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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ

助演男優シリーズ13

ダニエル書3章13節〜21節

(2022年5月29日)

シャデラクメシャクアベデ・ネゴは預言者ダニエルの友人で、バビロンの王ネブカドネツァルに脅されても聖書の神への信仰を守りました。そして神も彼らの命を守りました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

13節の「ネブカドネツァル」は、カルデア朝新バビロニア帝国の2代目の王です。イスラエルの北王国を滅ぼしたアッシリアを倒し、さらに南王国も占領しました。シャデラクたち3人とダニエルは、前605年にバビロンの都に連れ去られ、以来ネブカドネツァルに仕えました。

イントロダクション

今日は、預言者ダニエルの3人の友人に注目します。名前は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴです。彼らから学ぶのは、権威者の意向と神さまのみこころが対立する場面で、どのように振る舞ったらいいのかということです。

1.シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの信仰

バビロン捕囚のはしり

紀元前8世紀から7世紀、中東を支配していたのはアッシリア帝国です。イスラエルの北王国は、前722年にアッシリアに滅ぼされてしまいました。そんなアッシリアを滅ぼしたのが新バビロニア帝国の王子ネブカドネツァルです。紀元前605年のことでした。その直後に父王が亡くなったためにネブカドネツァルが王権を引き継ぎました(在位:前605-562年)。

アッシリアを滅ぼしたネブカドネツァルは、イスラエルの南王国にも軍隊を送ってエルサレムを包囲しました。南王国の王エホヤキムは、神殿に備えられていた器具の一部を差し出し、降伏することで破壊を免れました。
このとき、ネブカドネツァルは、王族や貴族の子どものうちから、容姿と能力に優れた者たちを数人連れて行きました。3年間王宮で教育した後に王に仕えさせるためです。後に本格的に実施される、バビロン捕囚のはしりのようなものです。

バビロンに連れて行かれた少年たちの中に、ダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの4人がいました。4人にはそれぞれバビロン風の新しい名前が与えられ、ベルテシャツァル、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴと呼ばれることになりました。
菜食主義
王宮に連れてこられた少年たちには、王からごちそうやぶどう酒が支給されました。しかし、ダニエルとシャデラクたち3人は、それを食べるのは良くないと考えました。おそらく、ユダヤ人が守っていたモーセの律法に反する食べ物が含まれていたのでしょう。たとえば、血抜きされていない肉や豚肉などです。

そこで、4人は王宮の役人に、自分たちには野菜と水を与えて欲しいと願いました。最初、役人は拒否します。育ち盛りの少年たちにそんなことをして元気をなくしてしまったら、自分が王に処罰されてしまうと恐れたからです。

しかし、4人は自分たちの世話係に言いました。どうか10日間だけ試してみてくれ、と。そこで試してみると、4人は元気を失うどころか、他の少年たちよりも元気で体格も立派でした。そこで、世話係はその後も彼らの願い通りにします。
出世
体だけでなく、知恵においても4人は著しい成長を遂げました。3年間の準備期間が終わって、ネブカドネツァル王はダニエルや3人の友人たちを召し出して話をしました。すると、彼らはバビロンにいるどの学者や呪術師たちよりも知恵に満ちていることが分かりました。そこで、王は4人を王宮で働かせることにしました。

祈りのサポート

それから間もなくのことです。ネブカドネツァル王は不思議な夢を見ました。今回その内容については詳しく述べませんが、王は不安になって眠れなくなってしまいました。そこで、知者と呼ばれる人々が呼び出されました。

古代において、科学と占いやまじないは同じものでした。たとえば占星術士は、今の天文学者と星占い師が合わさったような仕事です。ネブカドネツァル王に呼び出された知者たちは、占いやまじないの力を使って、その夢の内容を言い当て、その意味を解き明かすよう命ぜられました。

たとえ解き明かしができないとしても、せめて夢の内容を教えてもらえれば、適当に王が気に入るような解釈を考えることができます。ところが、夢の内容を教えてもらえず、その内容も言い当てろと命ぜられます。結局誰も王に答えられる者がいませんでした。
王の怒り
怒ったネブカドネツァル王は、国中の知者を皆殺しにせよと命じました。知者の中には、ダニエルと、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人も含まれます。

ダニエルは自分を捕らえに来た親衛隊長から、どうして王が知者たちを殺そうとするのか、その理由を聞き出しました。そして、王の元に行くと、自分が解き明かしをするから、しばらく時を与えてくれと願いました。
神への祈り
願いを聞き届けられたダニエルは、シャデラクたち3人に事情を打ち明けました。ダニエルは一人でこの問題を解決しようとせず、3人に重荷を分かち合ってもらおうとしたのです。具体的には一緒に祈ることでした。

ダニエルと3人の友人たちは、神さまがダニエルに夢の秘密を教えてくださり、自分たちが処刑されるようなことにならないようにと願いました。すると、神さまはダニエルに夢の秘密を教えてくださいました。
夢の解き明かし
ダニエルは、さっそく王の前に出て夢の意味を説き明かします。王は感激して、ダニエルに高い位を与え、全国を治める大臣とし、さらに知者たちを統率する長官に任命しました。

