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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

老シメオン

助演男優シリーズ16

ルカによる福音書2章25節〜35節

(2022年6月26日)

老シメオン抱神者シメオン)は、イエス・キリストが誕生して神殿に連れて行かれた際、抱き上げて祝福した老人です。そのエピソードから希望を持ち続けることの大切さについてお話しします。

礼拝メッセージ音声

参考資料

25節の「イスラエルが慰められる」とは、神さまがイスラエルの罪を赦し、その苦しみを終わらせ、その代わりに完全な祝福を与えてくださるという約束です。たとえば、イザヤ書に次のような約束があります。
「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを【主】の手から受けている、と」(イザヤ40:1-2)。

27節の「律法の慣習」は、レビ12:1-8に定められている一連の行動です。男の子が生まれると8日目に割礼を施します。その後母親は33日間引きこもります(女の子の場合は出産後80日間)。これは出産時に出血したために受けた汚れをきよめるための期間です。このきよめの期間が満了すると、母親のきよめを完了させるために定められたいけにえをささげます。
また出エジプト13:2には、母親が初めて産んだ男の子は神さまのものだから聖別せよと定められてます。具体的には、その子の代わりに銀5シェケルをささげます(民数記18:15-16)。

31節の「万民の前に備えられた救い」や32節の「異邦人を照らす啓示の光」は、救い主に関する次の預言を念頭に置いた表現でしょう。「あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする」(イザヤ49:6)。

イントロダクション

今日はシメオンという人を取り上げます。この人はおそらく年を取っていたと思われるので、老シメオンなどと呼ばれることがあります。また正教会では抱神者(ほうしんしゃ)シメオンと呼ばれています。人となられた神であるイエスさまをその腕に抱いたからです。

今日はシメオンから、希望を持ち続けることの大切さを教わりましょう。まずは今日の箇所を見ていきましょう。

1.シメオンによる賛美と預言

シメオンの希望

(25ab) そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。

シメオンは正しく敬虔な人でした。すなわちモーセの律法を忠実に実行する人でした。これは彼に罪がなかったということではありません。たとえ罪を犯したとしても素直に認めて悔い改め、モーセの律法に従っていけにえをささげて神さまの赦しを受け取っていたということです。
イスラエルの慰め
そして、彼は「イスラエルが慰められるのを待ち望んで」いました。これは参考資料にも書いたとおり、世の終わりに神さまがイスラエルの罪を赦し、あらゆる苦しみから解放し、代わりに完全な祝福を与えてくださるという聖書の約束を信じ、その実現の希望を持って待っていたということです。
救い主到来の信仰
イスラエルの慰めは、救い主が登場して、地上に理想的な王国、神の国をお作りになるときに実現します。すなわちシメオンは、神さまが創世記3:15以降たびたび約束してこられたとおり、救い主を地上に送ってくださるということを信じ、その実現を待ち望んでいました。

紀元1世紀は、シメオンだけでなく多くのユダヤ人が救い主到来を特に待ち望んでいた時代です。というのも、イスラエルの国がローマ帝国によって占領され、属国になって民が苦しめられていたからです。ですから、人々は救い主が現れてローマから国を開放してくれることを切望していました。

ただし、それはあくまでも政治的な解放者としての救い主待望でした。しかし、実際に聖書が教える救い主は単なる解放者ではありません。救い主自らが犠牲のいけにえとなって、それによって人の罪を赦してくださいます。そして罪が赦された結果として解放が起こるのです。多くのユダヤ人はそのような側面には無頓着でした。

ところが、シメオンは聖書の約束を正しく理解していました。


(25c-26) また、聖霊が彼の上におられた。そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。

シメオンは聖霊なる神さまによって、知恵や力を与えられていました。使徒2章のペンテコステのできごと以降は、聖霊さまはすべてのクリスチャンの内に住んでくださるようになりました。しかし、それ以前の時代は、聖霊さまは特定の人を満たして神さまの望まれる働きをさせました。

聖霊さまはシメオンに、主のキリスト、すなわち地上に来られると約束されている救い主を見るまでは死なないという約束をいただいていました。シメオンはもう老人になっていたと思われますが、その約束を信じて待っていました。そして、いよいよその約束がかなうときがやってきます。

イエス一家との出会い

(27) シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。

ヨセフとマリアがイエスさまを連れて神殿にやってきました。その目的は2つです。参考資料にも書きましたが、1つは出産後のきよめの期間が満了したので、マリアのきよめのためにいけにえをささげに来たことです。もう1つはイエスさまを聖別するためです。

