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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ガリラヤ湖畔でのいやし

イエス・キリストの生涯シリーズ20

マタイによる福音書12章15節〜21節

(2023年2月26日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

15節の「それ」は、パリサイ人たちがイエスさまを殺す計画を立て始めたこと(14節)。

17節の「イザヤ」は、紀元前7世紀半ばから半世紀にわたって活躍した預言者です。

18-21節で引用されている預言はイザヤ42:1-4。

20節の「葦」は、水辺に生えるイネ科の多年草。丈夫な上に柔軟なのでさまざまな日用品や工芸品の材料に用いられ、長さを測る物差しとしても用いられました。

イントロダクション

今日は、ガリラヤ湖畔で行なわれたいやしのエピソードを取り上げます。そして、ここから救い主であるイエスさまが、私たちにとってどんなお方なのかということを学びます。それによって、大いに励まされましょう。

1.ガリラヤ湖畔で起こったこと

いやし

安息日論争の後
「イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると大勢の群衆がついて来たので、彼らをみな癒やされた」(15節)。

「それ」というのは、直前に書かれていることです。前回、イエスさまとパリサイ人たちが安息日を巡る論争を繰り広げたという話を取り上げました。議論でイエスさまにかなわなかったパリサイ人たちは、憎しみを燃え立たせ、イエスさまを殺す相談を始めました(14節)。

そのことを知ったイエスさまは、町を離れて行かれました。平行記事のマルコ3:7によると、出かけた先はガリラヤ湖畔です。

イエスさまがそこにいるという情報が広まると、あちこちから人がいやしを求めて集まってきました。やはり平行記事のマルコ3:7-8では、ガリラヤ地方の他、ユダヤ地方、首都エルサレム、死海の南の地域、ヨルダン川の東側の地域、地中海沿岸の国々などからです。

人々が集まってきたのは、いやしを求めてのことです。「イエスは、群衆が押し寄せて来ないように、ご自分のために小舟を用意しておくよう、弟子たちに言われた。イエスが多くの人を癒やされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押し寄せて来たのである」(マルコ3:9-10)。

イエスさまは、病気に苦しむ彼らをいやされました。

命令

誰にも言うな
「そして、ご自分のことを人々に知らせないように、彼らを戒められた」(16節)。

イエスさまは、いやされた人々に、誰にも言ってはならないとお命じになりました。
もしも、イエスさまが人々にご自分を救い主だと信じて欲しいのなら、むしろ積極的に奇跡を宣伝するようお命じになったはずです。実際、多くの新興宗教では、いやしや社会的成功などを宣伝して人々を集めようとします。

それなのに、イエスさまは逆に、宣伝しないようお命じになっています。いったいなぜでしょうか。
預言の成就
「これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった」(17節)。

後で見ていきますが、ここで「これ」と言われているのは、いやされた人々に口外しないようイエスさまが命じたことだけではありません。ガリラヤ湖畔に退いたことや、そこで人々をいやされたことまで含みます。

イエスさまがこれら一連のことを行なったり命じたりしたのは、預言者イザヤの預言が実現したからだとマタイは解説しています。 具体的には、イザヤ42:1-4の預言です。この後のところにそれが引用されています。

イザヤの預言

神が選んだ救い主
「見よ。わたしが選んだわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は異邦人にさばきを告げる」(18節)。

「わたし」すなわち語り手は天の父なる神さまです。神さまは、ご自身が選んだしもべについて語っておられます。神さまはこのしもべの存在を喜び、愛しているとおっしゃっています。そして、ご自分の霊、すなわち聖霊さまを注がれます。

マタイは、この預言が実現したことを前の部分ですでに述べています。

「イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。そして、見よ、天から声があり、こう告げた。『これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ』」(3:16-17)。

