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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

善意

御霊の実シリーズ6

第1歴代誌28章4節〜10節

(2021年6月13日)

礼拝メッセージ音声

参考資料

今回の箇所は、ダビデ王が年を取り、家来たちの前でソロモンを正式な跡継ぎとしたときの言葉です。

イントロダクション

現在、「御霊の実」に登場する9つの良い性質について、1つ1つ解説しています。今回は、6番目の「善意」についてです。

これまで御霊の実の解説では、新約聖書が元々書かれたギリシア語での単語を紹介してきましたので、ここでも紹介しておきます。多くの日本語訳で「善意」と訳されている単語は、ギリシア語では「アガソースネー」といいます。

アガソースネーの基本的な意味は「良い」です。そこから様々なニュアンスが生まれました。たとえば、
  • 好ましいという意味
  • 有能であるという意味
  • 人柄が善良で慈悲深いという意味
  • 不法なやり方ではなくまっとうなやり方で稼ぐという意味
  • 道徳的に正しいという意味 (善)
  • 宗教的に正しいという意味(義)
などです。

では、聖書が教える善意、聖霊なる神さまが私たちの内側に実らせてくださる善意の実とはどういうものでしょうか。

1.動機の正しさ

内面の問題

聖書が人の善悪について問題にする場合、表に現れた行動も問題にしていますが、それ以上に重視しているのがその人の内面です。すなわち、どういう心で、どういう動機でそれを行なっているかということです。

今回の聖書箇所でもダビデ王が後継者である息子ソロモンをこう諭しています。「わが子ソロモンよ。あなたの父の神を知り、全き心と喜びの気持ちをもって神に仕えなさい。【主】はすべての心を探り、すべての思いの動機を読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる」(9節)。

以前、イスラエルの王さまたちについてシリーズで学びましたが、1月10日にはソロモン王を取り上げました。ソロモンは、若い頃にはダビデが教えたとおり神さまを求めました。そして、国を正しく治めるための知恵を与えてくださいと謙遜に神さまに願い、神さまもその願いに応えて世界中で最も深い知恵を彼に与えました。しかし、その結果国が大いに繁栄すると、ソロモンはすっかり神さまに仕えることを忘れ、自分自身の名誉や贅沢な暮らしを追い求めるようになりました。

神さまは何度もソロモンに悔い改めを迫りましたが、結局ソロモンは神さまの語りかけを聞こうとしませんでした。そのため、彼が死んだ後、あんなにイスラエル王国は富み栄えていたのに、北の十部族がダビデ王家に反逆して独立して国が南北に分裂してしまい、すっかり弱体化してしまうことになります。

また、人の悪について、イエスさまはこんなふうにおっしゃっています。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです」(マルコ7:20-23)。

ですから、善意はそれとは逆の心の状態、そしてそこから表に現れる行動だということです。

動機は何か

聖書は人の心を問題にします。ですから、表面的には正しい行ないをしていても、心のあり方が間違っているなら神さまはそれを良いものと見なされません。もし、自己中心的な動機で行なうなら、その正しい行ないは偽善と見なされます。

聖書は祈りを捧げて神さまと交わったり、貧しい人たちを経済的に支えるために金品をささげたりすることを良いこととして勧めています。しかし、当時の宗教的指導者であったパリサイ人たちに関してイエスさまはこんなふうにおっしゃっています。

「ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。……また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人々に見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです」(マタイ6:2,5)。
神の名の利用
前回の「親切」の学びの中で、最終的に物事の善し悪しを決めるのは人ではなく神さまだということを申し上げました。相手が願っていることを行なうのが親切ですが、相手の願いよりも神さまの願いの方が優先されます。

しかし、だからといっていつでも「神さまはこうおっしゃっている」と、相手の思いを無視して語ったり行なったりしていいかというと、それはまた違います。

というのは、時に人は神さまの名前を使って自分の思いを通そうとすることがあるからです。

以前、東京にいた頃、クリスチャンホームに育った方たちのカウンセリングをよく引き受けていました。彼らは、クリスチャンである親から神さまの名前を使って様々な禁止命令を受けていて、それによって不自由な生き方に陥って苦しんでいました。

たとえばある人は、「人から頼まれ事をしたら、絶対に断ってはいけない」と教えられました。その人はずっとその命令を守ろうとし、他人からの様々な頼まれ事に押しつぶされてうつ状態に陥ってしまいました。神さまはそんな非現実的なことは教えておられません。

