(2025年5月18日)
使徒パウロが、第二回伝道旅行の最中にマケドニア人の幻を見ました。それにより、アジアからヨーロッパに福音が伝わることになります。
礼拝メッセージ音声
参考資料
6節の「アジア」は、ローマ帝国のアジア属州のことで、州都はエペソ。「フルギア・ガラテヤ」は、小アジア中央部にあるガラテヤ属州のフルギア地方のこと。
7節の「ミシア」は小アジア北西部の地方。「ビティニア」は黒海南岸にあった属州。「トロアス」はミシア地方にあった港町で、エーゲ海に面しています。
※この町の約20キロ北には、トロイの木馬で有名なトロイ遺跡があります。
9節の「マケドニア」はギリシアの北部。

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(画像引用:聖書 新改訳2017)
イントロダクション
人生には、物事が計画通りに進まなかったり、邪魔が入ったり、自分で失敗したりして、行き詰まってしまうことが起こります。しかし、それに上手に対応すると、その先に大きな祝福が待っています。どう対応したらいいのでしょうか。
1.パウロが見たマケドニア人の幻
順調に進む伝道
これまでのルート
紀元49年、使徒パウロによる第2回伝道旅行が始まりました。パウロと預言者シラスは、シリアのアンティオキア教会を出発します。そして、シリアやからキリキアにかけての町々にある諸教会を訪ね歩きました。
それから、前回の伝道旅行の折り返し地点であるデルベ、さらにリステラに向かいました。このリステラで、パウロはテモテという青年を助手として一行に加えます。
今回の箇所はその続きです。
パウロたちの活動
(4節)彼らは町々を巡り、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を、守るべきものとして人々に伝えた。
第2回伝道旅行の目的は、第1回伝道旅行で新しく誕生した教会の人たちを励まし、教育・訓練することでした。特に、救いの確かさを教えることにパウロたちは心を砕きました。
ここで「エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定」というのは、15章に書かれているエルサレム会議で決まった内容です。この会議について簡単に振り返っておきます(詳しい内容は、
5月4日のメッセージをお聴きください)。
- シリアのアンティオキア教会に 偽教師が現われて、「異邦人が救われるには、恵みの福音を信じるだけでは足りない。ユダヤ人のように割礼を受け、モーセの律法に従った生活を送らなければならない」と教えました。パウロやバルナバはこの教えに強く反発します。
- そして、使徒たちやエルサレム教会の長老たちの判断を仰ぐことになりました。こうしてエルサレム会議が開かれました。
- 会議の結果、異邦人もユダヤ人と同様、恵みの福音を信じるだけで救われるということが確認されました。すなわち、「イエス・キリストが、この私の罪を赦すために十字架にかけられた。そして、死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということを、真実だと信じ受け入れるだけで救われます。
- ただし、ユダヤ人の未信者や信者が躓かないよう、彼らが忌み嫌う4つのことを避けるよう、異邦人信者にお願いすることになりました。それは「偶像にささげたもの、血、絞め殺したものを食べること。そして、淫らな行ない」です。これは救いの条件ではなく、ユダヤ人への愛の配慮です。
パウロたちは、 この教えを聞いたシリアの町々、キリキアの町々、デルベやリステラなどで、クリスチャンたちにこれらの教えを語り聞かせました。
成長する教会
(5節)こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。
パウロたちの教えを聞いた教会の人たちは、自分たちの救いが確かなものだということを確認して喜びに満たされました。そして、ますますイエスさまのみこころにかなう生き方をしようと決意し、実践するようになりました。
イエスさまのみこころの一つは、すでに救われた私たちが他の人に福音を語ることです。そこで、励まされ成長したクリスチャンたちによって伝道が進んで、多くの人たちが新しく信仰を持ち、教会の交わりに加わるようになっていきました。
禁じられた伝道
アジア行きの禁止
(6節)それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
