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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

シュネムの婦人

聖書の女性シリーズ14

第2列王記4章8節〜17節

(2021年10月10日)

礼拝メッセージ音声

シュネムの婦人は、預言者エリシャを通して3つの祝福を神から与えられました。

参考資料

1節の「シュネム」は、イズレエル平原にあった町で、モレの山の南西山麓に位置していました。現在のスラム(Sulam)村です。

イントロダクション

今回登場するのは、シュネムに住んでいた裕福な婦人です。彼女は、預言者エリシャを通して神さまからの様々な祝福を体験しました。それらを見ることによって、私たちにも神さまが祝福を用意してくださっているということを確認しましょう。

1.シュネムの婦人への祝福

息子が与えられた

今回皆さんと一緒に交読した箇所に書かれている出来事です。前回前々回に登場したのは、食べるにも事欠く貧しい未亡人たちでしたが、今回の女性には夫があり、しかもとても裕福な暮らしをしていました。

この女性は、たまたま預言者エリシャが通りかかったときに声をかけ、それ以来たびたび食事に招くようになりました。さらには、夫と相談して、エリシャが宿泊できるように専用の客間を用意しました。
密かな願い
エリシャはこれらの親切に感謝を表すため、自分にできることはないかと尋ねました。たとえば、王や軍の司令官に何か頼みたいことがあって、その仲介を頼みたいというようなことです。すると、彼女は答えました。「私は私の民の間で、幸せに暮らしております」(13節)。すなわち、不満も問題も何もないから、お願いすることはありませんと。

今与えられているもので満足し、神さまに感謝しながら生きることは大切なことです。しかし、彼女の心の奥底には隠れた痛みがありました。それは、この夫婦には子どもがいなかったということでした。

これまで何度か申し上げてきましたが、古代イスラエルにおいて、子どもがいないというのは女性にとって恥であると考えられていました。もちろんそんなことは聖書で教えられてはいませんが、不妊は神さまの呪いだとさえ言われていたのです。ですから、子どもがいない寂しさとか、将来財産を誰に引き継げばいいんだろうかとかいう心配だけでなく、とてもつらくて苦しい思いをこの女性はしていたのです。

信仰深いこの女性のことですから、これまで長いこと神さまに祈ってきたことでしょう。それでも子どもが与えられ与えられませんでした。ですから、もはや解決不可能だとあきらめて、「子どもを産みたい」という願いは心の奥底に封印していたものです。
出産の約束
従者であるゲハジから夫婦に子どもがいないことを指摘されたエリシャは、女性に言いました。「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになる」(16節)。子どもが与えられるという預言です。すると、この女性はエリシャに言いました。「いいえ、ご主人様。神の人よ、このはしために偽りを言わないでください」(16節)。

後に、このセリフについて女性はエリシャにこう語っています。「私がご主人様に子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか」(28節)。

すなわち、よけいな期待をかけさせないでくれという意味です。せっかくあきらめていたのに、変に期待をしてしまうと、かなえられなかったときに深く失望することになって、よけい惨めになるからです。

しかし、エリシャの預言通り、翌年この夫婦には男の子が誕生しました。どんなにかこの女性は喜んだことでしょうか。

息子が生き返った

しかし、数年後にこの女性は深い悲しみを味わうことになってしまいます。今回交読した話の直後に、次のようなエピソードが記されています。
息子の死
息子が大きくなったとき、父親や奉公人たちが働いている畑にいきました。そのとき、熱中症か、それともくも膜下出血か、原因は分かりませんが、突然「頭が、頭が」と言って倒れてしまます。彼はすぐに家に運び込まれ、しばらく母親の膝の上で休んでいましたが、とうとう死んでしまいました。

するとこの女性は、息子の遺体をエリシャのための客間に運び上げ、ベッドに寝かせました。そして、急いでカルメル山にいる預言者エリシャの元に向かおうとしました。

すると、夫は「どうして、今日あの人のところに行くのか。新月祭でもなく、安息日でもないのに」(23節)と尋ねました。新月祭というのは、月の最初の日を祝う祭りです。この日や安息日には、預言者の元に訪れて神さまに伺いを立てるということが当時行なわれていたのでしょう。

当時、北王国では偶像礼拝・異教礼拝がはびこっていました。そんな中、預言者エリシャをサポートしたり、新月祭・安息日を守ったりしていたわけですから、この夫が信仰的だったということは間違いありません。しかし、息子の病気を癒やしてもらうために預言者の元に行くという発想は、この夫にはなかったようです。もっとも、この女性が夫に息子が死んだことを語っておらず、姿が見えないから元気になって遊んでいるんだろうと考えていた可能性もありますが。

