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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

苦難についての聖霊の導き

使徒の働きシリーズ33

使徒の働き21章1節〜16節

(2025年8月3日)

エルサレムで苦難が待っていることを聖霊が示されますが、パウロは覚悟を決めて旅を続けようとします。今回は、聖霊の導きについて学びます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

3節の「それ(キプロス)を左に見て」とは、キプロス島の南を通ったということ。

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(画像引用:聖書 新改訳2017)

8節の「あの7人」は、エルサレム教会で配給の問題を処理するために選ばれた執事たちのこと(6:1-5)。

10節の「アガボ」は、紀元45年頃にパウロがいたアンティオキア教会に下ってきて、世界的な飢饉があることを預言しました(11:28)。

イントロダクション

今日のテーマは、聖霊なる神さまの導きです。

私たちが本当に幸せな人生を送るには、神さまのみこころに添った行動を選び続けることが必要です。そして、聖霊なる神さまは、私たちクリスチャンに神さまのみこころを教え、どのように行動することがベストか教えてくださいます。

そのことを今回の箇所から確認しましょう。

1.パウロの苦難に関する聖霊の導き

プトレマイスまでの旅

ミレトスからパタラまでの旅
(1節)私たちは、彼らと別れて船出した。コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。

パウロは、第三回伝道旅行の帰り、ミレトスでエペソ教会の長老たちを呼んで話をしました。これについては、前回のメッセージで取り上げています。その後、パウロ一行はコス島やロドス島を経由してパタラに渡ります。
船の乗り換え
(2節)そこにはフェニキア行きの船があったので、それに乗って出発した。

パタラで、フェニキア行きの船に乗り換えました。フェニキアは、東地中海の沿岸地域です。
ツロへの入港
(3-4節)やがてキプロスが見えてきたが、それを左にして通過し、シリアに向かって航海を続け、ツロに入港した。ここで船は積荷を降ろすことになっていた。 私たちは弟子たちを探して、そこに七日間滞在した。彼らは御霊に示されて、エルサレムには行かないようにとパウロに繰り返し言った。

パタラを出発した船は、キプロス島の南を通ってツロに到着しました。船は積んできた荷物を降ろすため、7日間停泊します。その間、パウロたちはツロ教会の信者の家を探し当てて、そこに滞在しました。

ツロ教会の人たちは、聖霊さまの語りかけを聴いて、パウロがエルサレムに行くことを止めます。

聖霊さまが示されたのは、パウロがエルサレムで苦難に遭うということでした。これは、パウロ自身も繰り返し示されていたことです。パウロは、ミレトスでエペソ教会の長老たちに次のように語っています。

(使徒20:22-23)ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。 ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。

聖霊さまは、ツロ教会の人たちにも、パウロがエルサレムで苦しむことを示されたました。ただし、パウロがエルサレムに行くことを止めるようにと、聖霊さまがお命じになったわけではありません。聖霊さまは苦難の事実を示されただけです。教会の人々は愛の心から止めたのです。
ツロからの出発
(5-6節)滞在期間が終わると、私たちはそこを出て、また旅を続けた。彼らはみな、妻や子どもたちと一緒に町の外まで私たちを送りに来た。そして海岸でひざまずいて祈ってから、互いに別れを告げた。私たちは船に乗り込み、彼らは自分の家に帰って行った。

ツロ教会の人たちはパウロを止めましたが、それでもパウロはエルサレムに行くことをやめません。7日間の滞在期間が終わり、パウロ一行はツロから船で出発することになりました。

教会の人たちは海岸まで見送りに来ました。そして、最後にひざまずいて神さまを礼拝します。
プトレマイス到着
(7節)私たちはツロからの航海を終えて、プトレマイスに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。

ツロを出た船は、南に下ってプトレマイスに到着しました。ここには1日滞在しました。

カイサリアでの出来事

ピリポ宅への滞在
(8-9節)翌日そこを出発して、カイサリアに着くと、あの七人の一人である伝道者ピリポの家に行き、そこに滞在した。この人には、預言をする未婚の娘が四人いた。

プトレマイスを出た船は、さらに南下してカイサリアに到着しました。この町には、伝道者ピリポが住んでいました。パウロたちは、このピリポの家に泊めてもらうことになりました。

このピリポは、かつてエルサレム教会で起こった配給の問題を処理するために選ばれた七人の執事の一人です(詳しくはこちらの記事)。

ピリポはエルサレムを離れたあと、サマリアで伝道し、ガザに向かう道中でエチオピアの宦官に伝道しました。それから地中海沿いを北上しながら伝道して、カイサリアに定住しました。
ピリポがエルサレムを離れたのは、迫害がきっかけでした。同じ執事の一人だったステパノが殉教したのをきっかけに、エルサレム教会に対する激しい迫害が起こりました。多くのクリスチャンが捕えられ、死刑になります。そこで、ピリポはエルサレムを脱出したのです。

この迫害を先導したのがサウロ、すなわちパウロです。かつて迫害されていた人が、迫害していた人を家に泊めてもてなしたわけですね。麗しい赦しと愛がここにあります。
アガボの来訪
(10節)かなりの期間そこに滞在していると、アガボという名の預言者がユダヤから下って来た。