ここまでのところ、第2回伝道旅行は大変成果を上げて、当初の目的を達成しました。そこでパウロたちは、さらに足を伸ばして新しい場所で福音を語ろうとしました。彼らが目指そうとしたのはアジア属州です。これは、小アジアの西部に位置する地方です。
特にアジア属州にはエペソという町があって、ここは小アジア(今のトルコ)の中でも非常に大きく、商業的に非常に栄えていました。他にもアジア属州には、スミルナ、ペルガモンといった大きくて繁栄した都市がいくつもあります。パウロたちが新たな伝道地としてそこを目指したのもうなずけます。
ところが、聖霊なる神さまはその計画に対してダメだとおっしゃいました。
今日、聖霊なる神さまはさまざまな方法で、神さまのみこころを私たちに示してくださいます。
- 天使や幻による直接的な語りかけ
- 心に感じる強い促し
- 心の奥にある静かな平安
- 状況
- 他のクリスチャンたちの助言
- 聖書の言葉
どんな方法でみこころが示されるにせよ、最終的に聖書全体の教えに合っているかどうかチェックしなければなりません。聖書は、聖霊なる神さまの導きによって書かれましたから、聖霊さまが聖書の教えに反することを語られることはありません。
今回、パウロたちに対して聖霊さまが「アジアでは伝道するな」と語られましたが、その方法については書かれていません。しかし、とにかくパウロたちはアジア行きが神さまのみこころではないと受け取ったのです。
そこでパウロ一行は西に行くのをあきらめて、ガラテヤ属州のフリュギア地方を通って北を目指しました。
ビティニア行きの禁止
(7節)こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
パウロたちが目指したのは、黒海沿岸のビティニア属州でした。ここも交通の要所で、非常に栄えていました。伝道にはもってこいの場所でしょう。ところが、イエスの御霊、すなわち聖霊さまはビティニア行きもお止めになりました。
トロアス下り
(8節)それでミシアを通って、トロアスに下った。
そういうわけで、パウロはアジア属州でも、ビティニア属州でも伝道を禁じられました。西もダメ、北もダメ。そこでパウロ一行は小アジアの北西部にあるトロアスという町に到着します。ここはエーゲ海を臨む港町で、海の向こうはギリシア、すなわちヨーロッパです。
マケドニア人の幻
懇願するマケドニア人
(9節)その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
トロアスに到着した夜、パウロはマケドニア人が登場する幻を見ました。マケドニアはギリシアの北半分の地域で、ピリピやテサロニケといった町があります。
幻の中で、マケドニア人はパウロに向かって「マケドニアに来て、私たちを助けてください」と願いました。
マケドニアに渡る決心
(10節)パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。
幻を見たパウロ、そしてそれを聞かされたシラスたちは、マケドニアで伝道することが神さまのみこころだと理解します。そこで、さっそくマケドニアに渡ることを決意しました。
ところで、このときの同行者ですが、最初から同行していたのが預言者シラス。そして、リステラで同行するようになったテモテ。そして、もう一人このトロアスで同行するようになった人がいます。誰か分かりますか? それは、この使徒の働きを書いた医者であるルカです。
どうしてそれが分かるかというと、これまで主語が「彼ら」だったのが、この10節から「私たち」に変わっているからです。

エル・グレコ作「聖ルカ」(1608-1614年)
(画像引用:Wikimedia)
こうして、人を救いに導くイエスさまの恵みの福音は、アジアからヨーロッパへと渡っていくことになります。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。パウロたちは計画通りの場所で伝道を行なうことができませんでした。私たちの人生でも、自分の計画通りに進まないことがよくあります。そんなとき、どのように対応すれば良いでしょうか。
2.物事がうまく行かないときの処方箋
神にはより良い計画があることを知ろう
神には計画がある
私たちの傲慢や油断によって準備不足や不注意に陥り、それで自分の計画が失敗することがあります。あるいは外から邪魔が入って計画が頓挫することもあります。
しかし、神さまは全知全能なのですから、私たちが失敗しないよう事前に介入することがおできになったはずです。それをなさらなかったということは、神さまに何か積極的な意図があったということです。