客観的にその人の話を聞いた私は、それは親が子どもに反抗されたくないからそう教えただけじゃないかと思いました。

カルト化した教会のリーダーたちも、神さまの名前や聖書の言葉を使って様々な命令をしていますが、その動機は自分の支配欲を満足させたい、あるいはたくさんの献金を集めて贅沢な暮らしがしたいという自己中心的なものです。

また、旧約聖書に登場する預言者たちは、神さまの言葉、聖書の言葉を使って間違ったことをしている他人や政府や社会を非難しました。現代のクリスチャンの中にも同じようなことをしている人たちがいます。しかし、その中には、自分が立派で正しい人間だということを示すためにそうしている人たちも残念ながらたくさんいます。

そして、ピリピ書の中では、パウロに妬みを覚えて、パウロよりも自分たちの方が立派な伝道者だということを示すために熱心に伝道している人たちがいることが指摘されています(ピリピ1:15-17)。

もしも動機が間違っているなら、たとえ神さまの名前や聖書の言葉を使って何かを語ったり行なったりしたとしても、それは本当の愛、本当の親切、本当の正義とは言えません。

聖霊のチェックと助け

ですから、私たちは自分の心の内側、自分の行動の動機にいつも注意している必要があります。

そこで、聖霊なる神さまにいつも祈り求めましょう。
  • 私たちの内側、私たちの動機をいつも探ってくださるように。
  • そして、間違った動機で行動しているなら、それを私たちに示してくださるように。
  • さらに、正しい動機で行動できるよう助けてくださるように。
以前、他の教会に招かれてメッセージを語ったときのことです。講壇に上がる前に大変緊張してしまいました。そこで祈りました。すると、神さまが私の心を探ってくださって、私の隠れた動機を明らかにしてくださいました。それは、聴衆を感動させ、泣かせるようないい話をして、評判を博したいという動機です。

本来、私の栄光ではなく神さまの栄光、私の愛情深さではなくイエスさまの愛の深さを伝えるのが聖書のメッセージの目的のはずです。間違った動機で語ろうとしていることに気づかされ、それを悔い改めたとき、あんなにひどかった緊張がすっと解けました。

また、やはり別の教会で奉仕させていただいたとき、あるクリスチャンの方からこんな話を聞きました。Aさんの息子さんは、吃音になったり、不登校や家庭内暴力などを経験したりしてこられました。Aさんは、息子さんが子どもの頃、自分がヒステリックに叱って育ててきたせいだと考えて、そのことについて罪責感で苦しんだ時期もありました。しかし、最近こんなふうに考えるようになったとおっしゃっいました。

「自分の子育てについて罪責感を持つことは、今あるがままの息子のことを否定することになります。私が自分を責めることは、不登校や家庭内暴力を経験した息子はダメ人間だと言っているのと同じです。だから、私はイエスさまの赦しを受け取って、罪責感を捨てることにしました」。

そして、Aさんは、罪責感をカバーするために息子さんに関わるのではなく、息子さんにとって本当に助けになることは何かと考えるようになり、それを見分ける知恵と実行する力をくださるよう神さまに祈るようになりました。

こうして、存在を丸ごと受け入れられた息子さんは、Aさんから自分自身を受け入れる力をもらって、自信を取り戻し、生き生きと生活することができるようになりました。

私たちも、神さまに私たちの動機を探っていただき、それをきよめていただくよう祈り続けましょう。

2.神の善意

神の行動の動機

さて、聖書が「善意」という場合、すなわち内面について「良い」「正しい」という場合、人間だけでなく神さまについても多くを語っています。

ギリシア語のアガソースネーには、人柄が善良で慈悲深いという意味もあります。ですから、神さまの正しさとは、ただ単に罪を裁く厳しさとしての正義だけでなく、あわれみ深く慈愛に満ちておられるご性質も表わしています。たとえば、聖書の中でこのように語られています。
  • 「【主】は情け深く正しい。まことに私たちの神はあわれみ深い」(詩篇116:5)。
  • 「主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます」(ヤコブ5:11)。
神さまの動機は私たち人間に対する慈愛です。私たちを不幸にしてやろう、ひどい目に遭わせてやろうという悪意ではなく、100%の善意で、すなわち私たちの幸せを願い、私たちが本当の幸せを味わうことができることを目指して行動してくださっています。
世界を見るフィルター
赤いフィルターを通して世界を見れば世界が赤く見えます。青いフィルター通して世界を見れば青く見えます。神さまをどのようなお方だと信じるかという信仰もまた、世界を見るフィルターになります。神さまをどのようなお方だと信じるかによって自分の人生に起こった出来事が違って見えるのです。

