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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

ごめんなさい!

(2015年12月27日)

人間関係において最も大切で、しかもなかなか口に出せない言葉は、「ありがとう」と「ごめんなさい」です。これは神さまとの関係でも当てはまります。今日は、「ごめんなさい」のお話。

クリスチャンでも罪を犯します。いや、聖霊が内に住んでくださって、今までは罪と思わなかったことまで罪だと指摘なさいますから、クリスチャンになる前よりももっとたくさん罪を犯しているようにすら感じます。さて、自分が罪を犯している、神さまを悲しませている、イエスさまの望む通りの生き方をしていない感じた時、皆さんはどうなさいますか?

1.開き直る

「みんなやっているわ」。「人間なんだからしょうがないんだ」。「どうせ赦されるんだから、いくら罪を犯してもいいんだ」。

これは論外。実は、私もよくそう感じることがありますけれど……。

2.泣き落とす

「私の場合は、こうせざるをえない状況だったんです」

どんな状況でも、神さまに従わなくていい理由にはなりません。

3.責任転嫁する

「あの人が僕にあんなこと言うから、カッとなってしたことだ。僕に愛がないからじゃない」。「礼拝に出席しないのは、教会がおもしろくないからさ」。

責任転嫁しても問題は解決しません。ますます泥沼に入ります。

4.無視する

別のことに気を向けることによって、神に従っていない自分を見ないようにする。でも、神さまに従っていないという罪責感や、本当の自分を生きていないというイライラは無くならないんですよね……。

5.自分を責める

「どうせ私は二流クリスチャンです」

ある心理学者がこう言いました。「自分を責めている人は、自分を改めたくない人だ」と。一見敬虔に見えますが、神さまに従いたくないという点では同じです。キリストはあなたの罪を赦してくださいました。自分をいたずらに責めることは、キリストのみわざを台無しにする、最もひどい罪なのです。知ってました?

罪を犯したと知ったら、「すぐに」「その場で」それを認め、神さまに赦しを求め、イエスさまの十字架による赦しを信じて感謝し、再び神さまに従う決心する。神さまはそれを望んでおられます。夜に、あるいは日曜にまとめて……そんなことしてはだめですよ。今、赦されるんですから。 今年の罪は、来年に持ち越さないで、今年中に処理しましょう。

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