(2025年6月29日)
パウロの第二回伝道旅行が終わります。そして、エペソにやってきたアポロが、プリスキラとアキラの助言によってさらに優れた伝道の働きをするようになりました。
礼拝メッセージ音声
参考資料
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17節の「ガリオ」は、アカイア属州(ギリシア南部)の総督です。コリントのユダヤ人たちがパウロに反対して訴えましたが、これは宗教的な問題だからとガリオは訴えを受理しませんでした。
18節の「誓願」とは、民数記6章に記されている「ナジル人の誓願」のことだと理解されています。これは神さまに対して「これをかなえてくれたら、私は代わりにこういうことをします」という取引ではありません。すでに与えられている神さまの恵みと愛に感謝して、自発的に何かをするという誓いを立てることです。ナジル人の誓願では、以下の3つのことを守りました。
- ぶどうの実から作られたものを一切口にしない(ぶどう酒だけでなく、酢や干しぶどうも)。
- 誓願の期間中、髪を切らずに伸ばし続ける。
- 死体を避ける(たとえ親族であっても)。
パウロは、モーセの律法は役割を終えて廃棄されたと理解していますが、救いの本質に関わらないことについては、ユダヤ人の伝統を継続して取り入れる柔軟さも有していました。

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(画像引用:聖書 新改訳2017)
19節の「エペソ」は、小アジア(今のトルコ)の西部にあったアジア属州第一の都市です。
22節の「カイサリア」は、パレスチナの地中海沿いにあった都市。ユダヤ属州を治めるローマ帝国の総督府が置かれていました。この頃の総督はフェリクスです(使徒24章に登場)。
22節の「アンティオキア」は、シリアの地中海沿岸にあった都市。パウロはこの町にあった教会の指導者の一人で、ここから伝道旅行に派遣されました。
23節は、第三回伝道旅行の出発を表しています。第二回伝道旅行は紀元49〜52年で、第三回は紀元53〜57年とされています。「ガラテヤ」や「フリュギア」は小アジア(今のトルコ)の内陸部地方。
24節の「アレクサンドリア」は、エジプト北部にあったローマ帝国第2の都市。優れた学問機関があり、ローマ世界の中の文化・芸術の中心地の一つでした。たくさんのユダヤ人が住んでおり、アポロもその一人です。
25節の「ヨハネ」は、バプテスマのヨハネのこと。
26節の「プリスキラとアキラ」は、コリントでパウロの生活と伝道活動を支えた夫婦。アキラが夫でプリスキラが妻です。二人はパウロと同じテント職人でした。
27節の「アカイア」は、ギリシャ南部の地域。首都はコリントです。
イントロダクション
良い指導者との出会いは、人生にとって大きな幸いです。今回登場するのはアポロという伝道者です。彼は、エペソでプリスキラとアキラの夫婦と出会います。彼らのおかげで、アポロはさらに優れた伝道者となりました。
私たちも、たとえ指導者という地位にいなかったとしても、親や先輩や友人として多くの人たちに接します。私たちが接する人たちが持ち味をどんどん伸ばしていけるような、そんな関わりができる存在になりたいですね。
そして、実際に私たちは他の人の持ち味を引き出す、良い指導者、良い親、良い先輩、良い友人になれます。そのためには、どんなことに注意すればいいのでしょうか。プリスキラとアキラから学びましょう。
1.アポロの変化
パウロの動向
ソステネへの暴行
(17節)そこで皆は会堂司ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。
前回、パウロがコリントで1年半に渡って伝道をしたという話をしました。それに対してユダヤ人の一部が反発して、アカイア属州の総督であるガリオに対して訴え出ました。しかしガリオは、パウロはローマの法律に違反しているわけではなく、ユダヤ人たちの主張は宗教的な問題に過ぎないとして訴えを退けます。
そこで、ユダヤ人たちは腹いせに会堂の管理者であるソステネに対して暴行を加えました。
パウロの伝道によって、会堂司であるクリスポという人が一家挙げてイエスさまを信じたということが8節に書かれています。ソステネはクリスポがクビになって後釜となったか、複数いる会堂司の一人だったかでしょう。
ソステネがここで暴行を受けた理由は書かれていませんが、彼もクリスポと同じくイエスさまを信じてクリスチャンになっていたからかもしれません。というのも、ソステネの名前が後にパウロの手紙の中に登場するからです。
