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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

狭き門(聖書由来の言葉2)

(2023年12月10日)

先週から聖書が由来の言葉を紹介しています。第2回目は「狭き門」です。

(マタイ7:13-14)狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。

「狭き門」という言葉は、よく受験や就活の場面で用いられます。人気があってみんなが入りたがるため、倍率が高くて入るのが大変だという状況を表す言葉です。ところが由来となった聖書では、まったく逆の意味で用いられています。ちっぽけで価値がないように見えるため入ろうとする人が少ない、いわば人気がない門です。

悩みを抱えたある人が牧師のところに来ました。この人はクリスチャンではありませんでしたが、親身になって話を聴いた牧師は最後にその人のために神さまに祈りました。心が晴れ晴れとしたその人は、「祈祷料はおいくら?」と尋ねます。牧師は「神さまの恵みはただですから、お金はいただきません」と答えました。するとその人は憤慨しながら言ったそうです。「ただの祈りが効くわけがない!」

イエス・キリストの十字架と復活を信じるだけで救われるという聖書の教えは、ギブ・アンド・テイクに慣れている私たち人間にはつまらないものに見えてしまうようです。厳しい修行をしたら、あるいは一定額の献金をしたら、あるいは聖書の教えをすべて守ったらとかいう条件を付けられる方が「効く」ような気がするのです。

しかし、聖い神さまが救いの条件として行ないを要求なさるとしたら、その要求水準は「完璧」です。誰も完璧に神さまの命令を守ることなどできません。ですから、一方的に赦していただくしか道はないのです。

まだイエスさまの十字架と復活を信じていらっしゃらない方。ぜひ狭い門から入ってください。

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