(2022年9月4日)
主の兄弟ヤコブは、イエス・キリストと同じ母マリアから生まれました。最初はイエスを信じていませんでしたが、後に救われて教会のリーダーとなり、「ヤコブの手紙」を書きました。
礼拝メッセージ音声
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参考資料
13節の「二人」とはパウロとバルナバ。イエス・キリストの恵みの福音を信じるだけで救われるというのが聖書の教えですが、この頃一部の人たちが「異邦人は信じるだけでは不十分で、割礼を受けモーセの律法に従わなければ救われない」と主張しました。そこで、エルサレムで指導者たちの会議が行なわれて、信仰義認の教理を再確認することになりました。ヤコブは会議をまとめようとしています。
14節の「シメオン」は、使徒であるシモン・ペテロのこと。
16-18節の預言は、アモス9:11-12の言葉です。
イントロダクション
皆さんはプロの落語家が語る落語を実際にお聞きになったことがありますか? プロの落語家には大相撲と同じくいくつかの階級があって、最高位は真打ち、その前が二ツ目、その前が前座、そして前座見習いです。実際に聞き比べてみると、やはり真打ちの師匠たちの語りは二ツ目以下の方々と比べて落ち着いていて、かつ面白いです。
入門してから真打ちに昇進するのに平均10年と言われますが、真打ちなってからも師匠たちはたゆまず修行を続けます。だからこそ聴衆に感動を与える名人芸が披露できるのですね。
今日取り上げる信仰者は、イエスさまの弟で、エルサレム教会の指導者となったヤコブです。このヤコブから、信仰が成熟して周りの人たちに感動をお届けできる、そんな信仰者になるための心構えを教えていただきましょう。
1.ヤコブの生涯
主の兄弟
イエスさまは通常の夫婦関係によらず、聖霊なる神さまによって乙女マリアから生まれました。その後、マリアと夫ヨセフの間には4人の息子と数人の娘が誕生します。福音書でヤコブはイエスさまの弟たちの中で最初に名前が登場しますから、おそらく次男だったのでしょう。
「この人は大工の息子ではないか。母はマリアといい、弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。妹たちもみな私たちと一緒にいるではないか」(マタイ13:55-56)。
- ちなみに、4番目に名前が出てくるユダは、後に新約聖書の「ユダの手紙」を書きました。
イエスの出奔とヤコブの戸惑い
イエスさまが成人して以降、マリアの夫ヨセフは福音書に登場してきませんから、早くに亡くなったと思われます。そうなると、一家の長男であるイエスさまが母マリアや弟妹たちの面倒を見る役割を果たさなければなりません。最初はイエスさまはその責任を全うしていました。
ところがイエスさまは30歳頃になると、突然神さまの働きをすると言って家を出てしまいました。イエスさまはバプテスマのヨハネから洗礼を受け、その後も家に戻ってきません。こうなると、一家を支える責任はヤコブに降りかかってきます。ヤコブはどんなにか驚いたことでしょう。もしかしたら、家族を捨てたイエスさまに対して否定的な思いを抱いたかもしれませんね。
しかも、その後イエスさまについて風の噂で聞こえてくるのは、肯定的な話にしろ批判的な話にしろ、耳を疑うような内容ばかりです。
- ものすごい奇跡をあちこちで行なっているとか
- 貧しい人たちばかりか、罪人と呼ばれてさげすまれていた取税人や遊女たちとも親しく交わっているとか
- 宗教的指導者たちにケンカを売っているとか
あげくに、イエスさまが自らを救い主だと主張しているという話も耳にしたことでしょう。 ヤコブは困惑したはずです。
不信仰
20数年間同じ屋根の下で暮らしてきた兄弟が、実は神が人となってこられたメシア、救い主だなんて聞かされても、ヤコブや他の兄弟たちは簡単には信じられませんでした。
「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである」(ヨハネ7:5)。
それどころか、頭がおかしくなってしまったのだと思いました。
「さて、イエスは家に戻られた。すると群衆が再び集まって来たので、イエスと弟子たちは食事をする暇もなかった。これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が『イエスはおかしくなった』と言っていたからである」(マルコ3:20-21)。
この「身内」というのがイエスさまの母マリアと弟妹たちだということがマルコ3:31から分かります。当然イエスさまに代わって家長となったヤコブもそこにいたでしょう。