後にエペソで書かれたコリント人への第一の手紙1章1節で、パウロはこの手紙が自分と共にソステネによって送られるということを記しています。おそらく、コリント人への第一の手紙は、ソステネが口述筆記したのだと思われます。
コリントでひどい目にあったソステネですが、神さまは彼に救いの喜びを与えてくださったのですね。
コリントを離れるパウロ
(18節)パウロは、なおしばらく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリアへ向けて船で出発した。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアで髪を剃った。
第二回伝道旅行を行なっているパウロは、コリントにじっくりと腰を据えて、シラスやテモテと共に1年半に渡って活動を続けました。そして、その活動を終えて、派遣元であるシリアのアンティオキア教会に戻ることにします。
その帰りの旅に、コリントで初期の時期にパウロに住む場所と仕事を与えてくれた夫婦、プリスキラとアキラの二人も同行します。シラスとテモテの名前は挙げられていませんので、おそらくコリントにとどまったか、別の場所に派遣されたかしたと思われます。
途中、ケンクレアという町に到着すると、パウロは立てていた誓願を完了するしるしとして、それまで伸ばしっぱなしにしていた髪の毛を剃ります。
参考資料に書いたとおり、この誓願とは「私はこれをするので、代わりに神さまは私の願いをかなえてください」といった取引ではありません。神さまの恵みに感謝して、一方的に行なう約束です。
約束の内容は書かれていないので想像するしかありませんが、おそらくコリントでの伝道を一生懸命に行ないますという誓いだったのでしょう。
前回取り上げたように、コリントに来た頃のパウロは恐れを感じていましたが、イエスさまは幻の中で彼を励まして、語り続けるようお命じになりました。パウロは、その命令に従うという誓いを、ユダヤの伝統である「ナジル人の誓約」の形式で行なったのだと思われます。
そして、コリントを離れて帰路に就いたので、パウロは誓約のしるしとして伸ばしていた髪の毛を剃ったのでしょう。
エペソでの伝道
(19節)彼らがエペソに着くと、パウロは二人を残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ合った。
パウロはアキラとプリスキラの夫妻を伴って、小アジア随一の都市であるエペソに入りました。パウロはアキラ夫妻を残して、自分だけでユダヤ人の会堂に入って伝道活動を行ないました。
アキラとプリスキラはこの後エペソにとどまるので、住まいの確保のために動いていたのかもしれません。
エペソからの船出
(20-21節)人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、パウロは聞き入れず、「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
エペソの町のユダヤ人たちは、他の町のユダヤ人と違って福音に興味を持ちました。そこで、もっと滞在して教えてほしいと願いますが、パウロはそれを拒絶します。他の町と違ってせっかくユダヤ人に興味を示してもらったので、どうしてでしょうか。
聖書の写本(コピー)の中には、「エルサレムでの祭りに参加するため」という一文が加わっているものがあります。それはありそうな理由ですが、古い時代の写本にはその一文はありません。ですから、「分からない」というのが答えです。少なくともパウロは、今はエペソにとどまるべきではないと感じたのでしょう。
後にパウロは第三回目の伝道旅行に出発しますが、その中心地はエペソです。
アンティオキア教会への帰還
(22節)それからカイサリアに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンティオキアに下って行った。
パウロは、プリスキラとアキラと別れてエペソを離れました。そして、カイサリアとエルサレムを経由して、第一回と第二回の伝道旅行の派遣元であるアンティオキア教会に戻りました。こうして、第二回伝道旅行は終了します。
第三回伝道旅行
小アジアでの伝道
(23節)パウロはアンティオキアにしばらく滞在した後、また出発し、ガラテヤの地方やフリュギアを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。
2年半に及ぶ伝道旅行を終えたパウロですが、翌年には第三回伝道旅行に出かけました。紀元53年から57年という、約3年にも及ぶ長丁場です。