マリアのきよめのために一家が用意したいけにえは「山鳩2羽、または家鳩の雛2羽」でした(24章)。本来なら子羊1頭と、山鳩1羽もしくは家鳩の雛1羽をささげました。しかし、貧しくて子羊を用意できない場合には山鳩1羽か家鳩の雛1羽をその代わりにしてよいことになっていました。ここから、イエスさまが貧しい家庭に生まれ育ったのだということが分かります。

シメオンは、いけにえをささげるために神殿にやってきたイエスさま一家と出会いました。これは聖霊なる神さまの導きによります。私たち信仰者は、一見偶然のように思えるできことも、その背後に神さまの働きがあることを知っています。


(28-30) シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。

シメオンはイエスさまを抱っこさせてもらいました。そして「今こそしもべを安らかに去らせてくださいます」と祈りました。「去る」というのは死ぬということです。というのも、シメオンは「救い主を見るまでは死なない」という約束を聖霊なる神さまからいただいていたからです。シメオンは腕の中にいるこの赤ちゃんが救い主なのだと気づいていました。聖霊さまに教えていただいたのでしょう。

救い主が現れたということは、この子が成長したならばイスラエルの慰めが実現するとシメオンは考えました。そこで「私の目があなたの御救いを見た」と祈っています。

ちなみにイエスという名前は「救い」という意味です。シメオンはイエス(救い)を見ながら「あなたの救いを見た」と祈っているわけです。これは言葉遊びですね。

ただ、イエスという名は天使がヨセフにそう名付けるよう命じたものです。ですからこれは単なる言葉遊びではなく、神さまがイスラエルに救い主をお与えになり、それによってイスラエルと全世界に救いをもたらすご計画が、今まさに進み始めたということを表しています。
(31-32) あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」

その救いは、全世界の民族のために用意されたものだとシメオンは言いました。聖書はイスラエル民族が神の民として選ばれたのは、イスラエルだけが祝福されるためではなく、彼らを通して全世界の民族が救われ祝福されるためだと教えています。神さまは、全世界の人々を救いに導きたいと願っておられます。

ところが、紀元1世紀のユダヤ人たちは選民意識が膨れ上がっていて、自分たちは神さまに選ばれたきよい民、それ以外の民族すなわち異邦人は呪われた民だと考えていました。

シメオンのように、神さまが異邦人の救いについてもご計画しておられるということをしっかり理解していたというのは、当時としては珍しいケースです。


(33) 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。

マリアとヨセフは、天使からイエスさまについてのお告げを受けていました。そのため、イエスさまが救い主だということについてはすでに知っています。

2人が驚いたのは、初対面のシメオンが、このイエスが特別な使命を持って生まれた子だということに気づいていたことです。

苦難の預言

(34) シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。

シメオンはマリアに向かって、イエスさまの将来について預言しました。シメオンがまず語ったのは、イエスさまによってユダヤ人が2つに分裂するということです。

彼はイエスさまのことを「人々の反対にあうしるし」と呼びました。救い主イエスさまが公の働きを始めても、すべてのユダヤ人が喜んで受け入れるわけではありません。イエスさまを救い主と認めることを反対する人たちも現れます。

その結果、イエスさまを救い主として受け入れた人たちは立ち、受け入れなかった人たちは倒れることになります。すなわち、イエスさまを受け入れた人は神さまに受け入れられて救われ、その後与えられる祝福を得ることができますが、イエスさまを受け入れなかった人たちは救いを手に入れられず、自分の罪のために滅びを招くことになります。


(35) あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

その結果、マリアは心を剣が刺し貫くような思いを経験させられます。それは、イエスさまに反対する人たちは、イエスさまを捕らえ、十字架につけて殺してしまうからです。

サンピエトロ寺院「ピエタ」ミケランジェロ作
しかし、救い主がいったん十字架にかけられて殺されることこそ、ユダヤ人が、さらには全世界の人々が救われるために必要なことです。救い主イエスさまは、人類の罪の罰をすべて身代わりとして受けることによって、人の罪が赦され、神さまに受け入れられるようにしてくださるからです。

やがてマリアは、目の前で愛する我が子が十字架につけられ死ぬ姿を目撃することになります。そして、心が剣で刺し貫くような悲しみを味わいます。しかし、3日目にイエスさまは復活なさいました。そして、悲しみに沈んだマリアの心は、喜びに満たされることになります。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.希望を持ち続けよう

神からの希望を持ち続ける

シメオンが生きていたのは、祖国イスラエルがローマ帝国に支配され苦しめられている時代でした。しかし、やがて神さまがイスラエルを解放してくださり、永遠の祝福を与えてくださるとシメオンは信じていました。彼には希望があったのです。

