本文へスキップ

礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

サラ

聖書の女性シリーズ2

創世記21章1節〜7節

(2021年7月18日)

サラはユダヤ人の先祖アブラハムの妻です。サラの生涯から神の約束に対してどんな反応をすべきか学びます。

礼拝メッセージ音声

参考資料

イサクが誕生したとき、アブラハムは100歳、サラは90歳でした。ノアの洪水以前の人の寿命は900年以上で、洪水以降急速に寿命が縮まっていきました(詳しくはこちらの記事参照)。アブラハムの時代の寿命は現代人の倍以上ですが、それでもかなりの高齢出産です。実際サラの月経はもう止まっていて、本来なら妊娠の可能性はありませんでした(18:11)。

6節のサラの言葉の翻訳は、新共同訳が優れていると思います。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」。この笑いが、嘲笑ではなく喜びの笑いだということ、またイサクという名前が笑いを意味するということがよく伝わる訳ですね。

イントロダクション

今回取り上げるのは、アブラハムの妻サラです。

神さまからの約束をいただいたとき、私たちはどんな反応を示すでしょうか。そして、それに対して神さまは私たちに何をしてくださるのでしょうか。サラの生涯はそれを私たちに教えてくれています。

1.神からサラへの語りかけ

救いと旅立ち

創世記に登場するアブラハムという人は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてイスラム教徒から信仰の父として尊敬されています。今回の主人公であるサラは、アブラハムの妻です。

実は、アブラハムとサラは母親の違う兄妹です。歳は10歳離れていました。この当時は、まだモーセの律法が与えられていませんので、きょうだい同士の結婚は罪ではありませんでした(もしそれが罪なら、アダムとエバの息子たちは一体誰と結婚して子どもをもうけたのでしょうか)。

アブラハムとサラの一族についてはこちらの家系図をご覧ください。

アブラハムとサラが生まれ育ち、そして夫婦生活を送った、ユーフラテス川の河口付近にあったウルという町です(地図はこちらのサイトを参照)。
  • この当時、アブラハムはアブラム、サラはサライという名前で、後になって神さまから新しい名前を与えられたのですが、分かりやすくするためにすべてアブラハムとサラで通します。
このウルは月の神を礼拝する町で、アブラハムとサラの父であるテラは偶像礼拝者だったということがヨシュア24:2で語られています。ですから、もしかしたら、当時のアブラハムやサラも偶像礼拝を当たり前のように受け入れていたのかも知れません。
神との出会い
ところが、あるとき転機が起こります。唯一まことの神、創造主であるヤハウェがアブラハムに直接語りかけてこられたのです。その内容は、使徒の働きの中でステパノが語ってくれています。「あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい」(使徒7:2)。

妻であるサラは夫アブラハムに従ってウルの町を離れて、神さまが行けとおっしゃったカナンの地(今のイスラエル共和国がある地域です)に向かって旅立ちました(11:35)。彼女もまた、アブラハムを通してまことの神さまを信じるようになったのです。

しかも、一緒に旅立ったのはサラだけではありませんでした。父であるテラ、兄弟であるナホルとその家族、そしてもう一人の兄弟ハランはすでに亡くなっていましたがその息子(アブラハムとサラから見れば甥っ子)であるロトも一緒に故郷を出たのです。

聖書は少なくとも兄弟ナホルや甥のロトもまことの神さまを信じるようになっていたことを示しています(創世記31:53、第2ペテロ2:7)。1人の人が神さまを信じたことによって、信仰が家族全体に及んだのです。

皆さんの中には、家族の中で自分だけがクリスチャンだという方がいらっしゃるでしょう。一生懸命伝道しても、大切な家族に信仰を理解されず、悲しい思いをしたり、居心地の悪い思いをしたりしていらっしゃるかも知れません。しかし、どうぞ希望を失わないでください。まことの神さまは、偶像礼拝の町のまっただ中でアブラハムに現れて声をかけ、彼を救っただけでなく、妻のサラや他の家族を救ってくださいました。あなたが最初に救われたただ一人のクリスチャンであったとしても、あなたから家族の救いが始まります。現状はまったくそう見えなかったとしても、神さまの不思議な導きがあることを信じましょう。
約束の地へ
ウルの町を出たサラたちは、ユーフラテス川上流にあるハランに到着します。そこは目的地ではありませんが、理由は分かりませんが彼らはしばらくそこに滞在しました。一財産築けるほど長い期間ハランに住んで父のテラが亡くなると、神さまは再びアブラハムに現れて、約束の地に向かうようおっしゃいました。

そこで、アブラハムとサラ、甥のロト、さらにハランの地で手に入れたしもべたちは父の墓と兄弟ナホルの一家を残して再び旅立ちました。この時、サラは65歳でした(アブラハムは75歳)。

子孫の約束

神さまが2度目にアブラハムに語られたとき、神さまはアブラハムに様々な祝福を与えるという約束をなさいました。また、この時だけでなく、その後何十年もの間に全部で6回の約束が語れています。これら一連の約束のことを、学者たちはアブラハム契約と呼びます。