この第三回伝道旅行では、小アジア、特にエペソを中心に活動することになります。
伝道者アポロとプリスキラ・アキラ夫妻
アポロの出自
(24節)さて、アレクサンドリア生まれでアポロという名の、雄弁なユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
パウロがエペソを去った後、アポロというユダヤ人がエペソにやってきました。この人はエジプトのアレクサンドリア出身で、非常に雄弁であり、旧約聖書の知識も豊富でした。
アポロの限界
(25節)この人は主の道について教えを受け、霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。
アポロは主の道、すなわちキリスト教の教えを受けてクリスチャンになっていました。そして、イエスさまについてエペソの町のユダヤ人たちに向かって正確に教えました。
ただし、彼には限界もありました。「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」と書かれています。これはどういう意味でしょうか。
まず、この「ヨハネ」というのは、バプテスマのヨハネのことです。20数年前、ヨハネは救い主について次のように教えました。
- 聖書が登場を約束してきた救い主(メシア、キリスト)が間もなく現れる。
- 救い主をお迎えするために、罪を悔い改めなければならない。
そして、悔い改めた人たちにそのしるしとしてヨルダン川で洗礼を授けました。また、イエスさまが登場すると、あのお方こそ救い主だと弟子たちに教えました。
ですから、アポロも人々に、罪を悔い改めてイエスさまこそ救い主だと信じるように教えたということです。
さて、次の19章に入ると、第三回伝道旅行でパウロがエペソにやってきます。そこで、12人ほどの人と出会いました。その場面は次のように描かれています。
(1-7節)アポロがコリントにいたときのことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子たちに出会った。彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。
「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです」と答えた。
そこでパウロは言った。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」
これを聞いた彼らは、主イエスの名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。その人たちは、全員で十二人ほどであった。
ここから分かることは、「ヨハネのバプテスマしか知らない」という表現は、聖霊さまについて教えられていなかったという意味だということです。
私たちは、自分の決意や努力によって罪を克服することができません。ですから、イエスさまの十字架と復活によって、一方的に神さまに罪を赦していただく必要がありました。
それは信じて救われた後も同じです。自分一人の力で罪を犯さず、神さまのみこころにかなう生き方をし続けることは不可能です。ここでも神さまによる助けが必要です。そして、聖書は神さまが確かに信じた後も助けてくださると約束しています。
私たちがイエスさまを信じた時、神の霊である聖霊さまが私たちの内に入ってくださり、住んでくださるようになります。そして、私たちを少しずつ罪の力から解放して、イエスさまに似た存在に日々造り変えてくださいます。
また、聖霊さまは、教会に属するクリスチャン一人ひとりに特別な奉仕の能力(賜物)を与え、一人ひとりが体の各器官のように有機的に結びつき、協力し合って、神さまの働きを地上で行なうことができるようにしてくださいます。
そして、どのように祈っていいか分らないときも、聖霊さまが父なる神さまに取りなしてくださいます。
アポロは、イエスさまこそ約束の救い主だということを正確に教えました。しかし、聖霊さまが内に住んでくださり、助けてくださることについては十分な理解をしていなかったため、人々に教えられませんでした。
すなわち、罪を悔い改めてイエスさまを救い主だと信じた後は、自分の努力によって神さまに従うという理解だったのです。
プリスキラとアキラによる教え
(26節)彼は会堂で大胆に語り始めた。それを聞いたプリスキラとアキラは、彼をわきに呼んで、神の道をもっと正確に説明した。
ユダヤ人が礼拝する会堂(シナゴーグ)でアポロの説教を聞いたプリスキラとアキラは、アポロの理解が不十分だということに気づきました。そこで、脇に読んで聖霊さまについて詳しく教えました。