聖書の神さまは、行き当たりばったりに行動なさる方ではありません。明確な目的を持ち、計画を立て、それに従って行動なさいます。そして、その目的や計画の中には、私たちの幸せが含まれています。
昔、イスラエルの民は神さまから心が離れてしまい、偶像礼拝に陥ったり、道徳的に大敗したりして、神さまの命令を無視し続けました。神さまはたびたび預言者を送って悔い改めを勧めますが、イスラエルは悔い改めようとしませんでした。
その結果、イスラエルの国はバビロニア帝国によって滅ぼされ、多くの民がバビロンの都に捕囚されていきました。その捕囚の民に向かって、神さまは預言者エレミヤを通して、次のように語りかけておられます。
(エレミヤ29:11)わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
国が滅びるというとんでもない不幸を味わったイスラエルの民に、神さまは平安と将来と希望を与える計画を立てていると宣言しておられます。
バビロン捕囚は約70年間続きました。その間に、イスラエルの民は先祖や自分たちの罪を悔い改めて、神さまの命令をしっかり守ろうという思いを育てました。そして、ペルシア帝国によってバビロニア帝国が滅びたとき、神さまはイスラエルの民を故郷に戻してくださいました。
この先に待つ祝福
パウロたちも、当初の計画が行き詰まってしまいました。しかし、そこにはパウロたちだけでなく、世界人類にとっての祝福が用意されていました。
パウロは、トロアスでマケドニア人の幻を見、福音がマケドニアに渡ることになりました。それにより、この後福音がギリシア、ローマ、スペイン、さらにはヨーロッパ全土へと広がっていくことになるのです。
また、トロアス付近で、使徒の働きの著者であるルカが一行と出会い、その後の旅に加わります。ルカは、パウロと出会い、行動を共にしたことで多くのことを学び、それが後にルカの福音書と使徒の働きを生み出す土台となります。これもまた世界全人類にとって大きな祝福です。
私たちも、計画が思い通りに進まなかったり、邪魔が入ったり、失敗だと思うようなことをしてしまったりして、物事が行き詰まることがあります。そんなときには、「私たちを愛し、幸せへと導こうとする神さまのみこころが働いている」ということを自覚しましょう。
この話をお読みください。
ある人が宝くじを買いましたが、残念ながら外れてしまいました。がっかりしながらこう思いました。「もし宝くじが当たって1億円手に入れることができたら、こんなふうに毎日苦労して仕事をしなくてもすむのに」。そして、次こそは宝くじが当たるようにと神さまに祈りながら眠りにつきました。
すると、彼は宝くじが当たって1億円を手にする夢を見ました。それはただの夢でしたが、彼は目を覚ましてからも喜びと興奮を抱き続けました。これは幸先がいい。きっと神さまは私の祈りを聞いてくださって、そのしるしとしてあの夢を見させてくださったのだ。そう考えたからです。
そして、いつものようにシャワーを浴びようとしましたが、どういうわけかお湯が出ません。しょうがないのでシャワーをあきらめて新聞を取りに行きましたが、新聞が来ていません。しょうがないので朝食を食べようとしましたが、停電でコーヒーメーカーもトースターも作動しません。仕方なく空腹のまま職場に向かおうとしますが、待てど暮らせどバスがやってきません。
途方に暮れたその人は、たまたま近くを通りかかった人に愚痴をこぼすと、その人はこう答えました。「ああ、ご存じなかったのですね。実は昨日全ての国民に1億円の宝くじが当たったので、みんな働かなくなってしまったのですよ。もちろん、水道局の人も新聞社の人も電気会社の人もバス会社の人も」。
その瞬間、彼は再び目を覚ましました。それもまた夢だったのです。その人は、「神さま。私が1億円当たらなかったことを感謝します!」と叫びました。
神さまは、私たちに対しても良い計画を立ててくださっています。物事がうまく行かないとき、自分が立てた計画が潰れてしまったとき、願い通りに事が運ばないときにはそのことを信じましょう。
正しい問いをしよう
私たちは問われている存在
知的障がいのお子さんを持つお母さんの話を聞きました。お子さんの世話に疲れ果て、時々「どうしてうちの子は障がいを持って生まれてきたの?」と思ったりもしたそうです。