アブラハム契約で特に重要な約束が3つあります。
  1. 子孫がたくさん与えられるという「子孫の約束」
  2. アブラハムとその子孫に、広大な土地(西は地中海から東はヨルダン川、南はエジプト国境から北はユーフラテス川まで)が与えられるという「土地の約束」
  3. アブラハムとその子孫は神さまから大いに祝福され、また彼らを通して全世界の人々も祝福されるという「祝福の約束」
この中で要となるのが子孫の約束です。子孫がいなければ土地の約束や祝福の約束も果たされなくなくなってしまいます。ところが、アブラハムとサラには結婚後何十年たっても子供が生まれませんでした。そんな夫婦に、神さまは子どもが与えられるという希望を与えてくださいました。

この約束は、サラにとっては、感情的にも子孫の約束は非常に重要で魅力的なものでした。日本でもつい最近まで、結婚して子どもが与えられないことは女性にとって大変な恥とされていましたが、古代の中東ではさらにその考え方が強かったのです。ですから、何十年も子どもが与えられないのはサラにとって大変な苦しみでした。にもかかわらず、子どもを持てるという希望が与えられたのです。どんなにサラは喜び、今か今かと期待したことでしょうか。
なかなか果たされない約束
ところが、いつまでたっても妊娠の兆しがありません。そして、最初の約束から10年たって、サラは75歳になりました。当時の年齢からいうとまだ妊娠の可能性はありましたが、サラは「自分はもう妊娠できないのだ」とあきらめてしまいました。

そして、当時の中東ではよく行なわれていた方法を採用しました。すなわち、妻が子どもを産めなかった場合、夫は女奴隷との間に子をなして跡継ぎとするというものです。そして、その場合生まれた子どもは正妻の子どもとして認知されました。

そこで、サラもエジプト出身の若い女奴隷ハガルを側室として夫アブラハムに与えました。そして、翌年、ハガルは息子イシュマエルを生みました。

しかし、妊娠したハガルは、妊娠できないサラのことを見下し始めます。ハガルはサラの奴隷でしたから、失礼な態度を取るハガルを罰することができたはずなのですが、今やハガルはアブラハムの妻でもあるので、サラはハガルを勝手に罰することができません。それを知っているのでしょう、ハガルの態度はますますひどいものになっていきました。

サラは、不妊故の惨めな気持ちから解放されたくてハガルをアブラハムの側室にしたのに、その結果ますます惨めな気持ちにさせられてしまったのです。

そこで、サラはアブラハムを責めました。ハガルの態度が悪いのはあなたの責任だ、と。困り果てたアブラハムは「お前の好きにしなさい」とハガルを罰する許可を与えてしまいます。そこで、天下晴れてサラはハガルをいじめ始めました。そのひどさは、あまりのつらさにハガルが一時的に家を飛び出してしまったほどです。

この時は、神さまが荒野を逃げるハガルに語りかけ、サラの元に戻ってこれからは謙遜な態度で過ごすよう諭されたので、無事イシュマエルが誕生することになるわけですが、そうでなければハガルは荒野で野垂れ死にし、おなかの中のイシュマエルも日の目を見ることなく死んでしまったことでしょう。

一般常識にかなうことであっても、また法律的に問題が無かったとしても、神さまのみこころに反する方法で幸せになろうとすれば、たとえ願い通りになったとしても様々な問題を引き起こすことになります。私たちはそれを忘れてはなりません。

そして四半世紀

その後も神さまの約束が果たされることはありませんでした。そして、とうとうサラは89歳になってしまいます。最初の約束からすでに24年が経過していました。すでに月経は止まっていて、常識的に考えればもう自分が妊娠して子どもを生むという希望はありません。

ですから、サラもアブラハムも、やっぱりハガルが生んだイシュマエルが約束の子孫だったんだなと思っていました。

そんなあるとき、神さまは2人の天使と共に旅人の姿を取って地上に現れ、アブラハム一家が住んでいるキャンプにやってこられました。神さまは、もちろんイシュマエルもアブラハムの息子なので大いに祝福するが、アブラハム契約が約束している子孫というのはハガルが産んだイシュマエルではなく、サラが産む男の子と、その子から増え広がる子孫のことだとおっしゃいました(17:19)。

そして、神さまは近くのテントにいたサラにも聞こえるように、サラが子どもを産むという約束をなさいました。その箇所を引用します。

創世記
18:9 彼らはアブラハムに言った。「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えた。「天幕の中におります。」
18:10 すると、そのうちの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」サラは、その人のうしろの、天幕の入り口で聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた。
18:12 サラは心の中で笑って、こう言った。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」
18:13 【主】はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。
18:14 【主】にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」
18:15 サラは打ち消して言った。「私は笑っていません。」恐ろしかったのである。しかし、主は言われた。「いや、確かにあなたは笑った。」


思わず、サラは苦笑いしてしまいました。実は、アブラハムもサラが子どもを産むと聞かされたとき、やっぱり苦笑しました。サラは年を取っていてもはや子どもを産める体ではないのですから当然の反応でしょう。しかし、それは奇跡さえ起こすことができる全能の神さまに対する不信仰の笑いでした。