アカイアに渡ったアポロ
(27節)アポロはアカイアに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、彼を歓迎してくれるようにと、弟子たちに手紙を書いた。彼はそこに着くと、恵みによって信者になっていた人たちを、大いに助けた。
キリスト教についてより正確な教えを受けたアポロは、その後アカイア属州(ギリシアの南部)に渡りたいと考えました。それを知ったエペソ教会の人々は彼を励まして、推薦状を持たせて送り出しました。
この推薦状は、アポロが異端の教えを語る偽教師ではなく、正しい教えを語る人だということを保証するものです。特にプリスキラとアキラは、エペソに来る前はアカイアのコリントにいましたから、彼らが保証してくれればコリント教会の人たちも安心してアポロを迎え入れられます。
こうしてアポロはコリントに向かいました。そして、コリント教会の人たちの成長を大いに助けます。パウロはアポロのそんな働きについて、次のように表現しています。
(第1コリント3:6)私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
アポロがどのようにしてコリント教会の人たちの助けになったのかは、次の節に書かれています。
ユダヤ人を論破するアポロ
(28節)聖書によってイエスがキリストであることを証明し、人々の前で力強くユダヤ人たちを論破したからである。
17節の解説でも触れましたが、パウロがコリント教会を開拓していた頃、ユダヤ人の一部がパウロに反対して騒ぎになりました。そんな反対派のユダヤ人たちに対して、アポロは聖書を用いて理路整然とイエスさまこそ約束の救い主だということを説明します。
さらにアポロは雄弁術を身につけていたため、誰もアポロの主張に対抗することができず、黙るしかありませんでした。中には、それまでの反対意見を取り下げて、イエスさまを信じるユダヤ人もたくさん現われたことでしょう。
このように、アポロは偉大な働きをする伝道者となりました。それは、プリスキラとアキラがより正確な教えを伝えてくれたことによります。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。今回は特に、大伝道者アポロを生み出した、プリスキラとアキラの働きに焦点を合わせます。
2.私たちも他の人に良い影響を与えられる
あなたも、他の人の持ち味を引き出す、良い指導者、良い親、良い先輩、良い友人になれます。そのために必要な態度を3つ教えていただきましょう。
(1) 言葉で伝える
プリスキラとアキラは、アポロに聖霊さまについて教えました。アポロの説教の足りないところを指摘しただけでなく、より正確な教えが何かということを言葉で伝えたのです。
今回の記事でおもしろいのは、アポロは聖霊さまについて知識としては知りませんでしたが、彼自身聖霊さまに助けられて信仰生活を送るいう体験はしていたということです。25節には、「霊に燃えてイエスのことを正確に語ったり教えたりしていた」と書かれています。
プリスキラとアキラは、アポロが体験していたことを言葉にしてあげることによって、より深い理解へと導いたのです。そして、アポロも、そうやって言葉にしてもらったおかげで、コリントで多くの人に語り、教え、救いに導くことができるようになりました。
望ましい行動と理由を言葉にして伝える
スポーツの世界で、「名選手が必ずしも良い指導者になるとは限らない」と言いますね。それは、自分が良いパフォーマンスを発揮できるということと、それがどういうことなのか他の人に理解してもらうということとは、全く別の技術だからです。
日本体育大学の相撲部は、かつては弱小チームでした。その相撲部を何度も学生日本一に導いた監督、齋藤一夫さんの話を読みました。齋藤さんは学生横綱に輝いた名選手でしたが、プロの力士ではなく研究者の道に進んだ異色の経歴をお持ちです。
齋藤さんは大学院生の頃に、大相撲のさまざまな勝負を分析して、相手をいったん押し込んでから技をかけるのが最も勝率が高いことを発見しました。相手を押し込んで体勢を崩してしまえば、自分の得意技が決まりやすくなるのです。
そこで、監督になると部員たちに自分の研究内容を解説した上で、もっぱら押し技ばかりを練習させました。こうして、弱小相撲部は、常勝チームへと変身することになります。
子育てをしたり、部下や後輩を指導したりするとき、ダメなところに目を向けて、それを非難したり怒ったりすることはよくやります。しかし、大切なのは代わりにどうすべきかという「望ましい行動」と、そしてどうしてそうすべきかという「理由」を言葉にして伝えることです。