そんなある日、お母さんは同居している自分の母親とケンカをしてしまい、家庭内が険悪な雰囲気になってしまいました。ところが、この子は一緒になってピリピリしたり、びくびくしたりせず、ニコニコしながら「お母さん、おばあちゃん、お休みなさい」とあいさつしました。すると、二人とも気が抜けて、穏やかな気持ちを取り戻したのです。
「ああ、この子がいるから、私たちは幸せに暮らすことができるんだ。この子は、神さまが与えてくださった宝物なんだ」と、このお母さんは思わされたそうです。
行き詰まったり、失敗したりしたとき、私たちは「どうしてこんなことに?」と自問します。あるいは神さまに対して「どうしてこんなことをなさるのですか?」「どうして助けてくださらないのですか?」と問うかも知れません。
しかし、実は私たちの方が、神さまから問われているのです。「わたしは、あなたを必ず幸せの方向に導いていく。そのためには、この行き詰まりがなければならなかったのだ。あなたを幸せにするというわたしのことを信頼しますか? それとも信頼しませんか?」
「はい、もちろん信頼します」とお答えしましょう。
正しくない質問
行き詰まりを覚えている私たちは、神さまの方から問いかけられているのだと申し上げました。そこで、物事が思い通りに行かないときには、神さまの代わりに自分で自分に問いかけてみましょう。
特に私たち日本人は、そういう教育を受けてきたせいか、「ダメなところを見つけて、直す」という発想をしがちです。その結果、ダメなところを見つける質問を自分に投げかけます。
たとえば、「何が悪かったのか」「誰のせいでこうなったのか」というふうに。これでは宝探しでなくあら探しですから、なかなか神さまが用意してくださった宝物に到達できません。
宝探しの質問
神さまが私たちのために、あえて行き詰まった状況を許可されたのですから、その状況の中に必ず積極的な部分、良い部分を探すための質問を自分に向かって投げかけましょう。
ある教育の専門家は、「問題児」と言われる子どもの問題行動は、全行動のうちのわずか2%に過ぎないと言っています。しかし、親や教師は、そこにばかり注目してしまいがちですね。でも、98%は健全な行動なのです。もっとそこに注目しなければならないはずです。
これは他人だけでなく、自分自身や、置かれている行き詰まった状況に対しても、です。何か宝物がないかと、考えるのです。探せば、きっと見つかります。
(マタイ7:7)探しなさい。そうすれば見出します。
そして、その宝を見つけ出すために、正しい質問を自分に投げかけましょう。たとえば、
- 良い部分、良い側面は何だろうか?
- ここから何が学べるだろうか?
- このことが今後どんな良いことにつながる可能性があるだろうか?
そのような宝探しの質問です。
可能性探しの質問
あるいは、どんなに現状が残念でも、苦しくても、それでも「今自分にできること」に注目するような質問を自分に投げかけましょう。
パウロたちは、一つの道が閉ざされたとき、そこで立ち止まらず、「この地域がダメなら、こちらの地域に行って伝道できる」と考えて、新たな伝道計画を立て、実践しました。それも閉ざされても同じ事をしました。そうしてトロアスの港に到着し、そこで幻を見せられ、新たな方向性を示されることになります。
私たちも、物事がうまくいかないとき、それを嘆くことに時間とエネルギーを費やすのではなく、 今自分にできることを見つけ出して実践しましょう。そのために、次のような質問を自分に向かって投げかけます。
- 今この状況で、自分にできることは何だろうか?
- 同じ失敗をしないために、できることは何だろうか?
- この経験をした自分だからこそできることは何だろうか?
そのような未来指向の質問をするのです。
みこころに応答しよう
自分に向かって正しい問いかけをすることによって、問題や行き詰まりの中に神さまが用意された、 あなたのための宝、可能性を見つけることができます。そうしたら、その祝福が実現するような行動を取りましょう。
先ほど紹介した、知的障がいのお子さんを持つお母さんの話です。かつては、お子さんのゆっくりした行動を黙って見ていられず、あれこれと手を出していたそうです。
しかし、この子は神さまが我が家に与えてくださった宝物だということに気づかされたとき、できないことに目を留めて直そうとし、イライラするのではなく、すでにできていることに目を留めて喜ぶようにしなければならないと考えました。すると、イライラしなくなったし、毎日が楽しくなりました。
そして、「すぐに手を貸さずに、自分でやり遂げるのを待つ」ということを始めました。すると、今まで以上にお子さんの成長が早まったといいます。
あなたは今、神さまからどんな行動を期待されているでしょうか?