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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ベタニアのマリア

聖書の女性シリーズ28

マルコによる福音書14章3節〜9節

(2022年1月23日)

ベタニアマリアは、高価なナルドの香油をイエス・キリストの頭に注ぎました。弟子たちはもったいないと叱りましたが、キリストはマリアの行為を喜ばれました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

1節によれば、この日はイエスさまが十字架にかかった過越の祭りの2日前(マタイ26:2も同様の記述)。この年、紀元30年の過越は木曜日から始まりましたから、火曜日の夜(ユダヤの日付ではすでに水曜日)の出来事です。一方、ヨハネ12:1では6日前(エルサレム入城の前)となっています。この一見矛盾に見える記述の違いは、以下の2通りに解釈されています。
  1. マルコとマタイの記述が正しい。
    ということはイエスさまはエルサレム入城の前と後の2回ベタニア村を訪問したことになります。ヨハネは同じ村の出来事ということで、両者をまとめて記述したというわけです。A.T.ロバートソン著「四福音書の調和」などはこちらの解釈を採用しています。
  2. ヨハネの記述が正しい。
    マルコとマタイは、この話が十字架にまつわる重要な出来事なので、あえてこの部分に挿入したという解釈です。確かに3節は「さて、……ときのことである」という言い回しをしているので、1-2節と3-9節が別の日の出来事だったと解釈しても苦しくはありません。いのちのことば社「新聖書注解」などはこちらの解釈を採用しています。
3節の「ツァラアト」は、モーセの律法で取り扱いについて特に詳しく定められている皮膚病です。壁や食器などにできるツァラアトもあって、こちらは悪性のカビだと思われます。

3節の「ある女の人」は、ヨハネ12:3によるとベタニア村のラザロとマルタの姉妹であるマリア。

3節の「ナルド油」は、ヒマラヤ原産のオミナエシ科の植物から取られた香りが強い香油です。原料が貴重なので非常に高価でした。

5節の「デナリ」(デナリオン、デナリウス)はローマ帝国で流通していた銀貨。1デナリは労働者1日分の給料に相当しました。ですから300デナリは1年間の収入に相当するお金です。

イントロダクション

先々週、ベタニア村に住むマルタについて学びました。その時触れましたが、マルタの妹のマリアは、マルタが忙しく歓迎の準備をしていたとき、イエスさまの足下に座って話にじっと耳を傾けていました。今日はそんなベタニアのマリアを取り上げます。

マリアはあることをして、イエスさまに大変喜ばれ、賞賛されました。私たちも人ではなく神さまの賞賛を求めています。マリアが何をほめられたのか学ぶことによって、私たちの生き方を顧みましょう。

1.起こった出来事

マリアの油注ぎ

ツァラアトに冒されたシモンの家
(3a) さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたときのことである。

ベタニアはエルサレムの東、約3kmのところにある村です。ここには、死んだ後イエスさまによみがえらせていただいたラザロと、その姉妹であるマルタとマリアが住んでいました。

イエスさまと弟子たちは、このベタニア村のシモンという人の家に滞在していました。シモンについては「ツァラアトに冒された人」と呼ばれている以外の詳しい情報がありません。

ツァラアトはモーセの律法で特別に2章使って触れられている皮膚病で、これにかかると治るまで人との接触を禁じられ、隔離されることになっていました。イエスさまは多くのツァラアトの患者をいやしてこられましたから、おそらくシモンもイエスさまによっていやしていただいたのでしょう。

同じ出来事を描いたヨハネ12:1-3によると、ラザロは他の人と一緒に食卓に着いており、マルタが給仕をし、マリアもその家にいました。ですから、もしかしたらシモンは彼らの父親、あるいは親戚だったのかもしれません。イエスさまとラザロ・マルタ・マリアたちとの親しい交流は、シモンのいやしがきっかけだったのでしょうね。
マリアの行為
(3b) 食事をしておられると、ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。

ヨハネ12:3によれば、この「ある女の人」とはラザロとマルタの姉妹マリアです。マリアは「純粋で非常に高価なナルド油」をイエスさまの頭に注ぎかけました。その香油は、おそらくマリアが自分の結婚式のために大切に保管していたものでしょう。それをマリアは惜しげもなく全部注ぎかけました。