このように、イエスさまが十字架にかかって復活するまで、ヤコブはイエスさまのことを救い主だと信じていませんでした。
復活のイエスとの出会い
そんなヤコブの転機が訪れます。復活したイエスさまがヤコブと会われたのです。それがパウロの手紙の中に記されています。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました」(第1コリント15:3-7)。
復活したイエスさまは40日目にオリーブ山からイエスさまは天にお帰りになりました(これを昇天と呼びます)。その前にガリラヤに行って弟子たちに姿を現し、大宣教命令と呼ばれる命令をなさいました(マタイ28:16-20)。
イエスさまが姿を現した順番から考えると、イエスさまがヤコブに会われたのはガリラヤにいらっしゃったとき、すなわち昇天の直前のことだと思われます。
そして、この体験がヤコブを信仰に導いたのでしょう。
主の教会の指導者
イエスさまを信じたヤコブはエルサレムに向かいます。そして十一使徒や他の弟子たち、母マリア、兄弟たちと共に祈りをささげました。イエスさまがおっしゃったように聖霊なる神さまが降ってこられるのを待つためです。
「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた」(使徒1:14)。
その後、ヤコブはエルサレムの教会で中心的な役割を果たすようになっていきます。サウロ、後のパウロによって激しい迫害が起こり、多くの弟子たちがエルサレムを離れなければならなくなったときも、ヤコブはエルサレムに留まって伝道や指導を続けました。
「柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネ」(ガラテヤ2:19)。
エルサレム会議
特にヤコブの指導者としての力が発揮されたのが、紀元49年頃に行なわれた第1回エルサレム会議です。この会議のテーマは、異邦人(ユダヤ人以外の民族)が救われるためには、イエス・キリストの恵みの福音(上述の第1コリント15:3-7参照)を信じるだけでいいのか、それ以外に割礼を受けたりモーセの律法を守ったりしなければならないかということを確認することです。
ペテロ、パウロ、バルナバなどは、たとえ異邦人であっても救いは信仰によってもたらされると主張しました。しかし、パリサイ派から信者になった一部の人たちがそれに反対して、割礼を受けて律法を守らねば救われないと主張しました。この議論を収めたのがヤコブです。
「二人が話し終えると、ヤコブが応じて言った。『兄弟たち、私の言うことを聞いてください。神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオンが説明しました。預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。『その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば。』
ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです。モーセの律法は、昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸会堂で読まれているからです』」(使徒15:13-21)。
ヤコブが主張したのは2つのことです。
- 救いは福音を信じる信仰によってもたらされるのであるから、割礼を受けろとかモーセの律法に従った生活に変えろとかいう、よけいな重荷を負わせるべきではない。
- ただし、ユダヤ人への配慮から、ユダヤ人が忌み嫌っている4つのものは避けて欲しいということを、異邦人信者にお願いしよう。
4つのものを避けるのは、救われるための条件ではありません。ユダヤ人に対する愛の配慮を求めたものです。信仰義認の教理を守りつつ、ユダヤ人の心情にも配慮した素晴らしいまとめですね。
主のしもべ
そして、紀元60年頃、ヤコブは新約聖書に収められている「ヤコブの手紙」を書きました。この手紙の冒頭、ヤコブは自分のことを「主の兄弟」ではなく「主のしもべ」と呼んでいます。偉い人の身内の中には、自分も何か偉い存在になったような錯覚に陥って、やたらに偉そうに振る舞ったり、傍若無人な行動を取ったりする人がいます。しかし、ヤコブはそういう誘惑に惑わされませんでした。
さて、この手紙の中でヤコブが強調しているのは、信仰の成熟です。信仰者として成熟することによって、神さまに喜ばれる行ないができるようになろうとヤコブは手紙の読者、すなわち私たちに向かって語っています。
ヤコブの変質?
