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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

気を確かに持ち、落ち着いていなさい

イスラエルの王シリーズ12 「アハズ」(南王国)

イザヤ書7章10節〜17節

(2021年4月11日)

参考資料

アハズという名前はエホアハズの省略形で、「主は捕らえる」という意味があります。

14節の「インマヌエル」には、「神が共におられる」という意味があります。

15節の「凝乳」は、家畜の乳にレンネット(凝乳酵素)や酸を加えて作るフレッシュチーズの一種。「凝乳と蜂蜜」は、離乳食のことだと思われます。

16節の「二人の王」とは、 北王国の王ペカと、アラムの王レツィンです。この時、北王国とアラムは同盟を結んで南王国を攻撃していました。そこで、南王国の王アハズを励ますために、預言者イザヤが生まれて間もない息子シェアル・ヤシュブを連れてアハズに会いに行きました。そこで語られたのが今回の箇所です。

17節の「エフライム」は北王国、「ユダ」は南王国のことです。紀元前931年、ソロモン王の跡を継いだレハブアムに不満を抱いた北の10部族が、離反して北王国を建国したことを指しています。

イントロダクション

現在、歴代のイスラエル王について学んでいます。 今回取り上げるのは、南王国第12代目の王アハズです。

1週間前にイースター(復活祭)が終わったばかりの時期ですが、クリスマスの話から始めます。マタイの福音書1章に、ナザレの大工ヨセフが婚約者マリアの妊娠を知って苦しんだことが記されています。しかし、天使が夢に現れて「その子は聖霊さまによって身ごもったのだ」と告げ、「マリアを妻に迎え入れなさい」と命じました。ヨセフはお告げを信じてマリアを妻に迎え入れ、やがて月が満ちて救い主イエスさまが誕生します。その場面で、マタイはこう記しています。

「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』。それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である」(マタイ1:22-23)。

元々このインマヌエル預言が語られたのが今回の箇所です。これは、救い主イエスさまの誕生を預言する言葉であると同時に、機器に落ちいて不安に囚われていたアハズ王への励ましの言葉でもあります。私たちにも神さまからの励ましがあります。それを教えていただくために、まずは今回の預言が語られた歴史的な背景から見ていきましょう。

1.インマヌエル預言の歴史的背景

背教の王アハズ

南王国第12代の王アハズは、3月21日に取り上げたヨタム王の息子であり、ウジヤ王の孫です。

父ヨタムも祖父ウジヤも私たちと同じ罪人であって、もちろん失敗はしました。しかし、彼らは基本的に神さまに忠実で敬虔な生き方をしました。ところが、アハズは彼らとはまったく違います。彼は異教礼拝者でした。

アハズは、パレスチナの異民族が礼拝していたバアルを礼拝しました。それどころか、自分の子どもを犠牲にささげることまでしました(第2歴代誌28:2-4)。

神のさばきと助け

そのため、神さまは警告として外国の軍隊に南王国を攻めさせます。北王国イスラエルとアラムの連合軍です。そして、その混乱に乗じて、地中海沿いに住んでいたペリシテ人や、死海の南に住んでいたエドム人も南王国を攻撃しました。
反アッシリア同盟
元々仲が悪かった北王国とアラムが同盟を結んだのは、北にあるアッシリアの脅威に対抗するためです。紀元前745年にアッシリアの王となったティグラト・ピレセル3世は、南に向かって勢力拡大を始め、シリアやパレスチナの国々を攻撃して貢ぎ物を納めさせるようになりました。

ところが、前734年、北王国とアラムは他の小国と一緒にアッシリアに逆らい、貢ぎ物を拒否しました。そして、北王国の王ペカとアラムの王レツィンは、南王国にもこの反アッシリア同盟に加わるよう要求します。しかし、南王国の王アハズはそれを拒否しました。この当時、南王国もアッシリアの支配を受けていたのですが、とてもアッシリアに対抗できるはずなんかないと考えたのでしょう。

すると、北王国とアラムが南王国に軍隊を送ってきました。その理由についてイザヤはアラム王レツィンの言葉を記しています。「われわれはユダに上ってこれを脅かし、これに攻め入ってわがものとし、タベアルの子をその王にしよう」(6節)。すなわちアハズとその一族を皆殺しにして、自分たちの意のままに動く傀儡の王を立て、南王国を乗っ取ってやろうというわけです。
大損害と神の介入
北王国・アラム連合軍による損害は甚大でした。南王国はたった1日で12万人の兵士を殺され、王子や政府高官も殺されました。また、その後の略奪で20万人の男女や子どもが奴隷として連れて行かれました。

