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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

何が罪かを考えるより

(2023年4月23日)

昔、横山幹雄牧師(となみ野聖書教会)が語ってくださった言葉が心に残っています。それは、「何が罪かを考えるより、どうしたらイエスさまに喜んでいただけるかを考えましょう」という言葉です。

何が罪かばかり考える生き方は、「どうやったら神さまに叱られないで、しかも自分の好きなことをやることができるだろうか」という、なんだか神さまの目を盗むような生き方につながりかねません。そのような態度は不健全であって、神さまとの良い関係を育てないどころか、むしろおかしくしてしまうでしょう。

川端光生牧師(キリストの栄光教会)が、著書「理屈っぽい人のQ&A要点ノート」の中でこんなエピソードを書いておられます。ある人が川端先生にこう尋ねました。「姦淫は罪ですね?」

先生はこう答えます。「その通り、妻以外の女性と関係を持つことは罪です」。

するとその人は重ねてこう尋ねました。「じゃあ、どうしようもない状況で関係を持ったとしたらどうですか? それでも罪になるのですか?」

川端先生は著書の中でこうおっしゃっています。「もし私が『どうしようもない状況ならしかたがありませんね』と答えたなら、きっとこの人は自分でそのどうしようもない状況を作り出して、姦淫に及ぶつもりだったのだろう」。

そういう心で「罪を犯さないようにしよう。いったい何が罪なのだろうか」と考えたとしても、すでにその人の心は神さまの方を向いていません。神さまとの関係が、最初からおかしくなってしまっています。だからすでに罪を犯しています。

使徒ヨハネが手紙の中に記しています。「神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません」(第1ヨハネ5:3)。

何が罪か考えることも大切ですが、それ以上に、どうすることが神さまを愛することなのか考えるようにしましょう。そしてそのためにも、自分がいかに神さまに愛されているかを考えましょう。

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