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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

エステル

聖書の女性シリーズ16

ローマ書8章28節〜32節

(2021年10月24日)

エステルはユダヤ人の女性ですが、ペルシア帝国の王妃となりました。そして高官ハマンによるユダヤ人殲滅の計画を、養父モルデカイと協力して防止しました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

エステル記に関する年表
  • 前722年…北イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされる。アッシリア捕囚。
  • 前609年…アッシリアがバビロンに滅ぼされ、捕囚された北王国の民もバビロンの支配下に。
  • 前586年…南ユダ王国、バビロンに滅ぼされる。バビロン捕囚。
  • 前539年…バビロンがペルシアに滅ぼされる。翌年から、一部のユダヤ人が祖国に帰還し始める。
  • 前483年…ペルシアのクセルクセス1世(アハシュエロス)、王妃アシュティを追放。
  • 前481年…クセルクセス、ギリシアに侵攻するも、翌年敗退。
  • 前479年…エステルがクセルクセスの王妃となる。
  • 前473年…ペルシアの高官ハマンがユダヤ人絶滅計画を発動する。

エステルがいた王宮は、ペルシア帝国のスサ(以下の地図ではシュシャン)という町にありました。

イントロダクション

今回取り上げる聖書の女性は、ペルシア王妃エステルです。そして、ご一緒に交読した聖書箇所は(エステル記ではなく)ローマ書から選びました。この箇所は、神さまの守りと導きの確かさについて教えていますが、エステル記に書かれている出来事は、そのことをよく表わしています。今日はエステルを通して、神さまの守りと導きの確かさを信じる私たちに必要な心構えを教えていただきましょう。

1.エステルの決死の行動

王妃になる

エステルとは
時は紀元前5世紀の初め頃のお話です。ペルシアによってバビロンが滅ぼされ、バビロン捕囚されていたユダヤ人が故郷に帰り始めてから、すでに半世紀が過ぎています。

故郷に戻ったのはすべてのユダヤ人ではなく、ペルシアに残ることを決めていたユダヤ人も多くいました。すでに外国での生活に慣れていましたし、荒れ果てた故郷に戻っても様々な苦労が待ち受けていますから。エステルも、そんなペルシアに残ったユダヤ人です。

エステルというのはペルシア語の名前で、ヘブル語の名前はハダサと言います。彼女は幼くして両親を失い、いとこにあたるモルデカイに引き取られて彼の養女となっていました。
王妃選び
さて、あるとき、時のペルシア王クセルクセス1世(アハシュエロス)の王妃アシュティが、王の怒りを買ったため王宮を追放されてしまいました。その後、ギリシアとの戦いにペルシア軍が敗北したため、気落ちした王を慰めるには王妃が必要だと家臣たちが考えたのでしょう。新しい王妃を迎えることになり、国中から美しい乙女たち王妃候補として王宮に集められます。その中にエステルもいました。

エステルは外見が美しいだけでなく、内面も素直で慎ましい性格でした。「あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです(第1ペテロ3:3-4)というみことばがありますが、エステルはその通りの女性だったのです。

そのようなわけで、王はエステルをたいそう気に入り、王宮の人々も彼女に好感を覚えたため、エステルは見事王妃に選ばれます。

なお、このときエステルは、養父モルデカイの言いつけで、自分がユダヤ人だということを王や王宮の人々には話しませんでした。ペルシア帝国は、基本的に征服した国の民族に対して寛容な政策をとっていましたが、それでも外国人であることがエステルにとって不利だと考えたのかも知れません。とにかく、エステルがユダヤ人だということを王も王宮の人々も知らなかったということが、この後意味を持ってきますので憶えていてください。

ハマンの策略とエステルの活躍

ユダヤ人虐殺令
さて、その頃、ペルシアの国でハマンという人が王に次ぐ権力を握りました。王は、家来や国民に対して「ハマンの前ではひざまずいて礼をするように」という布告を出すほどハマンのことを重く用いました。ところが、モルデカイはその布告を無視して、ハマンの前でひざまずこうとしませんでした。ユダヤ人であるモルデカイは、神ではない人間を礼拝することはできないと考えたのでしょう。

