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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

取税人マタイ

助演男優シリーズ20

ルカによる福音書5章27節〜32節

(2022年7月24日)

マタイはイスラエルでローマ帝国のために働く取税人でしたが、イエス・キリストに従うようになり十二使徒の一人に選ばれます。後に「マタイによる福音書」(第一福音書)を書きました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

レビは後に12使徒の一人となるマタイのこと(マタイ9:9)。おそらくレビが本名で、マタイはイエスさまによって与えられた名前でしょう(神の賜物という意味の名)。アルパヨの子(マルコ2:14)。
伝承によれば、エチオピア、マケドニア、シリア、ペルシア、メディアなどで宣教し、エチオピアかマケドニアで殉教したようです(殉教ではなかったとする伝承もあり)。

27節の「取税人」は、ローマ帝国が征服した地域で、税金の取り立てを請け負った徴税請負人、及びその下で実際の徴収に当たった集金人のこと。多くの場合征服された民族の中から採用されました。多くの取税人は帝国政府が定めた税額より多く徴収して、差額を懐に入れていました。帝国はそれを黙認していましたので、彼らは裕福でした。しかし、一般のユダヤ人たちからは罪人の代表格として忌み嫌われていました。

イントロダクション

今回取り上げるのはレビという人です。この人はマタイという別の名前で知られています。このメッセージの中では主にマタイという名前で呼ぶことにしましょう。マタイはイエスさまと出会って人生がガラッと変えられた人です。

私たちも人生が変えられました。今も変えられつつあります。それを加速させる秘訣を、今日はマタイから教わりましょう。

1.マタイの召命

取税人

マタイは取税人でした。取税人というのは税金を取り立てる人のことですが、この時代の取税人は特別な仕事でした。

当時、イスラエルの国はローマ帝国の支配下にありました。ですからイスラエルの人々は、神殿に支払うイスラエルの税金の他に、ローマ帝国に納める税金も支払わなければなりませんでした。例えば一人あたりいくらというふうに定められた人頭税、収穫物にかけられる収穫税、街道を通行する際に支払う通行税などです。

ローマ帝国は自分たちが直接税金を取り立てず、支配地域の人々の中から徴税請負人を指名して、彼らに徴税業務の一切を委託しました。徴税請負人は、その地域で集められる税金5年分をローマ政府に前払いすることで、税を集める権利を買い取りました。徴税請負人は、手下の集金人を使って民衆から税を徴収しました。この徴税請負人や集金人が、新約聖書に登場する取税人です。
ルカ19章に登場するエリコの町のザアカイは、「取税人のかしら」と呼ばれていますから、徴税請負人だったと思われます。一方マタイは、カペナウム近くの収税所に座って仕事をしていましたから、通行税を取り立てる下っ端の取税人だったのでしょう。

現代の国税局の職員は立派な仕事ですが、当時の取税人は一般民衆からは蛇蝎のごとく嫌われていました。第一に、自分たちの国を占領したローマ帝国に尻尾を振って働いているからです。第二に、彼らの多くが定められた税額より多く徴収して、自分の懐を潤していたからです。ローマ政府はそれを黙認して取り締まろうとしませんでしたから、取税人たちは非常に裕福でした。しかし、一般民衆からは盗人と同じように忌み嫌われていたのです。

イエスの招き

しかし、イエスさまはマタイに目を留めると、「わたしについて来なさい」(27節)とおっしゃいました。するとマタイは「すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った」(28節)と書かれています。

漁師だったペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネも、イエスさまから「人間を捕る漁師にしてあげよう」と声をかけられると、網も家族も手放してイエスさまについていきました。しかし、ペテロたちとマタイたちとでは決定的な違いがあります。

漁師ならば、また戻って仕事に復帰することができます。実際、イエスさまが復活なさった後、一度ペテロたちは漁に出ていますね(ヨハネ21章)。しかし、取税人の仕事は、一旦離れてしまうと復帰できません。しかも、先程申し上げたとおり、取税人は大変お金が儲かる仕事でした。それをマタイは惜しげも無く捨て去ってイエスさまに従っていきました。一体何が彼をそうさせたのでしょうか。

イエスさまが公の活動を始めて、すでに1年以上がたっています。イエスさまの活動の拠点はカペナウムで、マタイの職場や自宅もおそらくカペナウムでしたから、マタイはイエスさまのことをこれまでも見聞きしていたでしょう。イエスさまの力、そしてそのご性質のことを知って、この方こそ聖書が登場を約束していた救い主に違いないと考えていたはずです。

しかし、自分は取税人です。一般の民衆からは軽蔑され、パリサイ人たちに至っては公然と罪人呼ばわりするような嫌われ者です。救い主であるイエスさまも、きっと自分のことを嫌い、直接対話する機会があったら呪いの言葉を投げかけられるに決まっているとマタイは考えました。