そして、ダニエルの推薦によって、シャデラクたち3人は首都があるバビロン州の事務をつかさどる官僚として働くことになりました。外国から捕らえられてきた青年たちが、バビロニアという大帝国の中で大変な出世を遂げたのです。

炎の中の助け

そして今日の場面です。あるとき、ネブカドネツァル王は、首都バビロン近くの平原に、金の像を建てました。高さが27mもある巨大な像です。そして、全国の役人たちを集めて、礼拝を強要しました。

すなわち、金の像の前で様々な楽器が演奏されるとき、そこにいるあらゆる人々はひれ伏して金の像を拝まなければなりません。そして、もしこの命令に違反したら、燃える炉の中に投げ込まれて殺されることになっていました。

ところが、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、金の像の前でひれ伏そうとしませんでした。モーセの律法はまことの神以外のものを礼拝することを禁じています。そこで、ある人々がそのことを王に告げ口しました。
王との問答
怒った王は3人を呼び出し、すぐに処刑するのではなく最後のチャンスを与えました。すなわち、楽器を鳴らすから金の像を礼拝するようにと命じます。短気なネブカドネツァルにしては、あわれみ深いことですね。ところが、そのあわれみをシャデラクたちは一蹴します。

彼らは言いました。「ネブカドネツァル王よ、このことについて、私たちはお答えする必要はありません」(16節)。自分の立場を守るために、あれこれ言い訳なんかしませんよということです。

続けて言いました。「もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します」(17節)。その前の箇所で、ネブカドネツァルは(もし炉に投げ込まれることになったら)「どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか」(15節)と言いました。それに対する返答です。

さらに彼らは言いました。「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません」(18節)。たとえ殺されることになっても異教の神を拝んだりしないと宣言したのです。
死刑執行
この言葉にネブカドネツァルは激怒しました。当然です。本来ならすぐに殺されても文句が言えないところ、わざわざ悔い改めのチャンスを与えてやったのに、それをむげにしたばかりか、自分やバビロニアの神を軽く見るような発言。そんなことが許されるはずがありません。

怒りに燃えた王は、炉の炎の勢いを7倍にしろと命じました。そして、軍隊の中で力持ちな兵士に命じて、シャデラクたち3人を炉の中に投げ込みました。炉の入口に近づいた兵士たちの衣服に火が燃え移り、彼らまで焼け死んでしまうほど炎の勢いは激しさを増していました。ですから、炉の中に投げ込まれた3人が生き残れるはずがありません。
王の驚き
ところが王は不思議な光景を目にしました。3人投げ込んだはずなのに、炉の中には4人目の人物が見えるのです。その姿は神の子のようだと王は言いました。旧約聖書で「神の子」というと、天使のことを指します。ただ、聖書学者の中には、これは後にイエス・キリストとして地上にいらっしゃる子なる神、救い主だと解釈する人たちもいます。

いずれにしても、ただの人間ではない存在がシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴと一緒にいて、しかも彼らは激しい炎の中でまったく無事でした。
王は3人の名を呼んで、炉の中から出てくるように命じました。命令通りに出てきた3人は、髪の毛も衣服もまったく以前と変わりなく、焼けた臭いすらしませんでした。

驚いたネブカドネツァル王は、3人を守ったイスラエルの神さまをほめたたえました。そして、イスラエルの神さまを侮辱してはならないという命令を出しました。こうして、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人は、ますますバビロン州の中で重く用いられることになりました。

それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.権威者の意向より神のみこころの方を優先する

私たちがシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴから学ぶことは、神さまのみこころと権威者の意向が対立したときには、神さまのみこころの方を優先させるということです。

どちらを選ぶのか

今の日本には、ネブカドネツァルのような絶対君主がいて、偶像礼拝を強要しているわけではありません。将来は分かりませんが、現状はそうです。ただ、日本でもちょっとした権威者とか、「みんな」という権威者とかなら存在します。

たとえば会社の中で、ちょっとした不正経理を上司から求められるというようなことがあるかもしれません。もちろん不正を行うことは神さまのみこころに反します。ただ、上司に逆らうと後々職場で居心地が悪いことになりはしないかという恐れが生じます。さてどうしようか……。

また、みんながやっているのに、自分だけがそれと違うことをするのも案外勇気が必要です。歩行者であっても、赤信号では道路を横断してはいけないというのはご存じですね? ところが、車が通っておらず、近くに警察官も見当たらないとき、他の人たちが次々横断していても、自分だけは青信号になるのを待てるかどうか……。
そう考えると、独裁者がいない国に住んでいても、権威者の意向と神さまのみこころが対立する場面には結構遭遇するものです。
それでもみこころに従う
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人は、バビロンの王宮で食べ物を支給され、それ以外に食べるものがないという特殊な状況でも、神さまの命令に従って禁じられた食べ物を避けようとしました。また、権威者に逆らえば命を取られるというギリギリの状況でも、迷わず神さまのみこころの方を選びました。彼らは、神さまのみこころに従うことを何よりも優先したのです。