しかし、それを恨んだハマンは、モルデカイを殺すだけでは物足りないと考えました。彼と同じ民族、ユダヤ人を地上から抹殺しようと考えたのです。そして、王に対してユダヤ人がいかに反抗的な民族かということを説き、彼らを滅ぼすための法令を発布するよう願いました。

その法令とは、11ヶ月後、アダルの月(今の3月頃)の13日に、国民はユダヤ人を襲撃して、男女問わず、子どもから年寄りに至るまで皆殺しにし、その財産を略奪せよという命令です。当時、故郷イスラエルに帰ったユダヤ人も含め、ユダヤ人はすべてペルシア帝国の支配地域の中に住んでいましたから、ペルシア帝国内のユダヤ人が皆殺しということは、ユダヤ人がこの世から完全に根絶やしにされてしまうということです。

もし、王妃エステルもユダヤ人だということをハマンが知っていたなら、おそらくこんな策略は巡らせなかったでしょう。エステルは王の寵愛を受けていましたから、彼女を悲しませるような法令を王が認めるはずがありませんし、それどころかハマンが王の怒りを買ってしまうでしょうから。ところが、先程申し上げたとおり、エステルは自分がユダヤ人だということを黙っていたため、ハマンはこのような法令案を上奏し、王も許可してしまったのです。

モルデカイがエステルに、ユダヤ人だということを黙っているように命じた理由は書かれていません。もしかしたら、ユダヤ人だということで王妃選びや王宮での生活で差別を受けるのではないかと心配したせいかもしれません。しかし、そのおかげで民族の危機を招いたのだとしたら、それは皮肉ですね。
ユダヤ人共同体の大混乱
さて、そんなひどい法令がすぐにペルシア各地に届けられたため、ユダヤ人共同体は大混乱に陥ってしまいます。そこで、モルデカイも、各地のユダヤ人たちも、衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶって悲しみを表わしました。

これは単に民族的な問題ではありません。人類を救う救い主は、ユダヤ人の中から登場するというのが聖書の預言でしたから、この時点でユダヤ人が根絶やしにされていたなら、救い主が地上に誕生することができません。これは、霊的な問題でもあるのです。ハマンの策略の背後に、目には見えませんがサタン(悪魔)の力が働いていることが分かります。
エステルとモルデカイのやり取り
さて、王妃エステルはモルデカイが粗布をまとって泣き悲しんでいるという報告を受けたため、使いを使わしてその理由を尋ねさせました。王宮の奥にいるエステルには、あの法令のことは知らされていなかったのですね。すると、モルデカイはハマンが計画していることをエステルに告げ、どうか王の元に行って虐殺が起こらないよう取りなして欲しいと願いました。

ところがエステルは躊躇します。というのも、ペルシアでは王が呼ばないのに人が王の前に出て行くことは、たとえ王妃といえども禁じられていたからです。たまたま王の機嫌が良くて容赦してもらえば無事で済みますが、そうでなければ死刑です。その頃1ヶ月王からの呼び出しがなかったエステルは、無許可で王の元に行けば容赦されるはずがないくと考えたのです。

しかし、モルデカイはさらに食い下がり、こう言いました。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」(エステル4:13-14)。
神の摂理
この女性シリーズの中で何度か、たとえばレアルツシュネムの婦人の回で、神さまの摂理のわざについて触れました。聖書の神さまは、この世の様々な物事をうまく関係づけて、最後には必ずご自分の立てたご計画を実現なさいます。今回交読した箇所の、特に28節がそれを良く表わしています。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。

エステル記には、「神」とか「ヤハウェ」(神さまの名)とかいう言葉は一切出てきません。しかし、モルデカイのあの言葉は、すべての出来事の背後で神さまが働いておられることを強くエステルに意識させるものです。

ついにエステルは奮い立ち、王の元に行って取りなすことを決意しました。そして、モルデカイを通して、全国のユダヤ人共同体に対して3日間の断食を依頼しました。王の前に出て行こうとしている自分のために援護射撃の祈りをしてくれということです。そして、もし勝手に王に会いに行ったことで死刑になってもかまわないと、決死の覚悟を口にしました。