カイサリアには結構な期間滞在しました。その時、エルサレム教会に所属する預言者アガボがやってきました。

このアガボは以前にも登場しています。パウロがアンティオキア教会で奉仕していた時、アガボがやってきて「世界中に大飢饉が起こる」と預言しました(11:28)。

この預言は、実際に紀元47-48年に実現します。特に、パレスチナの飢饉は非常に激しいものでした。ところが、アガボの預言によって準備していたアンティオキア教会は、困窮するエルサレム教会の人たちのために支援物資を送りました。
アガボの預言
(11節)彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って言った。「聖霊がこう言われます。『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』」

このたびもアガボは預言をしました。預言者は言葉で預言するだけでなく、目に見える行動でデモンストレーションすることがあります。アガボはパウロの帯で自分の両手両足を縛りました。そして、パウロがエルサレムでこのように縛られると宣言します。

預言によれば、パウロを捕えるのはユダヤ人たちで、パウロの身柄は異邦人に引き渡されます。
パウロを止める人々
(12節)これを聞いて、私たちも土地の人たちもパウロに、エルサレムには上って行かないようにと懇願した。

アガボの預言を聞いたカイサリア教会の人々とルカなどパウロの同行者たちは、ツロ教会の人々と同じようにパウロがエルサレムに行くのを止めました。
パウロの返答
(13節)すると、パウロは答えた。「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」

泣いて懇願する人々に向かって、パウロははっきりと拒否をしました。パウロ自身は、捕えられるどころか死ぬことになっても、それがイエスさまのためならば覚悟の上だと言います。そして、そんな覚悟の心をあなたがたはくじこうとしているとパウロは言いました。

もちろん、カイサリア教会の人たちやルカたちは、パウロがイエスさまに仕えるのを邪魔したいわけではありません。あくまでもパウロに対する愛の思いから、エルサレム行きを止めたのです。しかし、結果としてパウロの邪魔をすることになってしまいました。
口を閉じた人々
(14節)彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。

どうしてもエルサレムに行くのだというパウロの覚悟を知って、人々はそれ以上パウロを説得するのをあきらめます。そして、「主のみこころがなりますように」と言いました。神さまにすべておゆだねすることにしたわけです。

エルサレムへの出発

カイサリア出発
(15節)数日後、私たちは旅支度をしてエルサレムに上って行った。

アガボの預言の数日後、パウロ一行はエルサレム目指してカイサリアを出発しました。 このたびは陸路です。
ムナソン宅へ
(16節)カイサリアの弟子たちも何人か私たちに同行して、古くからの弟子である、キプロス人ムナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。

カイサリアからエルサレムまでは、約100キロの道のりです。徒歩だと2日かかるため、途中で一泊する必要があります。カイサリア教会から同行してくれた人たちは、以前から信者になっていたキプロス人ムナソンを紹介し、そこに泊まるよう手配してくれました。

こうしてパウロは、苦難が待っていると聖霊さまが示されたエルサレムに入っていくことになります。
では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.聖霊の導きに従おう

聖霊の導きを求めよう

使徒の働きを読むと、当時のクリスチャンたちが頻繁に聖霊なる神さまの導きを受けていたことが分かります。それは、パウロやペテロといった教会リーダーにだけではありません。さまざまな立場のクリスチャンたちが、聖霊さまの語りかけを聞いていました。

今の私たちには聖書が与えられていて、聖書を読むことによって神さまのみこころを知ることができます。しかし、聖書に書かれていない個別の事柄に関して、今も聖霊さまはクリスチャンに直接みこころを示してくださいます。

私が伝道者になったのも、またこうして須賀川の地にやってきたのも、聖霊さまの語りかけを聞いて応答したからです。
どのように聖霊の導きを聞くか
何について聖霊さまに教えていただきたいか、テーマがあってもなくても、まず普段から聖書をよく読み、その内容について黙想しましょう。そして、預言者サムエルがしたように「しもべは聞いています、お語りください」という祈りをささげ、心を静める時間を持ちましょう。

すると、心の中に「このようにしなければならない」という思いが湧き上がってくることがあります。場合によっては、祈っていないときに突然心の中にある思いや何かしているイメージが浮かんでくることもあります。

何かの思いが心の中に浮かんできたら、それについてさらに「これがあなたのみこころでしょうか」と祈りの中で尋ねます。もしも、心の奥底に平安を感じるなら、それは聖霊さまの語りかけという可能性が高くなります。
さらなるチェック
心の奥に平安を感じたなら、それが本当に聖霊さまの語りかけなのか、それとも自分勝手な思い込みなのか、さらにチェックします。

まずは聖書全体の教えと、その示された行動が矛盾しないか検討します。

聖書は聖霊なる神さまが書かせたものですから、聖霊さまの導きは絶対に聖書の教えと矛盾しません。貧しい人たちを助けるために、会社のお金を横領したりお金持ちの家から盗んだりしろなどと、聖霊さまがお命じになるはずがないのです。