またイザヤの預言では、このしもべは異邦人にさばきを告げると語られています。これは、神さまが選んだこのしもべが救い主であることを表しています。聖書の約束によれば、
  • 人類の罪の問題を解決するために、神が人となられた方、救い主を地上に送られる。
  • この救い主は、悪魔や神さまに逆らう人々を滅ぼす。
  • そして救い主は、エルサレムに王座を構えて王となり、平和と喜びに満ちた理想的な王国を作り上げる(神の国、天の御国、千年王国)。
  • 救い主による支配は、ユダヤ人だけでなく、世界中の異邦人(ユダヤ人以外の民族)にも及ぶ。
「異邦人にさばきを告げる」とは、これら一連の約束のことを指しています。すなわち、この預言で語られているしもべはイエスさまのことだと、今回の箇所でもマタイは語っているのです。
宣伝しない救い主
「彼は言い争わず、叫ばず、通りでその声を聞く者もない」(19節)。

イザヤが預言した救い主は、町の大通りに立ち、大きな声で教えを語るようなことをしません。今回の箇所でイエスさまは町を離れてガリラヤ湖畔に退いておられます。また、町で活動なさったときも、主に会堂や家などで語られました。

先ほど、多くの新興宗教では、いやしや社会的成功などを宣伝して人々を集めようとするのに、イエスさまは「誰にも言うな」とおっしゃって、宣伝しようとなさらなかったと申し上げました。これもまた、イエスさまがイザヤの預言で語られているような救い主だということを示しています。

イエスさまは、これまであちこちで奇跡を行ない、ご自分が聖書の預言する救い主だということを示してこられました。ところが、パリサイ人たちを始めとするユダヤの指導者たちは、イエスさまが救い主だということを受け入れず、むしろ亡き者にしようとさえしています。

ただし、イエスさまはそれを恐れて、寂しいところに引きこもられたわけではありません。

聖書に書かれている出エジプトの出来事を読むと、イスラエルの民は毎日のように奇跡を見せられていました(マナという食べ物が、安息日以外毎日天から降りました)。しかし、民の多くは神さまに信頼せずに不平不満ばかり並べ立て、神さまの命令に逆らい続けました。
信じよう、従おうという気持ちが元々ない人は、たとえ奇跡を見せられたとしても、神さまに信頼したり従ったりすることはないということです。

別に、自分たちが従うべき救い主なんていらない。ただ奇跡さえ体験できればいい。そういう態度はイエスさまを悲しませます。ですから、イエスさまは奇跡を宣伝に使うことを拒否なさいました。ただ、目の前に苦しんでいる人がいるから、彼らを解放するために奇跡を行なわれたのです。
人を見捨てない救い主
「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。さばきを勝利に導くまで」(20節)。

葦はしなやかで丈夫なので、カゴや物差しなどさまざまな日用品や工芸品を作る材料に使われましたし、舟の材料として使われることもありました。しかし、傷が付いた葦は折れやすくなるので、材料としての役に立ちません。ボキリと折られて燃料にされても仕方がないのです。しかし、救い主はそうしないとイザヤの預言は語ります。
灯芯とは、オイルランプの中に入れる亜麻などの糸のことです。これが油を吸い上げ、火をつけると明かりになります。しかし、灯芯にすすなどが着いて油を十分吸い上げなくなると、不完全燃焼の状態になってしまいます。これでは明かりにならないどころか煙やすすが出てかえって迷惑ですから、消火して灯芯を取り替えなければなりません。しかし、救い主はそうしないとイザヤの預言では宣言されています。

もちろんこれは、葦や灯芯の取り扱いについて教えている預言ではありません。痛んだ葦とかくすぶる灯芯とか言われているのは、神さまに従いきることができず、罪を犯してしまう弱い人間たちのことです。

救い主は、罪人たちを直ちに滅ぼしてしまうのではなく、彼らが神さまと救い主を信じ、喜んで従うようになるのを、あわれみ深く、そして忍耐強くじっと待ってくださるのだと、イザヤは預言しています。