勝利

ここから先は、出来事が次々と起こって混乱しがちですので、起こった出来事を箇条書きにします。
  1. エステルは王の前に出ていくと、受け入れられました。そして、王とハマンを王妃主催の宴に招待すると、これも受け入れられました。
  2. 宴に招かれたハマンは有頂天になりますが、モルデカイの存在がますます目障りに思えました。すると彼の妻が、モルデカイのことを王に讒言し、彼を木の柱に貼り付けにして死刑にすればいいとアドバイスし、ハマンもこれを受け入れました。
  3. その夜、王は眠れなかったので、年代記を朗読させていました。すると、エステルが王妃になった頃、モルデカイが王の暗殺計画を未然に察知して報告してくれたため、王の命が守られたという記録を発見します。
  4. 翌朝、モルデカイに何の恩賞も与えられなかったことを知った王は、ちょうどモルデカイを死刑にする許可を取りに来たハマンに、「王が栄誉を与えたいと思うものには、どのようにしたら良いと思うか」と尋ねました。
  5. それが自分のことだと思ったハマンは、「その者に王服を着せ、王冠をかぶせ、王の馬に乗せてください。そして、貴族の一人にその馬を引かせ、都の広場に連れて行って『王が栄誉を与えたいと思われる人は、このようである』と大声で触れ回らせてください」と答えました。
  6. すると王はその案を気に入り、「ではモルデカイにそのような栄誉を与えよう。そして、ハマンよ。お前がその馬を引いて触れ回るのだ」と命じました。ハマンは命令通りにした後、あまりの屈辱に嘆き悲しみながら帰宅しましたが、すぐに王妃の宴に呼び出されました。
  7. 宴会は2日間続き、機嫌が良くなった王は、エステルに何でも願いをかなえようと約束しました。すると、エステルはハマンの悪巧みを暴露しました。怒った王はハマンに死刑を宣告し、モルデカイをはりつけにするために立てた木の柱に、ハマンは貼り付けにされました。
  8. エステルとモルデカイの関係を知った王は、死んだハマンの地位をモルデカイに与えました。
虐殺へのカウンター
こうして、ユダヤ人の敵であるハマンは滅びました。しかし、それでも根本的な問題は解決していません。ユダヤ人を根絶やしにして財産を奪い取れという法令はまだ生きています。というのも、ペルシア帝国では一旦発布された法令は、王であっても取り消しにできないことになっていたからです。

そこで、エステルは王に、ハマンが出したユダヤ人虐殺令を無効にするような新しい法令を出して欲しいと願いました。王は快くそれを受け入れ、エステルとモルデカイが良いと思う法令を出しなさいと言ってくれました。

そこで新たに出された法令は、ユダヤ人を虐殺しようと計画していた者たち対して、ユダヤ人は逆に武力で報復してよろしいというものでした。こうして、2日の間にハマンの息子たち10人、王宮や都でハマンの計画に加担していた者たち800人、そして各地でユダヤ人を虐殺しようと計画していた者たち7万5千人が殺されました。しかし、聖書はユダヤ人たちが殺した者たちの財産は略奪しなかったと書かれています。あくまでも自衛のための戦いだということですね。

こうしてエルテル記の時代のユダヤ人は完全抹殺の危機を脱しました。それは民族的に守られたというだけでなく、すでに申し上げたとおり、救い主イエスさまを通して私たちに与えられる救いの計画が守られたということでもあります。
プリムの祭り
今回の出来事を記念して、イスラエルでは毎年プリムの祭りが行なわれるようになりました。大虐殺から民族が守られたことを記念して、大人も子どもも仮装をして賑やかに祝います。

プリムというのはクジという意味ですが、これはハマンがユダヤ人虐殺の時期を決めるためにクジを引いたという故事から来ています。時期はアダルの月の14日と15日で、太陽暦だと来年は3月16日の日没から17日の日没までです。

