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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

返さなければならない負債

ローマ人への手紙1章13節〜17節

(2012年9月30日)

イントロダクション

クリスチャンの存在目的の5つ目は、伝道です。

1.どうしてもしなければならないこと

パウロの情熱

ローマ人への手紙の中で、パウロはローマを訪問したいという思いを語っています。それはローマで「いくらかの実を得ようと思って」いたからです。これは、伝道して、人々を救いに導きたいという意味です。

パウロは、さらにはローマ教会から送り出されてイスパニア(今のスペイン)に行って、そこでも伝道したいという思いを書き綴っています(15:23-24)。パウロの心の中には、まだイエス・キリストを信じていない人々を救いに導きたいという、強い情熱が満ちあふれていました。

負債意識

その情熱について、パウロ自身は、「返さなければならない負債を負っています」と表現しました。福音を宣べ伝え、人々がイエス・キリストを信じられるようにし、救いに導くことは、余裕があったらすればいいというようなものではなく、この自分がどうしてもしなければならないことなのだ、という意識です。

同じパウロが書いた第1コリント9:16にも「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ」と書かれています。

パウロが「そうしないとわざわいだ」というのは、「伝道しなければ救いを取り消され、地獄に落ちる」という意味ではありません。救いは恵みによるのであって、私たちの側がどうであっても、神さまによって一方的に与えられるものだからです。

「そうしないとわざわいだ」と感じられるほどに、「福音を宣べ伝えたい」「まだ救われていない人を救いに導きたい」という思いが心の奥底からわき上がっていたということです。

それだけ、パウロ自身にとって、「福音」とか「救い」とかというものが重要だったということでしょう。そして、それは私たちにとっても同じはずです。

では、それだけ大切な福音とは一体何なのでしょうか。

良い知らせ

福音と訳されている言葉は、ギリシャ語では「ユアンゲリオン」と言います。ユは良いという意味、アンゲリオンは、天使(アンゲロス、英語のエンジェル)と同じ語源の言葉で、使いという意味があります。使いが遣わされてきて、良い知らせを告げてくれた、その良い知らせがユアンゲリオン、福音です。

たとえば、敵が攻めてきたために、町を守る兵士たちが迎撃に向かい、戦いが起こります。万が一彼らが負ければ、敵軍が町に殺到してきて、住民がひどい目に遭います。しかし、味方の軍隊は敵軍を打ち負かして追い払うことができました。その時、戦場から町に向かって使者が走ります。そして「我が軍は勝利した。平和がやってきた。もう安心だ」と宣言します。この喜ばしい知らせがユアンゲリオンです。

それでは、聖書が教える福音は、どのような喜ばしい内容なのでしょうか。福音の内容は、第1コリント15:1-8に書かれています。

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました」。


まとめると、
  1. イエス・キリストは、我々の罪のために(罪を赦すために)十字架にかかられた。
  2. キリストは死んで葬られた(死んだふりをしたのではなく、本当に死んだ)。
  3. キリストは、死んで3日目に復活した。そして、多くの人の前に現れた(本当に肉体的に復活した)。
ということです。あなたはこれを信じていますか? もし「アーメン」(その通り)と言えるとしたら、あなたは救われています。他に条件はありません。ただこれを信じるだけであなたはクリスチャンであり、神さまの大切な子どもです。

では、どうしてそういうことになるのでしょうか。

2.さばきの回避

神との断絶

戦争に負ければ、ひどい目に遭います。それが回避されて平和がやってきたから、良い知らせなのです。それと同じように、聖書の福音の前提も、もし救いを手にすることができなければひどい目に遭うということです。それは、神さまと完全に断絶してしまうということです。

神さまはあらゆる祝福、幸せの源です。その神さまから完全に、そして永遠に切り離されるということは、とんでもなく恐ろしいことです。

そうは言っても、この地上を見渡すと、たとえイエスさまを信じていなくても、それなりに幸せに生きている人がたくさんいます。それどころか、不正を働きながら、うまくこの世を渡っている人もたくさんいます。そういう現実を見ると、いったいイエスさまを信じることに意味なんかあるんだろうかと思うかもしれません。

しかし、私たちは、今のこの時代は、神さまのあわれみと忍耐によって、最終的なさばきを待っていただいている、そういう期間なのだということを知らなければなりません。

そして、最終的な完全な断絶は待ってもらっていますが、すでに神さまと人間の関係は、おかしくなっています。その結果、本来人間に与えられるはずの祝福を、私たちは味わうことができなくなっています。