ところが、ここで神さまが介入なさいます。神さまはオデデという預言者を連合軍の元に遣わされました。預言者オデデは3つのことを語りました(第2歴代誌28:9-11)。
  1. あなた方が勝利したのは、神さまに罪を犯した南王国へのさばきである。
  2. しかし、あなた方も神さまに対して罪を犯しているのだから、このままではさばきが降るだろう。
  3. だから、捕らえた奴隷を解放しなさい。
すると、北王国軍の中の信仰のある人たちが他の人々を説得して、結局略奪された人や物はすべて南王国に返されました。神さまがあわれみによってそのように導いてくださったのです。

アハズの不信

ところが、それにもかかわらずアハズは神さまに信頼することをしませんでした。彼は、神さまではなくアッシリアに助けを求めようとしました。南王国が自らアッシリアの属国となって貢ぎ物を納める代わりに、援軍を送ってもらって北王国とアラムを追い払ってもらおうと考えたのです。

そこで神さまは、預言者イザヤをアハズの元に送られました。その際、生まれて間もない長男シェアル・ヤシュブを連れて行くようイザヤに命じます。なぜ子どもを連れて行ったのか、その理由は後で分かりますので、ひとまず連れて行ったということを憶えていてくださいね。

アハズの元に赴いたイザヤは、北王国とアラムの企みは絶対に成功しないとアハズに語りました。そして、神さまからの励ましの言葉を語りました。「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない」(4節)。

そして、続けて語られたのが今回の箇所です。次のポイントでその内容を詳しく見ていきましょう。

2.ダビデの家とアハズへの預言

しるしを求めよ

神さまはイザヤを通してアハズにおっしゃいました。「あなたの神、【主】に、しるしを求めよ」(11節)。神さまが北王国やアラムの攻撃から守ってくださるということを確信するために、何かしるしとなるような奇跡を求めなさいとおっしゃったのです。

ところがアハズは答えます。「私は求めません。【主】を試みません」(12節)。これは一見信仰的な言葉に思えます。というのは、モーセの律法にはこう書かれているからです、「あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である【主】を試みてはならない」(申命記6:16)。イエスさまもこの言葉を引用して、悪魔の誘惑を退けられましたね。

しかし、この命令には「マサで行なったように」と書かれているところがポイントです。イスラエルの民が出エジプトを果たして荒野を旅していたとき、マサという場所で飲み水がなくなって人々はモーセに詰め寄りました。彼らは「もし神がいるのなら水を出してみろ」と言って騒ぎ立てました。

信じていない人が、「信じて欲しいなら俺の言うとおりにしてみろ」と上から目線で神さまに命令する態度。これが禁じられている「神を試みる」という態度です。

ところが、アハズに語られた「しるしを求めよ」という言葉は、アハズが勝手に求めたことではなく神さまの方からおっしゃったことです。ですから、しるしを求めてもまったく問題ありません。

ところが、アハズが言う「しるしなんか求めません」という言葉は、信仰から出たものではありません。もししるしを求めてその通りになったらどうします? アハズはアッシリアに頼るのをやめなければならなくなるではありませんか。臆病なアハズはそんなことにならないよう、「しるしなんか求めない」と言いました。要するに、アハズは神さまと関わること自体を一切拒否したのです。

すると神さまは、2つの預言をイザヤに語らせました。1つ目が13-14節、2つ目が15-17節です。これらは1つの預言のように見えますが、よく読むと別々の預言だということが分かります。

ダビデの家への預言

1つ目の預言は、アハズ王個人に向けて語られた預言ではありません。12節より前と15節以降の箇所では、イザヤは「あなた」と呼びかけていますので、語られている相手がアハズ王個人だということが分かります。しかし、13-14節では「あなたがた」と複数形で呼ばれています。そして、13節には「さあ、聞け、ダビデの家よ」という呼びかけの言葉が記されています。これはアハズもそこに含まれていますが、ダビデの子孫たち、すなわち南王国の王家のことです。

王家に対する神さまのしるしは、処女がインマヌエルと呼ばれる男の子を産むというものです(14節)。マタイの福音書で明らかになったのは、このインマヌエルこそイエスさまだということです。