エルサレム会議のまとめの言葉でも明らかなように、ヤコブ自身はパウロや他の使徒たちと同じように、信仰義認の教理を信じていました。ところが、ヤコブの手紙の中に次のような言葉があります。
「人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう」(ヤコブ2:24)。
一体これはどうしたことでしょうか。10年たって、ヤコブの信仰が変質してしまったのでしょうか。しかし、だとしたらヤコブの手紙が新約聖書に収められているわけがありませんね。いつも申し上げているように、聖書はその箇所だけを切り取って意味を考えてはいけません。必ず前後の文脈を観ながら解釈しなければなりません。
この手紙を書いたヤコブは、信仰義認の教理を否定しているわけではありません。ヤコブは信仰義認の教理を間違って理解している人たちに、正しい理解をするよう勧めているのです。
この頃、クリスチャンたちの中に「信仰によって救われるんだから、行動はどうでもいい」と考えて、神さまのみことばではなく自分の欲望に忠実な生き方をしている人たちがいました。ヤコブはその人たちに対して、救いをもたらすような信仰には、それを表現するような何らかの良い行動が伴うはずだと語っています。
私たちは救われるために良い行ないをするのではありません。行ないによって救われるとしたら、神さまに要求されているのは毛ほども不完全さもない完璧な行動です。しかも、過去にただ1度の過ちも犯していてはいけません。そう言うわけですから、行ないによって救われるのは不可能です。ただただ神さまからの一方的な恵みにより、罪を赦され、受け入れられる必要があります。
しかし、神さまからの恵みを受け取る信仰によって救いを体験し、日々神さまの愛に感動しているならば、行ないなんかどうでもいいというような態度が取れるはずがありません。こんなにも私を愛し、守り、支えてくださっているイエスさまの言葉をもっと知りたい、そしてこのお方が悲しまれる行ないはやめて、喜ばれる行ないがしたいと考えるはずじゃないかとヤコブは主張しています。
アブラハムの例
ヤコブはアブラハムの例を挙げて、このことを説明しています。聖書には
「アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた」(創世記15:6)と書かれています。彼は良い行ないによってではなく、信仰によって救われました。アブラハムが信じたのは、神さまが子どものいなかったアブラハム夫妻に息子を与え、この息子を通して多くの子孫を与えてくださるという約束、いわゆるアブラハム契約です。
その約束通り息子イサクが誕生して十数年がたちました。神さまはアブラハムに、息子イサクをいけにえとしてささげよとお命じになりました。なんとアブラハムは、その命令を実行しようとしました。神さまが天使を遣わして途中で止めたのでイサクは死にませんでしたが、そうでなければアブラハムは本気でイサクを殺してささげものにするつもりでした。
なぜそんなことができたのでしょうか。それは、アブラハムが神さまの約束を信じていたからです。神さまがこんなとんでもない命令をなさった理由は分からないけれど、神さまは約束を守られる誠実なお方なのだから、たとえイサクを殺しても復活させて、必ずイサクから多くの子孫が出るようになさると信じたということです。
このように、確かに私たちは行ないによってではなく信仰によって救われます。しかし、その信仰にふさわしい行動もまた求められているのだということを忘れてはなりません。
ふさわしい行動
ヤコブはただ他の人に向かって成熟を命じただけでなく、自ら良い行ないに励みました。教会の伝承によると、ヤコブはいつもひざまずいて祈っていたため、彼の膝の皮はラクダの膝のように固くなっていたそうです。
また別の伝承によると、ヤコブが殉教したのは紀元62年のことです。この頃、ヤコブはエルサレムのクリスチャンではない人たちからも、義人として尊敬されていました。
ところが、その影響力を恐れた大祭司やパリサイ人などの霊的リーダーたちは、ヤコブを捕らえて石打ちの刑に処すことにしました。石打ちはユダヤの伝統的な死刑の方法です。まず彼らはヤコブを神殿の屋上から地面に突き落としました。そして、ヤコブがまだ生きていたので、今度は人々がヤコブに向かって石を投げ始めました。