最初に造られた当時のアダムとエバの状態を見てみましょう。
  • 彼らは、自然界と完全に調和していました。自然が人間を傷つけたり、人間が自然を破壊したりすることはありませんでした。
  • また、彼らは自分のことが大好きで、あるがままの自分を100%受け入れており、不健全な劣等感も、その裏返しである傲慢もありませんでした。
  • 死を恐れる必要も、病気に苦しむこともありませんでした。死も病気もなかったからです。
  • 毎日が充実しており、自分が何のために生きているのか悩むことも、退屈に過ごすことも、自分が置かれている境遇に不満を抱くこともありませんでした。
  • 仕事は楽しく、努力は100%報われました。
  • そして、アダムとエバはお互いのことを完全に受け入れていて、二人は争うことも、苦々しい思いを抱くことも一切ありませんでした。
今、私たちは造られたばかりのアダムとエバのようでしょうか? どんなに幸せだという人であっても、当時のアダムとエバに比べれば、どこかがおかしいはずです。

罪と断絶

なぜ、神さまと私たち人間の関係がおかしくなってしまったのでしょうか。それは、アダムとエバが罪を犯し、その子孫である私たちも罪を犯し続けているからです。

聖書が教える罪とは、犯罪を犯すということではありません。聖書が言う罪とは、神さまに逆らうことです。神さまがこうして欲しいと思っておられることを喜ばず、神さまがして欲しくないと思っておられることを喜ぶ心です。そして、その結果として神さまに逆らう行動をしています。

別の言い方で言うと、罪とはまことの神さまを否定して、自分自身が自分の神になることです。自分が自分の人生の神だから、神さまが望まれることに逆らい、神さまが悲しまれることでも平気で行なうことができるのです。

罪は神さまに対する大変な失礼ですから、当然のことながら関係がおかしくなってしまいます。正義の神さまに、怒りにまかせてすぐに滅ぼされても文句が言えません。

神さまから心が離れてしまい、その結果人生がしっくりいかなくなってしまった人類は、あの手この手でこの問題を解決しようとしました。
  • 学問を究めて、知識が増えて、科学技術が進めば生活が便利になっていいんじゃないか。
    しかし、人間の知識の増加と科学技術の発達は、かえって自然を破壊し、戦争の規模を大きくし、人間性を損ねる結果を生み出しました。
  • いろいろ良い行ないを積み重ねればいいんじゃないか。
    しかし、どんなに良い行ないを積み重ねても、神さまが要求する水準はあまりにもハイレベルなので、誰も「ここまでやったからOK」と言うことができません。
  • 苦しい修行をすればいいんじゃないか。
    しかし、考えてみてください。殺人犯がいるとします。その人が、その後どんなに勉強したとしても、どんなに良いことをしたとしても、苦しい修行をしたとしても、殺人を犯したという事実そのものを取り消すことはできません。
  • ましてや、勝手に神を作り上げてそれを礼拝するよう方法や、オカルトやスピリチュアルな体験を求めたりするような方法は、ますますまことの神さまを傷つけ、悲しませ、神さまの怒りの火に油を注ぐだけです。
人間の側の努力によっては、罪の問題をどうすることもできないのです。

罪の赦しと伝道

しかし、私たちには神さまから福音、良い知らせがもたらされました。私たちの側の努力によっては、罪の結果、神さまと人間の間にできた溝を埋めることはできませんが、神さまの方から人間の方に近づいてくださり、その溝を埋めてくださいました。

すなわち、罪を一方的に赦すという方法を神さまはとってくださったということです。先ほど読んだ福音の内容の中に、「イエス・キリストは、我々の罪のために死なれた」というものがあります。本来私たちが受けなければならない罪の罰を、罪の一切ないイエスさまが身代わりに受けてくださったために、私たちは赦されることになったということです。ハレルヤ! 良かったですね!

ある旅人が霧の中を歩いていたとします。すると、たまたまそこにあった看板を見つけました。そこには「この先、崖。注意!」と書いてありました。危ないところでした。ほっとしますね。私たちの立場は、この旅人のようなものです。

さて、この旅人がほっとして目を上げると、やはり霧の中を、崖の方向に向かってまっすぐ歩いている別の人を見かけました。その人のところからは看板は見えません。あなたが旅人ならどうしますか? もちろん、声をかけてその人が落ちないように警告しますね?

