(2025年1月19日)
生まれつき足が不自由な人をいやしたペテロとヨハネが、ユダヤの指導者たちに逮捕された場面です。ペテロは指導者たちの追求に堂々と弁明しました。
礼拝メッセージ音声
イントロダクション
前回、ペテロとヨハネが神殿の「美しの門」で、生まれつき足が不自由な人をいやしたという記事を取り上げました。今回はその後の出来事です。
今回は、その後ペテロとヨハネが逮捕されて尋問を受ける場面です。ここから、私たちの信じる聖書の神さまは、私たちに人生の大逆転をもたらしてくださるということを確認し、励ましをいただきましょう。
1.ペテロの弁明
ペテロとヨハネの逮捕
ペテロたちの元に来た指導者たち
(1節)ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。
足が不自由な人をいやしたペテロたちは、午後3時の祈りをささげるために神殿の奥に入っていきました。いやされた男性はペテロたちの後に付いていきました。そして、祈り終わってからでしょう、彼らは神殿のソロモンの回廊まで移動しました(3:11)。
すると、足が不自由だった人がいやされたことを知ったたくさんの人たちが、ペテロたちのところにやってきます。ペテロは、集まってきた人たちに対して、この人をいやしたのはイエスさまの力であること、そしてこの方こそ救い主であることを語りました。
そこに、イスラエルの指導者たちがやってきます。まず祭司たち。それから、神殿の警備責任者である守衛長、そしてサドカイ人たちです。
サドカイ人というのは、ユダヤ教の一派であるサドカイ派に属する人たちです。パリサイ派が一般民衆の間に広がっていたのに対して、サドカイ派は祭司階級の人たちが属していました。ですから、ここに登場している祭司や守衛長も、神学的にはサドカイ派です。
逮捕
(2-3節)彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち、二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
祭司たちは、ペテロとヨハネがイエスさまの復活や、世の終わりに起こる死者の復活について教えているのを聞いて腹を立てました。
というのは、パリサイ人と違ってサドカイ人たちは、死者の復活を認めていなかったからです。サドカイ派の人たちは、モーセ五書(創世記から申命記まで)からしか教理を導き出せないと信じていました。そのモーセ五書には死者の復活について書かれていないというのが、彼らが復活を信じなかった理由です。
祭司たちは、ペテロとヨハネを逮捕して、一晩牢に留めました。なお、翌日の裁判には、いやされた人も一緒に引き出されています、ですから、ここには書かれていませんが、いやされた男性も一緒に捕えられたのでしょう。
逮捕してすぐに裁判を開かなかったのは、間もなく日が沈んでしまう時刻だったからです。ユダヤ教の規定では、日暮れから夜明けまでは裁判を開いてはいけないことになっていました。イエスさまの場合にはまだ夜が明ける前に裁判を受けましたが、あれは指導者たちの規定違反です。
ペテロたちの逮捕が日没直前ということは、足の不自由な人がいやされたのが午後3時の祈りの前ですから、それから3時間ほど時間が経っていたことが分かります。
救われた人の数
(4節)しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。
ペテロとヨハネは逮捕されてしまいましたが、その前に彼らからイエスさまの話を聴いた人たちが、福音を信じて救われました。その数、男性だけで5千人というわけですから大変な数です。
いよいよ指導者たちによる教会に対する妨害が始まりましたが、それでもイエスさまによる救いのメッセージを留めることはできません。
指導者たちによる尋問
サンヘドリンの招集
(5-6節)翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。
逮捕翌日になると、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちも集まってきました。この人たちはパリサイ派に属する人たちです。彼らは、イスラエルの自治組織である最高法院(サンヘドリン)のメンバーです。
サンヘドリンは、イスラエルの国会と最高裁判所を合わせたような会議で、大祭司を議長としてパリサイ人や祭司たち計71人で構成されました。この当時、イスラエルはローマ帝国の属国でしたが、ある程度の自治は与えられていて、死刑が絡むような犯罪以外はサンヘドリンが裁いていました。
サンヘドリンに集まった中には、大祭司の一族もいました。まずはアンナスという人。彼は大祭司と呼ばれていますが、正確には元大祭司です。元々イスラエルの大祭司は終身職ですが、この当時はローマ帝国によって頻繁に交代させられていました。アンナスは紀元前6年から紀元15年まで大祭司を務めましたが、やはりローマ帝国によって辞任させられました。
そして、このときの現役大祭司は、アンナスの娘婿であるカヤパです(在位:紀元18-36年)。しかし、舅であるアンナスは依然として大きな権力を握っていましたし、本来大祭司は終身職ですから、アンナスもまた大祭司と呼ばれているのです。