私たちが地上で生き生きと生きていくためには、希望が必要です。いろいろあったとしても、最後にはうまくいくはずだという希望です。

ロゴ・セラピーという精神療法を開発したビクトール・フランクルという精神科医がいます。彼はユダヤ人であり、ナチスドイツの迫害を経験しました。家族を殺され、自分自身も収容所に入れられて過酷な毎日を過ごしました。しかし、彼は終戦まで生き延びます。

同じ収容所の中にいた他のユダヤ人たちの中にも、生き残った人たちがいました。彼らに共通していたのは、最後まで希望を失わなかったことです。その中には一見ひ弱で、すぐにでも死んでしまうのではないかと思われた人たちも含まれます。逆に、どんなに体格が立派で体力があっても、希望を失っていた人はすぐに死んでしまったそうです。

特に、全知全能の神さまがこの自分を愛してくださっており、自分のための特別な計画、良い計画を用意してくださっている信仰は、私たちを強め、生産的な生き方を引き出します。

この話をお読みください。
アメリカの看板描き職人であったソローン氏は、父親から受け継いだ百万ドルの遺産を、あっという間に使い果たしてしまいました。丸裸になってしまい、すっかり憔悴してしまったソローン氏は、特に信じようという気はなかったのですが、それでも町の小さな教会に足を運びました。

すると、事情を知った牧師が言いました。「神さまのご計画、それがあなたの遺産です。あなたは、お父さんの遺産をすべてを失ってしまったけれど、これで人生が終わったわけではない。神さまがあなたの人生に計画を持っておられ、あなたを導いてくださいます」。

「そんな……。神さまは私なんぞのことなんか知りませんよ」と言うソローン氏に、牧師は、「あなたがどんなに破綻をきたしていても、神さまはあなたに道を備えていてくださるんですよ。ただあなたは神さまを信頼し、あなたの全生涯を神さまにゆだねる決心をしなければなりません」と言いました。

教会から帰ったソローン氏は、自分のイーゼル(キャンバスを載せる台)に「神のご計画が私の遺産」と書き込みました。すると、不思議と彼の心に喜びと希望がわき上がってきました。「何かが始まった」とソローン氏は感じました。

それから何年も経って、ソローン氏は、芸術雑誌が「エリック・ソローンほど、我らの過ぎし日の記憶を、酸いも甘いもかみ分けた絵筆でさわやかにいろどった者はいない」と絶賛するような画家になっていました。

あなたにも、神さまは特別のご計画をお持ちです。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
今、皆さんはどんな状況の中にいるでしょうか。中には、様々な問題、苦しみの中で、神がいるならなぜ、神が愛で全知全能ならなぜと思えるほど苦しい思いをしていらっしゃる方がおいでかもしれません。

それでも私たちが神さまに愛されていること、そして神さまは最終的に私たちに良いものを与えてくださるのだということを信じ、希望を持ち続けましょう。

聖書に基づく希望を持ち続ける

シメオンの賛美や預言の言葉を見ると、聖書、特にイザヤの預言に基づいていると思われる言葉がちりばめられています。

シメオンは希望を与えられていましたが、それは「こうなったらいいなあ」という自分勝手な願望に基づく希望ではありません。

彼はヨセフとマリアに、イエスというこの赤子がすばらしい使命を持って生まれたこと、この子がユダヤ人と異邦人に希望を与える存在だということを伝えて励ましました。と同時に、マリアがこの子のことで苦しい思いをしなければならないことも語っています。

しかし、その苦しみがなければ、人類は罪の赦しという祝福を体験することができません。シメオンが抱いていたのは自分勝手な願望ではなく、聖書の約束に基づいた確かな希望でした。

先程、神さまは私たちを愛してくださっていること、そして最終的に良いものを与えてくださることを申し上げました。それは神さまのみことばが記録されている聖書、誤りのない神さまからのメッセージ集である聖書の約束です。
この話をお読みください。
先日、東京時代のクリスチャンの知り合いが亡くなったということで、葬儀に出席してきました。キリスト教の葬儀は、もちろん地上で二度と生きて会えなくなるという悲しみや寂しさはありますが、同時に不思議な希望や明るさを感じます。それはクリスチャンだけの感想ではなく、未信者の方からもそういう声を聞くことがあります。

実際、前夜式後に久しぶりに再会したクリスチャンの友人たちと、ファミレスで旧交を温めましたが、ある人が「喪服を着てこんなに明るい集団って、ないよね」とつぶやきました。

