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証し(体験談):中通りコミュニティ・チャーチ

私は絶対にクリスチャンになるものか

私は、今まで何不自由のない、幸せな生活をしておりました。子どもも二人、男の子と女の子を授かり、どちらも社会人として働いております。誰もがうらやむ家庭を築きながら、私は夫を愛することができませんでした。それには大きな罰が与えられました。

翌朝、この事実を、私は息子に告げました。すると、息子は部屋に戻り、聖書の内容が書いてある本を私に手渡してくれました。「これは僕が大学の時に読んでいた本だけど、読んでみな」と。私は、その場で読み始めたとたんに、涙がわけもなく流れてきました。息子の気持ちと、私の生きる道がそこで示されました。

私は息子に家探しをお願いしました。第一に教会が近いこと。そして家賃が安いところ。あとはすべて任せました。神さまは、まさに私に用意でもして下さったかのように、この地に住まいが定まりました。仕事にもすぐに就くことができました。

私は、義理の父を通して夫と知り合いました。その義父が亡くなったあと、夫は隣に住む義母のことが強く気に掛かり、私は心が不安定になりました。いろいろ提案したり努力したりもしましたが、強い義母への思いに、私の存在感がなくなりました。

私の夫はクリスチャンです。私と結婚して、すぐに洗礼を受けました。義母も、義父が他界したあとに洗礼を受けました。義理の妹夫婦も、共にクリスチャンです。そんなすばらしい家庭の中にあって、私は愛というものが分からなくなってしまいました。

常に疎外感を感じ、「私は絶対にクリスチャンになるものか」、また「みんなのような立派な人間にはなれないだろう」と、自分とは違った世界の人たちだと思っておりました。

そんな私が罰を受けて、「クリスチャンにならなければいけない。私は教会に行かなければならない」と思う気持ちになりました。神さまは、私の心の中に入って下さいました。この教会に来て、最初にいただいた言葉、「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ」(イザヤ49:16)。先生からお話しがあったときに、私は救われたのだと感じました。私はこちらに来て、聖書をたくさん読みました。みことばによって、たくさん救われました。そして、戒められました。

小学6年の時に、友人に誘われて行った教会学校で、イエス・キリストと出会い、それからずっと神さまは私のそばにおり、見守ってくれたように思います。イエス・キリストが私のこの罪のために死んで下さり、私は救われました。「人にはできないことが神にはできるのです」(ルカ18:27)。私はすべてを失いましたが、神を信じ、神と共に歩み、生かされ、家族のために、親兄弟のために、罪を償いつつ歩んでいきたいと思います。

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