マリアの行動と弟子たちの反応

弟子たちの憤慨
(4) すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。

この「何人かの者」とは、イエスさまの弟子たちのことです(マタイ26:8)。

香油の原料であるナルドはヒマラヤ原産の植物で、非常に貴重なものでした。そのため純粋なナルド油は高値で取引されていました。弟子たちは300デナリ以上に売れると語っていますが、これは労働者の1年分の給料に相当します。

そんな貴重な香油をちょこっと塗ったのではなく、マリアは全部イエスさまに注ぎかけました。あなたの家の一年分の給料に相当するお金で買った超高級ブランド香水を、小さな子どもが自分の体に全部一度にぶちまけたと考えてみてください。弟子たちの驚きは理解できますね。
弟子による非難
(5) この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。

ヨハネの福音書はこの発言をしたのがイスカリオテのユダだったと語っています。それに乗っかって、他の弟子たちもマリアを責めたのでしょう。たしかに、年収分のお金があれば、貧しい人たちがどれほど助かるでしょうか。弟子たちの言い分はもっともです。

しかし、少なくともユダについては、彼がそう語った本当の動機について、聖書には次のように書かれています。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった」(ヨハネ12:6)。

この当時、お金持ちの女性たちが自分の財産をささげて、イエスさまの働きをサポートしていました(ルカ8:2-3)。そういったお金を預かって管理していたのがユダで、彼はその一部を横領していたのです。ですから、もしマリアが香油を売ってお金に換えてくれていたら、彼はさらに横領できたのにと考えたわけです。ひどい話ですね。

イエスの言葉

マリアへの支持
(6) すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。

イエスさまはもとより、貧しい人たちのことを気にかけておられました。しかし、このときは弟子たちではなくマリアを擁護なさいました。それどころか彼女が良いことをしたと、積極的に支持なさいました。
賞賛と皮肉
(7) 貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいます。あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。

このイエスさまの言葉には二重の意味があります。第一に、イエスさまは間もなく十字架にかかって死のうとしていました。ですから、イエスさまに対して愛を示すチャンスは今しかありません。マリアはその限られたチャンスを見逃さずに行なったのだ、という意味です。

第二に、弟子たちに対する皮肉です。もしあなた方が本当に貧しい人たちのことを考えているのなら、これまでだってする機会はいくらでもあったし、これからだってある。だからただ実践すればいい。しかも、自分の持ち物や体力や言葉や時間を使って実践すればいい。どうして他人の持ち物で施しをしようとするのか、という皮肉です。

これは、イスカリオテのユダだけでなく、他の弟子たちに向けての言葉でもありました。ここに至っても、弟子たちはイエスさまが人類を救うために、身代わりとして罪の罰を背負い、十字架にかかって死ななければならないということを理解していませんでした。

それどころか彼らは、イエスさまがイスラエルと世界の王になって神の国が実現したら、イエスさまをサポートする政府のトップは12弟子の中の誰になるのか、ナンバー2やナンバー3は誰なのかということばかり気にしていました。

マリアに対して厳しい物言いをしたのも、すでに偉い人物になった気になって傲慢に陥っていたからでしょう。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい」(10:43)とおっしゃったイエスさまの言葉を、弟子たちはまったく理解していなかったのです。
埋葬に備えた行為
(8) 彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。

イエスさまはマリアが香油を全部ぶちまけた行為を、自分の埋葬の準備をしてくれたと言いました。これも間もなく、イエスさまが十字架にかかって死のうとしているということを受け取らなければ、とうてい理解できない言葉です。

当時のイスラエルで人が亡くなると、遺体を水で洗い清め、全身に香油を塗ります。それから防腐剤である没薬を塗り、包帯状の亜麻布で全身をぐるぐる巻きにします。それから横穴式の墓に納め、数年かけて骨にしてから改めて埋葬しました。

イエスさまが十字架にかかった後、その遺体を隠れ弟子の一人であるアリマタヤのヨセフが、自分が所有している墓に葬りました。ところが亡くなったのが金曜日の午後3時で、それから遺体を取り下ろすとすぐに日暮れになります。日が暮れると土曜日、安息日が始まりますが、当時のユダヤでは安息日に埋葬をすることが禁じられていました。

そこでアリマタヤのヨセフと、同じく隠れ弟子で没薬を持ってきたニコデモは、香油を塗るという工程を飛ばして、急いでイエスさまを埋葬しました。そのため、日が変わって日曜日の朝、女性たちが改めて埋葬し直すため、香油を用意してイエスさまの墓に向かうことになります。