そして、重大な決断に関しては、教会のリーダーや兄弟姉妹に相談して、一緒に祈ってもらうことも大切です。今回の箇所でも、エルサレムで苦難に遭うことは、パウロ個人だけでなくツロ教会の人たちや預言者アガボにも示されました。

また、実際に行動し始めた後でも、「いつでもお語りください」と祈りながら状況がどんなふうに変化するか見守ります。どんなに困難があったとしても、それが神さまのみこころならば必ず道が開かれます。

この話をお読みください。
もう召天なさいましたが、アメリカの牧師でジョン・ウィンバーという牧師がいらっしゃいました。ウィンバー先生は、「新約聖書が完成してからは、もう奇跡によって使徒たちの教えを権威づける必要が無くなった。だから、今はもう奇跡は起こらない」と教える神学校の出身でした。ウィンバー先生自身も、奇跡だとか聖霊の賜物だとかにはまったく興味を持っていませんでした。

ところが、ルカの福音書を連続で解説するメッセージのシリーズを始めたところ、神さまが心に語りかけてくるのを感じます。それは「『イエス・キリストは今もここに書かれているような奇跡を行なうことができる』と教会の人たちに教えなさい。そして、毎週礼拝後にいやしを必要としている人を講壇のところに呼んでいやしを祈りなさい」という命令でした。

最初はものすごく抵抗しましたが、圧倒的な促しに逆らいきれず、ウィンバー先生はいやいやながら神さまの言う通りにしました。ところが、毎週のようにいやしを祈っているのに、ただの一人もいやされません。そこで、いやしはあくまでも神さまのお働きだから、神さまがそう望まれない限り起こらないのだ、だからいやされないこともあるのだと説明するのが常でした。

ところが、あきれた人たちが次々と教会を離れていき、メンバーの数が半分になってしまいました。だから、もうやめようと思うのですが、そのたびに「やめるな」という声が心の中に響いてきます。そこで、毎週のようにいやしを祈り、そしていやされないということを繰り返していました。

そんなある日、あるメンバーの男性が、ぜひ我が家に来て病気で伏せっている妻のいやしのために祈ってくださいと願いました。ウィンバー牧師は男性の家に行くと、奥さんの上に手をかざしていやされるよう祈りました。そして、ご主人の方に振り返ると、いつも語っているとおりどうしていやされないのかを説明し始めました。

すると、男性は怒ったりガッカリしたりするどころかニコニコしています。その視線はウィンバー牧師の後ろに注がれています。ウィンバー先生が振り返ると、さっきまで起き上がることさえできなかった奥さんが上体を起こし、そして立ち上がっているところでした。

その日以来、礼拝の後の祈りで、続々と人がいやされるようになりました。
(当サイト「聖書のメッセージ」例話より)

主イエスに仕えることを求めよう

パウロは、主イエスさまにお仕えすることを切に願っていました。そして、聖霊さまもパウロがイエスさまにお仕えするための道を示されました。

私たちが聖霊さまの導きを求めるのは、自分自身が得をするため、自分自身の欲望を満足するためではありません。導きを求めるのは、最終的にイエスさまにお仕えすることを目的としていなければなりません。
また、聖書は次のように教えています。

(第1コリント10:31)こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。

神の栄光を現すとは、父・子・聖霊なる神さまのすばらしさが今よりもっと明らかになるということです。イエスさまに仕えることは、神さまの栄光を現すということです。そのために自分にできることを聖霊なる神さまに教えていただきましょう。

いつも次のような祈りをささげたいですね。

「聖霊なる神さま。私がもっともっとイエスさまのみこころを行なうために、今しなければならないことを教えてください。もっともっと神さまのすばらしさが明らかになるために、私ができることを教えてください」。

他の人の邪魔をしないようにしよう

ツロやカイサリアの教会の人たちは、聖霊さまからパウロの苦難について示されました。そして、パウロに対する愛の思いから、エルサレム行きを思いとどまるよう説得しました。

しかし、結果的にその説得は、パウロの「主イエスさまに従いたい」という決意をくじこうとするものになってしまいました。

私たちが他の人への愛を動機として行動することは大切です。人を愛することは、聖書の教えです。

ただ、その行動が本当に愛を実現しているか、本当に相手のためになっているか、冷静に判断する必要もあります。それもまた、聖霊さまの語りかけかどうか判断するチェックポイントの一つです。

場合によっては、
  • 心配しすぎることで、「自分にはできる」という自信を削り取ってしまうかもしれません。
  • よけいなお世話になっているかもしれません。
  • 私たちが手を貸すことで、「自分一人でやってみたい」という思いを踏みにじる結果になるかもしれません。
もちろん、たとえ相手が嫌がっても、相手の行動を止めることが愛だということもあります。その場合でも、自分がどのように行動すべきか聖霊さまの導きを祈り求めましょう。
今週、私たちがますます聖霊さまの導きに敏感になりますように。そして、それにより私たちがますますイエスさまのみこころに従い、三位一体の神さまのすばらしさを表現できますように。

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