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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

もし死者の復活がないとしたら

コリント人への手紙シリーズ23

コリント人への第一の手紙15章12節~22節

(2026年4月5日)

「復活がなければ信仰は空しい」——パウロの論証から、イースターの意味と私たちの復活の希望を聖書から確かめます

礼拝メッセージ音声

増田牧師による礼拝メッセージ音声


礼拝メッセージについてのラジオ対談風音声

対談音声は、NotebookLM(AI)で自動作成したものです。漢字の読み間違いなどはご容赦ください。

イントロダクション

聖書において、キリストの復活は単なる奇跡の物語ではありません。それは、私たちの罪が本当に赦されているのか、そして死の先に希望があるのかを左右する決定的な出来事です。もし復活がなければ、私たちの信仰は根底から崩れてしまいます。

1.死者の復活の論証

死者の復活を否定する人々

コリント教会にいた復活否定論者
(12節)ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。

前回のメッセージで取り上げましたが、パウロは人が救われるために信じなければならない内容、恵みの福音について再確認しました。恵みの福音の内容は、以下の3つです。
  1. この私の罪を赦すために、キリストが十字架にかけられたこと
  2. キリストが葬られたこと
  3. キリストは、死後3日目に復活なさったこと
これがすべて真実だと信じ受け入れるとき、人は本当に神さまに対するあらゆる罪を赦され、それどころか神さまの子どもとされて、永遠に続く祝福を受ける権利を手に入れます。
ですから、イエス・キリストが復活したという教えは、キリスト教の教えの中で最も大切な要素の一つです。そして、コリント教会の人たちは、みんなこの福音を信じて救われ、教会に加えられたはずでした。

ところが、キリストの復活を信じたと言いながら、一方でクリスチャンが将来肉体的に復活するという教えを信じていない人たちがいました。

当時のギリシア哲学(プラトン主義やストア派など)の特徴は、霊肉二元論です。これは、精神的な霊魂と、物質的な肉体を分けて考え、霊魂は良いもので、肉体は良くないものだという考え方です。
  • 霊魂:神聖で不滅であり、真実の世界(イデア界)に属するもの。
  • 肉体:朽ち果てるものであり、不純で、魂をこの世に縛り付け、真理への到達を邪魔する「重荷」や「牢獄」。
彼らにとっての「救い」とは、死によって不純な肉体から脱出し、魂が純粋な精神世界へ帰還することでした。そのため、一度脱出したはずの「牢獄(肉体)」に再び戻る(復活する)という教えは、救いではなく「永遠の刑罰」や「後退」のように聞こえたのです。

そういうわけで、コリント教会のすべての人が、ではありませんが、一部に復活はないと主張する人たちがいました。パウロはその点を問題にしようとしています。
論理的矛盾の指摘
(13節)もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

死者の復活がないとしたら、イエスさまも復活なさらなかったはずです。死者の復活を否定しながら、同時にキリストの復活を信じるのは矛盾だとパウロは指摘しています。

キリストが復活しなかったとしたら

復活がないなら宣教も信仰も空しい
(14節)そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。

パウロは、死者の復活の否定が、信仰的に危険な考え方だということをここから列挙しています。13節で述べたように、もしも死者の復活そのものが無いとしたら、イエスさまも復活していないことになります。
そして、イエスさまが復活していないとしたら、パウロたちが語る恵みの福音も間違いだということになります。ということは、福音を信じるだけで救われるという教えも嘘ということになりますね。

それなら、「自分は神さまに対する罪をすべて赦され、全知全能の神さまと仲良しになり、今もこれからも永遠に祝福される」という信仰もまた、中身が伴わない空しいものになってしまうとパウロは言います。
偽証の罪
(15節)私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。

もしも死者の復活がなくて、イエスさまが復活しなかったのだとすれば、恵みの福音を宣べ伝えるパウロたち伝道者は、みんな大嘘つきということになります。それどころか、神さまの教えに逆らうことを証言した罪、偽証の罪を犯したということになるはずです。