神さまはダビデとの約束で、ダビデの子孫の中から生まれるある人物によって、ダビデ王家の王座は永遠に続くとおっしゃいました(第1歴代誌17:11-14)。それはこの世を罪の呪いから救う救い主のことです。ということは、ダビデ王家もまた永遠に滅びないということです。

その後も、ダビデ王家はこの後様々な苦難を味わいます。アッシリアに攻撃され、バビロンによって国が滅ぼされ、ギリシアやエジプトに蹂躙され、ローマ帝国によって世界中に散らされ、あちこちで迫害を受けて抹殺されそうになります。それでも神さまはユダヤ人を守り、彼らの王の家系であるダビデ王家を守ってくださいます。処女が産むインマヌエルである救い主の存在がそのしるしです。

救い主イエスさまは、十字架にかかって全人類の罪を購った後、一旦天にお帰りになりましたが、やがて地上に戻ってこられます(再臨)。そして、そのときは王として地上の悪を取り除き、平和に満ちた神の国を地上に建設してくださいます。あなたも私もそこに招かれています。

このダビデの家に対する預言は、アハズ個人に向けて語られた励ましではありませんが、それでもアハズを励ます内容です。アラムの王レツィンは、アハズを退けて、自分たちの思い通りになる別の王を立てようとしました。すなわち、ダビデ王家が滅びる危機が迫っていたのです。しかし、その企みは絶対に成功しないと神さまはおっしゃっています。これはアハズを励ますはずでした。

ところが、イエスさまの誕生は、アハズの時代から730年も先です。そして、イエスさまが再臨なさって王として世界を治める時代は、2750年以上たった今もまだ来ていません。まだ起こっていない出来事はしるしにはなりませんね。

アハズ個人への預言

そこで、次に神さまはアハズ自身に対して直接励ましの言葉を語られました。それが15-17節です。

イザヤは「この子が」と言いました。これは先ほど語られたインマヌエル、すなわち救い主のことではありません。イザヤが連れて行くよう命ぜられた息子シェアル・ヤシュブのことです。この子は凝乳と蜂蜜を食べながら成長します(離乳食のことでしょう)。

そして、このシェアル・ヤシュブが善悪の判断が付いて堅い食べ物が食べられるようになるほど成長する前に、つまりそれほど遠い未来ではない時期に、今南王国を攻めている2人の王の土地、すなわち北王国とアラムがさばきを受けるとイザヤは預言しました。

だから、先ほど励まされたように、アハズは恐れないで気を確かに持ち、落ち着いていなければなりません。
南王国へのさばき
しかし、それでも神さまを信頼しないで、自分が考え出した解決策、すなわちアッシリアに頼るという方法を採用するのなら、南王国はかえってひどい目に遭うことになります。

イザヤは言いました。「 【主】は、あなたとあなたの民とあなたの父の家に、エフライムがユダから離れた日以来、まだ臨んだこともない日々をもたらす。それはアッシリアの王だ」(17節)。
頼りにしたアッシリアが、今度は南王国をひどい目に遭わせることになるよ、と。
結果
イザヤを通して語られた約束と警告にもかかわらず、アハズは神さまに信頼せず、アッシリアに頼りました。その結果、
  • アラムはアッシリアに攻撃され、レツィン王は殺されてしまいます。
  • アッシリアは北王国も蹂躙します。この危機的状況の中で、北王国の王ペカはアッシリアに忠誠を誓うホセアに殺されて王位を奪われてしまいました。
  • 後にホセアもアッシリアに逆らったため、結局北王国そのものが滅ぼされてしまいます(前723年のことです)。そして、多くの国民がアッシリアの都に連れ去られてしまいました(アッシリア捕囚)。
イザヤの警告通り、南王国も無事では済みませんでした。アッシリアに援軍を頼んだときに、神殿の宝物倉が空っぽになるほどの貢ぎ物を送りました。それでかろうじて国として存在することはできましたが、その後もこれまで以上の貢ぎ物を送らなければならなくなり、その負担は王家や国民に重くのしかかりました。

また、アッシリアに従順であることをアピールするため、アハズはアッシリアの神々を礼拝するよう国民に命じ、ソロモンが建てた神殿はアッシリア風の異教の神殿に改築されました。経済だけでなく、霊的にも南王国はますます荒廃していったのです。

こうしてアハズは国民の信頼を失い、亡くなったときには王家の墓に埋葬してもらえませんでした。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