私たちがそのような究極の選択を迫られることはあまりないでしょう。しかし、それでもみこころに従うのか従わないのかという小さな決断を迫られる場面はたくさんあります。そのような小さな選択の場面でも、私たちは忠実に神さまに従う方を選び続けましょう。

イエスさまはおっしゃいました。「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です」(ルカ16:10)。シャデラクたちは、日常の小さな場面でも、神さまに従う方を選ぶよう努めてきたはずです。だからこそ、ここぞという究極の選択が迫られる場面で、正しい決断ができたのです。

私たちも、日常の小さな選択の場面で、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのように、神さまに従う方を選ぶよう努めましょう。
祈りによる力
神さまに従う方を選ぶ勇気が与えられるよう、いつも祈りましょう。一人で祈るのはもちろんですが、教会の仲間たちと一緒に祈り合いましょう。

ダニエルが王の夢を解き明かさなければならなくなったときのエピソードから分かるとおり、ダニエルと3人の友人たちは、いつも共に祈ることによって支え合っていたはずです。

私たちも一人で信仰生活を送っているわけではありません。 お互いの信仰の戦いを理解し合い、互いに祈りによって支え合いましょう。それが教会です。

たとえそうでなくても

神さまに助けを祈るとき、神さまはみこころの方を選ぶ勇気を与えてくださいます。そればかりか、時に不思議な導きを与えてくださって、危険な状況から助け出してくださることがあります。

このメッセージを準備していて、ふとあるエピソードを思い出しました。以前のメッセージでも語った内容ですが、もう一度お話しさせていただきます。
私がクリスチャンになったのは、大学2年生のときでした。そして、卒業して数年後、クラブの後輩の一人が突然亡くなったという知らせを受けました。そして、通夜が行なわれていた彼のアパートに行くと、彼のお母さんと、結婚したばかりだという彼の奥さんが遺体の前で涙を流しておられます。参列者が次々と焼香する中、だんだんと私の番が近づいてきました。

最近の葬儀は、通夜式も告別式も斎場で行なうことが多いので、焼香は3人くらいが一緒に、そしてご遺族に背を向けた状態で行ないます。ですから、クリスチャンである自分が焼香しなかったとしてもほとんど目立ちません。ところが、その時は目の前にご遺族がいらっしゃいますし、一人ひとり焼香しています。もし焼香しなかったら目立ちます。

当時の私は、信仰上の様々な理由で焼香したくないと思っていました(今もそうですが)。しかし、この目立つ状況で焼香しなかったら、ご遺族や他の参列者に非難されてしまうのではないか、「まったくキリスト教は」と思われて、イエスさまの御名を汚すことになるのではないかと、非常な恐れにとらわれてしまいました。自分の番がだんだんと近づくにつれ、その恐れは強まっていきます。

そこで、「神さま、どうか平安を与えてください」と祈りました。すると、私の一人前の人(この方は、亡くなった後輩のゼミの指導教授でした)が、奥さんやお母さんと、彼の思い出について長々と話し始めました。「あなたも、あの先生のように、ご遺族に話しかけてもいいんだよ」という聖霊さまの声を聞いたような気がしました。

そこで、私の番が来たときに、私は思いきって奥さんとお母さんに話しかけました。「私はクリスチャンで、焼香はできませんが、ご遺族の皆さんの慰めのためにお祈りしてもいいですか?」 するとお母さんがそれを許可してくださいましたので、私は心をこめて祈らせていただきました。後で振り返ると、ご遺族に話しかけ、祈ったとき、確かに私の心の中にあった不安は取り除かれ、平安が満たしていました。
助けの有無にかかわらず
ただ、シャデラクたちは、たとえ神さまが自分たちを炎の中から救い出してくださらないとしても、それでも王の命令通りに偶像礼拝をすることはないと宣言しました。

実際、日本でも世界でも、権威者に従うか神さまに従うかの選択を迫られ、神さまのみこころを優先した結果、殉教の死を迎えることになったクリスチャンが歴史上たくさんいます。

それでも神さまは、神さまのみこころの方を選び取った人々のために、天において大きな祝福を用意してくださっています。

私たちは別に殉教したいわけではありません。究極の選択を迫られることなど、ないに越したことはありません。それでも、どんなときでも神さまに従う方を選び続けましょう。そして、その力を神さまに求め続けましょう。

信仰と対立しないとき

もちろん、クリスチャン生活は、いつもいつもみこころかそうでない方かを選ぶ選択ばかりが続くわけではありません。シャデラクたちは、何でもかんでもネブカドネツァル王やバビロニア政府に逆らっていたわけではありません。みこころに反しないことに関しては、法令を遵守し、礼儀を大切にし、良き市民・良き官僚であろうと努めました。

私たちもまた、普段は良き家族、良き学生、良き社会人、良き日本国民、良き世界市民であることを目指しましょう。

まとめ

神さまのみこころに反することをするように迫ってくる力を感じたときには、祈りながらみこころに従う方を選び続けましょう。もちろん、失敗したとしても、イエスさまの十字架を思い出して告白すれば赦されます。また再出発しましょう。

連絡先

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