ヨハネとアレクサンドロについては情報がありませんが、大祭司一族なのでしょう。

(画像引用:Wikipedia)
尋問
(7節)彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。
サンヘドリンの議員たちは、牢から引き出されてきたペテロとヨハネに尋問を開始しました。彼らは、ペテロたちがいやしを行なったことや、人々を教えたことを問題にしました。
彼らが尋ねた「何の権威によって」というのと「だれの名によって」というのは同じ意味です。「いったい誰がお前たちにそんなことをするよう許可したのか」と尋ねているのです。
ペテロやヨハネは祭司ではないし、律法の教師(ラビ)として任命されているわけでもありません。それなのに、なぜ勝手に人々を教えているのかと指導者たちは二人に迫りました。
要するに指導者たちは、ペテロとヨハネが自分たちの権威をないがしろにしているのではないかと責めようとしていました。
ペテロの弁明
聖霊に満たされたペテロ
(8節)そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
厳しい尋問を受けたペテロは、聖霊なる神さまに満たされました。そして、指導者たちに向かって堂々と弁明を始めます。
かつてイエスさまは、弟子たちにある話をなさいました。弟子たちが捕えられて偉い人たちの前に引き出されたときについての約束です。
(ルカ12:11-12)また、人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。
このときのペテロは、イエスさまの約束通り聖霊なる神さまによって語るべき言葉を与えられました。
皮肉
(9節)私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
まずペテロは、自分たちが逮捕されて取り調べられている理由は、何かとんでもない犯罪に手を染めたという疑いではなく、生まれつき歩けなかった人をいやしたという良いことのためなのかと暗に問いかけます。
尋問している側が逆に追い詰められているかのような、皮肉な構図ですね。
さらにペテロは、「あなた方は(犯罪ではなく)あの素晴らしい行ないが、誰の力によって引き起こされたのかと尋ねているのだね?」と確認しています。これから語ることの前振りです。
イエス・キリストによるいやし
(10節)皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
ペテロは、生まれつき足が不自由だったのにいやされて歩けるようになった人を指して言いました。「この人が治ったのは、イエス・キリストの名によることだ」と。つまり、イエスさまの権威、イエスさまの力によっていやされたのだと宣言したのです。
しかも、そのイエスさまのことを、指導者であるあなた方は十字架につけて殺したのだということ、しかしイエスさまは死んだままではなく、その後神さまよって復活したということも語りました。イエスさまがただの人間ではなく、天の父なる神さまによって遣わされた救い主だということを示すためです。
そのような偉大なキリストの力によって、この歩けなかった人は歩けるようになったのだとペテロは指導者たちの質問に答えました。
詩篇の引用
(11節)『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
ここでペテロは、詩篇118:22の言葉を引用しています。 「要の石」とは、家の土台の隅に置かれる大きな石のことです。これがしっかりと他の石を支えることによって、その上に建物を建てることができます。
建築家がある石を見たとき、「これは建材としては使い物にならない」と判断して捨ててしまいました。ところが、そんなポンコツの石だったはずなのに、実際には立派に土台、しかも要石の役割を果たしたのだとこの詩篇は語っています。これは一体何を表しているのでしょうか。
詩篇118:22を、前後の節も含めて引用してみます。
(詩篇118:21-23)私はあなたに感謝します。あなたが私に答え私の救いとなられたからです。家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。これは【主】がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。
ペテロが引用したこの詩篇が、神さまによる救いについて語っているのだということが分かりますね。
要の石は、救いの土台になったもの、すなわち救いの根拠です。その大切な土台のはずなのに、人々からは「いらない」と捨てられてしまいました。しかし、かえってその結果として救いの土台になりました。それは不思議なことだと詩篇の記者は語ります。
そして、この詩篇で語られている要の石、すなわち救いの土台が、あの男性の足をいやしてくださったイエス・キリストなのだとペテロは言います。
イエスさまは指導者たちによって「救い主ではない」と判断され、それどころか存在を憎まれ、十字架につけられて殺されてしまいました。まさに石が捨てられたようなものです。
しかし、その十字架の死によって、私たち人間の罪が赦されることになりました。イエスさまが私たちの罪の罰を身代わりに負ってくださったのが十字架だからです。イエスさまこそ私たちの救いの土台、イエスさまの十字架こそ私たちが救われた根拠です。