すると、婦人は「かまいません」と言って出かけてしまいました。夫に長々と説明する時間が惜しいという感じですね。そして、従者に引かせたロバに乗ってカルメル山まで出かけていきました。
エリシャへの訴え
すると、ロバに乗ったこの女性が近づいてくるのをエリシャが見つけ、従者ゲハジを送ってあいさつをさせました。「さあ、走って行って彼女を迎え、言いなさい。『あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか』と」。彼女はそれにこう答えた。「無事です」(26節)。

息子が死んでいるのですから、無事なわけがありません。しかし、ここでも立ち止まってゲハジとやり取りをする時間が惜しくて、適当に答えて女性はエリシャの元に急ぎました。そして、エリシャに訴えました。「私がご主人様に子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか」(28節)。幼くして死ぬくらいなら、息子を与えられない方が良かったくらいだという、この女性の悲痛な叫びです。

と同時に、彼女の心の中には、エリシャだったらこのつらくて悲しい状況をなんとしてくれるという信仰がありました。だからこそ、わざわざここまでやってきたのです。

よっぽど取り乱していたのか、この女性は詳しい事情を語りませんでした。しかし、息子が瀕死の状態になったか死んだかしたのだろうということを察したエリシャは、ゲハジを彼女の家に送ることにしました。自分の杖をゲハジに渡し、途中で誰にもあいさつしないで、すなわち立ち止まらず急いで行って、その杖を息子の頭の上に置きなさいと命じました。

ところが、この女性はエリシャにすがりついて言いました。「【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません」(30節)。すなわち、「エリシャ先生ご自身が家まで来てくださるように」と彼女はお願いしています。先程もゲハジが取り次いだあいさつの言葉も半ば無視していますが、どうやらこの女性はゲハジのことをあまり信用していなかったようです。

次の5章には、ゲハジが俗物的な人物だったと言うことをうかがわせるエピソードが載っています。特別な皮膚病(ツァラアト)にかかっていたアラムの将軍ナアマンが、エリシャによっていやされたという記事です。エリシャはナアマンが差し出した謝礼の品々を受け取りませんでしたが、ゲハジはこっそりナアマンの後を追いかけ、「急な来客があったため、エリシャ先生が先程の贈り物を求めておられます」と嘘をついて、その謝礼を着服してしまいました。しかし、エリシャはそれを見抜い「ナアマンのツァラアトは、いつまでもおまえとおまえの子孫にまといつく」(5:27)というふうにゲハジを呪ったため、ゲハジはツァラアトにかかり、エリシャの元から立ち去りました。

シュネムの婦人は、長年エリシャと共に我が家を訪れていたゲハジとも交流があって、彼が即物的な人物だったということを見抜いていたのでしょう。ですから、エリシャ自身が祈ってくれなければならないと考えたのです。

実際、ゲハジが杖を置いても息子は生き返りませんでした。そして、遅れてやってきたエリシャが自分の体を息子の体に重ねるように2度かがむと、息子は7回くしゃみして起き上がりました。

こうして死んだ息子はよみがえり、シュネムの婦人は喜びを取り戻しました。

不動産問題が解決した

次にシュネムの婦人が登場するのは8章です。5章でツァラアトにかかって立ち去ったはずのゲハジが再び登場してきますから、もしかしたら5章より前に起こったエピソードなのかも知れません。あるいは、後に赦されて病気がいやされたのかも知れません。とにかく、シュネムの婦人の息子が生き返った後の出来事です。

エリシャはシュネムの婦人に言いました。これから7年間の飢饉が起こって食糧が足りなくなる。だから、あなたと家族はここを離れていなさいと。そこで、彼らはペリシテ人が住む地域に避難しました。ところが、7年後に戻ってきてみると、家や畑は他人のものになっていました。そこで、自分たちの権利を保障してもらおうと、彼らは王の下に赴きました。

ちょうどその頃、王はゲハジを招いて、預言者エリシャの業績を語らせていました。この王は、アハブ王の2代後のヨラムだと言われています。彼は他の北王国の王たちと同じように不信仰な王ですが、エリシャの奇跡の話には興味を持っていて聞きたいと思っていたのです。ちょうど、ヘロデ王がイエスさまに会って、奇跡を見せてもらいたいと思っていたのと同じようなものですね(ルカ23:8)。