では、 私たちはどんな信仰のフィルターを通してこの世界を見ているでしょうか。神さまの善意というフィルターでしょうか。それとも悪意というフィルターでしょうか。

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神の善意を信じ続ける

ですから、私たちはあらゆる時に神さまの善意を信じ続けなければなりません。

以前「増田さんにとって信仰って何ですか?」というド直球の質問を受けました。ちょっと考えて答えました。「神さまの『善意』を認めるということです」。

私の人生に問題が起こったとします。神さまは全知全能なのですから、その問題を止めようと思えばできたはずです。それなのにその問題が起こったということは、神さまはそれがベストだとお考えになったということです。神さまは私を愛し、幸せにしたいという善意をお持ちなのですから、たとえ私にはその意味が今は分からなくても、私にとって最善のプレゼントのはずです。

正直に告白すると、実際にはなかなか神さまの善意を信じられずに、焦ったり、不安になったり、イライラしたり、腹を立てたり、がっかりしたり、いやになったりします。それでも、そんな不信仰な私に対して、なおも神さまは善意で関わり続けてくださっています。あきれてサジを投げたり、切り捨てたりなさらないということです。そのことだけはかろうじて信じ続けています。

神さまは、あなたの人生にも最善を行なってくださっています。あなたがどう感じようとも、あなたの人生に起こっていることは、あなたにとって最高の祝福です。

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感謝の応答
では、私たちは神さまの善意を信じているということをどのような具体的な行動で表現できるでしょうか。それは神さまへの「感謝」です。

うれしいことが起こったときに感謝するのはそれほど難しくありません。私たちにとって嫌なこと、つらいこと、ガッカリするようなことが起こったとき、そのことを神さまに感謝するには、神さまの善意を信じ、神さまは最善以外なさらないと信じている必要があります。

ですから、感情的に嫌だなと思えるような状況でも、それが与えられたことを感謝するとき、私たちは「神さまは良いお方であり、自分のことを愛してくださる善意に満ちたお方だ」ということを信仰告白していることになるのです。

以前、マーリン・キャロザースという牧師が書いた「獄中からの讃美」という本について紹介しました。私たちが嫌な出来事を体験したときこそ、信仰を働かせて神さまに感謝し、神さまをほめたたえることが大切だと教えています。この本には、そのようにして信仰を働かせて感謝と賛美をささげた人々が、実際に考えられないような祝福を味わうようになったことが書かれています。

もちろん、聖書は積極的に考えれば成功するという成功哲学を教える自己啓発書とは違います。いくら苦しみを感謝しても、賛美しても、現実にその苦しみが取り去られないことがあります。たとえば病気が治らなかったり、迫害が収まらなかったり。その場合でも、その苦しみが取り去られないことを通してすばらしい事が起こります。

また、たとえ地上ではその祝福の答えが見つからなかったとしても、死んだ先の世界では必ず答えが明らかになります。

ですから、私たちはそのことを信じて、神さまに感謝し、愛に満ちた神さま、善意にあふれた神さまの素晴らしさをほめたたえるのです。

神の善意の伝染

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神さまの善意について思い巡らせ、感謝をささげていくことで、神さまの善意が私たちの内側にも実を結び始めます。私たちは触れたものに似るからです。

そして、聖霊さまは、私たちが正しい動機、特に他の人に対する善意で行動することができるように、日々造り変えてくださいます。

あなた自身への適用ガイド

  • 動機の正しさや間違いについて神さまからの指摘を感じたことがありますか?
  • 人の表面的な行動と本音の動機の間にあるずれに気づいたことが最近ありましたか?
  • ものの見方が変わったことで、感じ方が変わった経験がありますか・
  • 神さまの善意を信じるとき、今まで苦しみだと思っていたことに対する考え方や感じ方がどのように変わりますか?
  • 最近、神さまの善意をどのように実感しましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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