詩篇の記者が言うとおり、これは何という不思議でしょうか。
救われるべき名
(12節)この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
古代イスラエルにおいて、「名」というのは、その名前の持ち主そのものを指します。ペテロは、イエス・キリストによって救っていただく以外に、私たち人間は救われないと宣言しました。
これはそれ以外の救いの道を否定する宣言です。
- キリスト以外の神々を拝んでも、それで救われるわけではありません。
- どんなに正しい行ないを積み重ねても、それで救われるわけではありません。
- 多くの知恵を得ても、それで救われるわけではありません。
- どれほどの財産や権力や人望を集めても、それで救われるわけではありません。
- 占いやまじないなどで不思議なスピリチュアル体験をしても、それで救われるわけではありません。
私たちが救われるためには、イエスさまの恵みの福音を信じる以外にありません。すなわち「この私の罪を赦すために、イエスさまは十字架にかけられた。そして死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということが真実だと信じることです。
ペテロは、イエスさまのことをいらない石扱いして殺した指導者たちに向かって、この言葉を堂々と語りました。ペテロとヨハネを責め立てていた指導者たちが、逆にペテロによって罪を責められ、悔い改めを迫られているのです。
指導者たちの驚き
(13節)彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。
指導者たちは、ペテロとヨハネが大胆に振るまい、また語るのを見聞きして驚きました。
しかも、彼らは無学な人に見えます。ユダヤ人の男性は、子どもの頃からモーセの律法の基本的な教育を受けて育ちます。ここでの「無学」とは、律法の教師(ラビ)としての専門教育を受けていないという意味です。それなのに、ペテロたちはたいへん聖書に精通しているように見えます。
そして、指導者たちは、ペテロとヨハネがイエスさまの弟子だということを知ります。それまでは気づいていなかったのでしょう。
反論できない指導者たち
(14節)そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。
逆に責め立てられた指導者たちは反論したいと願いますが、現にいやされた生き証人がそこにいるのですから、うまい反論が出てきません。
その後
こうして指導者たちはなすすべがなく、二人に向かって「もうイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と命じました。個人的にも公にも、イエスについて口にするなというわけです。ところが二人は、彼らに言い放ちます。
(19-20節)神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。
この言葉も、指導者たちが神さまに逆らっているということを暗に責めています。そして、ペテロたちが指導者たちの権威をないがしろにしているかのように聞こえます。
指導者たちは怒ったでしょうが、ペテロとヨハネによって起こったいやしのことで一般民衆が神さまをほめたたえていましたから、彼らの反発を恐れて罰を与えることができませんでした。こうしてペテロとヨハネは無事に釈放されます。
そのことに励まされた教会は、ますます大胆に伝道します。こうして、その後も多くの人たちが救われていきました。
それでは、ここから何を学ぶことができるでしょうか。
2.人生に大逆転が与えられる
聖書の中には大逆転の例が満ちていると知ろう
イエスさまは、イスラエルの指導者たちによって不要な者と見なされ、捨てられました。すなわち、反逆罪という罪をでっち上げられてローマ総督ピラトの手に渡され、殺されてしまいました。しかし、その十字架の死のおかげで、人類の罪が赦されることになりました。
また、ペテロとヨハネは権威主義に凝り固まった指導者たちから激しく責め立てられました。しかし、聖霊さまに満たされたペテロによって、指導者たちは逆に自分たちが犯した救い主を殺してしまったという罪を責められ、追い詰められてしまいました。
このように、聖書の中には「もうだめだ」というようなピンチに追い詰められた人が、神さまによって不思議な大逆転を経験する例に満ちあふれています。たとえば、
- アダムとエバは、罪を犯しました。本来ならすぐその場で裁かれて殺されても仕方がありませんでした。しかし、神さまは彼らを死刑にせず、むしろ皮の衣を作って裸の恥を覆ってくださいました。
- アブラハム夫妻には長い間子どもが生まれず、そのためにサラは苦しんできました。しかし、神さまはサラの月経が止まって人間的な希望が全くなくなったときに、イサクを生まれさせてくださいました。
- イサクはあまりにも繁栄していたため、外国の王たちから嫉妬されて、井戸を奪われるなどの嫌がらせを受けました。しかし、イサクは一切戦って反撃しようとしません。それでも、神さまはさらにイサクを祝福してくださったため、それに恐れを感じた外国の王の方から和平を求めてきました。