パウロが「私には負債がある」「福音を語ることは、どうしてもしなければならないことだ」と言うのも同じです。

パウロは、パリサイ派というグループに属していました。聖書の教えを熱心に実行することで、神さまに認められ、救われようとしていました。しかし、真面目にがんばればがんばるほど、ますます自分が神さまの要求する理想の姿からほど遠いということを思い知らされました。

その彼が、復活したイエス・キリストと出会います。そして、イエスさまによって一方的に罪を赦していただいたということを知ります。彼の心には大きな平安と喜びがわき上がりました。

ですから、かつての自分と同じように、本当の解決を知らないでもがいている人を放っておけなかったのです。あるいは、自分の欲望のままにおもしろおかしく生きているようで、実は滅びに向かって気づかずに突き進んでいる人を放っておけなかったのです。

私たちクリスチャンは、一足先に罪の赦しを受け取りました。ですから、福音を語り、ただで救われる道があるということを世の中の人に伝えなければならないのです。

3.神との出会い

神との関係回復

福音が約束している祝福は、ただ単に私たちが神さまの罰を受けなくてすむようになったということではありません。祝福の源である神さまとの関係が回復し、深い交わりが生まれたということ、そしてその関係がますます深くなっていくということです。

前回の礼拝メッセージでは、社会のいやしについて、すなわち愛の実践について学びました。その中で、愛を実践するとき、愛である神さまが働いてくださるので、私たちはますます深く神さまのことを知るようになるということを申し上げました。そして、私たちは神さまによって造られた存在ですから、神さまと出会い、神さまと交わり、神さまの奇跡の力に触れると、理屈抜きに喜びに打ち震えるんだと。

イエスさまを信じ、罪赦された私たちは、生きておられる神さまと出会い、交わることができるようになります。そして、聖書を読み、祈り、賛美し、他のクリスチャンと神さまについて語り合うとき、この世が決して与えることのできない喜びを味わいます。そして、人生の中に、人間の努力では決して説明できないような、不思議で力強い奇跡を体験するようになります。人生が変わるのです。

喜びを知った私たちだから

おいしいパスタの店を見つけたらどうしますか? 家族や友だちに教えたくなりませんか?

私たちクリスチャンは、イエスさまを信じ、神さまに従う人生がどんなにわくわくして、すばらしい者かを体験することができます。そうすればするほど、他の人にも伝えたくなります。伝えなければならない、というよりも、そうしないではいられなくなります。

あなたは、あのおいしいレストランと同じパスタを、自分が作って提供することはできないかもしれません。しかし、どこに行けばそのパスタを食べることができるかは伝えられます。あなたが人を救い、人の人生を造り変えるのではありません。あなたは、どうしたら救いを手に入れることができるかを語るだけでかまいません。

かつてのあなたはどんな状態でしたか? そして、イエスさまを信じてどんなふうに変わりましたか? どうして教会に通うようになりましたか? どうしてイエスさまを信じたいと思うようになりましたか? それを語るだけで、すばらしい伝道のわざです。

あるいは、友だちを教会の集まりに誘ったり、信仰について書いてある冊子や本を読んでもらうのも良いでしょう。あなたにできる方法を考えて、それを実践しましょう。
中コミスケールの活用
人が救いのどの段階にいるのかをはかるエンゲルスケールという尺度があります。それを参考に、イエスさまとの関係の度合いと、教会との関係の度合いをはかる「中コミスケール」というものを作りました。 まず、あなたはこのスケールのどの位置にいますか? そして、あなたの家族や友だちは、それぞれどこにいますか? この人たちが、1マスでも右か上に進むために、あなたにできることは何でしょうか。それを考えて実践すれば、それは重要な伝道の働きです。

ぜひ使ってみてください。

まとめ

私たちが造られ、生かされている目的の一つは、まだイエスさまを信じていない人たちに、福音を伝えることです。

この教会が、ますます伝道のスピリットに満ちた教会になりますように。そして、そのために、ますます私たちが神さまとの関係を深く体験し、人生が具体的に造り変えられ続ける、そんな教会になりますようにと祈ります。

あなた自身への適用ガイド

  • この1ヶ月を振り返ってみましょう。誰に対して、どのように伝道のわざを実践してこられましたか? どんなに小さな働きでもかまいませんから挙げてください。
  • イエスさまを信じる前と今とを比較すると、神さまはあなたの人生をどのように変えてくださいましたか?
  • あなたは、どのようにしてイエスさまを信じるようになりましたか?
  • 神さまとの交わりを通して、もっと人生が造り変えられたいと思うのは、特にどういう部分ですか?
  • 罪という言葉を聞いて、あなたはどのように考え、感じますか?
  • 救われて欲しいと思う人の名前を5人挙げてください。それぞれ、中コミスケールのどのマスに当てはまりますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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