それなのにイエスさまは、柔和な表情で近づいてこられ、自分に声をかけてくださいました。しかも、ついて来なさいとおっしゃいます。ペテロたちがそうしているように、寝食を共にして親しく交わることができる。直接これから実現する神の国について話を聴くことができる。罪人の中の罪人とさげすまれていた自分が、神の国に招かれている。マタイの心は大きな喜びと感動で満たされました。

ですから、裕福な暮らしを捨ててイエスさまに従ったのです。

病人たちのパーティ

マタイは、イエスさまと弟子たちを自宅に招いて盛大な宴会を開きました。そればかりか、取税人仲間や他の人たちも招きました。他の人たちについて、平行記事であるマタイ9:10には「罪人たち」と書かれています。

取税人は嫌われていましたから、付き合いをするのは取税人仲間か、遊女など同じく社会の中で一般民衆から距離を取られていた人たちに限られました。そんないわば社会の鼻つまみ者たちがマタイの家に招かれたのでした。マタイは、自分がイエスさまによって愛され、受け入れられ、新しい人生を与えられたように、仲間たちにもイエスさまを紹介して新しい人生を味わって欲しいと思ったのです。
反発するパリサイ人とイエスの回答
しかし、パリサイ人たちにはその状況が理解できませんでした。もしもイエスさまが救い主、あるいは預言者だとしたら、罪人の中の罪人と親しく交わるのはおかしいと考えたのです。

するとイエスさまはパリサイ人たちに言いました。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです」(31-32節)。

イエスさまは救い主です。当時のユダヤ人たちは、救い主が地上の悪を一掃して理想的な王国、神の国を実現することばかりを期待していました。しかし、人が神の国に入るためには、滅ぼされる側の悪であってはなりませんね。神の国に入るためには、自分の罪を神さまから赦していただく必要があります。

パリサイ人たちは、ユダヤ人はユダヤ人として生まれただけで、神の国に入る権利があると教えていました。しかしイエスさまはその教えを否定なさいました。あるときパリサイ人であるニコデモにイエスさまはおっしゃいましたね。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です」(ヨハネ3:5-6)。

救い主イエスさまは人が罪を赦されて、神の敵ではなく神の愛する子どもとして生まれ変わることができるようにしてくださいます。罪が赦されるために、イエスさまは間もなく十字架にかかり、復活しようとしておられました。

ところが、自分たちは罪がないきよい人間だと考えていたパリサイ人たちは、自分たちに赦しが必要だとは考えていませんでした。彼らは自分たちが霊的に健康だと思っていたのです。ですから、救い主イエスさまが霊的な病人、すなわち罪人を招いて悔い改めさせるために来たという言葉を理解できなかったのです。
一方マタイは
一方、マタイはどうでしょうか。彼は自分が罪人の中の罪人だということを知っていました。彼の人生の中心は神さまではなくお金でした。お金を儲けるために、取税人として不正に手を染めていました。その結果、贅沢な暮らしは手に入れました。しかし、一般の民衆からは嫌われ、パリサイ人たちからは呪いの言葉を吐きかけられます。

もうこんな生活は嫌だと何度も思ったことでしょう。しかし、取税人をやめる勇気もありません。彼は自分が赦しを必要とする罪人だということを強く自覚していたのです。

そして、イエスさまが優しく声をかけてくださったことにより、自分が神さまに呪われているのでなく、赦され愛されていることを知りました。自分が霊的な病人だと自覚していたマタイは、霊的な医者であるイエスさまから救いを受け取ったのです。
その後のマタイ
マタイは「マタイによる福音書」と呼ばれる第一音書を書いたと言われています。今回の出来事の約30年後のことです。伝承によると、最初マタイはユダヤ人のためにヘブル語で福音書を書き、後に当時の公用語だったギリシア語に翻訳したとのこと。

グイド・レーニ「福音書記者聖マタイと天使」1620年作
(出典:Wikipedia
そのマタイの福音書で、マタイは自分のことを「取税人マタイ」と呼んでいます(マタイ10:3)。とうの昔に取税人を辞めたのにどうしてでしょうか。

お金はあったけれど、まったく幸せを感じられなかった当時のこと、正しくないと分かっているのにやめることができない罪の性質、自分の行ないによって傷つけ苦しめた多くの人たちの顔。そんな本当なら思い出したくもない過去を、マタイはその後も背負い続けたのです。

ただ、それはマタイが罪責感に苦しみ続けていたからではありません。そんな自分がイエスさまによって赦され、愛されたのだという喜びを忘れないためです。

マタイという名前は、おそらくイエスさまによってつけられた新しい名前です。その意味は、「神のプレゼント」です。「レビよ。お前は父なる神さまがわたしにお与えくださった、大切な神の賜物、神のプレゼントなのだよ」。きっとイエスさまがそんなふうにおっしゃってつけられた名前なのでしょうね。