もしも復活がないなら、パウロたち伝道者の言うことはすべて信用ならないことになります。

先週、19世紀の法学者サイモン・グリーンリーフのエピソードを紹介しましたね。彼は、キリスト教の教えが嘘っぱちだと示すために、キリストの復活に関する証言が信用に値しないことを証明しようとしました。復活を否定できれば、聖書の教え全体を否定できるからです。

もっとも、グリーンリーフは新約聖書の中の復活に関する記録を緻密に検証した結果、復活は本当にあったと信じないではいられなくなり、結局自分自身もクリスチャンになったわけですが。
復活がないなら罪の赦しもない
(16-17節)もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。

もし死者の復活がなく、イエスさまが復活なさらなかったのだとすれば、福音を信じるだけで罪が赦されるという教えも嘘になります。

ということは、私たちクリスチャンが「自分は罪を赦された」と信じていることも根拠がなくなります。すなわち、いまだに罪の中にいて、赦されていない状態だということです。
復活がないなら死んだ人は滅びる
(18節)そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。

もし死者の復活がなく、福音を信じるだけで罪が赦されるという教えが嘘なのだとすれば、すでに死んでしまったクリスチャンたちはもう手遅れです。罪に対する神さまの怒りによって、罪の罰により永遠の苦しみという罰を味わうことになります。
一番哀れな者
(19節)もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

もしも、クリスチャンは死んでも将来必ず復活し、神の国に入り、さらに永遠に続く新天新地で祝福を味わい続けるという希望が嘘なのであれば、私たちクリスチャンの希望はこの世での物質的な祝福のみです。

もしそうなら、現世的な快楽を捨てて、殉教したり苦難を耐え忍んだりするクリスチャンたちは、この世で最も愚かでかわいそうな人たちということになるではないか。パウロはそう言い放ちます。これは、決してそうではないという強力な逆説的な言葉です。

キリストの復活と私たちの復活

復活の初穂としてのキリスト
(20節)しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

イエスさまは確かに肉体的に死に、3日目に復活なさいました。そして、それは「眠ったものの初穂」だとパウロは言います。
初穂というのは、そのシーズンで最初に収穫される農作物のことです。初穂は、この後たくさんの収穫が待っているということを保証するものです。イエスさまの復活が初穂だということは、私たちクリスチャンも将来肉体的に復活するという保証になっています。

イエスさまが十字架にかけられたのは、モーセの律法で毎年祝うようにと命ぜられていた七つの祭りのひとつ、過越の祭りの日だというのはよく知られています。実は、イエスさまが復活なさった日もユダヤの祭りと関係しています。

イエスさまが復活なさったのは、その年の初穂の祭りの日でした。初穂の祭りは、大麦の初穂を神さまにささげる収穫祭です。
  • モーセの律法に定められた七つの例祭は、すべてイエスさまによる人類の救いを表しています。
    続きを読む1. 過越の祭り=キリストの十字架
    2. 種なしパンの祭り=人類の罪の赦し
    3. 初穂の祭り=キリストの復活
    4. 七週の祭り(五旬節、ペンテコステ)=聖霊降臨
    5. ラッパの祭り=教会の携挙
    6. 宥めの日(贖罪の日) =大患難とイスラエルの民族的回心
    7. 仮庵の祭り=キリストの再臨と神の国の実現
大切なことは、イエスさまが復活なさったということが、将来私たちも復活することの保証になっているということです。

そして、19節までのパウロの逆説的な説明の逆のことが確かなものだと確信できます。

すなわち、恵みの福音を信じた私たちは確かに罪を赦されており、神さまの子どもとして愛され、導かれ、将来神の国、さらには新しい天地で永遠に幸せに暮らすという希望が保証されているということです。
人類代表としてのアダムとキリスト
(21-22節)死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。 アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。