- ヤコブは伯父であるラバンから、あの手この手で搾取されたばかりか、自分自身の財産が手に入らないよう邪魔されてきました。しかし、神さまはそんなヤコブを大いに繁栄させてくださいました。
- ダビデは8人兄弟の末っ子で、とても王さまの器には見えない存在でした。しかし、神さまがサウルに変わる二代目の王として選ばれたのは彼でした。その後、ダビデはサウル王から命を狙われますが、神さまはダビデを守り、最終的に王に即位させました。
- 預言者エリヤは、異教礼拝をイスラエルに持ち込んだアハブ王やイゼベル王妃と、本当の信仰を賭けて戦いました。一時は、戦いに疲れてうつ状態になり、自分自身の死を願うほどになりました。しかし、神さまの励ましによって再び立ち上がり、最終的にアハブ夫妻もアハブ一族も倒されてしまいます。
- 前回と今回登場した、生まれつき歩けなかった人は、40年も物乞い生活を続けざるを得ませんでした。しかし、イエスさまがいやしてくださって、自分自身が働いて糧を得ることができるようになりました。
- ペテロはイエスさまを裏切りましたが、赦しを受け取り、今回のようにイエスさまの弟子として大活躍しました。
- ヨハネは迫害のために島流しに遭って苦しみましたが、そこで神さまから将来についての幻を見せられ、黙示録を書き上げました。
あなたにも大逆転の希望があると知ろう
同じように、イエス・キリストを信じて救われた私たちは、人生の大逆転を体験します。罪の赦しという大逆転はすでに経験しましたし、これからも体験し続けます。
今、人生の中で行き詰まりを感じる部分がないでしょうか。自分の力ではどうしようもないという壁にぶつかってはいないでしょうか。誰かに誤解されたりいじめられたりしてはいないでしょうか。病気の問題、経済的な問題、仕事上の問題、人間関係の問題などで悩んではいないでしょうか。
イエスさまは、聖書に登場する信仰の先輩たち、あるいはその後の先輩たちに逆転勝利を与えてくださったように、私たちにも驚くような逆転劇を体験させてくださいます。あの詩篇の記者が思わずつぶやいたように、「私たちの目には不思議なことだ」と驚き、神さまをほめたたえる日が必ず来ます。それを信じましょう。
大逆転を他の人に語る使命が与えられていると知ろう
ペテロとヨハネは、もう二度とイエスの名によって語ったり教えたりしてはならないと脅されましたが、「自分たちは神の命令を守る」と宣言して、その後もイエスさまの名によって語り続け、教え続けました。
初代教会の人たちが伝えたのは、人生の大逆転です。
罪によって神さまとの関係が切れてしまっていた私たち人類でしたが、それでも神さまによって愛されています。そして神さまは愛する人間を罪の状態、神の敵である状態から救い出すために、救い主であるイエスさまを遣わしてくださいました。イエスさまは、十字架にかかって私たちの罪の罰を身代わりに負ってくださり、その後復活なさいました。
それを信じるだけで、私たちの罪は赦され、それどころか神さまの子どもにされて、永遠に続く祝福を与えられます。本来神さまに呪われ、永遠の苦しみという罰を受けるはずだった私たちが、神さまの子どもとなって永遠に幸せに暮らすという大逆転を手に入れたのです。
私たちはそんな大逆転を経験しましたし、これからも経験し続けます。そして、まだその事実を知らない人たち、特に人生に行き詰まっている人たちに対して、イエスさまによって大逆転が起こるという希望を伝えていきましょう。
それは、先に救われて人生の大逆転を体験した私たちに与えられている、神さまからの使命です。
この話をお読みください。
伝道者で、不登校問題に強いカウンセラーでもある金藤晃一先生は、一生懸命勉強して中学を卒業すると県内有数の進学校に進学しますが、入学後間もなく不登校になります。そして、家庭内暴力で鬱憤晴らしをしたり、抑うつや離人症などの精神症状に苦しんだりしました。
そんな生活に嫌気がさした金藤青年は、日本を脱出しようと思って、米沢興譲教会がやっていた英会話教室に入学します。そこでの温かい雰囲気に心ひかれた金藤青年は、やがて教会の礼拝に出席するようになりました。
その教会の田中信生牧師が、講壇から次のように語りました。「あなたの人生は、神さまが最善になるように計画されている。だから、あなた自身ががんばる必要はない。あなたの人生を神さまにゆだねなさい」。それまで、親や周りの期待に応えようとして全力疾走してきて、ついに疲れて倒れてしまった金藤青年は、その言葉に心を撃ち抜かれました。
その後、金藤青年は牧師宅に居候するようになります。牧師は毎日夕食の時に彼に言ったそうです。「金藤君。不登校できる人っていうのは、将来必ず大物になるんだ。将来、私と一緒に日本中、世界中を回って、悩んでいる人たちに希望を届けるようになる」。
最初金藤先生は、「この牧師、うまいこと言って僕をキリスト教徒にしようとしているんだ」と思って、抵抗していたそうです。しかし、やがて金藤先生はイエス・キリストを信じて救われます。そして今、たくさんの不登校の子どもや保護者に希望を語り、新しい人生を提供し続けていらっしゃいます。
神さまは、あなたの人生にも最善の計画を用意なさっています。イエス・キリストを信じて、人生をお任せしてください。
そして他の人に、神さまのご計画に基づく人生に大逆転があるという希望を伝えていきましょう。