だから彼は自分のことを、「取税人マタイ」と呼んだのです。かつてはひどい罪人の取税人だったけれど、赦されてこんなにも愛されている神の賜物、と。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.いつも赦されていることを自覚しよう

自分が赦された罪人だと自覚しよう

マタイは自分が霊的な病人、罪人だと自覚していました。ですから、霊的な医者である救い主イエスさまを信じ、受け入れ、その結果人生が造り変えられました。

では、文句を言ったパリサイ人たちはどうでしょうか。彼らは果たして「健康な人」たちだったのでしょうか?

もちろん、道徳的にはパリサイ人の方が取税人よりはるかに立派で正しい生き方をしています。しかし、「義人はいない。一人もいない」(ローマ3:10)と書かれているとおり、きよい神さまの前で、自分にはまったく罪がないと主張できる人は誰もいません。彼らもまた赦しを必要とする罪人です。パリサイ人たちもまた霊的な病人だったのです。

私たちも元々は罪人でした。本来なら正義である神さまから罪の罰を受けなければなりません。しかし、罪はイエスさまによってすべて、完全に赦していただきました。私たちは、イエスさまがこの自分の罪を赦すために十字架につけられ、死んで葬られたけれども3日目に復活なさったことを信じるだけで、罪を赦され、神さまの子どもとされ、愛され、祝福されます。

それは私たちが良い行ないをしたご褒美ではありません。私たちが当然受け取って良い権利でもありません。神さまが一方的に私たちを選び、救ってくださったおかげです。そのことをいつも忘れないでいましょう。

愛されていることを自覚しよう

私たちがかつて罪人だったということを忘れないで、自覚し続けるのは、自分を責めて落ち込むためではありません。自分たちが神さまに赦されていること、それどころか子どもとして愛されていることを忘れないためです。

マタイは、使徒としてイエスさまに従うようになってからも、自分のことを「取税人マタイ」と呼び続けました。自分が赦された存在、そして愛されている存在だということをいつも覚えているためです。

昔、カウンセリングスクールに勤めていたときのことです。セミナーの時間に、一人の方が質問なさり、それをきっかけにして皆さんの前で公開カウンセリングすることになりました。Aさんと呼ぶことにしておきましょう。この方はクリスチャンですが、昔の様々な経験から、自分自身を大切にすることができないでいらっしゃいました。

途中経過ははしょりますが、最後にAさんにこんなことをしていただきました。自分自身に向かって、「Aさん。あなたは愛されています。あなたは大切な存在です」と何度も語りかけていただいたのです。

Aさんは3回目には涙を流し始め、5回目になると嗚咽を漏らしてしゃべることができなくなりました。涙が収まって感想を伺うと、イエスさまの愛が心に迫ってきて、もったいなさと喜びとで圧倒されてしまったのだとか。

私たちも、自分が神さまに愛されている存在だということを忘れないために、自分に向かって何度も「あなたは神さまに愛されています」と語りかけましょう。

伝えることで赦しと愛を自覚しよう

「教えることは二度学ぶことである」。これはフランスの哲学者であるジョセフ・ジュベールという人の残した言葉です。他の人に伝えることによって、伝えたことが自分自身にも戻ってきてより深く定着します。

私たちが、自分がイエスさまに赦され、愛されていることを他の人に伝えると、赦しと愛はますます私たち自身に深く浸透して、より深い喜び、感謝、感動を引き出します。

「アメイジング・グレイス」といえば、日本で最も有名な賛美歌の一つですね。歌詞を書いたのはジョン・ニュートンという人です。
(出典:Wikipedhia)
彼は元々黒人奴隷を運ぶ奴隷船の船員でした。1748年、22歳の時に転機が訪れます。Wikipediaには次のように記されています。
イングランドへ蜜蝋を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。

ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。

1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
彼が書いたアメイジング・グレイス(驚くばかりの恵み)の歌詞を紹介しましょう。
Amazing grace! How sweet the sound!
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I am found;
Was blind, but now I see.

素晴らしき神の恵み、なんと甘美な響きよ!
私のような人でなしでも、救われた。
私は見捨てられていたが、いま見出された。
私の目は見えなかったが、今は見える。
(日本語訳:三宅忠明 出典:eigouta.com
私たちも罪人だったことを忘れないでいましょう。それは罪責感で苦しむためではありません。救い出してくださったイエスさまに対する感謝を忘れないため、そして他の人にイエスさまへの感謝を伝えるためです。

まとめ

罪を赦されたこと、それによって愛されていることを繰り返し自分に語り、他の人にもそのことを伝えましょう。

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