そして、ちょうどシュネムの婦人の息子が生き返った話をゲハジがしているときに、彼女たちが王の前に現れました。ゲハジは彼らを指し示して言いました。「王様、これがその女です。そしてこれが、エリシャが生き返らせた子どもです」(8:5)。

シュネムの婦人たちに興味を持った王は、彼らの訴えに真剣に耳を傾けました。そして、すぐに家来に命じて、彼らの不動産を彼らに返す処置を講じてくれました。

これはまさに神さまの摂理のわざです。神さまは、この世のすべて物をうまく動かして、ご自分の目的を達成なさいます。これを摂理と言います。4章では神さまの奇跡のわざによって2度の祝福を味わったシュネムの婦人でしたが、この8章では神さまの摂理のわざによって祝福を味わいました。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ローマ8:25)と書かれているとおりです。

こうして、シュネムの婦人は3つの祝福を神さまからいただきました。では、私たちはこの女性から何を学ぶことができるでしょうか。

2.自分にできる仕方で神さまの働きに加わる

間接的な奉仕をしよう

シュネムの婦人は預言者ではありません。ですから、エリシャや他の預言者たちのように神さまの言葉を直接聞き取ったり、これから起こることを夢や幻で見たりして、それを人々に伝えるという働きはできませんでした。

しかし、彼女は自分にできる方法で神さまの働きに加わりました。それは、預言者エリシャを経済的・物質的にサポートするという方法です。具体的には、エリシャがシュネムを通る際には、食事や宿泊場所を提供することです。

現代の私たちも、みんなが牧師や宣教師なのではありません。みんなが人前で聖書を教えたり賛美したりするわけではありません。みんなが貧しい国や地域に出かけていって援助の働きをしているわけではありません。しかし、それらの個人や団体を間接的に支えることもまた、神さまの働きに加わる方法です。

たとえば、
  • 海外宣教団体や支援団体に活動費を賄うための献金をする。
  • 教会の牧師が様々な誘惑、たとえば経済的な誘惑、性的な誘惑、支配欲の誘惑などから守られるように日々祈る。
  • 時間があるときに、裏方の手伝いをする。
  • ねぎらいや励ましの手紙やメールを送ったり、声かけをしたりする。
などです。

神さまは、そういう陰の奉仕を、人前での奉仕と比べて小さくてつまらない働きだとして見過ごしには決してなさいません。むしろ次のように約束されています。「まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」(マタイ10:42)。

シュネムの婦人は、エリシャをサポートするという間接的な奉仕をしました。神さまはそれをご覧になり、彼女を奇跡や摂理のわざによって助けてくださいました。私たちも、自分にできる方法で神さまにお仕えしましょう。

恵みに感謝しよう

神さまは、私たちの奉仕を、それがどんなに目立たないものであったとしても決して見過ごさず、報いを与えてくださるということを学びました。しかし、その一方で、神さまの祝福は私たちの良い行ないに対するごほうびではなく、神さまからの一方的な恵みであるということもいつも覚えていましょう。

そうでないと、「地上で祝福されるためにはたくさん献金しなさい。そうでないと貧しくなったり病気になったりするぞ」と脅してお金をかき集めようとするカルトにだまされたり、信仰生活がしんどいものになってしまったりします。

シュネムの婦人は信仰的でしたが、その信仰が完璧だったかというと決してそうではありません。エリシャが1年後に息子が産まれると語ったとき、彼女はそれを信じませんでした。ちょうど、アブラハムの妻サラが89歳の時、神さまが「来年子どもが産まれる」と約束されたのに笑ってしまったのと同じです。それでもシュネムの婦人もサラも子どもを産むことができました。これは、神さまからの恵みです。

また、子どもが死んでしまったとき、シュネムの婦人は「こんなことなら子どもが産まれない方が良かった」と受け取られそうなことを語っています。これは、ヨブが様々な苦しみの果てに、「こんなことなら生まれてこない方がマシだ」とつぶやいて、3人の友だちに代わる代わる非難されたのと似ています。それでも神さまは婦人の息子を生き返らせ、ヨブを再び祝福なさいました。これは、神さまからの恵みです。

神さまからの祝福について、私たちは2つの側面をいつも覚えていましょう。それは、
  1. 神さまと人への良い行ないに対する報酬という側面
  2. 神さまからの一方的な恵みという側面
です。どちらかではなく、その両方です。