国の代表である王さまがへまをすると、その影響は国全体に及びます。たとえば、西暦2000年代にアフリカ・ジンバブエの独裁者であったムガベ大統領は、さまざまな間違った経済政策を実行しました。その結果、深刻な物不足とハイパーインフレが起こります。

ひどいときは、物価上昇率が前月比796億%、すなわち1000円で買えていた商品が、翌月には7960億円になったというとんでもないインフレです。
当然、国民は非常に苦しみました。2017年にクーデターが起こり、ムガベ大統領は国外逃亡しましたが、その後も今に至るまでジンバブエ国民は苦しみ続けています。間違ったのは大統領です。しかし、その影響は国全体に及びます。

それと同じように、人類の代表であるアダムの罪は、アダム本人だけでなくその後生まれるすべての人間に影響を与えます。

私たちは生まれながらにして罪の性質を持っていて、神さまを否定したり逆らったりし続けています。そして、もしも罪を赦していただくことがなければ、罪の罰を受けて永遠の苦しみという滅びを味わうことになります。

しかし、もう一人、人類の代表であるイエス・キリストがいます。イエスさまが十字架にかけられて罪の罰を引き受けてくださったので、私たちも罪の償いをしたと見なされました。そして、罪が赦されました。罪人としての私たちは、イエスさまと共に死んだのです。

さらに、人類代表であるイエスさまが復活なさったので、私たちもまた神さまの敵ではなく子どもとして生まれ変わりました。今も、そしてこれから永遠に、神さまの子どもとして神さまに愛され、守られ、導かれ、祝福され続けるのです。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.キリストの復活によって、自分の復活を確信しよう

復活という救いの要素

救われるために信じなければならないのが、恵みの福音です。その福音には、イエスさまの復活が含まれています。復活を信じないで、救いを受け取ることはできません。

そして、私たちに与えられる救いの中にも復活が含まれています。イエスさまが復活なさったように、私たちもやがて復活します。
復活すると、新しい体が与えられます。今の体とは違う、完全な栄光の体です。

復活すれば、もう花粉症に悩まされることはありません。シミやしわを気にすることもありません。食べ過ぎで太るのを心配しなくてもかまいません。体や心の病気や障がいもありません。

復活の体にはもう罪の性質が残っていません。ですから、したくもない悪いことをついついやってしまうことはもうなくなります。

私たちは、ただ罪が赦されて罰を受けなくなっただけでなく、そのような祝福も約束されているのです。

復活後の祝福

やがて私たちはこの地上の生涯を終えて肉体的な死を迎えます。しかし、その魂は消えてなくなるのではなく、天のパラダイスに迎え入れられます。そこで、しばらく平安のうちに休息します。

そして、携挙の時がやってくると、死んでいたクリスチャンたちには新しい肉体が与えられます。復活です。そして、イエスさまが地上に再臨なさるとき、一緒に地上に戻ってきます。

再臨なさったイエスさまは、地上に神の国、一般には千年王国という名前で知られているすばらしい王国を作り上げてくださいます。その神の国で、私たちは復活した旧約時代の信者たちや、携挙の後に救われた人たちと共に、千年間幸せに暮らします。

さらにその後、今の宇宙は消えて無くなり、代わりに新しい天と新しい地が創造されます。私たちは、その新しい天地で永遠の時を過ごします。地上生涯よりも天のパラダイス、天のパラダイスよりも千年王国、千年王国よりも新しい天地と、先に行けば行くほど祝福が増し加わっていくのです。

キリストの復活という保証

そして、私たちが罪を赦され、将来復活する保証が、イエスさまの復活です。イエスさまが復活したので、私たちもまた復活すると信じることができます。

今日はイースター。イエスさまの復活をお祝いする日です。イエスさまの復活は単なる歴史的事実ではなく、将来の復活を含む私たちの救いを保証するものだということを、改めて確認しましょう。

主はよみがえられました。今も生きておられます。アーメン!

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