祭り前日のアダルの月第13日は皆で断食をし、その夜(日没で日が変わるので14日に入っています)には集会でエステル記が読まれます。その際、ハマンの名前が出てくる箇所ではみんなで罵声を浴びせたり騒音を立てたりするそうです。

では、ここから現代の日本に住む私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神の計画に従おう

摂理信仰を深めよう

エステル記は、ルツ記と並んで、神さまの摂理を学ぶのに最適な書物の一つだと私は思っています。特にエステル記には神という言葉は一切登場しないのに、全体を通して神さまが状況をコントロールしておられることが分かります。

あらゆるものを支配しておられる神さまは、どんなことが起こっても、あるいは起こらなくても、最後には必ずご自分のご計画通りのことを実現なさいます。それを信じるのが摂理信仰です。

しかも、聖書は神さまは私たちのことを愛してくださっていると教えています。本来なら、神さまを否定し、その命令を守らない罪のために、私たちは神さまに呪われて捨てられて滅ぼされても仕方なかった存在でした。しかし、「恵みの福音」を信じるだけで、すなわち「この自分の罪を赦すためにイエスさまが十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさった」と信じるだけで、私たちは罪を完全に赦され、それどころか神さまの子どもにしていただき、子どもとして愛し祝福していただけます。

ですから、神さまは私たちに対して呪いの計画ではなく祝福の計画を立ててくださっています。そして、その計画は、途中経過はどうであっても、最後には必ず実現することになっています。私たちの教会おなじみのフレーズで言えば、「何があっても大丈夫」。そして、「何がなくても大丈夫」です。

それを信じましょう。信じ続けましょう。「私は絶対に、神さまに祝福される運命なのだ」。そのように、何度も何度もご自分に宣言しましょう。また、他の人ともそのことについていつも語り、互いに励まし合いましょう。

神の計画を知ろう

では、どうしたら自分の人生に神さまが計画しておられることを知ることができるのでしょうか。

エステルが親を失ったとき、モルデカイに引き取られたとき、そして王妃となったとき、彼女は自分の使命を明確に意識していたわけではありません。しかし、彼女の心の中には、「神さまのご計画に従おう。神さまのみこころにかなう行動をしよう」という基本的な心構えがあったはずです。だからこそ「このためにあなたは王妃になったのかも知れない」とモルデカイに言われたとき、命がけの行動を取ることができたのです。

あなたも、今はまだ自分の人生に神さまが何を計画しておられるのか、あるいは自分が何をするために生かされているのか、自分の人生に与えられている神さまの使命がなんなのか、それが分からないかも知れません。

しかし、少なくともエステルのように、「自分は、自分の欲望よりも、神さまに従う方を優先する」と決意しながら生きていきたいものです。聖書には、「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(第1コリント10:31)という命令があります。どんな行動をしたらいいかいくつかの選択肢がある場合、「自分がどうしたいか」「人は何を私に期待しているか」という基準も大事ですが、それ以上に「神さまの素晴らしさが自分にも周りの人にもより明らかになるのはどの行動だろうか」という視点で考えてみましょう。
置かれたところで精一杯
そして、エステルは、置かれたところ(モルデカイの養女でいること、お后候補でいること、そして王妃でいること)で、精一杯神さまの栄光を現す生き方を続けることで、使命が明らかになっていきました。

王妃として権力を笠に着て威張り散らしたり、贅沢三昧の暮らしをすることも可能でした。しかし、彼女は慎ましさを失わず、また人に優しく接しました。だから、王も家臣たちも彼女を敬愛し、その言葉を尊重したのでした。そういうエステルでなければ、王はエステルの主張ではなく、ハマンの主張の方を信用したことでしょう。

今、あなたはどんな状況に置かれていらっしゃいますか? そこで、神さまの栄光を現す行ないを精一杯行なうとは、いったい何をどうすることでしょうか。

人の責任を全うしよう

さて、神さまが計画なさったことは必ず実現するというのが摂理信仰です。しかし、だからといって、人間はただ口を開けて待っていればいいというわけではありません。神さまのご計画を知り、その実現のために自分は今何をしなければならないか祈りながら考え、そして様々な困難があってもそれを実行することが求められています。