いつまで待たれるのでしょうか。「さばきを勝利に導くまで」です。すなわち、この世の終わりに神の国が実現するときまでです。その時には、救い主は神の敵を容赦なく滅ぼして、地上から悪を一掃なさいます。しかし、それまでは、救い主はあわれみ深く罪人たちを見守り、回心するのを待ってくださいます。

使徒パウロはこの点について次のように語っています。「神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです」(ローマ3:25)。「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(第2コリント6:2)。

そしてそれは、1人でも多くの罪人が悔い改めてイエスさまを信じ、救われて神の国の市民権を得られるようにするためです。「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(第2ペテロ3:9)。
異邦人の希望
「異邦人は彼の名に望みをかける」(21節)。

先ほど、「異邦人にさばきを告げる」という預言について取り上げました。恵みの時、救いの時、すなわち神さまが罪をさばかず回心を待ってくださる期間が終わったら、地上にさばきの時がやってきます。

「さばき」というと何やら恐ろしい感じがしますね。確かに、古代の王の仕事の一つは、裁判で悪人の罪を明らかにして、ふさわしい罰を与えることです。

しかし、王は国民が幸せに暮らせるよう、さまざまな政策を実行する働きや、外敵が攻めてきたときに軍隊を率いてこれを打ち破り、国民の生命や財産を守る働きも担っていました。聖書が「さばき」と言うとき、単に罪人に罰を与えることだけでなく、王が国民を幸せに導いたり悪いものから守ったりする働きのことも指しています。

最終的に罪人は罰を受けて滅ぼされます。しかし、救い主を信じた人たちは罪を赦され、永遠の滅びを身に招くことはありません。むしろ、神の国に迎え入れられ、救い主が与えてくださる平和と喜びを体験することができ、争いや悲しみや苦しみ、そして病や死など悪いものから完全に解放されます。

しかも、神の国に入れるのは、神の民として選ばれたユダヤ人だけではありません。ユダヤ人以外の異邦人も、救い主を信じるだけで救われ、神の国の市民権を手に入れることができます。これが「異邦人は彼の名に望みをかける」という意味です。

では、イエスさまがイザヤの預言したとおりの救い主だということは、私たちにとってどんな励ましをもたらすでしょうか。

2.イエスと愛の関係を保とう

イエスはあなたを幸せにしたい

王の仕事は、悪人を捕まえて罰を与えることだけでなく、国民を守り幸せに導くことだということを確認しました。世界の王である救い主イエスさまも、神の国の国民である私たちを守り、本当の幸せへと導いてくださいます。

しかも、その祝福は死んだ後に実現するのではありません。もちろん本格的には死んだ後ですが、今すでにその一部を私たちは体験することができます。

あるアメリカ軍兵士が心臓を悪くし、治療のストレスから酒に溺れるようになりました。そして、なんと上官の車を盗んで基地から脱走してしまいます。間もなく捕まって牢に入れられた彼に、あるクリスチャンの兵士が熱心に伝道し、やがて捕まった兵士はクリスチャンになりました。

しかし、自分が犯した犯罪によって、これから彼は軍法会議によって罰を言い渡されることになります。弁護士は、最低でも懲役5年と軍隊からの追放は免れないだろうと言います。自分は何ということをしてしまったのか、自分で自分の人生を台無しにしてしまったと、彼は救われた後も落ち込み続けました。

そこに従軍牧師がやってきて言いました。「君の罪は神さまによって赦され、忘れられた。だから、過去は取り返しが付かないと嘆かないで、神さまが一切を益に変えてくださると信じ、感謝しようじゃないか。神さまは君がクリスチャンになった後のことを益に変えてくださるだけでなく、クリスチャンになる前に置かした過ちでさえも益に変える知恵と力をお持ちなのだ」。

兵士はひざまずき祈りました。「実感はないし、どのような方法でかはさっぱり分からないけれど、神さまが過去の過ちも含めて、すべて素晴らしいものに変えてくださると信じます。私を幸せへと導いてくださり、感謝します」。