(2) 相手の尊厳を守る
プリスキラとアキラは、2年半もパウロと共にいたので、聖書の教えについて正確な知識を持っていました。ですから、アポロの説教を聞いた時、それが不十分だということにすぐに気づきました。
ところが、それを指摘する際、公衆の面前で「あなたのここが間違っている」「ここが不十分だ」とは言いませんでした。彼らは、アポロをわきに呼んで話をしました。すなわち、他の人が聞いていないところで話したということです。
人には自尊心があります。それを傷つけられることはとても苦しいことです。ですから、プリスキラとアキラはアポロに配慮して、このようなやり方を採用したのです。
また、プリスキラ とアキラがアポロを公衆の面前で批判しなかったのは、アポロの説教を聞いたユダヤ人たちのためでもありました。
もし、面前でアポロが批判されたなら、アポロの説教によって福音に対して心を開きかけていた人たちが幻滅して心を閉ざしてしまったかも知れません。それではせっかく成功しかけていたユダヤ人伝道が台無しになってしまいます。
だからアキラ夫妻は、アポロに対するユダヤ人たちの尊敬を保つため、脇に呼んで話をしました。
この話をお読みください。
セミナー会社の講師である佐藤さんは、スピーチのクラスを担当していました。彼女の友だちの山本さんは、このスピーチ・クラスに出席したかったのですが、会場が遠い上、ちょっと料金が高いために二の足を踏んでいました。
それを知った佐藤さんは、過去行なわれたスピーチセミナーのCDを貸してあげようと思い立ち、「これは、本来なら貸し出さないものだけれど」と、特別に貸してあげました。ところが、山本さんは、佐藤さんの親切の喜ぶどころか、一瞬迷惑そうな表情を見せました。
佐藤さんは、このことを先輩に相談しました。なぜ山本さんがあんな反応を示したのか分からない、と。
すると先輩はこう尋ねました。「あなたが親切を受けた立場だったらと考えてみよう。相手が親切をしてくれているのは分かる。でも、少しもうれしいと思わないとしたら、どんなときだろうか」。
佐藤さんはしばらく考えて、「恩着せがましく、また上からものを言われたように聞こえるとき」と答えました。そして、自分がしばしば他人にそのような対応をしていたことに気づいたのです。クリスチャンである佐藤さんは、それは傲慢の罪だと考えて悔い改めの祈りをしました。それ以来、佐藤さんの人間関係は大きく変わりました。
私たちが他の人に何かを指摘したり、指導したりする際には、相手の尊厳を傷つけないような配慮をしましょう。伝える内容はもちろん重要ですが、伝え方、すなわちどんな表情で伝えるか、どんな声のトーンで伝えるか、どこで伝えるかなどについても注意を払いましょう。
(3) 相手を信じる
相手の問題点を指摘して、代わりにどうしたらいいかを教えたり、どうしたらいいかについて話し合ったりするのは、勇気がいります。それは、嫌われる勇気です。
もちろん、いくら嫌われる勇気が大切だといっても、これまで学んできたとおり、何を言いたいのかさっぱり分らない伝え方をしたり、相手の自尊心に対する配慮を欠いた伝え方をしたりして、その結果相手を苛ただせるような嫌われ方では意味がありません。
どんなに配慮し工夫して伝えても、その話に耳を傾け、自分の行動を振り返り、より良い生き方について一緒に考えようとしてくれるかどうかは相手次第です。嫌われる勇気というのは、うまく伝わるための配慮は尽くしながら、最終的にそれを受け入れてもらえるかどうかについては心配しないということです。
さらに言えば、相手は必ず分かってくれると信じて、相手の判断にゆだねることです。
アキラ夫妻は一介のテント職人でした。かたやアポロは学術都市アレクサンドリア出身の弁論家で、聖書の知識にも通じていました。果たして素直に自分たちのアドバイスを聞いてくれるだろうか。腹を立てたりされないだろうか。心配すればきりがありません。
しかし、プリスキラとアキラはきっとアポロが謙遜に耳を傾け、より正確な教えを説教に反映してくれるようになると信じました。
私たちも、誰かに何かを指摘したり教えたり指導したりする際には、相手がダメ人間だから自分が教えてやるという態度ではなく、無限の成長の可能性を持っていることを信じ、それを引き出すお手伝いをさせていただくという態度で臨みましょう。
私たちは、イエスさまの十字架と復活によって、一方的に罪を赦され、神さまの子どもにしていただきました。神さまは、私たちの無限の可能性を信じてくださっています。私たちもまた、他の人の足りない部分にばかり目を留めるのではなく、その可能性を見つめたいですね。