たとえば、全世界をさばく大洪水から忠実なノアとその家族を守ろうと計画なさいました。しかし、そのためにノアたちは箱船を造ることを求められました。そして彼らはそれを実行しました。

神さまは、アブラハムとその子孫を通して、全人類に救いがもたらすことを計画なさいました。そのために、アブラハムは故郷を離れて約束の地に移動することを求められました。そして、彼はそれを実行しました。

神さまはペリシテ軍の勇者である巨人ゴリアテを倒して、イスラエル軍に勝利を与えることを計画なさいました。そのために、ダビデは羊飼いが使う石投げ器を手にゴリアテに立ち向かわなければなりませんでした。そして、彼はそれを実行しました。

そして、神さまは、ハマンの考えたユダヤ人抹殺からユダヤ人を守ることを計画なさいました。そのために、エステルは王に殺される危険があったにもかかわらず、呼ばれもしないのに王の元に行くことを求められました。そして、彼女はそれを実行しました。

神さまは、あなたのためにも祝福の計画を立てておられますし、あなたが関係する人たちやグループのためにも祝福の計画を立てておられます。では、今あなたが求められているのは何でしょうか。それを知り、実践しましょう。

この話をお読みください。
日本の「いのちの電話」は、イギリス国教会の司祭であるチャド・バラー先生が始めた電話相談事業「サマリタンズ」が元になっています。当時のロンドンの自殺率の高さに心を痛めたチャド先生は、対面ではなく電話で相談できる働きがあれば、もっと多くの人が死ぬ前に悩みを吐き出し、それで自殺を思い留めるようにできるのではないかと考えました。

日々の祈りの中で、自分がその働きをするよう神さまが願っておられると感じたチャド先生ですが、それでも神さまにこう反論しました。「でも、私が働いている教会は大変忙しいのです。もっと人数が少ない、そうですね、金融街で住んでいる人が少ないシティあたりの司祭が行なえばいいんじゃないでしょうか」。すると、チャド先生は間もなくシティにある教会に転任になったそうです。

やっぱり私がやるというのが神さまのご計画なのかと受け取ったチャド先生は、新しく赴任した教会の役員に相談すると、全員「それはいいですね。ぜひやりましょう」と答えました。そして、事務室に電話機があったはずだから、それを使えばいいと言いました。

チャド先生は、電話相談で使う電話番号の候補をすでに決めていました。回線の種類によって上3桁はMANが付くことは確実なのですが、下4桁を9000にしたいと考えたのです。イギリスの人たちにとってその数字は、警察や消防などをイメージする、緊急性の高さを感じさせる数字だからだとのこと。

しかし、電話会社に電話をして問い合わせると、そんないい番号はすでに使われている可能性が高く、どうしても使いたい場合には今の使用者と交渉して、かなりの額のお金を支払う必要があるだろうという話でした。

そして、「ちなみに、今使っている番号は何番ですか?」と電話会社の担当者が尋ねるので、チャド先生は知らないと答えました。「電話機のダイヤルの真ん中に書いてあるはずですよ」と担当者が言うので、ほこりをかぶって見えにくくなっているダイヤルを手で拭いました。すると……

「あ」。なんと、そこには「MAN9000」と書かれていました。

国や民族を滅亡の危機から救うとか、人の命を左右するというような大きな働きでなかったとしても、神さまはあなたの人生にも計画をお持ちで、あなたならではの使命を用意してくださっています。そして、あなたがその小さな奉仕を忠実に行なうとき、神さまは様々なことを働かせて益にしてくださいます。
(当サイト「 ショートエッセイ」より)

あなた自身への適用ガイド

  • 神さまの摂理を実感した出来事がありますか? それはどういうものですか?
  • 今、神さまがあなたに何かをして欲しいと願っておられると感じますか? それは一体どういう行動でしょうか?
  • その行動をする場合、どんな困難やデメリットが想定されますか?
  • 困難やデメリットを物ともせずに神さまのみこころを実践した結果、祝福に終わったという経験が何かありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

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