報いを期待しながら、かつ恵みに感謝することも忘れない信仰生活とは、神さまとの取引のために良い行ないをするのではなく、神さまにお仕えすることそのものを喜びとするような生き方を目指すということです。シュネムの婦人は、子どもが与えられることを期待してエリシャに食事と宿を提供したのではありません。そうすることそのものが、彼女の喜びだったからです。

神さまが一方的に愛し、祝福してくださっていることに目を留め、それを喜ぶとき、私たちは神さまと一緒にいたい、一緒に何かしたいという思いになります。それは、大好きなお父さんが掃除をしたり、大好きなお母さんが料理をしているとき、子どもが自分もお手伝いをしたいと願うようなものです。

私たちがイエスさまの十字架と復活を信じたとき、罪を赦していただいただけではなく、神さまの大切な子どもにしていただきました。そのことをいつも覚えて喜びの心を育てましょう。

生きた信仰を目指そう

シュネムの婦人の夫は、偶像礼拝・異教礼拝の嵐が吹き荒れる北王国の中で、預言者を敬い、新月の祭りや安息日を守っていました。かつて、エリシャの師匠である預言者エリヤに対して、神さまは「バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしない7000人をイスラエルの中に残している」とおっしゃいましたが、彼もまたその一人だったのでしょう。

しかし、彼の信仰はもっぱら宗教行事を行なうことに向けられていました。一方、妻の信仰はもっとダイナミックなものでした。彼女は、神さまが生きて働かれることを期待し、また信じていました。そういう信仰は、ずっと不妊であきらめていたのに息子が与えられるという奇跡を体験したことで、ますます強くなりました。

夫への説明も、ゲハジへのあいさつもそこそこにエリシャの元に向かう彼女の姿を想像してみてください。預言者エリシャを通して、神さまがきっと愛する息子をもう一度自分の元に呼び戻してくれる。彼女はそう期待していたのです。

自分の信仰生活を振り返ってみると、かつて神さまは私に様々な奇跡のわざ、摂理のわざを見せてくださり、それによって祝福を味わわせてくださいました。それによって、私の心は喜びに満たされ、神さまが生きて働いてくださるお方だという確信と期待が増し加わりました。しかし、時がたつにつれ、いつの間にかその感動が薄らいでしまい、日ごと週ごとに宗教行事を行なうことが私の信仰生活になっていたことに気づかされました。
銀のいす
2006年からC・S・ルイスの「ナルニア国物語」が、映画化されています。全7巻のうち、すでに1巻目から3巻目に当たる3本が作られました。そして、最新作は、発表からだいぶ遅れてはいますが、4巻目に当たる「銀のいす」が制作中だそうです。

「銀のいす」は、人間とものいうけものたちが住んでいるナルニアという世界にイギリスからやってきた、ユースチスという男の子とジルという女の子が主人公です。彼らはナルニアの世界を創造した偉大なライオン、アスラン(実は、アスランキリストのナルニアでの姿です)の命令を受けて、10年以上前に行方不明になったリリアン王子を探す旅に出かけます。彼らには、案内役として沼地に住む人間に似た沼人「泥足にがえもん」が同行しました。

いろいろな困難を乗り越え、ユースチスたちはついに地下の世界で魔女に囚われているリリアン王子を発見し、解放しました。しかし、魔女が薬を火の中にくべて楽器をつま弾くと、4人はだんだん夢心地になります。そして、地上の世界にある空や太陽や星、あるいはイギリスにある自分の家や自動車やラジオなど、それどころかナルニアやイギリスそのものでさえも、またあの偉大なアスランも夢の中で見たもので、本当には存在しないものだと思い始めました。

しかし、泥足にがえもんが自分の足を火の中に突っ込み、それでも自分はアスランを信じるし、ナルニアの存在を信じると宣言すると、他の3人も目を覚まし、そうしてついに魔女を滅ぼしました。

私たちも悪魔に上手にだまされて、かつて体験した神さまとのダイナミックな交わりや奇跡や摂理のわざの感動を忘れ去ってしまうことがあります。しかし、それでもイエスさまは生きておられます。それでも、イエスさまが私たちに用意してくださる神の国は存在します。泥足にがえもんのように、そしてシュネムの婦人のように、そう信じ告白しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたには、どのような「間接的な奉仕」ができそうですか? 実際にやるかどうかはこれから決めるとして、まずはできるだけたくさんリストアップしてみましょう。
  • そのリストの中で、当面実践できそうなものがありますか?
  • これまでの人生を振り返ってみましょう。神さまの祝福、奇跡、摂理のわざがどのように現わされてきましたか。思いつく限りリストアップしてみましょう。
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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