ところが、だからといって神さまは子孫の約束を反故にはなさいませんでした。アブラハム契約は神さまからの一方的な約束、無条件契約なので、一旦締結されたらアブラハムやサラや子孫たちがどんなに不信仰な反応をしたとしても、必ず約束されたことは実現します。

実際、本当に翌年、90歳になったサラは男の子を産みました。その子は、かつて神さまがアブラハムに命じておられたようにイサクと名付けられます。イサクというのは笑うという意味です。サラやアブラハムが苦笑したにもかかわらず、神さまが約束通り誕生させてくださった子どもということです。

しかし、それだけではありません。神さまはサラの不信仰の苦笑いを喜びの笑いに変えてくださいました。その喜びの笑顔は、サラとアブラハムの夫婦だけでなく、この話を聞いた多くの人にも喜びをもたらし、笑顔にしたことでしょう(6節)。

そして、サラはイサクを産んでから37年後、127歳でこの世を去りました。イサクが妻を迎える前だったのでかわいい孫たちの顔を見ることはできませんでしたが、それでも幸せのうちに神さまの元に召されたことでしょう。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神は約束したことを必ず守られる

神は約束してくださる

聖書の時代、神さまは様々な方法で人間に対して約束を語られました。アブラハムに対してなさったように直接神さまが語られることもありましたし、天使や幻を通して語られたり、預言者を通して語られたりすることもありました。また、サラがアブラハムを通して聞かされたように他の人を通して約束が語られることもあります。

そして今の時代は、主に聖書を通して神さまは語ってくださいます。たとえ天使や幻を見たり心に響く声を聞いたりしたとしても、聖書のメッセージと矛盾するならそれは神さまの語りかけではありません。私たちが聖書を読むとき、人間全体や教会全体に対してだけでなく、私たち個人に対しても神さまが様々な約束をしてくださっているのを知ることができます。

ですから、聖書を読んでたくさんの神さまからの約束を受け取りましょう。それが私たちを慰め、励まし、この行きづらい世の中を力強く生き生きと生きていく力を与えてくれます。

苦学生だった大学生時代、また福島で開拓を始めてなかなか仕事が見つからなかったとき、私を支えたみことばはこれでした。「ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます」(マタイ6:31-32)。

また、伝道者などという大変な仕事は自分には無理だと自信をなくしていたとき、神さまはバビロン捕囚から帰ってきてまず神殿を建て直そうとしたけれど、あまりの困難続きにやる気を失いかけていたゼルバベルに対する励ましの言葉を示して、私を励ましてくださいました。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は言われる」(ゼカリヤ4:6)。

他にも、「すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8:28)や、「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます」(ヨハネ15:7)など、たくさんの約束に励まされてきました。

あなたにも神さまは聖書を通して確かな約束を与えてくださっています。ぜひ積極的に探してみてください。そうしたら、「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます」(マタイ7:7)。

遅い≠かなえられない

ところが、神さまの時間感覚と私たちの時間感覚にはずれがあります。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」(第2ペテロ3:8)。思った通りのタイミングで約束が実現することもあれば、サラのように四半世紀待たされるということも、それ以上に待たされるということもあり得ます。

しかし、なかなかかなえられないからといって、約束が嘘だったということではありません。25年待たされましたが、神さまはちゃんと約束通りイサクを与えてくださいました。

それに、サラの生殖能力がまったく無くなったタイミングで妊娠・出産したということにも意味があったでしょう。サラもアブラハムも、またこの話を知った多くの人も、イサクが神さまの奇跡によって誕生したのだということ、神さまは確かに生きて働いておられるということを認めざるを得ませんでした。彼らは大いに神さまに対して畏怖の念を抱き、感激し、心からの礼拝をささげたことでしょう。

約束の実現が遅れたとしても、私たちは聖書を通して与えられた神さまの約束を信じ続けましょう。

失敗しても大丈夫

それにしても、最初の約束から実に25年。サラはなんと長いこと待たされたことでしょうか。いや、サラは途中からもう待つことさえやめていました。25年とはそれだけの年月です。

確かに、サラが自分勝手にハガルによって子どもを抱けるようにしようと考えた結果、後々までトラブルの種を抱えることにはなりました。その意味では、不信仰に陥らない方がいいに決まっています。それでも、信じ切れなかったサラのことを神さまはあきらめたりせず、彼女の不信仰の故に子孫の約束を取り消したりなさいませんでした。

不信仰に陥らない方がいい、罪は犯さない方がいい。それでも失敗してしまった私たちはイエスさまの十字架と復活のおかげで赦されています。そして、いつでも悔い改めて再出発することができます。

長いこと待たされて、あるいは様々な困難や妨害に遭って、信じ続けることをあきらめていた、あるいはあきらめかけていた神さまの約束はないでしょうか。今改めて神さまの前に「信じます。私を助けて信じる力をください」とお願いしましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 今あなたの心を最も励ましている神さまの約束は何ですか?
  • その実現について、これまでどれだけ待たされてきましたか? あるいは信じ続けることを困難にするような困難や妨害がありませんでしたか?
  • すっかり実現をあきらめてしまっていた神さまの約束がありませんでしたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
E-Mail info@nakakomi.com