こういうわけで、イエスさまは香油を塗られることなく埋葬されることになりますが、その6日前(あるいは2日前)にマリアがあらかじめ香油を塗ってくれたのだとイエスさまはおっしゃいました。

純粋なナルドの香油はかなり強い香りを放ちます。それを全部かければ、その香りはしばらくの間取れません。仮にこの出来事が十字架の6日前に起こったのだとしても、その芳しい香りはイエスさまが墓に葬られたときもあたりに漂っていたはずです。
なぜマリアは十字架を理解できたのか
それにしても、長いこと一緒に寝食を共にした男の弟子たちが理解できなかった、イエスさまが人類の救いのために犠牲になるということを、どうしてたまにしかイエスさまに会わないマリアが理解していたのでしょうか。それはイントロダクションで語ったとおり、彼女がじっとイエスさまの教えに耳を傾ける女性だったからです。

弟子たちももちろんイエスさまの教えを聞いていました。しかし、彼らは将来神の国が実現したら偉い地位に就きたいという思いがあり、そのフィルターを通して教えを聞いていましたから、自分の考えに合わない教えについてはさっぱり心に入ってきませんでした。

一方マリアは、純粋にイエスさまの教えに耳を傾けたので、わずかな時間しか教えを聞いていなくても、イエスさまが伝えたいメッセージをしっかりと受け止められたのです。
マリアの記念
(9) まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」

こうして、マリアが香油を注いだ出来事は、マタイ・マルコ・ヨハネの3つの福音書に掲載されて、全世界の人々に知られています。

ではここから私たちは何を学ぶことできるでしょうか。

2.精一杯イエスを愛そう

愛を行動で表わそう

イエスさまは、マリアと男の弟子たちを対比させました。客観的に見れば、弟子たちの言い分はもっともです。マリアの愛の示し方は、一般には確かにもったいないやり方だったかもしれません。しかしイエスさまは、マリアが実際に行動でイエスさまへの愛を表わしたことを喜ばれました。

一方、弟子たちは、イスカリオテのユダのように横領しようとしていたわけではないとしても、本当には貧しい人たちのことを考えて行動しようとはしていませんでした。
販売促進セミナーにて
パナソニックの創業者である松下幸之助さんは、松下の電化製品を販売する町の電気屋さんを日本各地に作り、日本初の系列電器店ネットワークを構築したことでも知られています。あるとき、松下さんは大阪府の系列店を集めて、販売促進セミナーを開催したことがあります。

講師には、大阪でもっとも売上が高い店の店長さんを呼びました。ところがこの店長さん、宣伝の仕方や商品の仕入れや陳列の仕方、社員教育の仕方など、成功の秘訣を何から何まで話すのです。

セミナー後に松下さんが心配して尋ねました。「あんな企業秘密のようなことまで話して良かったのですか? 私たちとしては喜ばしいことですが、おたくと同じ地域の商売敵も来ていたことでしょうに」。

するとこの店主、にっこり笑って松下さんに言いました。「大丈夫ですよ。たとえ知ったとしても、どうせ実行しやしませんから」。

方ややり方は下手くそだったけれど実際に行動で愛を表したマリア。方や愛についての説明は立派だったけれど実際には行動しなかった弟子たち。イエスさまが評価なさったのはマリアの方でした。
愛のレストラン
以前、別の教会の集会にお邪魔したとき、愛についてのメッセージを聞きました。その時、次のような言葉が語られたのが印象に残っています。「私たちの愛は、メニューばかりで料理の出てこないレストランのようになっていないだろうか」。

聖書の父なる神さま、イエスさまは、愛について語られただけでなく実際に行動で愛を表されました。その方の子どもでありしもべである私たちは、天の父であり主であるお方に倣って行動しましょう。

今できるイエスへの愛を実行しよう

では、具体的にどんな行動をすることが求められているのでしょうか。以下に具体的な行動が大切と言われても、私たちの目の前にはイエスさまがいません。ここでは2つの愛の表し方を確認します。
偶像礼拝を避ける
神さまはモーセを通して、イスラエルの民に次のように語られました。「聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい」(申命記6:4-5)。