そのときヤコブは、かつてイエスさまが十字架の上で語られた祈りをしました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」。それを聞いた祭司の一人が、石を投げている人々に向かって思わず言ったそうです。「やめなさい。この義人はあなた方のために祈っているのだ」。ところが、1人の人が棒でヤコブの頭を打ったために、ヤコブは息を引き取ります。
最初はまったくイエスさまを救い主だと認めようとしなかったヤコブ。しかし、彼はすっかり生まれ変わり、自分の信仰が成熟するよう日々正しい生き方を実践しようとしました。
では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.私たちも信仰の成熟を目指そう
信仰の成熟とは何か理解しよう
信仰の成熟とは、私たちが信じていることを、実際に行ないに表せるようになっていくことです。
まず、何を信じなければならないか、信仰の知識の面を磨いていくことが大切です。どれほど強い信仰を持っていたとしても、間違った内容を信じていたのでは意味がありません。間違った内容の信仰は、間違った行動を生み出すからです。
今政治の世界で問題になっている統一教会(現在の名称は世界平和統一家庭連合)では、「神のためだったら嘘をついてもいい」と教えられていたようです。その結果、いわゆる霊感商法と呼ばれる手法で多くのお金をだまし取る行為が行なわれました。
同じく異端とされているエホバの証人は、「血はいのちだから、血を食べてはならない」というモーセの律法の教え(申命記12:23)を曲解して、輸血禁止の教えを打ち立てました。そのため、手術すれば治ったかもしれない信者たちやその子どもたちが命を失うことになりました。
知識は人を高ぶらせる
ただ聖書の知識だけでは不十分です。聖書には
「知識は人を高ぶらせ」ると書かれています(第1コリント8:1参照)。ヤコブが手紙や自らの生き方を通して私たちに教えてくれているように、信仰を持っている自分だったら当然しなければならないこと、やめなければならないことは何か考えましょう。そして、それを実際に行ないましょう。
以前、自分でこんなメモを書いていて、それをしばらくたってから見つけてドキッとしたことがあります。その言葉とは……
「イエス・キリストを信じています」と書かれたシャツを着て生活するとしたら、あなたの言葉や行動はどのように変わりますか? あるいは変わりませんか?
ぜひ皆さんも考えてみてください。
実際に行動しよう
ヤコブの素晴らしいところは、信仰を行動で表すことが大切だと人に教えただけでなく、自分でも実践したことです。
私が神学生の頃に聞いた話です。外国の教会の礼拝式で、牧師が講壇からメッセージを語っていました。すると話している途中で、突然牧師夫人が布団を抱えて講壇に上がってきました。驚いて「何をするのだ」ととがめる牧師に、牧師夫人は言いました。「講壇のあなたはとても信仰深く、愛情深く見えます。私はここであなたと暮らしたい」。当時結婚したばかりだった私は、妻にこんな真似をさせないようにしなければと、固く心に誓ったことです。
愛を大切にしよう
先ほど引用した「知識は人を高ぶらせ」の続きは
「愛は人を育てます」です。この言葉はパウロがコリント教会に宛てて書いた手紙の中に登場します。
パウロは、かつてはモーセの律法によって食べていい食べ物といけない食べ物が決められていたけれど、今や何を食べても良いという原則を確認しました。しかし、自分があるものを食べることで他の人が信仰的につまずくなら、その人の前では食べないのが良いとも言います。それはその人に対する愛を実践するためです。
ヤコブはエルサレム会議で、信仰義認の教理を確認しつつ、ユダヤ人に嫌悪感を与えてキリスト教信仰から遠ざけないよう配慮することを異邦人信者に求めました。これはヤコブがパウロと同じように愛の実践をことのほか大切にしていたからです。
手紙の他の箇所でも、孤児ややもめたちが困っているときに世話をすることや、人をえこひいきしないこと、他人を呪ったり悪口を言ったりしないことなど、愛に関連する勧めが繰り返しなされています。
イエスさまはモーセの律法に代わる新しい律法を、私たちクリスチャンに与えてくださいました。
「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。
愛を実践するにはどのように行動したらいいか考え、それを実践しましょう。
まとめ
聖書の教えを深く理解し、理解したことに基づいて行動しましょう。特に、愛の実践を大切にしましょう。