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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

ピポピポ

(2009年6月28日)

日本で初めて洋菓子を販売したのは、森永太一郎さんという方です。森永さんは、9年間アメリカで洋菓子作りの修行をしているとき、クリスチャンになられました。そして、帰国後、森永さんと奥さまは、わずか2坪の土地から洋菓子作りを始めました。明治30年頃のお話です。

しかし、最初はどのお菓子屋さんも(当然、当時はすべて和菓子屋さんです)、「こんな油っこいもの、仕入れたって売れやしないよ」と相手にしてくれません。みんな、「馬鹿なこと始めて。そのうちあいつは一家心中だ」と噂しました。

それでも、森永さんと奥さまは、栄養価の高い洋菓子を日本人に提供することが自分たちの使命であると信じ、祈りつつ営業に励みました。そうして、ついに同郷の和菓子屋さんが、森永さんの作ったお菓子を店に置いてくれることになったのです。狙い通り、洋菓子は飛ぶように売れていきます。森永さんは祈りました。「神さま、感謝します。あなたは沈黙をもって私を訓練してくださいました」。

しかし、神さまの訓練はまだまだ続きました。和菓子屋の組合が入れ物を上げ底にしてくれと言ってきたのです。当時のお菓子は、みんな上げ底にして利益を上げていました。「あんたは作る方だからいいかもしらんが、わしらは売る方だ。これじゃあ商売あがったりだ。もし上げ底にしてくれないのなら、組合の菓子屋は、もう一切あんたのところから仕入れないから」。組合はそんなふうに圧力をかけてきました。

森永さんは毅然と答えました。「私は人様をだますような商売をしたいとは思いません。天の父なる神さま私を一度もだまさなかったのに、子である私が、どうして人様をだませましょうか。もし私が上げ底をしないで、それで皆さまから買っていただけなくなるのなら、それもまた神さまのみこころでしょう」。そして、がんとして圧力に屈しませんでした。

その後、どうなったと思いますか? お菓子の上げ底はなくなり、森永さんの小さなお店はやがて大企業にまで成長していきました。エンゼルマークで有名な森永製菓です。

今の自由な日本では、信仰を持ったからといって、それで殺されることはまずないでしょう。それでもクリスチャンとして誠実に生きようとするとき、さまざまな困難がやってくることがあります。しかし、神さまはこういう捨て身の信仰者を通して、大きなみわざを見せてくださるようです。私たちも、どのような状況に立たされても、神さまに応答し続けていきたいですね。

「神さま。自分にはやれる自信はとてもありませんが、どうかその力を下さい」。そう祈りながら。

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