その理由の一つが、死んで人生が終わりなのではなく、魂が天国に送られてやがて自分も先に死んだ人たちと再会できる。それどころか、やがて肉体的に復活して地上に実現する神の国に入れられる。そうクリスチャンが信じているからです。そしてそれが、自分勝手な希望ではなく、神さまのみことばである聖書の約束だからです。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
聖書の中にある神さまの約束、私たちに与えられている希望の種を探しましょう。そして、いつもそれを口ずさんで希望を養いましょう。

聖霊に導かれて希望を持ち続ける

シメオンが希望を持って生きていたのは、彼が聖霊さまに満たされ、導かれていたからです。

今の時代は、すべてのクリスチャンの内に聖霊なる神さまが住んでくださっています。シメオンは抱神者と呼ばれているとおり、子なる神さまをその腕に抱きました。しかし、私たちは神さまを腕に抱くどころか、内側に宿しています。なんと幸いな時代に生かされていることでしょうか。

しかし、すべてのクリスチャンが聖霊さまに満たされているわけではありません。先日のペンテコステのメッセージでも申し上げましたが、聖霊さまに満たされているとは、生活のあらゆる領域を聖霊さまにささげて支配していただいている状態のことです。

私たちが聖霊さまに満たされ、聖霊さまがくださる知恵や力を体験するためには、
  1. 自分で握りしめて神さまにささげていない領域があることを見つけたら、それを神さまに告白しましょう。そしてイエスさまによる赦しを再確認しましょう。
  2. 改めて、神さまにすべてをささげますと祈りましょう。
  3. そして、聖霊さまによって満たしてくださり、聖霊さまが人生を導いてくださるよう願いましょう。
聖霊は立役者
ただ、聖霊さまに満たされる目的は、私たちがいい気分になることではないし、スーパーマンのようになって人々の賞賛を集めるためでもありません。聖霊さまが私たちを満たしてくださるのは、それによって私たちがイエスさまのことをますます深く知り、この方に人生を委ね、それによって一挙手一投足を通して神さまのすばらしさを、私たち自身に深く体験させ、さらにこの世の人々に伝えられるようにするためです。

この話をお読みください。
クリスチャン生活は、私たちの努力で何とかなるものではありません。何とかなるくらいだったら、イエスさまが私たちの罪のために、身代わりに死ぬ必要はなかったでしょう。神の霊、聖霊さまが私たちの内側を満たし、造り変え、力を与えて下さるからこそ、さらに神のみこころにかなった生き方ができるようになるのです。

さて、昔、F・B・マイヤーというクリスチャンの指導者がいらっしゃいました。この方が、ある修養会で「聖霊に満たされるにはどうすればいいか」というテーマでメッセージを語りました。すると、休憩時間に一人の婦人宣教師が来てこう言いました。「私は聖霊の満たしをまったく意識したことがありませんでした。ですから、これから祈祷室に行って、私でもそれが受けられるのかどうか、終日祈ってみたいと思います」。

その夜、マイヤー先生が会堂を出ようとすると、彼女の姿が見えました。マイヤー先生は声をかけました。「姉妹、いかがでしたか?」「よく分かりませんの」「何をしていらっしゃいましたか?」「聖霊が与えられるという、一連の約束のみことばを読み、祈り、罪を告白し、そして私を満たしてくださるように神にお願いしました。でも、私は聖霊さまに満たされたという感じがしないのです」。

マイヤー先生はさらに尋ねました。「では、あなたと主イエスとの関係はどうですか?」

「まあ、マイヤー先生!」 彼女は晴れ晴れとした笑みを浮かべました。「私は、今日ほどイエスさまとの素晴らしい交わりの経験をしたことはありませんでしたわ!」

マイヤー先生はにっこり笑って言いました。「姉妹。それが聖霊さまのお働きなのですよ」。

ヨハネの福音書16:14にはこう書かれています。「聖霊はわたし(イエス)の栄光を現します」。聖霊さまがあなたを満たされるのは、あなたをスーパーマンにするためにではなく、イエスさまの素晴らしさが、あなたにもあなたの周りの人にももっともっと分かるようになるためです。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
いつも聖霊さまの満たしを求めましょう。そして、私たち自身が聖書に基づく神さまからの希望に満たされるよう、さらにその希望を他の人たちにも伝えられるよう祈り求めましょう。

まとめ

私たちは聖書と聖霊さまによって、神さまから来る確かな希望をいただいて生き生きと生きることができ、またその希望を他の人にも伝えることができます。

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