3.不安なときは神に信頼しよう

破壊的な未来予測

問題がやってきたとき、時に私たちは慌てふためいてしまって、あまり深く考えないで行き当たりばったりの行動をとってしまうことがあります。たとえば、
  • 経済的に苦しくなってきたときに、返済のことを充分考えないで安易に借金をし、それで返済に困って一発当てようとギャンブルや投資になけなしのお金をつぎ込んで、さらに首が回らなくなったり
  • 人間関係でトラブルが生じたときに、復讐のためにSNSで相手の誹謗中傷をし、名誉毀損で訴えられたり
  • 飛行機がエンジントラブルを起こしたときに、不安のあまり立ち上がって喚き散らし、その結果乗客全体にパニック状態を引き起こして、かえって墜落の危険を増してしまったり
というのは極端な例かも知れません。しかし、不安のあまり行なった行動によって、かえって事態が悪化してしまったということは、私たちは一度や二度は経験したことがあるのではないでしょうか。

牧師以外にスクールソーシャルワーカーという仕事をしているため、子どもの保護者とお話しする機会が多くあります。ついつい子どもに攻撃的な関わりをしてしまう親御さんの多くは、ある種の不安感に囚われていることが多いです。それは、「このままだとこの子は、あるいは我が家は、大変なことになってしまう」という破壊的な未来予測に基づく不安です。

たとえば、「このままだとこの子は友だちが誰一人いなくなってしまう」とか、「この子は将来まともな仕事に就けなくて、一生生活するのに苦労するようになる」とか、「子育てを失敗した親として、自分たちは世間の笑いものになる」とか。

そこで、そうならないよう必死になって子どもを変えようとして、つい暴言を吐いたり、場合によっては暴力に訴えたりしてしまいます。すると、子どもは反発してますます親の言うことを聞かなくなったり、すっかり自信をなくして萎縮してしまい、本来持っている能力もうまく使えなくなってしまったりします。その結果、不安が解消されるどころか、ますます状況が悪化してしまいかねません。

もちろん、冷静な状況分析に基づいて、生来起こりうる危険をあらかじめ予測すること自体は必要なことです。時間や体力やお金は限られていますから、何をどこにどれだけ使うか賢く計算して計画的に生きることは必要です。しかし、私たちは合理的ではない恐れに囚われてあたふたしてしまい、やっぱり合理的ではない対処法をとってしまうことがあります。

落ち着いていなさい

今この時代に預言者イザヤがいたら、私たちのところにも彼を遣わして、神さまがついているのだから大丈夫だと励ましてくださるでしょう。いや、たとえイザヤがいなくても、私たちには聖書が与えられています。そして、それを開けば私たちはいつでも神さまの慰め、励まし、注意、導きをいただくことができます。

4節にはっきりとこう書いてあります。「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない」(4節)。

アハズ王は、預言者オデデを通して略奪されたものを返してもらうという奇跡を見せられたのに、そして預言者イザヤを通して神さまからの励ましのことばを聞いたのに、それでも神さまの助けを信じませんでした。そして、自分勝手に考え出した解決策に安易に手を出し、その結果国を滅ぼしてしまいました。私たちは、神さまに信頼する道の方を選びましょう。

この話をお読みください

私たちも信じましょう。神さまには神さまのご計画があって、それは私たちを幸せにし、私たちを通して他の人を幸せにするための計画だということ、しかも神さまは決してしくじらないということを。心が立ち騒ぐそのときこそ、私たちは神さまのご計画と介入あることを信頼して、意識して神さまの前に静まらなければなりません。

信じると宣言しよう

そして、聖書は心で信じるだけでなく、言葉に出して告白することを大切にしています。たとえば、このように書いてあります。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:10)。

もちろん、イエスさまを救い主だと全然信じていないのに、呪文のように「イエスは主、イエスは主」と唱えれば救われるかと言えば、決してそんなことはありません。大切なのは心です。しかし、心で信じた内容を言葉にして表現したときに、その信仰がますます強固なものになります。

ですから、「この問題がどんなふうに解決し、それどころかすばらしい結果につながるのか今は分かりません。しかし、神さまは必ずこの問題を通してすばらしいことをしてくださると信じます。そして、私は気を確かに持って、静まります。恐れをあなたに委ねて手放します」。そんなふうに祈りの中で宣言しましょう。

今週も、神さまが様々な方法であなたに語りかけてくださって、恐れや焦りを取り除き、平安で満たしてくださいますように。そして、神さまが働かれたとしか思えないような様々な奇跡を、人生の中で見せてくださいますように。

あなた自身への適用ガイド

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