つまり、聖書の神さまが唯一の神であって、他に神がいないという真理が、神さまを愛することと関連付けられているのです。

モーセの律法の最初の2つも、「わたし以外に神があってはならない」と「偶像を造ってはならない」で、聖書の神さまのみを神と信じて礼拝し、お仕えするよう命ぜられています。

クリスチャンになったなら、以前のように他の神仏を礼拝したり、占いやまじないの類いに頼ったりする人は少ないでしょう。しかし、ユダのようにお金の魅力に取り憑かれてしまったり、他の弟子たちのように社会的な地位の魅力に取り憑かれてしまったりすることはあるかもしれません。

たとえ目に見える偶像を拝んでいなかったとしても、神さま以上に頼りにするものがあるならそれは偶像の神です。

私たちはマリアのように、聖書の神さま、イエスさまだけを愛し、礼拝し、信頼しましょう。
命令を守る
2つ目の愛の表し方については、使徒ヨハネが手紙の中で教えてくれています。「神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません」(第1ヨハネ5:3)。

では神の命令とは何でしょうか。その答えもヨハネの手紙の中にあります。「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です」(第1ヨハネ3:23)。

男の弟子たちのように、ただ愛について評論するのではなくマリアのように具体的に行動しましょう。あなたに今求められているのは、誰に対して何をすることですか?

愛されていることをいつも確認しよう

では、マリアはどうして今回のような行動ができたのでしょうか。

マリアが今回の行動を起こしたのは、イエスさまが全人類のために、いやこの自分のためにその身を犠牲にしようとしておられるということを知ったからでした。また、病気にかかって死んでしまった大切な兄弟ラザロを、イエスさまはよみがえらせてくださいました。

マリアはあまりにももったいなくて、うれしくて、何かイエスさまのためにできることはないかしらと考えました。

そして、自分が持っている最も高価なものをイエスさまにささげました。それがナルドの香油でした。彼女はイエスさまの愛を知ったので、イエスさまへの愛を示したのです。この順番が大切です。
愛の原動力に関する聖書の教え
聖書もそのことを教えています。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(第1ヨハネ4:10)。

もしも神さまから祝福を奪われるからとか、さばきを受けるとかという理由で、何か良いことをするとしたら、それは愛に基づく行為ではありません。
神の愛に注目して聖書を読もう
ベタニアのマリアは、イエスさまの話に耳を傾けました。何一つ聞き逃すまいと一生懸命聞きました。そうしてイエスさまの愛を知り、感動しました。私たちもイエスさまの言葉に耳を傾けましょう。今私たちは、聖書を通してこの地上にいないイエスさまの、そして天の父なる神さまの言葉を聴くことができます。

私たちが聖書を読む際は、その中に表わされている、父なる神さまの愛、イエスさまの愛、聖霊さまの愛に注目して読みましょう。

たとえ厳しいさばきについて書かれている箇所であっても、注意して読むと神さまの慈しみが表わされています。たとえそれを見つけられなくても大丈夫。本来ならそのような厳しい裁きを自分が味わってもおかしくなかったのに、イエスさまのおかげでそれを免れたのだということを確認すれば、神さまの愛を知るチャンスになります。
神の愛を振り返ろう
また、これまでの人生を振り返ってみましょう。嫌なことやつらいことがたくさんあったかもしれません。しかし、神さまがあらゆることをコントロールしておられるという目で改めて振り返ってみると、これまでの人生の中にたくさん神さまの祝福がちりばめられてきたことに気づくはずです。

詩篇の記者は言いました。「わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)。たとえ現状が苦しくても、過去に味わった神さまからの祝福を思い出し、自分が神さまに愛され、守られていることを思い出しましょう。

神さまがあなたにしてくださったことの中で、今真っ先に思い出すのは何ですか? 改めてそれを味わい直し、神さまへの感謝に満ちあふれましょう。

今週もマリアのように、さまざまな方法で具体的にイエスさまへの愛を表わしましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • メニューだけでなく料理の出てくるレストランのような存在になるために、今のあなたにとって「料理」とは何をすることでしょうか?
  • あなたが誘惑されがちな「偶像」は何ですか? その偶像を手放すとは、具体的にどのような生き方をすることでしょうか。
  • 今あなたが意識しているイエスさまの命令は何ですか?
  • 最近、聖書を読んでいて実感した神さまの愛はどういうものでしたか?
  • 過去神さまがあなたにしてくださった良いことの中で、今真っ先に思い出すのは何ですか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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