
- 洗礼を受けることかもしれません。
- 教会に入会して、正式なメンバーになることかもしれません。
- 家族や友だちに「自分はクリスチャンになった」と明言することかもしれません。
- 聖書の通読を始めることかもしれません。
- 誰かを教会の集会に誘うことかもしれません。
- 誰かに、信仰に関する本を貸すことかもしれません。
- どこかの慈善団体や伝道団体に献金をすることかもしれません。
- 信仰の成長の邪魔になる物や習慣を捨てることかもしれません。
- 一週間の時間の使い方を再検討することかもしれません。
今イエスさまがあなたに示しておられる小さな一歩は、一体何をどうすることですか? その小さな一歩を踏み出しましょう。
それによって、「自分は確かに神さまの導きの中を歩んでいる」という安心感と充実感を、ますます深く味わうことができるようになっていきます。