軍法会議の結果は、禁固6カ月で軍隊からの追放はなしという、非常に軽い判決でした。収監されたこの兵士の元に、従軍牧師が訪ねてきました。

面談中、この兵士はどんなに自分が神さまに愛されていて、喜びに満たされているのかを終始笑顔で語りました。時には、立ち上がって笑い、歌い、踊りさえします。牢屋での生活を送らなければならない兵士を励ますつもりだった従軍牧師は、逆に自分の方が励まされたと述べています。

従軍牧師は、すっかり人が変わったあの兵士のことを、部隊の中隊長に報告しました。すると、中隊長も彼の変化を認め、6カ月を待たずに釈放が決まりました。さらにすばらしいことに、元々彼が罪を犯すきっかけになった心臓病も、牢屋を出る頃にはすっかり良くなっていたのです。

イエスさまはあなたのことも幸せにしたいと願っておられます。そして、それを実現する知恵と力をお持ちです。それを信じ、安心しましょう。

イエスはあなたを待っておられる

今は恵みの時、救いの時です。神さまは定められた時が来るまで、最終的なさばきを待ってくださっています。それは、できるだけたくさんの人たちを救いたいと願っておられるからです。

そして、人が救われた後も、イエスさまはその人が成長するのを、温かく見守りながらじっと待ってくださいます。途中で、「こいつはもうだめだ」と匙を投げたりしません。

ある青年が聖書と出会い、聖書の教えは真理だと考えるようになりました。そして、今こそ自分もイエス・キリストの恵みの福音を信じなければならないという促しを感じていました。しかし、他の人に自分がクリスチャンになったということを知られるのが怖くて、信じようという思いを否定し続けていました。

しかし、どんなに否定しても「わたしを信じなさい。私に従ってきなさい」という声なき声が心の中に響き続けるので、ついに青年は耐えられなくなります。100歳近いクリスチャンのところに行き、自分の現状について相談しました。

するとそのおじいさんは言いました。「それは、キリストと君との間の問題だ。他の人をその問題に入れてはいけないよ」。そして言いました。「家に帰りなさい。そして寝室で1人になりなさい。世の中のことも、家族のことも忘れて、起こったことを君と神さまとだけの秘密にすればいい」。

青年は尋ねます。「つまり、イエス・キリストを信じたことを、誰にも言わなくていいということですか?」 おじいさんは優しく言いました。「そうだよ」。

青年はさっそく家に帰ると、寝室でひざまずき、イエス・キリストの福音を信じますと祈りました。それから寝室を飛び出すと、彼はリビングにいた家族に言いました。「ねえ、みんな知ってる? 僕がクリスチャンになったってことは、誰にも言わなくていいんだって!」

神さまは、私たちが聖霊さまのお働きによって変化・成長するのを、忍耐強く、そして温かく見守ってくださいます。そのことを知り、安心して自分のペースで成長していきましょう。

イエスはあなたに愛されたい

イエスさまは、ご自分を信じる気がないのに、ただ奇跡だけを求める人たちのことを悲しまれました。イエスさまは私たちと同じように心を持っておられます。利用されたいのではなく、愛されたいと願っておられるのです。

あなたは福音書時代の人たちとは違います。イエスさまを信じました。イエスさまを愛していらっしゃいます。心からイエスさまに従っていらっしゃいます。ですから私たちのことを愛し、大切にしてくださるイエスさまのことを、もっともっと愛しましょう。

配偶者や子どもや親、あるいは恋人や友だちのことを自分が愛し大切に思っているということを、私たちはどのように相手に伝えることができるでしょうか。
  • 相手と一緒に過ごす時間をたっぷり取る。
  • 相手に「愛している」と言葉に出して伝える。
  • 相手の話によく耳を傾ける。
  • 相手が喜ぶことは何か考え、それを実行する。
イエスさまに対しても、同じようにしましょう。

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